ニュースの時間

北へ(1996年)

あんあん

八甲田  「上野発の夜行列車降りたときから〜青森駅は雪の中〜」と石川さゆりの「津軽海峡冬景色」にも歌われているように、北へ向かうのは何か人の心をしみじみとさせるものだ。僕も以前から北へ旅をしたくて、4年前から「北海道へ行きたい」という夢を持っていた。それが平成3年にやっと叶うこととなる。そこで、友人である坂脇氏との珍道中を記すことにする。

1日目 平成3年3月16日(土)
 当日の朝が来た。天気は曇りから雨になった。僕は少々緊張気味だったが、荷物の確認などで忙しい午前を過ごした。北海道は寒いだろうということで、衣類をたくさん鞄に詰め込んだが、重くて歩けないので、最小限度まで減らした。それでもヨロヨロしてしまうほどだったが・・・。
 坂脇氏と落ち合い、二宮15時26分の東京行きに乗った。外は雨が降り、とても寒い。この分では、北海道はきっと雪だろうと思った。
 16時45分東京着。重い荷物でフラフラしながら山手線に乗り換える。17時00分には僕らは急行「八甲田」が入線する上野駅13番線ホームに着いてしまった。ホームには誰も居ない。どうやら一番乗りのようだ。ホームの先の方へ歩いて行くと、駅員が話しかけて来た。
「『八甲田』に乗るのかい?」
「はい」
「随分と早く来たね」
「込むと思ったもので。でも、一番乗りだ」
「最近は土曜日より金曜日が込むんだよ。7時頃から込んで来るね。ああ、この辺りに荷物だけを置いておくと、プー太郎が持って行ってしまうから気を付けてね」
駅員は去った。後ろを振り返ると、置き引きの常習犯と思われるプー太郎がいた。
 腹が減って来たので、荷物を一時預かり所(260円)に預けて、駅港内のファーストフード店で490円のハンバーガーセットを食べる。ついでに売店で道内時刻表を買って、13番線に戻った。
 入線時刻まで、ホームに新聞紙を敷き、そこに座って読書感想文の課題図書を読む。しかし、酔っ払いがやって来て、読書どころではない。怖かった。
 21時30分に青い美しい車体の急行「八甲田」が滑り込んできた。乗るのは僕が1番。胸がどきどきしたが、見栄を張って、余裕という感じで乗った。
21時45分に急行「八甲田」は発車した。駅弁を食べて、大宮を過ぎたところで列車探検に行く。しかし、残念ながらこれはという物はなかった。仕方なく自分の座席に戻ってうとうとすると、上野駅のホームで遭遇した酔っ払いが騒いでいた。
 ほどなく黒磯に着いた。機関車を替えるので停車時間が長い。ホームに降りてみると氷が張っている。そのうえでイエイイエイと踊った。旅の始まりで興奮していたのであろう。今、考えると恥ずかしい。
 黒磯を出ると、例の酔っ払いは、反対に向き合わされている座席の背もたれの間に入り込み、眠っている。近くのおばさんと顔を見合わせて笑った。しかし、酔っ払いは寝ていてもうるさい。
「ウゲーッ!!バカヤロー!!」
寝言らしい。バカヤローはお前だ!!と思った。結局、眠れたのは午前2時過ぎの福島あたりであった。


2日目 平成3年3月17日(日)
 目を覚ますと盛岡の手前であった。雪が降っている。北国だ!
 盛岡で駅弁を購入して、一戸あたりから雪景色を眺めながら食べた。坂脇氏は、「一戸、二戸、三戸、八戸があって、なぜ、四戸、五戸、六戸、七戸が無いのか?」と尋ねてくる。「そんなこと知るか!!」と言い返すと、「なぜ知らないのか?」と言ってうるさい。そんな坂脇氏も、やがて酔っ払いのせいで寝不足だったのか、いつの間にか眠ってしまった。
 9時08分青森着。「青森駅は雪の中〜」と歌詞にはあるが、そのとおり雪だった。ただ、歌詞と異なるのは青函連絡船がなくなったことぐらいだ。寂しい。
 しかし、僕らはやっぱり船で行く。青森から函館までは、東日本フェリーがあるのだ。出航時間までまだ時間があったので、青森の町をうろついた。JTBで空気枕を買い、気のいいおばさんがやっているりんご屋でりんごを3個買った。その後、バスで港に向う。
 乗船手続きを済ませてフェリーに乗る。12時35分出航。僕らは甲板で過ごす。「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました〜」と歌詞にはあるが、まさかそんなことはしない。
 陸奥湾を抜けて、津軽海峡に差し掛かると海が荒れてきた。強風、高波、吹雪。おまけに寒い。でも甲板に留まる。青森で買ったりんごを食べて、芯をカモメにやった。食べるわけない。くそ寒い甲板でこういうことをする僕らはいったい・・・。それに、竜飛崎も見られないし、吹雪の中だからぐっしょり濡れるし、ふんだりけったりだ。そんなわけで、甲板で過ごすのをやめて展望室で寝た。
 目を覚ますと、函館山が見えた。ああ、北海道にはるばるやって来たのだなと思った。しかし、函館から再び青森に引き返す。今度は青函トンネルを利用して。青森からは、急行「はまなす」に乗った。車内で、函館で買った帆立の塩辛を食べた。辛くてたまらなかった。

2日目 平成3年3月18日(月)
 起きた。時計を見た。ゲッ!もうすぐじゃないか!
 今日は終点の札幌まで行かずに、途中の苫小牧で降りる予定だ。急いで坂脇氏を起こして苫小牧で下車。5時16分。眠い。お互い会話もせずにぼんやり。
 苫小牧5時55分発の日高本線に乗ると、坂脇氏は案の定眠ってしまった。でも、日高本線からは馬が見えると聞いたので、僕は眠いのを我慢して車窓を眺めた。静内行きなのだが、あまり牧場は見えなかった。ところが、静内で乗り換えると、馬が寒さに負けずに走り回っている姿を目にする。美しかった。
 様似9時45分着。JRバスで、襟裳岬へ向かう。バスの揺れが心地良くて、ついうとうととした。目を覚ますと、そこは「えりも」であった。わっ!降りなきゃ!坂脇氏を叩き起こして、運転手のところへ行くのだが、どうも変だ。なぜなら、周囲には辺鄙な灯台しか見えないのだ。襟裳岬と言えば、もっと大きな岬であろう。
「ここは襟裳岬ですよね」
運転手に確認すると、首を横に振る。
「違うよ。もっと先だよ」
僕は大勢の乗客の前で大恥をかいしてしまった。まぎらわしい地名を付けるな!!
 11時07分に襟裳岬着。岬まで歩くらしいが、僕らは道路を歩かない。小高い丘を獣道に沿って登って行った。頂上からの眺めは最高だった。でも、ここは登っても良いところなのだろうか。「そこに山があるから登る」と誰かが言っているし、まあいいや。
 丘を下りて、岬まで歩く。灯台の先から沖を眺めると、ずっと先の方まで岩が顔を出している。ガイドブックによると、岩礁が数キロ先まで続いているそうだ。海の難所といった感じだ。30分ほど写真を撮ったりして、その後は行ってはいけないらしい海辺にも行った。誰もいない。カモメだけが飛んでいる冬の荒々しい海だった。襟裳岬にはアザラシがいるらしいが、あいにく見ることはできなかった。
 そろそろ昼時で、腹が減ったので食堂を求めて市街地の方へ向かう。今度は道路に沿って。途中でキタキツネを見掛けた。カメラを持って近寄って行ったら、怖い目つきで睨まれた。もう少し愛想が良くてもいいじゃないかと思った。
 行けども行けども食堂なんて見当たらない。シーズン外れなのでホテルもやっていない。人がいないのではないかと思うほどひっそりとしている。しかし、僕らは運良く食堂を営業しているユースホステルを見付けた。
 ユースホステルの食堂で「イクラ丼」(800円)を食べた。食堂のおばさんが、バスの時間までビデオを見て行かないかと言うので、お言葉に甘えてビデオ鑑賞となる。内容は襟裳岬のアザラシについてであった。14時11分のバスに乗り、様似へ戻る。ユースホステルのおばさんはいい人だった。また行きたい。
 日高本線で苫小牧に戻り、室蘭本線に乗り換える。札幌に20時49分着。
 札幌からは網走行き急行「大雪」に乗る。明日は北浜で流氷を見る予定だ。流氷が見られるといいなと思いながら眠りにつく。

4日目 平成3年3月19日(火)
 急行「大雪」は、旭川を過ぎると車内が空いた。座席を向い合わせにして、足を投げ出すと、ゆっくりと眠れた。
 目を覚ますと左手に網走湖が見える。その湖畔では、1匹のキタキツネが走っていた。さすが北海道!と思った。
 網走駅の立ち食いそばで朝食を済ませ、6時44分発の釧網本線の列車に乗る。車内は暖かいのでつい眠くなる。気持ちよくうつらうつらしているうちに6時58分の北浜着。
 ホームから海を眺めてみたが、流氷なんて見えやしない。残念に思いながら海辺まで行くと、流氷のかけらがたくさん浮いていた。本当は海辺にびっしりと押し寄せる流氷が見たかったのであるが、今年は暖冬なので諦めた。でも、またここに来て、必ず流氷を見てやるぞ!と心に誓った。
 海辺で流氷のかえらを眺めた後は、近くのトーフツ湖に行った。白鳥がたくさんいて、100円のパンを買って白鳥に与えた。白鳥は美しかった。
 その後、「どさんこ花園牧場」へ行って、馬と触れ合う。その馬は、サラブレッドではなく、農耕馬で動きが鈍いのだが、それゆえにかわいかった。
 10時10分の釧路行きに乗ったのだが、滅茶苦茶込んでいて、川湯温泉まで座れなくてとても疲れた。今日は釧路で一泊する予定なので、ちょっとHAPPYであった。  釧路に着くと、さっそく旅館に向って歩き出したのだが、道を間違えて超疲れた。それでも旅館に荷物を置いて、釧路の町を散策に出掛けるのだから、僕らは若い。
 夕食の前に風呂に入ったのだが、ちょっと怖かった。風呂は2つあるのだが、ひとつは使えなくなっていた。必然的にもうひとつの風呂に入るのだが、もちろん混浴ではない。と、言うことは、僕らが入浴しているときに、女性がやって来ることも考えられる。坂脇氏と相談のうえ、浴室に鍵を掛けることにした。不思議な旅館だ。
 夜は、火曜サスペンス劇場を見る。増田恵子(元ピンクレディーのケイ)が犯人だった。北海道に来てこの番組を見られるとは思わなかった。

5日目 平成3年3月20日(水)
 朝、目を覚ますと、時刻は7時25分であった。昨日、朝食は7時30分までに来てくださいと言われていたのを思い出して、横で寝ている坂脇氏を急いで起こして、大急ぎで食堂へ行った。なんとか間に合ったので良かった。
 9時41分の根室行きに乗り、景色を眺める。しばらくして、景色を眺めるのも疲れて、うとうとしていると、列車が急ブレーキを掛けた。急ブレーキの理由は、右側の湖にタンチョウヅルがいたからだ。僕らは急いで写真を撮った。
 そして数分後、再び列車が急ブレーキを掛けた。こう頻繁に急ブレーキを掛けられたら、ジュースの缶は転がるし、乗客は転びそうになるし、とても困る。今度の急ブレーキの理由は、線路上に鹿がいたからだ。これは面白いと思い、僕はカメラを持って運転席の隣に陣取った。
「ときどき線路に鹿がいるんだよ。警笛を鳴らしてもどかないから困る」
運転士がつぶやく。図々しい鹿だなと思った。
 11時59分根室着。駅近くの食堂で腹ごしらえをした後、根室大正郵便局を訪れ、駅港内で納沙布岬へ行くバスを待った。
 13時15分発のバスは、普通の路線バスだった。途中で「ごようまい」という珍しい地名を通って、14時00分に納沙布岬に着いた。残念なことに北方領土は見えなかった。灯台のところから目を凝らしてみるが、見えるのは青い海、白い雲、そしてカモメが数羽。なぜか悲しかった。早く返されるといいなと思った。でも、返されたら日本人が殺到して、汚くしてしまうだろう。
 同じバスで根室に戻り、釧路へ引き返す。外を見ていると、また鹿がいた。きっと線路にもいるに違いないと思って、再び運転手の隣に陣取った。段々と周囲が薄暗くなって来る頃、線路に2頭の鹿を発見した。その列車が急ブレーキを掛けたのは言うまでもない。
 厚岸付近で周囲は真っ暗になった。この辺りの夜はとても不気味だ。
 昨日、北浜駅の近くのAコープで買ったグレープフルーツを食べる。車内にグレープフルーツの匂いが広がった。
 釧路に着くと、近くの食堂に行き、「ニシン定食」を食べた。大きくて、脂がのっているニシンは、安くておいしくて最高だった。
 今日の夜は、急行「まりも」に乗る。ドリームカーというものを連結しているので見学に行く。見てびっくり。車内はブラウン調の色に統一され、座席はがっしりとした高級な座席で、足置きまで付いていた。自由席の僕は羨ましかった。ドリームカーは指定席なのだ。何の変哲もない自由席で僕らは寝た。おやすみ。

深名線 6日目 平成3年3月21日(木)
 やけに寒いなと思って、外を見ると、周囲は一面の銀世界であった。今日は好きなところへ行く予定になっている。
「これなら網走辺りはもっと寒くて、流氷が来ているかもしれない。もう1度網走に行こう」
坂脇氏に提案するが、坂脇氏は苫小牧のファンタジードームに行くと言って譲らない。相談の結果、苫小牧に行く代わりに、深名線に乗ると言うことで合意した。
 普通列車でゆるりと苫小牧へ向かう。外は雪が降っていて、真っ白である。
 苫小牧に着いた。まだ、ファンタジードームは開いていないので、町を歩いてみる。休日なのに郵便局へ行くなど間抜けなことをした。
 ファンタジードームは、いわゆる屋内遊園地である。若者がたくさんいた。散々遊んだ後、11時50分の特急「北斗3号」で札幌に行き、13時00分のL特急「スーパーホワイトアロー11号」で深川に向う。
 14時09分の深名線は、けっこう人が乗っていた。がらがらのローカル線を想像していた僕は驚いた。深名線が廃止にならずに、いつまでも残っているといいのだが。
 発車時刻になると、ゴロゴロ音を立てながら動き出した。カーブを曲がると、豪雪地帯に分け入って行く。深名線の沿線はさすが豪雪地帯。外を見ていると道路があるらしいのだが、さっぱりわからない。この辺りの住民の足は、深名線しかないらしい。
 時間の関係で名寄までは行かれそうにないから、途中の幌加内で下車。ここは日本一寒い場所だそうで、町役場へ行くと最寒の地到達証明書がもらえるとテレビで紹介されていた。休日だが、町役場の中には職員がいて、証明書をもらうことができた。
 その後、町をうろついた。近くにスキー場があった。ゲレンデには1人しか滑っていない。ここは穴場だ。
 さすがに日本一寒い場所だけあって、すごく寒い。家の軒には30センチぐらいの氷柱があった。それをもぎ取り、割って楽しんだ。
 駅前の店でお菓子を買って、駅の待合室で本を読みながら列車を待った。本は駅に備え付けられている物で、結構たくさんあった。外は段々と冷えてきて、待合室は締め切ってストーブがついているが寒い。線路では除雪車が頑張っている。深名線はもうすぐ廃止されてしまうという噂を聞くが、廃止してしまうのはもったいないと思いながら深川に戻った。また乗りに来るよ!
 深川からは一旦、札幌に戻って急行「利尻」に乗った。なぜかこの日は2人とも眠れず、車内でしりとりを始めた。坂脇氏に小泉今日子、小林幸子など、「こ」から始まり「こ」で終わるもので攻められたが、結局、勝負はつかなかった。旭川を過ぎた辺りで眠りについた。

7日目 平成3年3月22日(金)
 目を覚ますと、あと30分ほどで稚内に着くから顔を洗いに行く。夜行列車で目を覚まし、顔を洗った後のすがすがしさは何とも言えない。席に戻ると、左手に利尻島と礼文島が見えた。列車が徐行してくれ、ぷっくり浮かぶ島を見ることができた。
 6時00分に稚内に着いた。今日は観光バスに乗る予定だが、まだ時間があるのでドーム式防波堤を見に行こうと坂脇氏に提案したら、「眠いから行かない」と言うので、早朝の町を一人で歩いた。道路はカチカチに凍っていて危ない。僕はおっかなびっくり歩いて行った。でも1回も転ばないで、お目当てのドーム式堤防に着いた。噂に聞いていたとおり、でっかくて、エキゾチックな気分がした。写真に撮って、足早に駅に戻った。
 観光バスの名は「冬はともだち号」といって、乗客は10名程度だった。空いていて嬉しい。宗谷岬に向う途中で樺太が見えた。ガイドさんが「樺太が見られるのは、1年に3分の1くらいなんですよ。皆さんは幸運ですね」と言っていた。夏には稚内から樺太まで船で渡るツアーが計画されているそうだ。
 そのうちに宗谷岬に到着。まず、「そうや竜ふるさと歴史館」に入った。宗谷の自然や昔のニシン漁の様子、9,000万円前に生息していたという「そうや竜」のことが良く解った。
 遠く薄らと見える樺太を眺めていると、ああ最北の地にとうとうやって来たのだなぁと改めて思った。
 近くの土産屋の一角に、「流氷館」なるものがあり、そこに流氷があるそうなので入ってみた。中には、今年接岸した流氷を保存してあった。その上には、キツネやアザラシの剥製が置かれていた。こんあ流氷が接岸したところを見たかった。
 土産屋の隣には、ソ連から流れて来たブイや水中パラボナアンテナが置いてあった。宗谷海峡には、こんな物が置かれているのだなぁと感心した。
 次は、空港公園に行って遊んだ。最初に歩くスキーだ。普通のスキー板よりも幅が狭いスキー板を履いて歩くのだ。普通のスキーとは要領が違って結構難しい。数回転んで雪まみれになってしまった。中には付いてこれないオヤジがいて、かわいそうだった。  その後、スノーモービルに乗った。これは別に金がかかる。600円払って乗った。スピードを出せばスリル満点。地元の人は、スノーモービルに乗った後は、チュービングなるものをした。飛行機のタイヤの中身を取り出し、それを膨らませて大きな浮き輪みたいなものを造り出し、雪の滑り台から滑り落ちるのだ。これがまた面白い。散々遊んで空港公園を後にした。
 稚内駅に着き、観光バスを降りると、稚内公園に向った。ロープウェイで山の上に着くと、係員のおじさんから声が掛かる。
「おーい!どこに行くんだ?」
「氷雪の門の方へ行きます」
「雪が膝まであって歩いてなんか行けないから、歩くスキーを借りて行きな!」
「はぁ」
と言う訳で、また歩くスキーをやってしまった。おじさんの言うとおりで、かなり雪は深い。さっき、空港公園で歩くスキーを体験しているが、こちらの道は傾斜があるし、凍っているし、なかなか進めない。やっと氷雪の門に着き、写真を撮って少し休むが時間がない。このままでは列車に乗り遅れてしまう。急いで今来た道を引き返した。でも、人間は急ぐとろくなことがない。途中で積雪のところに突っ込んで、足の指を折りそうになった。とても痛かった。それでも急ぐのを止めず、バタバタ走って、スキーを返して、ロープウェイに乗り、駅に向う。朝、凍っていた道は、もう溶けてしまって極めて歩きにくい。でも、なんとは12時56分の急行「宗谷4号」に間に合った。
 車内で昨日のしりとりの続きをした。結局、「る」で詰まった僕が負けた。札幌までの景色は、寝不足のせいか、寝ていたらしく、よく覚えていない。その夜、札幌で食べたラーメンがおいしかった。

8日目 平成3年3月23日(土)
 今日はとうとう最終日。北海道ともお別れの日である。当初の予定は函館本線で長万部まで行って、函館に向うつもりだったが、疲れているので、千歳線経由の特急で函館に向うことにした。
 札幌駅のホームには行列ができていた。座れないのではないかと心配したが、運良く座れた。今回の旅行は何かとついていたと思う。しかし、流氷と北方領土が見られなかったのは心残りだ。
 特急「北斗6号」は、快調に函館に向い、北海道に別れを告げるときが確実に一歩一歩近付いて来る。
 長万部を過ぎたところで昼食をとる。札幌駅で買ったカニの寿司だ。味はいいが、蟹の筋みたいなものをきちんと取り除いておいて欲しいと思った。
 森を過ぎてしばらくすると、駒ヶ岳が見えて来た。そう言えば、森の「いかめし」、食べられなかったなぁ。北海道はまたいつか訪れようと思った。
 駒ヶ岳も見えなくなり、後は函館に着くのを待つだけだ。途中、大沼がきれいだった。
 13時13分函館着。函館でお土産を少し買って、青森行き快速「海峡12号」に乗り込む。窓から見える雪景色も見収めである。胸がキュンとした。明日には何も変哲のない生活と宿題が僕を待っている。人は変哲のない毎日から逃げ出したくて旅をし、そして元の生活に戻って行く。生きるのに疲れたら旅をする。そして、どこかで明日を見付け、生きてみようと思う。僕も明日からは元の生活に戻る。
 「海峡12号」は青函トンネルに入って行く。この闇を抜けると、そこも雪景色かもしれない。でも北海道ではない。さようなら!ありがとう!北海道!

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