国家資格の安定感

御殿場線旅行(1989年)

あんあん

御殿場線  自宅の最寄り駅である二宮駅の隣の駅、国府津から出ている御殿場線は、いつか乗ろうと思っていながら、ついつい後回しにしてしまって、乗る機会がなかったが、父母参観日の代休を利用して乗りに行くことにした。
 出発日の前々日の平成元年10月15日(日)。小田原駅の旅行センターへ行って、二宮から国府津までの御殿場線経由の乗車券を買った。係員の人が快く引き受けてくれたが、マルスの端末を打っていると、突然、故障してしまった。数分後に復旧して、無事に発券してもらうことができた。係員は待たせて悪かったと言い、小型の時刻表を2冊もらった。意外とサービスの良い旅行センターだと思う。
 平成元年10月17日(火)。目を覚ましたら、家を出る予定時刻の30分前だった。急いで着替えて、朝食をとり、支度をして、慌ただしく家を出た。あいにくの雨なので、二宮駅まではバスで行くことにした。しかし、道路が混んでいて、予定の列車の発車時刻に遅れてしまった。
 まあ、余裕をもって予定を組んでいたので、1本ぐらい遅れても大丈夫。次の7時26分発の727Mは、185系だった。ラッキーなどと思っていたら、とんでもない忘れ物に気付いた。郵便貯金通帳だ。あ〜バカ!しかし、すぐに気を取り直し、元気に国府津駅のホームに降り立った。
 8時04分月の御殿場線633Mは、もう3番線に入線していた。115系6連だった。
 突然、2番線ホームにクモヤ143−4が入ってきた。すると115系に乗っていた年の頃なら40歳から50歳ぐらいの男性がぞろぞろ乗り込み、クモヤ143−4は発車してしまった。きっと国府津電車区で働いている人だったのだろう。
 633Mは、8時04分に定刻通り国府津を発車した。通勤通学の人々でかなり込み合っている。国府津を出て、すぐに右に分かれる。左側の座席に座り、眺めていると、東海道本線が段々離れて行き、街並みが良く見えた。遠くの方には海がキラキラ輝いている。美しい風景だった。
 しばらくすると左手に電車区が見えてくる。ラッシュ時なので、電車区には数両しか残っていなかった。8時12分に上大井着。
 高校生に混じり、駅を出てみると、寂しい感じがした。瓢箪の実る駅として有名で、改札口を出ると、数多くの瓢箪がぶら下がっていた。良い形のものもあれば、落花生のような形のものもあった。中には1メートルぐらいの細長いものもある。珍しい駅だった。
 8時53分の2637Mに乗り、松田へ。この辺りは、父の実家があり、よく知っている所だ。父の実家へは、ここから寄(やどろぎ)行きのバスに乗ればいい。時刻表を見ると、1日数本しかバスが走っていない。随分と辺鄙なところだと感心した。
 小田急電鉄の新松田駅の方へ行ってみようと思い、駅前を出て右に曲がる。10分ぐらいさまよって、新松田駅へ出た。新松田駅側には、御殿場線の改札口もある。こちらの方が商店街もあって華やかな雰囲気だ。
 御殿場線のホームに戻り、小田急電鉄とJRの連絡線を探す。すぐに見付けることができた。1日数本ではあるが、急行「あさぎり号」が小田急電鉄から御殿場まで乗り入れているのだ。近い将来、「あさぎり号」が沼津まで乗り入れると聞いたが、実際のところはどうなるのであろうか。
 松田から山北へ。山北では、SL公園に行った。駅から出て、跨線橋を渡って行くと、お婆さんがどこへ行くとのかと尋ねて来た。SL公園へ行くのだと言うと、道を教えてくれた。途中に薬草園があり、いろいろな薬草があった。
 SLを見て、山北駅に戻る。11時12分の列車に乗り、駿河小山で降りようと思っていたのだが、周囲に何もなさそうだったので、そのまま御殿場まで行った。御殿場までの道のりは、トンネルや橋ありで、トンネルは2つ穴があったり、橋桁が1本多かったり、御殿場線の複線時代の面影が残っていた。
 御殿場で駅弁を食べて、列車に乗ると、終点の沼津まで居眠りをしてしまった。電車の中で居眠りをするのは気持ちがいいもので、今度は1日中居眠りをする旅をしてみようかと思う。沼津からは東海道本線で帰った。

線路で使う大型機械類の展示と試乗会(1990年)へ