ビジネスサイエンス

第1日 平塚−逗子

1989年10月23日(月) 参加者:伊東・奥田・林・渡邊

第1日行程  1989年(平成元年)10月23日の午前8時、昨夜の雨もすっかりやみ、日本一周のスタートにふさわしい天候である。集合場所の平塚駅前郵便局に集まったのは、伊東康弘クン、奥田泰光クン、渡邊浩二クンと私を含めて4名。平塚駅を出発地に選んだのはメンバーの自宅が平塚にあっただけで他に理由はない。
 記念撮影をして平塚8時16分発、東海道本線の上り東京行き普通列車に乗る。旅する方向を時計の反対まわりにしたのは、種村直樹氏の「日本列島外周気まぐれ列車」の影響があったからに他ならない。この時点で9年前の1980年(昭和55年)6月5日に東京をスタートした種村氏の旅は島根県江津市に達しており、既に日本を半周していた。我々の旅がいつ平塚に戻ってくるのかは見当もつかない。それよりもこの計画が志し半ばで企画倒れしないかが心配でもある。
 列車は平塚を出発するとやがて相模川を渡る。何度も渡り慣れた橋梁であるが、日本一周のスタートだと思うと感慨がある。河口の先には相模湾が広がり、朝陽が海面で反射してまぶしい。相模川を渡ってしまうと住宅街を通り抜けるので海はまったく見えなくなってしまい、平塚から3駅の藤沢で下車。
 藤沢からは江ノ島電鉄こと江ノ電が外周ルートになる。前日に江ノ電本社に全線乗り放題の切符がないかと問い合わせたところ、江ノ電では販売していないが、小田急で販売しているとのこと。江ノ電の切符を江ノ電では扱いがなく、小田急で扱っているとは妙な話であるが、東海道本線の藤沢駅の隣に位置する小田急電鉄の藤沢駅へ立ち寄る。
 小田急で入手した切符は「江ノ島・鎌倉フリーパスB」(450円)というもので、江ノ電全線のほかに小田急江ノ島線の藤沢−片瀬江ノ島間がフリー区間となっていた。有効期間は2日間であるうえ、沿線の各種施設の割引券が付いているので経済的。外周旅行に打ってつけの切符であった。
平塚駅前  地図で確認すると、江ノ島までは江ノ電よりも小田急江ノ島線が海岸寄りを走っており、外周路線となるのであるが、ロングシートの小田急線では盛り上がりに欠けるので江ノ電を利用することにする。折角乗り放題の切符を手にしているのだから江ノ電のすべての駅で下車してみようと提案すると、内心はどう思っているか知らないが、皆が付き合ってくれることになった。
 藤沢から床が木製の300形電車で2分も経たないうちに最初の停車駅である石上に到着。歩いてもたかが知れている距離で、下車客は皆無であろうと思っていると、我々の他にも数人が下車。JR沿線に住んでいると鉄道は遠方へ行くときの手段と思い込んでしまうが、江ノ電はバス感覚で利用する人も多いようだ。
 駅の近くの橘公園に立ち寄った後、藤沢橘通郵便局で外周旅行初の旅行貯金をする。旅行貯金とは、郵便貯金通帳を用意して、行く先々の郵便局で貯金をし、本来は空白となる支払高の欄に郵便局名の入ったゴム印を押してもらうというもので、旅先の地名や日付が残るので記念になる。今回の旅の直前に伊東クンも通帳を作成して旅行貯金を始めた。
 窓口で返却された通帳を確認すると赤い主務者印が押されていないので申し出ると、局員は「間違えて押してしまいました」といい、10番の欄に押してある主務者印に赤のボールペンでバツをつけて、本来の押印箇所である12番の欄に押し直してくれた。10番の欄は東京荻窪四郵便局が押し忘れた主務者印欄であり、このときは私も押し忘れに気が付かなかった。旅行貯金は89局目にして初のハプニングである。
 石上駅に戻ると藤沢行きの列車が発車するところで、しばらく列車は来ないと渡邊クンが断言する。江ノ電の藤沢−石上間は単線であるうえ、藤沢駅には待避線がないので、今の列車が折り返し鎌倉行きになるとのこと。渡邊クンが今回のメンバーでもっとも江ノ電に精通しているようだ。渡邊クンは写真にも興味を持っており、肩から下げたカメラで盛んに江ノ電を撮影している。今回の旅が終わった後に極楽寺駅の近くにある車庫にまで足を運んだそうだから、なかなかの熱の入れようだ。
 ホームで列車を待っていると母親に連れられた小さな兄弟がはしゃいでいる。電車に乗るのが相当嬉しいようであるが、時折ホームから落ちそうになる。あまりにも危なっかしいので声をかけようとしたらようやく母親のカミナリが落ち、小さな兄弟はシュンとなった。
 次の柳小路も石上同様に住宅街にある駅で、周囲に特筆すべきような場所も見当たらず、駅前散策をそそくさと切り上げて駅に戻る。自動販売機で500ミリリットル入りのロング缶のジュースで喉を潤す。ぽかぽかとして昼寝をしたくなるような秋の陽気だ。本来であれば月曜日の昼間は学校であるが、今日は運動会の振替休日である。世間が日常生活を送っているときにのんびりとした旅をしているのは少々気分がいい。
 鵠沼では寝坊して平塚の集合に間に合わなかった林大緑クンが合流。鵠沼は藤沢から初めて行き違いのできる駅であり、石上や柳小路とは駅の風格が異なる。立派な改札口も供えた有人駅で江ノ電の絵葉書も販売されていた。
 鵠沼松が丘郵便局に立ち寄り旅行貯金を済ませると、切手の図柄入りの下敷きがもらえた。ポケットティッシュや飴をもらったことは何度もあるが下敷きをもらったのは初めてで思わぬ余得があった。
鵠沼  旅行貯金を済ませると渡邊クンの希望で境川に架かる江ノ電唯一の鉄橋へ足を運ぶ。路線の短い江ノ電が川を渡るのはここだけで、江ノ電の撮影場所としては人気のスポットであるとのこと。鵠沼駅での絵葉書の販売も、ここへ撮影にくる江ノ電ファンを目当てに増収を図ろうという策略か。渡邊クンも夢中になってシャッターを押し続けているが、折悪しく逆光で、かなり撮影に苦労したのではなかろうか。
 湘南海岸公園では、駅名からして湘南海岸が目の前に広がるというイメージがあるが、ここも平凡な住宅街に駅がある。駅名となっている湘南海岸公園までは1キロも離れている。純粋に湘南海岸公園へ行くのであれば小田急江ノ島線の片瀬江ノ島で下車した方が便利だ。湘南海岸という響きはいいのであるが、あまり実態にそぐわない駅名を付すべきではない。
 後で江ノ島に行くので湘南海岸までは遠征せず、近くの西浜公園まで往復。奥田クンから公園めぐりと揶揄されるが、住宅街で立ち寄るスポットといえば公園ぐらいしかないし、住宅街を物色していれば明らかに不審者扱いされてしまう。まだ完成したばかりと思われる西浜端を渡ってたどり着いた西浜公園はテニスコートも整備された立派な公園であったが誰もいない。閑静な住宅街という言葉がふさわしいところだ。
 湘南海岸公園駅に戻ると運悪く鎌倉行きが発車した直後でしばらく足止め。ホームでは清掃が行われており、石上駅でも同じ人を見掛けた。概ね我々と同じペースで各駅に立ち寄っては清掃をしているようで、江ノ電を支えるひとりである。世の中には地味でも社会貢献性の高い仕事が多いことを認識する。私も将来は社会貢献できる仕事に就きたいものだ。
 江ノ島駅に着くと渡邊クンが待避線に停車している江ノ電の100系旧型車両を発見。タンコロと呼ばれる旧型車両は戦前から活躍し、1980年に現役を引退した江ノ電の顔ともいえる車両。通常は極楽寺の車庫で保管されていると聞いていたが、渡邊クンが今回の旅の後に極楽寺の車庫へ立ち寄ったときには姿がなかったということだから、観光客の多い江ノ島駅でお披露目することにしたのであろうか。江ノ電ファンでなくとも、歴史を感じさせる風格には惹かれるものがある。渡邊クンは反対側のホームへ移動してシャッターを切り続けている。
 江ノ島駅から江ノ島までもやはり1キロ近く離れているのであるが、こちらは江ノ島まで江ノ島通が整備されており、土産物屋が軒を連ねる。平日でもさすがに江ノ島で観光客の姿は多い。江ノ島通も団体客で溢れており、それらを掻き分けるように前へ進む。国道134号線の交差点まで来るとようやく相模川以来の海に対面できた。
 いつもであれば何も考えずに江ノ島を渡ってしまうのであるが、今日は外周旅行である。江ノ島を半周している遊覧船が江ノ島へ通じる江ノ島大橋こと弁天橋のふもとから出ていることも事前にチェックしていたので、今日のメインと考えていた。ところが遊覧船乗り場には「本日休航」の看板が出ている。「天気がいいのに」と林クンもぼやくように、今日は青空の広がる快晴で、10月下旬とは思えないくらいの日差しが照り付けている。月曜日だからお客は少ないと判断したのであろうと思っていたが、江ノ島へ通じる橋を渡って理由が判明した。風が強いのである。これから外周旅行では遊覧船や巡航船を利用することが多くなると思われるが、風に悩まされることも多くなりそうだ。
 弁天橋から江ノ島に渡ると長い階段が続く。過去に何度も登った階段であるが、日差しが強いので体力を消耗しそうだ。途中の江ノ島郵便局に立ち寄ると、観光地の郵便局だけあって風景印が用意されていた。私自身、風景印は小京都として名高い観光地にある津和野郵便局で試したくらいであるが、日付と風景などのデザインが入った消印で、手紙をもらった人には喜ばれそうだ。消印なので風景印を押してもらうためには切手か葉書が必要である。もちろん切手さえ貼ってあればOKなので、自分の手帖に切手を貼って、記念に風景印を押してもらうこともできる。
 さて、普段なら歩いて登り切ってしまう江ノ島であるが、今日はまだまだ歩く可能性もあるので体力を温存するために江ノ島エスカーを利用する。江ノ島エスカーと聞くと響きはいいが、実態は単なるエスカレータだ。エスカレータなら普段から利用しているが、お金を払って利用するのは初めての経験だ。それでも本来の料金は230円のところが、「江ノ島・鎌倉フリーパスB」の施設割引券おかげで200円となった。伊東クンが手にした半券の金額が220円となっていることに気が付き、どうやら最近になって値上げがされたようだ。おそらく220円で印刷済みチケットが余っているのであろうが、利用者から230円を徴収しているのであれば、半券は領収証も兼ねているのだから金額も230円に訂正すべきであると考える。もっとも、我々は200円しか払っていないのだから、200円と記した半券を渡すのが筋であろう。
 江ノ島エスカーは思ったよりも長いエスカレータで、地形の関係上2本のエスカレータを乗り継ぐと弁財天黄金浄水なるものを発見した。
「ここでお金を洗うとお金が増えるぞ」
先客のおじさんが興味深くのぞきこんでいる我々の姿を見て教えてくれる。それならばと手持ちの小銭を黄金浄水ですすいでみたが、これでは小銭しか増えそうにない。お金持ちになるならお札を洗うべきなのであろうが、破けるのがオチだろうし見合わせた。
 中津宮などを順番にお参りしながら植物園の前にたどり着く。奥田クンは植物園に入ることを希望したが、その他のメンバーは今さら江ノ島の植物園にお金を払って入る気はしないと言いた気だ。個人的には久しぶりに植物園ものぞいてみたかったのであるが、多数決で否決されてしまった。
 我々が植物園へ入るかどうかを議論していると、やがて周囲に人だかりできる。まさか我々が喧嘩をしているように見えたので仲裁に集まったわけでもなかろうと思っていると、やがて渡邊クンが情報を知らせてくれた。
「これからテレビのロケだよ。どこの局かはわからないけれど、ドラマの撮影がこれから始まるらしいよ」
ディレクターの台本には「十六歳のマリンブルー」とあり、後で調べてみるとテレビではなく映画の撮影であった。本城美智子原作の小説を映画化しているところで、我々と同じ「いちご族」(15歳の世代)と呼ばれる若者たちの人生観や価値観、生活の真実がひとりの少女の眼を通して描かれている作品だ。有名な出演者としてはシブがき隊の薬丸裕英がいるがこの日は姿を見掛けなかった。今日の撮影は主役の古谷玲香(立林えみ役)と菊地健一郎(脇坂肇役)の2人が植物園から出てきて口喧嘩をするシーンであった。林クンはしきりに古谷玲香がかわいいと騒ぎ立てるが女優では高嶺の花だ。
 リハーサルが終わり、本番の撮影開始という緊張感の高まるところで、「焼鳥のお客さん」と近くの休憩所からスピーカーを使った呼びかけが入り、一気に雰囲気が崩れる。慌ててスタッフのひとりが休憩所へ駆け込んで行った。本番中でこんな放送が流れたら間違いなくNGであろう。
 植物園からは弁天橋とは反対側にも下りる階段も通じているが、この先には江ノ島の釣り場と立入りが禁止されている岩屋洞窟があるだけ。外周旅行ならば岩屋に挨拶すべきなのであろうが、撮影部隊が岩屋の方へゾロゾロと移動したので、これに付いていくと江ノ島だけで1日が終わってしまいそうだ。馴染みの場所だからというかなりのご都合主義で岩屋へ行くのは止めて引き返す。下りのエスカーはないが、エスカーがあったとしても、下りは周囲が覆われて視界のきかないエスカーよりも湘南海岸が一望できる階段をお勧めする。
 さて、江ノ島駅へ戻る前にぜひ和菓子司「扇屋」へ立ち寄りたい。ここでは江ノ電ファンのご主人が「江ノ電もなか」なるものを商品化して人気を集めている。私自身「扇屋」の存在を今まで知らず、数日前にテレビで紹介されているのを見て偶然に知った。江ノ電ファンの渡邊クンに教えてあげたら喜ばれるだろうと思っていたのだが、さすがに筋金入りの江ノ電ファンで以前から「扇屋」の存在は知っていたそうだ。国道134号線沿いにある江ノ電本社前を経て、ちょうど江ノ電が道路に乗り出すところに「江ノ電もなか」ののぼりを掲げる「扇屋」は位置していた。江ノ島駅から直接来れば3分もかからない距離だ。
「今日はお休みかい?天気がいいから電車の写真を撮るにも好都合でしょう」
「扇屋」の女将さんは愛想よく、ご主人が撮影したという江ノ電の写真や店内に展示してある信号と点灯させてみせてくれた。店内には写真のほかにも駅名看板など様々な江ノ電グッズが展示されており、和菓子屋というよりもミニ博物館のような雰囲気だ。
 お目当ての「江ノ電もなか」は、粒あんに求肥(白玉粉を蒸し、白砂糖と水飴を加えて練り固めた菓子)の入った「江ノ電(タンコロ)」、こしあんに求肥の入った「チョコ電」、柚子あんの「新車(1000形)」、梅あんの「赤電」、ゴマあんの「青電」の5種類の最中が用意されていた。最初は1種類ずつと思っていたのだけど、女将さんの振る舞いに敬意を表して各2種類の10本入り「江ノ電もなかセット」(1,200円)と味見用にチョコ電(120円)を1個購入する。私は「チョコ電」がチョコ入り最中と勘違いしており、周囲を笑わせてしまう。「チョコ電」は茶色の江ノ電車両の愛称なのだ。おそらく同じように勘違いをしている人は多いのではないか。こしあんの「チョコ電」は求肥のモチモチ感が絶妙で美味しかった。
 線路を挟んで「扇屋」の向かいにある龍口寺に挨拶をして次の腰越に向かう。江ノ島駅のホームで駅備え付けの「江ノ電沿線新聞」に目を通していると4両編成の電車がやってきた。今までは2両編成だったから、4両編成は珍しいなと思いつつ、何も考えずに先頭車両に乗り込んだ。ところが、腰越で降りようとするとドアが開かない。目の前にホームは無くオーバーランかと思いきや、腰越はホームが短いため後ろ2両でしか乗降できないとのこと。仕方なく後ろの車両に移動しようとすれば、2両目と3両目は通り抜けができなくなっている。伊東クンが江ノ島駅に注意書きがあったと指摘するが、それなら乗車前に忠告して欲しい。仕方なく次の鎌倉高校前まで乗り通す。
 コースを引き返すのも気が進まないが、腰越を無視するのも心残りなので次の列車で一駅戻る。腰越駅から徒歩5分程度の小動岬は風が強いものの、展望台からは江ノ島を一望できて眺めがよい。隠れスポットと認定したくなるが、展望台以外には小さな神社があるだけなので、わざわざ出掛ける価値があるかどうかは疑問だ。
 腰越駅に戻ろうとすると伊東クンから満福寺があるとの指摘を受ける。そう言えば腰越は源義経ゆかりの地でもある。一の谷、屋島、壇の浦と次々に平家の軍を破って、1186年(元暦2年)5月に鎌倉に帰ってきた源義経は、政治方針が一致しない兄の源頼朝の怒りにふれて鎌倉へ入ることがでなかった。頼朝の怒りを解こうと考えた義経は、腰越にある満福寺に滞留し、後に「腰越状」と呼ばれる嘆願文を書いて、頼朝の信望がたいへん厚かった公文書別当の大江広元に差し出したという史実が残る。
 「義経腰越城旧跡満福寺」の看板に従って満福寺にたどり着くと、玄関のショーウィンドウに「腰越状」が展示されていた。義経の「腰越状」は、結局、頼朝の怒りを解くことはできなかったとある。本堂内部には平泉へ逃れる義経や弁慶の仁王立ち姿の襖絵も展示されているようであるが、どうも喪服姿の人が何人も出入りしており、葬儀の準備をしている様子。なんとなく立ち入るような雰囲気ではなかったので、今回は本堂の見学を見送ることにする。
 「満福寺なんて聞いたら腹が減ったなぁ」という伊東クンの声を聞いて時計を見れば12時半をまわっている。腰越駅の近くに食堂があったので入ろうとしたが、他のメンバーはあまり気が進まないようなので先へ進む。
 腰越からは先に下車した鎌倉高校前を乗り過ごして七里ガ浜へ向かう。鎌倉高校前を出ると駅でもないところで停車したので、何かあったのかと外を見やるとこの辺りだけ複線になっているので行き違いがあるのだと予想する。江ノ電のような短い路線なのだから、妙なところで行き違いをせずに、駅で行き違いをできるようにすれば乗客もありがたいだろう。行き違いを終えて動き出すと、江ノ電は1989年(平成元年)5月から日本テレビ系列で放送された「湘南物語」のロケ地を通過して七里ヶ浜に到着した。
パブロバ記念館  七里ヶ浜で乗客のほとんどが下車したので何事かと思えば、近所の七里ガ浜高校に吸い込まれていく。PTAの会議でもあるのだろうか。鎌倉高校前といい、この辺りは駅前に高校が続くので、朝夕は通学列車としての役割を果たしているのであろう。
 「関東ふれあいの道」と名付けられた海岸沿いの道を5分程藤沢方面に戻ると「鎌倉パブロバ記念館」にたどり着く。鎌倉は日本バレエ発祥の地であり、1919年(大正9年)にロシア革命で亡命してきたエリアナ・パブロバが1927年(昭和2年)にこの地にバレエスクールを開いたそうだ。記念館の案内板には「昭和61年11月吉日」と記されており、落成してからまだ2年足らずの施設だ。見学をしようとするが、バレエなど興味がないという意見が大勢で、ここでも多数決で否決される。
 次の稲村ヶ崎もサザンオールスターズの桑田佳祐の監督デビュー作として話題を集める映画「稲村ジェーン」のロケ地として名高い。江ノ電沿線には映画やテレビのロケ地が多いようだ。駅前のセブンイレブンでパンとジュースを購入し、徒歩5分程の海浜公園でようやく昼食の段取りとなる。海浜公園は傾斜面に芝生の広場があり、平日にもかかわらず、ここには家族連れやグループの姿がある。パンを広げると鳩が寄ってきて、人間に対して警戒心を持っていない様子。一切れちぎって放り投げると何羽もの鳩がパンに群がる。パンが無くなるともっと寄越せと言わんばかりに鳩が寄って来る。手にしているパンまで取り上げられそうな様子で少々怖かった。
 稲村ヶ崎から再び江ノ電に乗り、左の窓から江ノ電の車庫が見えると極楽寺に到着。駅の向かいには道路を挟んで駅名と同じ極楽寺がある。正門が閉じられていたので、一般公開はしていないのかと思ったら、正門の脇にある小さな通用門が開いていた。極楽寺へは通用門から入るようである。
「こういうところは頭を下げないと入れないように入口が小さくなっているけど、必ずしも頭を下げる必要はない」
奥田クンはそう言うと体を背面に反って通用門を通過する。奥田クンのブラックユーモアと解しておくが、罰が当たっても知ったことではない。
 極楽寺の境内は広いが、足元の石畳の整備が不十分なので、気を付けて歩かないと足を挫く可能性がある。参拝した帰りに渡邊クンが境内の無料休憩所を見付けたが、稲村ガ崎の海浜公園でのんびりしたばかりなので先へ進む。
 極楽寺駅に戻ろうとすると、渡邊クンが極楽寺トンネルの前で写真を撮りたいという。極楽寺トンネルも江ノ電唯一のトンネルで、やはり撮影名所のひとつらしい。時間に余裕があるので、しばらく極楽トンネルを望む場所で渡邊クンの写真撮影に付き合う。
 江ノ電では大きな駅の部類に入る長谷は、鎌倉大仏のある高徳院や長谷観音など、鎌倉を代表する観光施設の最寄り駅で、乗降客も多い。我々はまず高徳院に向かう。
「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊である国宝銅造阿弥陀如来坐像は、像高約11.3メートル、重量約121トンの仏像で、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏)に及ばないが、ほぼ造立当初の像容を保っているという。北条得宗家の正史「吾妻鏡」によれば、その造立が開始されたのは1252年(建長4年)で、制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられている。もっとも、創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者すら特定されていないそうだ。
 高徳寺の拝観料は中学生から大人料金が適用されて200円。小学生までは子供料金で150円だった。入口の券売所で拝観券を購入すると伊東クンが躊躇する。
「俺、金がねえから待っている」
普段から馴染みのある場所なので、わざわざお金を出して見学したくない気持ちもわかるが、せっかくなのだからと誘ってみたが、伊東クンは断固として待っていると言い張った。あまり無理強いもできないので、しばらく周辺で時間を潰してもらうしかない。
 境内に入るとさすがは有名観光地で団体客や外国人観光客の姿もある。大仏の前では線香が焚かれており、林クンは「健康になる」と言って線香の煙を浴びようとするのに対して、奥田クンは「煙いだけだ」と線香の煙から逃げる。
 追加で20円の拝観料を支払えば大仏の胎内を見学することもできるが、過去にも胎内の見学はしたことはあるし、空洞の胎内を見ても面白くないので今回はパスする。何よりもあまりゆっくりしていては、外で待っている伊東クンが気の毒だ。
 高徳院の見学を終えると、土産物屋を冷やかしている伊東クンの姿が目に入る。「俺もちょっと買い物」と林クンも土産物屋へ消え、やがてにこにこしながらキーホルダーを手にして戻ってきた。林クンの趣味はキーホルダーの収集だそうで、そう言えば江ノ島の土産物屋でもキーホルダーを手にしていた。
 次に訪れたのは長谷観音。正式には長谷寺と言うが、十一面観音菩薩を安置する観音堂が有名なので一般的には長谷観音と呼ばれている。高徳院が鎌倉大仏と呼ばれるのと同じだ。
 高徳院の拝観料は中学生だったが、長谷寺は子供料金が適用されて100円で済む。大人料金であれば300円と3倍も拝観料が違うので、この差は大きい。伊東クンは相変わらず待っていると言い張るので無理強いはしないでおく。
 長谷寺は、観音山の裾野に広がる下境内と、その中腹に切り開かれた上境内の二つに境内地が分かれている。入山口でもある下境内には、妙智池と放生池の2つの池が配され、その周囲を散策できる回遊式庭園となっていたが、まずは上境内へ続く階段を登る。
 息を切らせながら上境内に登ると、展望台があり、三浦半島を一望できる。江ノ島に続く眺望スポットだ。本尊である十一面観音像を安置する観音堂、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が自身の42歳の厄除けのために建立したものという阿弥陀如来坐像を安置する阿弥陀堂、神奈川県内でも最古の大黒天像を安置する大黒堂と順番に見学してから下境内へ。
 下境内の放生池を過ぎた辺りに、八臂の弁財天をお祀りする弁天堂があり、伝承によればこの尊像も弘法大師の作品であるという。弁天堂の奥へ進むと、弘法大師参籠の地と伝わる弁天窟があり、窟内壁面には弁財天とその眷属である十六童子が彫られている。ローソクを奉納するようになっていたので、2本50円のローソクを100円で2セット4本購入。皆で1本ずつのローソクを手にして、自分の名前を書き、自分の願いに叶う尊像にローソクを奉納する。私は学問の御利益がある尊像の前にローソクを奉納したが、林クンはローソクに「林一家」を記載して、金銀財宝の御利益がある尊像の前にローソクを奉納した。林クンは江ノ島の中津宮以来、「お金持ちになりましように」とお願いしていたが、江ノ島も長谷寺も弁財天なのだから、もっとも理に叶った願い事だ。
 長谷の次の由比ヶ浜は鎌倉文学館の最寄り駅であるが、海岸とは反対側に位置しているのでパスし、列車を1本落としただけで和田塚へ。
 和田塚駅の近くには由比ヶ浜郵便局があったので、旅行貯金の1局増殖に成功。しかし、ここでこの旅では腰越通過に続いて2度目のハプニングに見舞われる。由比ヶ浜郵便局から和田塚駅に戻り、江ノ電で鎌倉に出て目出度く江ノ電完乗、全駅踏破という記録を達成できる予定であった。ところが、由比ヶ浜郵便局から和田塚駅へ戻る道を間違えたのだ。見覚えのない踏切を渡ってしまい、不審に思っていたところで伊東クンが声を上げる。
「横須賀線のガードだ」
これで鎌倉まで歩いてしまったことに気が付く。和田塚へ戻るには歩きすぎたので、そのまま鎌倉駅まで出てしまう。私を含めて帰りに全員が和田塚−鎌倉間を乗り直したので、江ノ電完乗の記録は達成したが、和田塚からの乗車記録が残らないという点で、全駅踏破は不完全なものになってしまった。
 鎌倉からはJR横須賀線で逗子まで1駅。久しぶりのクロスシートに腰を沈めると、既に日は傾き、夕方のラッシュが始まり出している。三浦半島へ足を踏み入れることを考えると、今回は逗子駅解散が妥当であろう。逗子駅前で解散の記念撮影をする。
「これからどうしようか」
伊東クンがつぶやいた。

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