住まいの絵本の魅力 第1回

かいじゅうたちのいるところ

 ある晩狼の着ぐるみで大暴れしたマックスは、母親に叱られて夕ご飯抜きで自分の寝室に放り込まれてしまいました。するといつの間にか寝室に大きな木が生えて森となり、波が打ち寄せて来ました。マックスが船で1年と1日航海するとかいじゅう達のいる国に辿り着きました。マックスはかいじゅう達の王様になって楽しく過ごしていましたが、遠い世界からのおいしい匂いで、急にさびしくて帰りたくなってしまいました。そこでまた1年と1日航海すると、いつの間にか母親に放り込まれた自分の寝室に戻っていました。そこには温かい夕ご飯が置いてあったという物語です。

 モ−リス・センダックによるこの絵本は1963年に出版されています。子どもにとっての空間の役割と、親の役割をわかりやすく見事に描きだした絵本とも言えます。
 アメリカでは子どもの寝室はル−ルを破った時の罰として、子どもを閉じこめて反省させる場所に使われています。幼い子でもひとりになって、落ち着いて自分と向き合うことが大切だとしており、大抵の欧米の親は経済的に許せば、0歳から寝室を与えたいと考えています。
 寝室という空間の中にひとりで閉じこめられたからこそ、いたずらで、小生意気で、自己主張の強いマックスも、空想と現実の混じった世界と取り組み、恐怖や不安、欲求不満とたたかいながら、空想によって解き放たれていくことができたのでしょう。

 センダックは一貫して、アウトサイダ−としての子どもの視点でこの物語を描いています。頁をめくっていくと画面の大きさが変化し、中央にあった小画面が2頁の大画面になって文字がなくなってしまいます。画面が大きくなるに従い、欲求不満だったマックスの心が充たされていく様子がその表情で読みとれます。
 また、月の満ち欠け−満月と三日月にも、マックスの心のあり様が表されています。
 腹を立てている時や閉じこめられた寝室で見えていたのは三日月でしたが、マックスが思う存分かいじゅう達と踊りくるっている時には満月になっています。
 このかいじゅう達の中に1ぴきだけ人の足をもつかいじゅうがいます。多分父親がマックスの空想の世界をくずさないように、そっと忍び込んで一緒に遊んでくれたのでしょう。
 マックスを肩車しているこのかいじゅうは、父親の存在の暗示であり、夕食の匂いは、母親という温かい現実の存在を象徴しています。センダックの母胎回帰へのあこがれが子どもの新生の場所として表されています。大人が子どもの気持ちに寄り添い、信頼関係を築くことの大切さを強く感じさせます。
 この親子の信頼関係を築く場が、欧米では毎日の就寝時の子どもの寝室なのです。幼い子どもをひとりで寝かせて、恐さを克服させることを自律への第一歩としています。そうした厳しさとともに、両親そろって子どもが眠りにつくまで寝室にいて、お話したり本を読んでやるという優しさが、親子の心をしっかりと結びつけるのに役立っています。
 おやすみ時に読む本が“Bedtime-story”として欧米の絵本の一分野を確立していることでもよく分かります。
 空想の旅はマックスの心の成長への船出でした。現実性のない空想だけの世界は、逃避につながる危険性を秘めています。しかし、マックスが安心して現実と空想の世界を行き来出来たのは、親子の信頼関係が強く結ばれていたからです。

 自律と自己主張に向けて子どもにより添いながら、親子の信頼関係をしっかりと築いていくことが、欧米の親たちの課題になっています。

(北浦 かほる 記)

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