田母神航空幕僚長「最優秀論文」の論旨・論点及び哲学

2008年11月 4日 (火)

 アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』で自衛隊の航空幕僚長田母神俊雄氏の論文「日本は侵略国家であったのか」が最優秀賞を受賞したことが話題になっています。アパグループのホームページに和文と英文のテキストが公開されていましたので早速読んでみました。本稿のテーマ「日本近現代史における躓き」の関心とも一致していますし、ちょうど論じようと思っていた観点も含まれていましたので・・・。以下、私なりの感想と私見を申し述べておきたいと思います。氏は「嘘やねつ造は全く必要がない」といっておられます。その知的誠実を共有しつつ・・・。

 論旨
① 日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

② この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

③ これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

④ 日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

⑤ 私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。・・・我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 以上が全体の論旨の流れです。要するに、日中戦争は蒋介石に引きずり込まれたもの。太平洋戦争はアメリカに引きずり込まれたもの。しかし、こうして日本が戦った大東亜戦争は、白人国家の植民地支配からアジア諸国を開放し、人種平等の世界を到来させた。従って、我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である、というのです。

 そこで先ず①の事実認識ですが、これは満州事変(s6.9.18)が起こる以前についてはいえますが、その後についてはいえないと思います。侵略といわれるのは、日本の満州事変以降の軍事行動についてですから。

 次に②ですが、これもおそらく満州事変以前の事でしょうが、幣原弱腰外交という批判の端緒となった第二次南京事件や済南事件及び満州事変直前の万宝山事件の報道はいずれもセンセーショナルな誇大報道により国民が扇動されたという側面のほうが強いと思います。

 特に、済南事件では、北伐中済南に入った蒋介石軍と居留邦人の現地保護のため出兵した日本軍の衝突が発生すると、済南駐在武官だった酒井隆少佐が中央に誇大な数字を報告、陸軍省は邦人の惨殺300と報告して出兵気運をあおりました(酒井少佐の謀略説もある)。しかし、実際は殺された日本人は12名で、それも彼らは避難命令を無視した朝鮮人の麻薬密売者だった(在北京公使館の警備に当たっていた岡田芳政少尉の回想談)といいます。結局これが全面衝突に発展し、この戦闘による中国側死者(死傷者を訂正11/12)は日本側の10倍約2,000人(『満州事変への道』馬場伸也p210)に達しました。これが日本軍が中国の国家統一を妨害したものと受け取られ、その後の日中関係を決定的に悪化させる契機となったことは忘れてはなりません。

 また、満州事変直前に起きた万宝山事件では朝鮮人の死者は一人も出していなかったのに、センセーショナルな誇大報道がなされたために、激昂した朝鮮人によって虐殺された朝鮮在住の中国人華僑は100余名に達しています。
 
 ③は、私も今まで勉強してきて、残念ながら、事実はここで述べられている事と逆だな、と思わざるを得ませんでした。満州事変に引き続く華北分離工作という度重なる関東軍の挑発に、ついにがまんしきれなくなったのは蒋介石の方というべきであって、そのことは蒋介石の「最後の関頭」演説の通りであり、日本は”引きずり込まれた”というより、”慢鼠猫にかまれた”といったほうがより適切だと思います。その意味ではやっぱり加害者ですね。(下線部”窮鼠猫にかまれた”を訂正11/5)

 ④は、対米戦争に日本は”引きずり込まれた”という説ですが、秦郁彦氏は、日米戦争に至るポイント・オブ・ノーリターンは、日独伊三国同盟だといっています。つまり、ハル・ノートがなくても日米戦争は不可避だったというのです。ただし、ハル・ノートが”窮鼠猫をかむ”で真珠湾攻撃を招いた(より正確には、アメリカは”窮鼠猫を(南方で)かませる”つもりだったが、油断していて真珠湾をかまれた11/12)事は否定できません。(もっとも、11月26日にハル・ノートが日本に届いたその数時間前に南雲機動部隊はヒトカップ湾を出撃してハワイに向かっていました。12月8日開戦を意味する”ニイタカヤマノボレ”は12月2日です。11/7追記)また、それがコミンテルンの工作によるものだったとしても、戦争に謀略はつきものですから、騙されたほうが悪いという事になりかねません。渡部昇一氏は、日本政府はハルノートの”非道”をアメリカ国民にマスコミを通じて訴えるべきだったといっていますが、これは卓見です。

 それにしても、大東亜戦争の日本側犠牲者約310万うち約200万人は軍人及び軍属の死者で、その約七割140万人は広義の餓死者(『現代史の対決』秦郁彦p232)だといいます。これらの死に対する責任は一体誰にあるのでしょうか。日本軍が中国に与えた被害もさることながら、日本軍が日本人自身に与えたこれらの無残な死の責任こそ問われるべきだと思います。

 ⑤は、①から④の論理と矛盾しますね。引きずり込まれてやむを得ず戦った戦争が、多くのアジア諸国で評価が高かったとしても、それは、いわば結果論であって、自ら意図したものではないというのですから、自慢にはなりません。つまり、これによって侵略戦争という非難を埋め合わせることはできません。

 次に、論文の中で主張された田母神氏独自の論点を点検してみます。

論点1 いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
○ これは渡部昇一氏が主張している事ですが、この要求が外交的に稚拙であったということは氏自身も認めています。(本稿「二十一箇条要求」参照)

論点2 昭和2年の張作霖爆殺事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
○ そういう工作がなされた可能性は、この事件はあまりにも愚劣な事件ですから、私もなくはないとは思いますが、仮にあったとしたら、それに騙されて爆殺を実行した河本大作以下関東軍首脳は本当の大馬鹿ものだと思います。(本稿「張作霖爆殺事件に胚胎した敗戦の予兆」参照)

論点3 日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている 
○ この件については、田母神氏が引用されている『廬溝橋事件の研究』の著者秦郁彦氏の最近の見解では、95%以上の確率で、中国側第29軍の兵士による偶発的発砲による、といっています。なお、劉少奇は事件勃発時には延安で開かれていた白区会議に出席して不在だったということです。(『歴史の嘘を見破る』中島嶺雄編「中国に「廬溝橋事件は日本軍の謀略で戦争が始まった」といわれたら」秦郁彦)*下線部追記11/7

論点4 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
○ 本稿「日韓併合」参照

論点5 幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
○ 幣原外交は、第二次南京事件以降、軍部及びマスコミに軟弱外交、弱腰外交と批判され、昭和2年に田中義一首相の積極外交に取って代わられました。しかし、田中首相は済南事件で大失敗し張作霖爆殺事件で退陣に追い込まれ、その後幣原が再び外相となりましたが、田中外交の後遺症や張作霖の息子張学良の意図的な反日・侮日政策のため行き詰まり、満州事変で息の根を止めらました。
 渡部昇一氏の『日本史から見た日本人―昭和史』はこのあたりを詳しく書いていますので、田母神氏のこの記述はその影響かとも思われますが、私も、この時代の日中交渉が幣原外交を基軸に進める事ができていたらと、惜しまずにはいられません。

論点6 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
○ アメリカは開戦時の日本軍の行動を「執拗な攻勢努力は終局的にフィリピンを含みマライ半島および香港の占領をめざすだろう」と想定していました。事実、日本の対米戦争における伝統戦略は、来攻するであろう米海軍と内南洋で迎撃決戦するというものでした。しかし、山本連合艦隊司令長官が軍令部と連合艦隊の猛反対を押し切ってハイリスクのハワイ攻撃へ持ち込んだことが米側のもくろみを覆すことになりました。そのため、ハワイの連合艦隊司令長官のキンメルは、ワシントンからの危機警告を受けていたにも関わらず、12月6日(金)から12月8日(日)まで搭乗員に週末休暇を与えて周辺海域の哨戒を怠り、また、攻撃を受ける2時間(50分?)前にオアフ島北端で試運転中だったオパナ・レーダーサイトの水兵が、日本機らしい大軍を発見したのに当直の中尉はそれを信用せず握りつぶしてしまったのです。つまり、日本の連合艦隊のハワイ奇襲の情報は攻撃を受けるまでルーズベルトの耳には届かなかった、というのが秦氏の結論です。

 また、秦氏は、いわゆるルーズベルト陰謀説について、もしルーズベルトが日本の真珠湾奇襲を知っていたとすれば「ルーズベルトは直前に太平洋艦隊を出航させればよい。そうすれば、日本の攻撃はカラ撃ちとなり、損害を出さないで目的を達せるではないか。」と問う事にしている、といっています。
 諸説あるようですが、私もこれが妥当な判断ではないかと思います。いずれにしろ陰謀説はいまだ証明されておらず、憶測の域にとどまっているのではないでしょうか。(『検証・真珠湾の謎と真実』『昭和史の謎を追う』外秦郁彦著参照)

論点7 自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
○ 我が国の自衛権を行使するための適切な安全保障体制を確立すべきです。装備の充実や武器の使用などは、その安全保障の目的にそって冷静かつ合理的に決定しなければなりません。また、自衛隊員が一種の被害者意識に陥るような状況はよくないし危険です。この点は戦前の歴史的経験から学ぶべき重要な観点だと思います。

論点8 アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。
○ 伝統文化をどのように発展させていくかは国民一人一人に課せられた課題です。優れた点を伸ばし弱点を克服する。そのためにも自国の文化的伝統の再把握が必要だと思います。歴史教育において近現代史教育にもっと時間を割くべきですね。

論点9 私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
○ 親子関係のようなものである事が望ましい、ではなく、兄弟関係のような・・・では?(*後で気づきましたが田母神氏は良好な親子関係と頼りきった親子関係を対比しているのですね。11/5)

論点10 日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
○ 山本七平さんは、「獣兵も聖兵もいなかった」といっています。また、特定の民族が残虐だとかいうようなことはいえない、ともいっています。
 日本軍の軍紀が厳正であったとは、少なくとも張作霖爆殺事件から2.26事件に至までの青年将校達についてはとてもいえません。

哲学1 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
○ 1922年のワシントン会議以降、九カ国条約で、中国の領土・主権の尊重という事が謳われ、1928年の不戦条約では侵略戦争が否定され、国家間の紛争は平和的手段によるとされて以降、「侵略」の定義は条約上明記されたのです。日本が満州国を、地方政権の独立と連省の結果と言い張ったのも、これらの条約が適用され「侵略国」の烙印を押されることを避けるためでした。それ故に、満州事変の発端となった柳条溝線路爆破事件の真相は、東京裁判においても関係者全員知らぬ存ぜぬで通し、その秘密を守り抜いたのです。

哲学2 人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
○ 国家間の関係においては、今日でも経済面においてもそういう側面がありますね。ただし、軍事面におけるそのプレゼンスは、経済面に比べてそれほど決定的なものではなくなっているのではないでしょうか。

 以上、田母神氏の論文のいくつかの論点について私見を申し述べさせていただきました。