1 ピアノ初心者のA君が……
「では、ブルクミュラーの『アラベスク』から始めてみましょうか」
私は、こうして、北海道教育大学2年生のA君の最初のレッスンの曲を決めました。教育大学音楽科では、専門がピアノでも管楽器でも声楽でも、2年生からピアノは必修科目なのです。のちにA君が4年生になったとき、『ショパンの貴公子』と呼ばれることになるのですが、2年生の時点では、まったくのピアノ初心者でした。
教育大学は、基本的に学校教員を養成することが目的なので、ピアノは必修ですが、音大のピアノ科のような高度なピアノ演奏法を取得することが目的ではありません。将来、中学校、高校の音楽教員をめざす学生は、3年のときに初めてピアノ専攻となり、ここでは、かなり専門的な内容の授業を受けることになります。A君のようなピアノ初心者が、3年生になって、ピアノ専攻になることはふつうほとんど考えられません。しかし、結果的に、A君は、ピアノ専攻生となったのです。その奇跡のような上達ぶりをお話ししたいと思います。このお話で、ピアノが上手になりたいと思っているたくさんの読者の方もピアノが上手になるには、何が大切かを見つめてほしいと思っています。
ブルクミュラーの『アラベスク』は、均等な指を作る訓練をしたことのないA君にとって、大変な困難を伴っていました。「♪ラシドシラ♪」と弾くだけでも均等にならないのです。今までも、ピアノがほとんど弾けない2年生の学生は、たまにいましたので、私は、慌てず騒がず、「では、まず、曲だけではなく、指の訓練も同時に練習しましょう」とブルクミュラー以外にも、さまざまな指の訓練のための方法を提示しました。その方法は、難しいものではないのですが、忍耐が必要でした。その忍耐がないと、一般的には、短期間でピアノが上達することは稀なのです。でも、A君は違いました。私の提示した練習方法を毎日欠かさず、それも疑いなく私の言ったことを丁寧に繰り返し練習したのでした。その方法は、ここでは秘密ですが、大事なことは、「ピアノが上手になりたい」という強い思いと忍耐と情熱を持った人にだけに効果が表れる方法なのです。その方法は次号以降に具体的にお話したいと思います。
さて、そのすべての条件を満たしていたA君は、たった1週間で『アラベスク』をきれいに弾けるまでになったのです。これには、私も驚きました。こんなに早く私が示した練習方法の効果が現れることはめったにありません。次に「では、ブルクミュラーの最後の曲『貴婦人の乗馬』を練習してみましょう」ということになり、A君は、その曲も同じように2週間ほどでマスターしてしまいました。そこからは、シューベルトの即興曲、ベートーヴェンの『悲愴』とどんどんレパートリーを増やしていくのです。そして、3年生になって、A君は、迷わず〈ピアノ専攻〉の学生となりました。その時の同級生たちは、皆幼いころからピアノを習っていて、上級クラスの曲をどんどん弾いていたので、その中で、初歩からこつこつと練習を続けているA君の姿は、他の学生たちにも大きな驚きと感動を与えていました。「頑張ればA君みたいになれるんだ……」という雰囲気が音楽科の学生の中にじわじわと広がっていきました。
ピアノ専攻生となったA君は、さらに練習に励み、大きな曲にも挑戦していくことになるのです。まずは、ベートーヴェンの『熱情ソナタ』でした。そのあと、ショパンのバラードに進むのですが、その汗と涙の2年間のお話の続きは次回にお話ししましょう。
2 むらむらする曲って……
ショパンのバラード第1番は、技術的にも音楽的にもなかなか難しい曲です。私の大学のピアノ専攻生もよく弾いていました。A君は、他の学生が練習しているこの曲を秘かに、卒業演奏会で弾きたいと考えていました。彼は、いつも「自分は人より遅れている」という気持ちを自己研鑽に向けることができる学生でした。人を羨むのではなく、上手な演奏をする同級生を目標に、こつこつ練習をしました。先月号でお話しした、指の訓練を毎日欠かさず、目的を持っておこなったのです。その訓練は、楽譜を読む〈目〉→それを認識して情報を指に伝達する〈脳〉→実際に音を出す〈指〉という連結を明確にするものです。この〈脳〉を意識することが一番重要で、ハノンなどの単純な音型のリズムを複雑にし、さらに、思いがけないところにアクセントをつけて、ゆっくり〈脳〉への伝達を意識しながら練習するという方法です。ゆっくりおこなうということは、思ったより忍耐が必要です。それも、毎日必ず15分。1ヵ月は続けましょう。それを本気でやりとげることは、楽ではありません。しかし、効果は、絶大です。ホントです。A君は、練習の意義をきちんと理解し、その効果を自分自身で確かめながら忍耐を持って練習しました。
私の勤めている大学では、ピアノ専攻の学生は、1年に2回公開で大きな演奏の機会が与えられます。A君は、4年生の前期の公開試験で、ベートーヴェンの『熱情ソナタ』に挑戦しました。古典派の楽曲の中でも難曲です。しかし、『熱情ソナタ』で先ほどの練習方法の効果がはっきり現れました。独立した指による明快なタッチが随所に見られ、A君は、つい1年前からピアノを本格的に始めたとは思えないような立派な演奏をしました。この事実は、まわりの学生たちに大きな影響を与えたようです。ピアノ専攻の仲間たちは、A君の進歩に心から拍手を贈りました。それ以外の専攻の学生、下級生、みんなが、A君の毎日の地道な練習を目の当たりにしていたため、「頑張ればうまくなれるんだ」という雰囲気がただよい、学生たちが、それにつられる形で、練習するようになりました。
そんな雰囲気の中、まだ2年生の学生が、「先生、むらむらするような曲を練習したいのですが……」と選曲の相談に来ました。その学生は、真面目でおとなしい感じのする学生で、「むらむら」という言葉がものすごく不釣合いに感じられました。「え? むらむらって?」と訊きかえしました。
「『のだめ』に出てくるんです。チャイコフスキーの『ロマンス』って曲がむらむらするって……」
「『のだめ』ってなに?」
学生の演習室には、なんと、『のだめカンタービレ』15巻、『ピアノの森』最新刊までが、ずらりとそろっていて、学生たちは、みんな読んでいたことが判明しました。「私も読むので、私の研究室に運んでちょうだい」というわけで、私は『のだめ』を読みはじめました。それでやっと、「むらむら」の意味もわかり、この音楽コミックが、学生に直截的ではないにせよ、影響されてる部分があるな……と感じました。
ショパンの貴公子とは、どういう関係があるかということは、次回でお話ししましょう。A君は、卒業演奏会に向けて、いよいよ、ショパンのバラード第1番に取り組むことになりますが、技術的な訓練だけでは、足りないものがあることに気づきます。〈音楽の本質〉とは何かという、音楽家にとって果てしない課題に直面することになります。次号をお楽しみに。
3 音楽的とは……
音楽大学とは異なり、北海道教育大学のピアノ専攻の学生数は、1学年多くても4名という少人数ですので、卒業演奏会は選抜制ではありません。ピアノ専攻生は全員、市民会館のホールで一般公開による演奏の機会が与えられます。その卒業演奏会の2ヵ月前に、私の研究室の学生が例年、自主的な取り組みとしておこなっている『シュリッテンコンサート』もあります。演奏の機会はとても多いのです。7月末の前期試験が終わってすぐに、本物の〈ショパンの貴公子〉となるべく、A君は、バラードの練習を本格的に始めました。自主コンサートは12月、卒演は2月です。
ベートーヴェンの『熱情』をしっかりとしたタッチで男性的な演奏をした経験は、A君にとって少し自信になっていました。しかし、ロマン派の真髄ともいえるショパンは、しっかりしたタッチのみでは、繊細なパッセージや複雑な多声的な部分が弾けないわけです。さらに、指の訓練として毎日おこなう練習も、指の独立や強さの育成に役立ちますが、それは、よい演奏をするための手段であって、目的ではないことにA君はだんだん気がつきはじめます。ソナタなどの古典的な曲は、形式がしっかりしているためわかりやすいですが、ロマン派の音楽は、形式というより感情的な部分が散見され、小さな音符の連なりが多く、1小節の音符の数が割りきれないことが多く、12連符、20連符などの形が随所に現れます。それらを音階練習のように均等に弾くことは、音楽的とはいえません。
では音楽的とはどんなことを言うのでしょうか。A君が考えこんでしまったのは、この点です。「音楽的に」という言葉は、世界中のピアノレッスンにおいて、必ず何度も出てくる言葉です。私がウィーンに留学していたときは、よく先生に「今のは非音楽的だ」とか、「今のは音楽的だ」と言われ、何が音楽的で何が音楽的ではないのか、手探りのように見つけ出しました。「音楽的とは何か」がわかるには、ずいぶん時間がかかりましたし、そのわかり方も、経験によるもの、または、たくさんの演奏法の中からよいものを見つけ出すという、効率の悪いものでした。しかし、そのおかげで、私は今、学生たちにわかりやすく説明することができます。
A君にも、「音楽的とは何か」という音楽家の永遠の追及テーマについて話しました。しかし、A君は、頭ではわかっても、指が思いどおりにならないのです。1000回繰り返して弾いても、「何かかが違う……」と感じるようでした。まだ、本格的にピアノに目覚めて1年半ですから、わからなくて当然ですが、今までの急激な上達があったため、さらに上達の速度が上がるかと彼は思ったのです。しかし、ショパンに取り組むことで、A君は指の訓練の本当の意味を知ることになります。訓練して作る、ピアノを弾くための指には、どんなタッチにも対応できる柔軟性が必要であることがわかるのです。その柔軟性は、たくさんの楽曲を勉強してだんだんわかるものであること、1年や2年の訓練で達成できるものではないことなどが、現実的にロマン派の音楽を勉強してみてわかってきたようでした。短期間にこのようなことがわかっただけでも、私は、A君の今までの努力は報われているように思うのです。彼を褒めてあげたいと思います。
そして迎えた卒業演奏会ですが、彼は充分『ショパンの貴公子』として立派な演奏をしました。もちろん、たくさんの課題を残していましたが、この2年間の勉強は、実を結んだと思います。
さて、ここで『のだめカンタービレ』に登場する音楽家の卵たちのお話になりますが、〈音楽的〉演奏とは何かという観点から見てみますと、さまざまな点で、その答えのようなものが散りばめられていると思う箇所があります。それで、のだめはどうなるかというと、幼稚園を開いて子どもたちと音楽のあふれる明るく楽しい人生を送ると思います。皆さんはどう思いますか?
これで、ショパンの貴公子のお話はおしまいです。A君は、今、小学校の教師をしています。