議員日記  2005年1月
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   2005年1月7日(金)                                                                            
ブッシュ、早くも馬脚をあらわす

明けましておめでとうございます。
   昨年末のスマトラ沖地震・津波では、すでに15万人以上の犠牲者の数が報じられ、これからは伝染病・感染症の広がりも心配されています。国連中心の救援体制も徐々に出来つつあるようですが、国際社会がどれだけ連帯して支援できるか試されているとも言えます。
   武蔵野市議会でも1月16日、全議員が分担して市内各所で募金を行うことが決まりました。微力ながらお役に立ちたいと思います。

   ところで私の大嫌いなブッシュ米大統領ですが、新年早々復興支援の金額をめぐって、国際感覚の無さ、器の小ささを露呈してしまいました。ブッシュが最初に表明した支援額は何と1500万ドル(約15億8000万円)、批判を受けあわてて増やした額は3500万ドル(約36億8000万円)、更に中国や日本の支援額を聞いて、3億5000万ドル(約360億円)に増額し、父親やクリントン前大統領まで引っぱり出して寄付集めに協力させたり、米軍1万2千人派遣を表明したりして、名誉挽回に懸命ですが、世界中にブッシュとその取り巻きがどの程度のレベルの連中か、分かってしまいました。昨年選挙中に起きたフロリダ州の度重なるハリケーン被害救済のための緊急支出は、何と138億ドル(1兆4200億円)にのぼったそうです。

   中越地震など(台風や集中豪雨被害も含む)の災害復旧のために、1兆3600億円の補正予算(主に公共土木関係)を組んでいる日本はと言うと、5億ドル(約515億円)を拠出することを表明しました(ちなみにイラク復興には50億ドル、長銀:現新生銀行救済には4兆円出しています)。   金額ではドイツやオーストラリアに抜かれましたが、予算を組み1年間で無償援助として必ず拠出するいう点では価値があるようです。しかし国連常任理事国入りの思惑も透けて見えて、手放しでは歓迎する気にはなりません。
   インドは原則として援助を断っているとか、中東産油国からの資金援助が極端に少ないとか、よく分からないこともあります。またブッシュ大統領の大好きな「有志連合」主導の目論見はうまく行かなかったようです。

   お金も大事ですが、やはり心が伴わないと何にもなりません。プーケット島のタイの人々の被災者に対する献身的な救援が村上龍さんのメルマガで紹介されています。許可が得られれば転載させてもらうつもりです。

ここでホームページについて今年の目標です。

3日に1回以上アップロードする。
日記の見出しのインデックスを作り検索しやすくする。
トップページをリニューアルする。

   3は早期に何とかなりそうですが、1と2は大変そうです。



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   2005年1月8日(土)                                                                            
12月の一般質問から (2)・・・ 防災対策とまちの安全の確保について

   先月積み残した12月の一般質問で取り上げた問題の続きです。今回のテーマは、昨年3月に続いて2度目の一般質問を行った、”防災対策とまちの安全の確保”についてです。なお、一般質問と市長答弁の速報版をこちらに掲載しました。
   
  昨日(1/7)の朝日新聞の武蔵野版に、「自宅の耐震性無料診断」という見出しで武蔵野市の施策が報じられましたが、内容を良く読むと、これまで2年間試行してきた「耐震アドバイザー派遣事業」を本格実施するというだけで、募集枠も全く同じで新しい切り口がなく、少しがっかりしました。

1)中越地震被害に学び、個人の木造住宅の耐震補強に対する支援策を・・・
  昨年の中越地震で被害が確認された住宅の内、「一部損壊」と判定されたのは80%を超えています。公的支援制度では「一部損壊」は対象外となっているため、多くの被害者への対応が現在問題視されています。一部損壊と言っても実際には全面的に建替えないと住めないという例が多いようです。地震被害を受ける前に補強を施していれば、無傷で助かる可能性もかなりあると考えられます。
   また武蔵野市が独自に行った平成8年(1996年)の被害想定では、木造建物の被害は全壊と半壊だけで約5,600棟にもなると推定されています(H9年に出た東京都の被害想定の9倍近くにもなり、個人的には過大ではないかと思われます)。
   個人の住宅が倒壊すれば、死傷者が出る確率が高まるだけでなく、ライフライン損壊による停電や火事、道路を塞いで緊急車両が通れなくなるなど、公共の被害も莫大になることが予測されるので、先ず木造密集地域から個人住宅の耐震補強に積極的に踏み出すことが必要ではないかと考えます。
   市長からの答弁は、これまでの「個人資産の形成に関わるので慎重にしたい」という答弁よりは若干進み、「リーバースモゲージ(資産活用型助成)も含めてこれからさまざまな形で研究していきたい」というもので、やや前向きになった印象を受けました。今回の一般質問では、革新系のO議員からも防災対策についての質問があったり、中越地震後という状況もあったからでしょうか。
   また市長は木造密集地域に売地が出たら積極的に買収していると強調していて、延焼防止や防災広場として役立てようという意図は分かりますが、費用対効果を考えると、高価な土地を購入する前にもっと被害予防に力を入れるべきではないかと思います。
   姉妹都市である小国町などへは沢山の職員や幹部・市議などが
派遣され、視察にも行きました。被災状況を見た体験を是非自分達のまちの安全性を高めることに具体的に生かして欲しいものです。
 

2)耐震改修が進まない・・・
   
無料「耐震アドバイザー派遣事業」に応募して市の簡易診断を受け強が必要とされた人の中で、実際に市の耐震改修助成「民間住宅耐震改修助成制度」を受けた件数はH14年度1件、H15年度も同じく1件のみで、ごく少数です。市の担当部署に聞くと、助成金が10万円(木造の場合)と低いので、個人負担で改修まで行くケースはまだまだ少ないとのことでした(実際の耐震補強工事では最低でも50万円は掛かるという話です)。最近ではコストが安価な耐震補強工事の技術も進んでいると聞くので、耐震診断だけで終わりではなく、助成金増額の他、改修アドバイスの充実など、ソフト面も含め耐震補強の改修が拡がるような仕組みを考えるべきではないでしょうか?

武蔵野市の「民間住宅耐震改修助成制度」 耐震診断の結果、耐震改修が必要と認めれた住宅を所有する個人に対して助成する制度。木造住宅の場合で限度額10万円、非木造の場合で50万円。
他の自治体の助成制度 横浜市・・・助成上限額540万円
中野区・・・H17年度から資産活用型耐震改修助成制度を導入)

3)コミセンなど2階建て以下の市の施設の耐震診断が未実施

   市の公共施設で、2階建て以下のものにはまだ耐震診断も実施されていません。関前コミセンなど6ヶ所(中町・東町・八幡町コミセン、桜堤・北町調理場)です。子ども達を含め多くの市民が利用する場所なので早急な耐震診断を実施すべきです。市長は答弁で「今後研究していきたい」と語っていましたが、悠長なことを言っている暇はありません。市民の安全を守る施策は何よりも優先的にやって欲しいと思います。

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   2005年1月 10 日(月)                                                                            
12月の一般質問から (3)・・・ 市の事業のイラストなどのデザイナーの決め方について

   一般質問の最後のテーマは、”武蔵野市の事業で使われる「デザイン」「イラスト」はどうやって決まっているのか ?”でした。

1)イラスト・マークの決め方は?
   2004年も多くのイラストやマークなどが市の事業で採用されました。例えば、武蔵野市通水50周年事業ではペットボトルや数種類のTシャツ・手ぬぐいが販売され、イベント用には「ゆかた」「うちわ」など合計21種類(市報特集号デザイン含む)のものが作成されたそうです。禁煙マナーアップキャンペーンでは喫煙場所(マナーポイント)のトリの形をした黄色い灰皿や禁止ゾーンを示す路上のイラスト2種などが作られました。さらに、この春オープンの吉祥寺シアターのマークは新聞紙上でも公表されました。
   さて、このようなデザイナーやイラストレーターはどうやって決まるのか? 以前から気になっていました。 質問してわかったことは、市がデザインを依頼するのは「実績のある人」「推薦のある人」ということです。3つのつのデザインなどは下記の通りでした。

デザインの対象 デザイナー デザイン料
禁煙マナーアップキャンペーン スタジオナイン
・・・奈木捷夫氏
150万円・・・主な作品8種他
武蔵野市通水50周年イベント「水・好き」 スタジオナイン
・・・奈木捷夫氏
前期150万円(主な作品7点他)
後期160万円(主な作品7点他)
合計310万円
吉祥寺シアターのロゴマーク 潟Lジュウロウ・ヤハギ
・・・矢萩喜従郎氏
105万円(1点)


1 )禁煙マナーアップキャンペーン 2) 同左

3 )通水50周年イベント「水・好き」
Tシャツ3種
4)通水50周年イベント「水・好き」
ゆかた

5)通水50周年イベント「水・好き」
うちわ3種
6)吉祥寺シアターのロゴマーク

(1〜4の画像は「季刊むさしの」【武蔵野市発行】から)


   マナーアップキャンペーンと通水50周年事業は、ムーバスの車体のデザインも行った奈木さんという方でした。過去、市の駐輪禁止などの表示デザインも手がけていて、市長の答弁によると「15・6年前からこの人の才能に着目していて(中略)お願いをしたわけであります。」とのことで、以前から親しい関係のようです。吉祥寺シアターのシンボルマークは矢萩喜従郎さんという方で、東京国際フォーラムのロゴも作成された人ですが、コンペで選ばれた吉祥寺シアターの建築デザイナーの佐藤尚巳氏の知人ということで、「きちんとしたルートで頼むと何百万円掛かるところを105万でやってもらった」と、自慢げでした。

2)「実績のある人」「推薦のある人」とは?
   どうやら市長は、賞を受賞したことがあるとか、有名人が推薦してくれたとか、要するに名の通ったデザイナーがお好きのようです。
   しかし、デザインでは「実績」も大切かもしれませんが、過去の経歴だけにこだわるとフレッシュさに欠けることもあるので、必ずしもベストな方法とは言えません。「推薦」による選定では若い才能に門戸を拡げることが難しくなるので、行政という公共性を重視しなければならない立場としては少し安易だと思います。武蔵野市内にはデザインを手がけている会社やイラストレーターなどは沢山存在するので、もっとコンペや公募を有効に活用しながら、若い人たち・フレッシュな才能に可能性を広げるべきだと考えます。
   また、デザイン料が安く済んだと市長は自慢していましたが、こういうものは絵画の値段やタレントのギャラと同じく、相場は不透明です。そもそも利益を追求しない行政の公共施設のマークやデザインであり税金から払うのですから、なるべくリーズナブルな価格で済ませるというのは当然のことです。著名なデザイナーなどに依頼すれば高くなりがちなのも自明で、この意味からも門戸を拡げることのメリットがあるのではないでしょうか?

3)デザインの決め方、イベントや販促物の企画の立案について
   今回わかったことは、武蔵野市でイベントなどを開催する場合、担当部署が企画の中身を決めるということです。「水 好き」や「マナーアップキャンペーン」では、下記の表のようにいくつもの販促物が作られました。
「水 好き」   デザイン料合計310万
@大きいポスターAチラシB桃太郎旗CペットボトルDTシャツ3種E手ぬぐい2種F懸垂幕Gうちわ3種Hゆかた(貸し出し用)Iフラッグ(ペットボトル販売所用)Jマグカップ(記念品)K半天2種(式典など職員用)L市報の特集号Mチラシ・ポスター
「マナーアップキャンペーン」   デザイン料合計150万
@喫煙マナーアップキャンペーンのトリのデザイン(モニュメント)AフラッグBシンボルマーク(路面ステッカー)2種CマップD横断幕E推進員ユニフォームFポスター(キャンペーン用禁煙エリアポスター)G販促物(配布用バンドエイド、禁煙マップ入り)
   
   市報の「水・好き」の特集号のデザイン、レイアウトが奈木氏に委託されていたことも、初めてわかったことでした。

   民間企業の場合、販促物はインパクトのあるものに絞ってシンプルにやります。残った場合の在庫の管理など煩雑ですし、処分するのももったいないので、限られた種類で数もシビアーに計算して作ります。今のやり方のように、その都度担当部署でやるとなると、経験もあまりない人だけで知恵を絞ってやることになり、市の出入りの業者やメーカーなどに誘導され、予算があるからと沢山の販促物を作ることになり、様々な場でロスが出がちです。このようなことを防ぐためには「広報課」などに専門の担当者を置いて、企画内容をサポートしたり、イベント後の効果測定やチェックをするべきではないでしょうか。それまで開催したイベントの結果を集約して保存し、庁内で閲覧できるようにしておけば、新たにイベントなどを開催する場合にも大変参考になります。販促物・デザイナーの決定もサポートしていけばぐっと効率的にできると思います。



   
保育園や学童クラブなどでは子ども達が使う文房具や消耗品費などの経費削減のため、担当者の方々は四苦八苦していると聞きます。これに比べると、市が実施するイベントに対しては予算もかなり掛けていると感じましたし、やり方も予算内に収まればよいとの意識が強い気がしました。本来イベントは行政の日常業務とは違う次元のものです。何に力を入れるかについて優先順位をつけ、イベントなどをやるにしても、もっとスリムで効果的に行うように工夫するべきだと感じます。予算を立てる時にこのような意識をもっと持って欲しいと考えます。


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   2005年1月 12 日(水)                                                                            
スマトラ沖地震・津波 ある被災者の手記

   スマトラ沖地震・津波については、このところ津波襲来の瞬間の映像が続々と入ってきてテレビで放映され、改めて衝撃を受けているのですが、一方で逃げまどう人たちはどんな思いだったのか、被災直後現地でどんなことが起こっていたのか等については、まとまった情報はこれまでのところ、あまりないように思います。

   以下は少し長くなりますが、村上龍氏が主宰するメールマガジンJMM [Japan Mail Media] No.304に掲載されたものを許可を得て転載したものです。 オランダ在住の春 具(はる・えれ)さんが、プーケット島のすぐ北のカオラックで被災したハーグのアメリカンスクールの女性教師アルレット・ステイプさんからメールを受け、日本語に翻訳されました。既読の方はご容赦下さい。



■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 第106回
  「カオラックのひとたち」

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■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第106回
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「カオラックのひとたち」

 インドネシア一帯を襲った津波からほぼ2週間あまりが過ぎました。わたくしども
も知っているハーグのアメリカンスクールの先生がクリスマス休暇に夫婦でタイのカ
オラックに旅行に行き、そこで津波にあった。かろうじて戻ってきた彼女が同僚・友
人に宛てたメールが我が家にも届きました。アルレット・ステイプという中学生のク
ラスの担任で、ほかにもESL(English for Second Language )を受け持っている
先生です。ご主人のトムはバンジョーを弾く。「日本にも行ったことがあるよ」と話
す気のいい夫婦であります。以下はその彼女からのメールです。許可をもらって訳し
てみました。
     
   わたしたちはプーケットの北にあるカオラック(一番被害の大きかったリゾー
  トである)にバンガローを借りていた。バンガローは丘の中腹にあり、ホテルは
  その上にあった。

   あの朝早くに音響とともに建物が揺れ、起こされたわたしたちはタイではこん
  な早くから工事の仕事を始めるのかと文句を言ったものの、時差のせいでまた眠
  りに引き込まれた。

   ようやく10時ごろ起きて上のホテルまで朝食に行くと、テラスから一望の海
  がずっと沖まで水が引いていた。ひとびとはそれぞれに沖のほうまででて貝殻を
  拾ったりジョギングをしたり、浅瀬を楽しんでいた。

   けれども夫は数年カリフォルニアのビーチに住んでいたことがあり、この景色
  はすこしおかしいよと言う。どんなに引き潮でもこんなに水が引くことはないと
  いうのだ。

   とみるまに沖合いから津波の第一弾が向かってくるのが水平線にみえた。

   夫はわたしの腕をつかみ、走り出した。ホテルの食堂は丘の上にあったが、わ
  たしたちはホテルを出てさらに上のほうまで走った。こんなに走ったことはない。
  わたしは息も絶え絶えになって後ろを振り向くことすらできなかったが、高い波
  はビーチを越え、ホテルをそのまま襲い尽くしてわたしたちの足元までやってき
  た。津波の音は、離陸する飛行機の真下にいるかのような凄まじい轟音だった。

   丘の上でわたしたちはイングリッド、マルレーン、ニーナという3人のドイツ
  人とリサという8歳のオーストリアの少女と一緒になった。

   高波が引いたあと、わたしたちはホテルまで戻ってみた。ロビーやフロント、
  ラウンジ、レストランはえぐられたようにゆがみ、波に巻き込まれた家具やソ
  ファーに叩きつけられたのだろう、ぐったりと倒れている人々は血まみれだった。
  その多くはすでに死んでしまっているかのようだった。なかにリサの父親がいて、
  彼は紙のように白い顔をしていた。わたしたちは彼を丘の上まで運んだ。リサの
  母親は見つからなかった。

   わたしたちは前夜、ホテルのディスコでスウェーデンのユルゲンという大きな
  体躯の青年に会った。彼はダンスがうまかったがほとんど英語ができなかったの
  で、わたしたちとビールを飲みながらジェスチャーで会話をした。その彼がいま
  ホテルにいた。体中傷だらけで血を流し、片方の腕は内臓がはみだしたかのよう
  にぐちゃぐちゃになっていた。わたしたちは水をかけて砂を流し、体を洗ってあ
  げた。彼はささやくような英語で「救急車を... 」と繰り返したが、そんな車は
  なかった。しばらく待った後、トラックが来て、わたしたちは彼を乗せ、トラッ
  クは彼を連れていった。

   彼を病院へ送った後、わたしはぐったりとした。道路は倒木でふさがれてしまっ
  ているかもしれない。波に洗われているかもしれない。けが人は待合室でどれく
  らい待たされるのだろう。道はそうとうにでこぼこだし、病院はあまりに水際に
  ありすぎる。わたしたちは、彼らを死に追いやってしまったようなものではない
  か...

   若いドイツの女の子が、ボーイフレンドが見つからないとパニックになってい
  た。わたしは彼女の重そうなバックパックを背中からおろしてあげようとしたが、
  彼女はわたしを振り切って「これがわたしの持っているぜんぶなのよ」と叫び続
  けた。わたしたちはすっかり疲れきっていた。

   だれかがもう一度津波が来るぞと叫んだ。わたしは近くにあったペットボトル
  のケースから水を一本抜いて持っていこうとしたら、そばにいたタイ人のおばさ
  んに怒鳴られた。だまって取ったことを怒られたのだと思ったらそうではなく、
  彼女はもっと持っていきなさい、持てるだけ持っていきなさいと言ったのだった。

   わたしたちは再び丘の上に避難した。リサのお父さんは肺に水がたっぷりたまっ
  ていて二歩も歩くと倒れてしまった。わたしたちは嫌がる彼を無理やり病院へ送
  ることにした。

   わたしたちはチョーというタイの男性に会った。彼は海の彼方を見つめて、息
  子が漁に出ているのだと言った。彼の目は涙で赤くなっていたが、わたしたちに
  パパイヤを切ってくれ、「無事にお帰りください」と言ってくれた。

   夜になって、わたしたちはホテルに戻ってみた。明かりも電気もなく、ラジオ
  も携帯もない。誰もいない(つまり死体もない)部屋があったので、わたしたち
  はそこで休むことにした。あらゆるものが散乱している階下やビーチまで下りて
  いく勇気はなかった。

   外のスナックスタンドにはイドというタイの若い女性がいて、そのあたりをう
  ろうろしていたわたし達50人あまりの旅行者たちにタイカレーの夕食をつくっ
  てくれた。彼女は叔父が行方不明になっていたが、肉親を探すよりも先にわたし
  たちに夕食の用意をしてくれたのだ。わたしたちはこのような信じられない親切
  をあちこちで受けた。

  「今朝、プーケット島にいる叔父から津波が来るぞと携帯に連絡を受けたの。そ
  れですぐにホテルに電話をしてそのことを知らせたけれど、誰も信じてくれなかっ
  た。ビーチまで走っていってみんなに伝えたのに、彼らも聞いてくれなかった」
  イドはそう話していた。

   みんなでこの津波の経験を話し合ったが、ある男性ははぐれた友だちを探して
  死人の山をまたいで歩き、ショックで気が狂いそうになったと言っていた。別の
  男性は倒れている女性の鼓動が聞こえたようなので、駆け寄って人口呼吸をほど
  こした。彼女の歯ぐきはぼろぼろで、欠けた歯が口中に散らばっていた。ふっと、
  彼女が死んでいるのに気がついた。鼓動に聞こえたのは、彼自身の心臓だったの
  だ。わたしはそれ以上聞きたくなかった。

   わたしの印象に残っているのは、スウェーデンの親子の話だ。アンダースとい
  う男性は津波が来た時、娘のソフィと巻き込まれ、いちどは離れ離れになったが、
  最後には娘を見つけることができた。ソフィは怪我をしていたが、それよりも死
  体に囲まれて海に浮かんだ恐怖で深く傷ついていた。

   オーストラリアのハリーの話も衝撃だった。津波が来た時、彼は流れてきた車
  に叩きつけられて膝を折った。やしの木が妻にぶち当たり、彼女は木とともに流
  されていった。波が去った後、自動車は砂地に沈んで埋まり、ハリーはその窓枠
  につかまってしばらく様子を見ることにした。だれかが次の波が来るぞと怒鳴っ
  た。彼はぼんやりして時間をつぶしたことを悔やんだ。そんなことならば妻を捜
  しに行くべきだったのだ。それを思い出すたびに、涙が出る。これからオースト
  ラリア大使館へ行って捜索願をだそうと思うが、そんなことをしても役に立つの
  かわからない、と彼は言っていた。

   別の男性はバンガローで朝風呂に入っていた。津波が来て、彼はバスタブごと
  窓からはじき飛ばされた。妻も別の窓から流されていった。彼は妻が死んだとは
  信じられないといっていた、「オレは彼女の死体を見ていないのだからね」あと
  で聞いたところでは、妻は高い木に引っかかっていたのだという。

   ほかにもいろいろな話を聞いた。波にもまれる中、テレビや冷蔵庫が飛んでき
  て吹っ飛ばされた、いやおれは飛んでくる自動車にはねられた、とかいう話だ。
  そんな話を前にして、わたしたちにはなにも話すことがなかった。わたしたちは
  幸運な夫婦なのだろう。

   翌日になって道路は通れるようになり、わたしたちは我が家へ戻ることになっ
  た。オランダの我が家だ。ハーグの家だ。

   タイの男性がトラックを運転して、2時間かけてわたしたちをバスの停留所ま
  で運んでくれた。彼はわたしたちが渡そうとしたお金を一銭も受け取ろうとしな
  かった。彼のとなりにはタイの女性がすわり、ナビゲートしてくれた。バス停で
  わたしたちが降りた後、彼女はまたそのトラックでおなじ村へ戻るのだと言った。
  妹を探しに戻るのだ。これもわたしたちが受けたホスピタリティだった。彼らも
  自分の肉親より先に、わたしたちの心配をしてくれたのだ。

   バス停では8時間待った。わたしたち夫婦だけが小さなスーツケースを持って
  いて、ほかのみんなは持ち物どころかほとんど海水パンツだけの裸だった。わた
  したちは自分がバカに見えた。

   バス停の向かい側に住む家族がお風呂を使わせてくれた。わたしはリサに片言
  の英語を教えながら一緒にお風呂を使った。わたしたちは交代でこっけいなこと
  をして彼女を笑わせた。そうすることで、わたしたちは「ひょっとしてわたしは
  孤児になってしまったの?」という思いからリサの気をそらせるようにした。

   わたしたちは朝6時に飛行場に着いた。あるひとの話では大使館で旅券を発行
  してもらおうとして半日待ったということだったが、わたしたちの経験は正反対
  だった。タイ航空のひとがわたしたちを空港の特別室へ案内してくれ、航空券、
  旅券をすべて整えてくれた。どこへでも電話をかけさせてくれ、わたしたちは温
  かい朝食を食べて新聞を読んだ。

   イングリッド、マルレーン、ニーナ、そしてリサ。わたしたちは津波の後、結
  局60時間近く一緒にいたことになる。新しい家族のようなものだった。飛行場
  に着いて彼らに「さよなら」を言っているとき、リサのお母さんが生存している
  ことがわかった。マルレーンとニーナがリサのおばあさんに電話をかけたら、そ
  ちらにもお母さんから連絡がいっていたというのだった。わたしたちは飛行場全
  部に響くくらい、思いっきり喜びの大声をあげた。

   バンコックには、ハーグでわたしのアメリカンスクールの教え子だったペギー
  がタイ人の夫と住んでいた。わたしたちは彼女の自宅に寄り、休ませてもらった。
  BBCを見ながらわたしはBBCにメールを書き、タイの人々のホスピタリティ
  について感謝の言葉を書いた。書かないではいられなかったのだ。

   ハーグの自宅に戻ったら、BBCからインタビューをしたいというリクエスト
  がきていた。オランダの新聞もやってきた(わたしの夫はオランダ人である)。
  わたしたちは、どんなにタイのひとたちが献身的に応対してくれたかについて繰
  り返し繰り返し話した。

   隣に住む二コルが、放送を見てやってきた。彼女は500ユーロを持っていた。
  これをNGOに寄付するつもりだったが、あなたたちに渡そうと思ってもってき
  たのだという。わたしたちはそれを受け取り、ほかの寄付とあわせて、イドのス
  ナックスタンドへ送ることにした。

   わたしたちがこの津波で出会ったタイのひとたちは、みんなすばらしいひとた
  ちだった。自分たちが肉親や親戚を失っている悲しみの最中に、彼らは危険に立
  ち向かい、わたしたちを救いに来てくれた。どのタイのひとたちもそうだった。
  例外はなかった。ひとりとしてわたしたちを見捨てなかった。そのことをわたし
  はヨーロッパにひとたちに伝えておきたい。

   わたしたちは、いまもう一度タイへ行こうと思っている。そしてみなさんにも
  行って欲しいと思う。わたしたちがまた旅行することで、タイのひとたちに仕事
  ができ、生活が立ち直り、そのことだけでも復興の一助となると思うからである。

   最後にひとこと ...

   わたしたちは出会った人々に連絡を取り、消息を交換した。スェーデンのアン
  ダースは娘と一緒に、妻と会うことができた。プーケットで病院に入ったら、同
  じ病院に妻が5分前に入院していたのだという。

   リサは今はすでにお父さんと一緒になっていて、彼もうまく回復しているそう
  だ。お母さんは、じつは一足先にオーストリアの病院に送られていて、もうじき
  退院できるらしい。もうじきリサの家族は一緒になれるのだ。

   わたしたちの話が報道されてから、寄付のお金が届くようになった。みんなイ
  ドに送って下さいというものだった。見知らぬひとたちから500ユーロ単位で
  届くようになった。ある家族は、300ユーロ送ろうとしたら息子たちが500
  でなければダメだというので、家族会議の結果、500ユーロにしましたと言っ
  ていた。わたしたちはみなさんの好意をバンコックにいるペギー夫婦に託し、イ
  ドへ届くように頼んでいる。

   マルレーンとニーナとも電話で話した。彼女たちは今週末、ドイツから自動車
  を運転してハーグまで会いに来てくれると言っていた。

   マルレーンは、「わたしは怪我したひとに親身になれなかった自分が許せてい
  ない」と話してくれた。わたしも同じ思いを持っていた。怪我人をトラックに送
  り込むだけでなく、なぜ一緒に乗って彼らと一緒に病院まで行ってあげなかった
  のだろう... この思いは辛く、いまでも胸を刺している。新年になって、まだあ
  そこに浮かんでいる体があるというのに、シャンペンをすすり、花火をあげるな
  んて、ほんとに勝手だ。もし、もう一度、こんな緊急事態の経験をすることがあっ
  たら、わたしはけっして後で後悔しないような行動をとろうと思う。

   わたしたちは、この津波からまったくの無傷で帰ってきた夫婦である。大勢の
  ひとたちに会ったが、わたしたちくらい幸運だったカップルはいない。わたした
  ちは生きていられて幸せである。同時に、わたしたちほど運が良くなかったひと
  たちのために涙を流したいとも思っているのだ。


春(はる) 具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行
政学修士、法学修士。1978年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)
勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現
在オランダのハーグに在住。訳書に『大統領のゴルフ』
  
   タイの人たちの献身的な姿勢が強く印象に残りました。 
                                             

   2005年1月 16 日(日)                                                                            
安倍・中川両代議士は圧力を掛けたか

   4年前のNHKの番組「 ETV2001シリーズ・戦争をどう裁くか」については、「両氏が事前に圧力を掛けたのは事実かどうか」という問題に矮小化されつつあります。放送前にNHK側にねじ込んだとなると、TBSに押しかけて放送前のビデオを見せろと迫ったオウムの連中と同じでまずいと思ったのか、「一般的な話をしただけ(安倍)」「放映後会った(中川)」「会ったというならいつどこで誰に会ったか明確にしろ(安倍)」などと弁明に懸命です。面会したNHKの幹部連中はとっくに腰が引けていて、両氏と口裏合わせが出来ていることが推測されます。現場のディレクターがいちいち番組制作中に政治家に会って説明する筈もなく、伝聞になるのは当然です。安倍氏にNHKの幹部が会った後、2度目のカットが行われたという状況証拠だけで十分だと思います。

   当時の実情を記録したHPによると、放送の半月前頃から、NHKには右翼の街宣車が押しかけてきたり、大量のファックスが送り付けられてきたりして大変だったようです。いつもは海老沢会長を始め自民党に頭の上がらない上層部が、こうした自民党の「ご意向」に反する番組の制作を認めたこと自体不思議ですが、 このころに至ってやっと事の重大さに気付き、慌てて大幅変更やカットを命じて作り直させた上で、マスコミ攻撃を強めていた森内閣の官房副長官だった安倍氏や、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表の中川氏などの自民党幹部に「ご進講」したのですが、それでも許されず、「(番組自体を)やめてしまえ」などと言われた----真相はこんなところではないでしょうか。

   作り手としてのNHKが全く気骨を失っているのも大問題です。トップの海老沢会長からして現役政治部記者当時、郷里・大学の大先輩で私淑していた橋本登美三郎代議士がロッキード事件で逮捕された時「先生はそんな人ではない」と言って、同僚の取材を妨害したと語られているような人物であり、今も毎朝5時の「おはよう日本」から目を光らせていて、気に入らないことがあるとすぐ現場の直通電話に掛けてきて指示を出すので、番組責任者はいつもピリピリしていると伝えられます。大きなニュースがない時、NHKのニュースはたいてい政府の発表や官房長官の談話から始まり、既成事実の如くその手の政府発表ネタを流すことが非常に多いのも、こんな雰囲気の中では当然だとうなずけます。2003年3月までは月曜〜木曜に放送されていたETVも、現在では土曜日のみにされてしまっています。これも現在のNHKの体質と無関係とは思えません。憲法21条放送法(特に第3条)を読み返して原点に立ち返ってほしいものです。

  NHKの労働組合は内部告発した長井チーフ・プロデューサーの支援を表明しましたが、 今の状況では、政治に屈したNHK上層部のために、長井氏は孤立させられるかも知れません。「妻子を路頭に迷わせるわけにはいかないので、今まで迷った」などと発言されていますが、公金横領の磯野某などとは違います。能力のある人のようですから、NHKを離れても仕事には困らないのではないでしょうか。外野からの気楽な物言いで恐縮ですが、この際徹底的に戦ってほしいと思います。


   政治家の番組への介入問題については、スケールはまるで違いますが、一昨年の「武蔵野三鷹ケーブルテレビ(パークシティー)」で、中学校給食問題を扱った「子どもの食を考える。 今、中学校では――」が放送中止になった事件と構図がそっくりです。私のHPで何度も取り上げました。詳しくはこちらをご覧下さい。(激辛通信第1号     2003/9/22の日記
                                             

   2005年1月18 日(火)                                                                            
中村教授を支持せず。

   青色発光ダイオード(LED)の発明対価をめぐる裁判は二審で和解しましたが、この金額約8億4千万円(6億円+遅延損害金約2億4千万円)について、高いの安いのと騒がれています。安すぎる理由としては「一審判決の200億に比べてあまりにも少ない」「税金や訴訟費用で半分は無くなるから可哀想」「清原、佐々木といった現在無価値同然のプロ野球選手が、数年間にわたり年棒5億〜7億円もらっているのに、1回きりでこの金額は少ない」というのが代表的なものでしょう。高すぎるという理由は「発明は一人だけのものではない、大勢が協力した結果」「対価の計算方法に問題がある」「それなりに優遇されている」「他の社員とのバランスを考える必要がある」など、色々数え上げることは可能です。私は倍の12億くらいは出していいと思いますが、200億などとんでもないという考えです。

   中村修二教授の才能と努力は疑う余地がありませんし、発明の経済的価値は青色イルミネーションの広がりを見ただけですごいものと素直にうなずけます。また会社は非協力的だったどころか、途中から研究中止命令を出すなど、足を引っ張るばかりという最悪の研究環境の中で達成したということで、なおさら価値のある発明だと思います。しかし中村氏が成果を掴むには幸運もあったのではないでしょうか。また苦労した発明がどれだけの利益を生むかというのも結果であって、すぐには何の役にも立たない基礎研究を続けている研究者も少なくありません。6億円でも前例のない巨額です。中村氏は程々のところで妥協すべきだったし、弁護士が和解を勧めたのは当然で、今でも200億に固執しているのは間違いだと思います。

   発明の対価は5%という相場が定着しつつあるとも言われますが、計算方法も一通りではないでしょうし、5%にどういう根拠があるかも分かりません。ただ青天井とせず、10億程度を上限にすべきではないか、あるいはアメリカ式に研究者は雇用時にはっきり取り決めをしておくべきではないかと思います。

   和解の翌日の記者会見をテレビで見て、こういう人にはノーベル賞を授与してほしくないものだと思いました。ひたすら謙虚で控え目、会社と協調路線の田中耕一さんが理想的とは言いませんが、少なくとも中村氏は「世間を味方につける方法」は全く研究してこなかったようです。
 
                                             

   2005年1月 22 日(土)                                                                            
地に墜ちたNHK、朝日もハッキリさせよ。

   NHK番組改変問題では、1/16に予想した通り、NHKの幹部(松尾元放送総局長等)が掌を返したような記者会見をして反撃に出ています。安倍・中川氏とNHKは一心同体になって朝日新聞を攻撃していると言って過言ではありません。こうなったら朝日も具体的な証拠を出さないと説得力に欠けます。取材の録音はあるのか−−−あるとしても松尾氏の口ぶりから、正式に承諾を得ていないように推測されるので、出せば出したで批判を受けるでしょうが−−−それでも出すべきです。その他、松尾氏が番組放送前に中川氏に議員会館で会ったということなら、当時の面会票は残っているのか、NHKの公用車の当時の運行記録はどうなっているか(こちらは改ざんされていそうで当てになりません)−−−など記事を裏付けるものはないのでしょうか。1/20に社会部長などが記者会見をしましたが、記事を書いた記者が出てきて肉声で話してほしいものです。

   しかし最大の問題は松尾氏が最初はどう話していたかということではなく、「NHKが政治家に事前に番組の説明をするのは当たり前」(関根現放送総局長−−−顔としゃべりは官僚を絵に描いたような人)とまで言って開き直っていることです。
   元々「NHKは権力におもねず、公正な番組を作っている」などとは少しも思っていませんでしたが、関根氏の発言は「NHKの予算を審議する国会議員(もちろん政府与党の議員)に批判されないような番組しか作らない、作れない」ということを自ら暴露してしまったようなものです。これでは北朝鮮とまでは言いませんが、中国の国営放送や、プーチン批判が許されないロシアの放送局とレベルは同じか、それ以下と言って差し支えないでしょう。

   TBSはオウムの一件以来、ワイドショーで事件を扱うのをやめてしまい、半ば腑抜けのような放送局に成り下がっていますが、四月から少し動きがある(と言ってもあまり期待できませんが)ようです。海老沢氏はようやく昨日辞任の意思をを固めたと報道されました。NHKの他の幹部にも一刻も早く消えてもらい、まともなトップを迎えて一から出直し、少しは受信料を払う気持になれるような放送局になってほしいものです(そう言えば受信料不払者数は11月末の数字以来公表されていませんが、他のマスコミは何故追求しないのでしょうか)。


「都市計画審議会」の視察旅行レポート (その1) 

初めて上から見えた「雪の富士山」
   武蔵野市役所の担当事務局(まちづくり推進課)を含め総勢11名(都計審委員全員の名簿)で1月19日〜20日にかけて1泊2日の日程で福岡市に行きました。「まちづくり=開発やハコモノ造り」という発想がまだまだ根強いせいか、高速道路の工事現場や埋め立て地にできた街など、大規模開発の現場などの視察が主で、感心するような場所は正直少なかった気がします。
   博多のまちの印象は映画「ブレードランナー」のように人工的で、未だにまだバブル期のような雰囲気が漂っていました。「博多に来た」と実感したのは、案内して下さった福岡市の職員の方々のほんの少しの博多弁と、屋台に行った時くらいでした。結局、最後に訪れた志賀島(しかのしま)からの玄界灘の眺めが一番心に残りました。まちの個性や魅力づくりについて、考えさせられた視察でした。

今回の視察場所 @福岡外環道路の福岡大学トンネル部分 B博多リバレイン・キャナルシティ
Aシーサイド百道(ももち)地区 Cアイランドシティ経由で志賀島へ



@ 福岡外環状道路の福岡大学トンネル部分
全景(説明資料から)
   このトンネル部分は長さ870m、4つの工区に分かれてJV(建設会社の共同体)で工事が進んでいます。私達が行った工区は西松建設と東急建設のJVで、幅広くオープンカットされた中で、大きなコンクリート部材が組み立てられていました。現場合成式ボックスカルバート方式・・・プレキャスト部材(工場で製作されたもの)を現場で門型に組み立てるやり方・・・を採用したことで、従来の方法より工期の短縮や作業の省力化ができるそうです(注:カルバートとは暗渠のこと)。このトンネルの8m下には地下鉄も走る(今年の2月運行開始。地下鉄工事はシールド工法)ということです。大ざっぱなコスト比較では、地上バイパス方式が20〜40億円/q、トンネル方式だと160億円/qで、大体トンネルにすると普通の工費の4倍となるそうです。
   東京にも地下鉄が二重三重に交差しているところがありますが、こういう所は耐震性などに問題はないのでしょうか?   何か起これば大惨事になりそうで、気になりました。
 
当日の作業の様子

   今回この場所を視察した目的は、武蔵野市にも成蹊学園のグラウンドの下に道路(成蹊通り)を通そうという計画があり、このトンネル方式を参考にしたらどうかということのようでした。しかし、この場所で使われている工法を真似ることは無理があると感じました。福岡大学の場合はほとんど緑がなく、現在はまだ殺風景な場所ですが、武蔵野市の場合、成蹊学園のけやき並木など緑が非常に豊かな地区で、その周囲には住宅街も広がります。学校内をオープンカットするのは不可能で、多分シールド工法で掘り進むのでしょうが、トンネルを通すと騒音・振動、排気や地下水脈など、どんな影響が出るのか、大学や周辺住民と余程しっかりした話し合いを経て結論を導き出すことが重要です。

周辺の住宅街
   成蹊通りの武蔵野市部分は徐々に買収を進め、今では確かに成蹊学園のところで行き止まりになっています。しかし、成蹊通りの北側の練馬区の部分は、現状では住宅が建て込んでいて計画は何も進んでいません。たとえ武蔵野市の部分だけ道路計画を進めても、青梅街道にもつながらず、殆ど意味がないのではないでしょうか(道路地図参照)。
   道路の交通量が増え、成蹊学園のグラウンドの手前に大きなトンネルの入口が出来ることを想像しただけで、地域が分断されることは明白だと思います。さらに、まちづくりの視点から考えれば、学校と住宅街でバランス良く構成されている現在の地区を保全していくことは、長期的に見てまちの魅力を高めることにつながるはずです。
   そもそも何十年も前(S37年作成)の机上の都市計画を後生大事にし、巨費を投じて道路を作ることが本当に市民のためになるのか、キレイ事の理由を並べるだけでなく、本音で問いかけて合意を得ることが建設の大前提です。スローな時代へと大きくカジを切っているのに、役所は旧態依然とした発想に留まっていることがとても残念です。

 
                                             

   2005年1月 27 日(木)                                                                            
   またADSL回線の不調で2日近くインターネットに接続出来ませんでした。大体2ヶ月に1回くらいこんなことが起こります。1年前から光ファイバーの導入を提案していますが、高齢化が進むマンションでは利用している人が少ないせいか、なかなか話が進みません。最近ようやく動きが出てきたようですが、あまり期待しないで待っているところです。

「都市計画審議会」の視察旅行レポート (その2) 

  Aシーサイド百道(ももち)地区
   1月19日は福岡外環状道路の視察の後、福岡市の西側の早良(さわら)区にある「シーサイド百道(ももち)地区」に行きました。ここは、今から18年ほど前(昭和61年)に百道浜・地行浜地区が埋め立て完了し、「アジア太平洋博覧会」が開催され、その後ウォーターフロントと近未来型の都市空間を創造するという目的で、都市計画が進んだ地区です(下表参照)。 元々自然の浜があったものを埋め立てて、土地を延長して、人口の浜を造るというバブル期のプランを実行してできた地区です。
   実際に私達が訪れたのが平日の午後だったせいか、海岸、公園なども人が少なく、寂しげな雰囲気でした。人口浜に造られたリゾート感覚のショッピングやレストランのエリアは、当初の計画ではもっと集客があると予測していたようですが、今回は冬場ということもあって営業している店はほとんどなく、必ずしもうまく行っているとは言えないようでした。
   造成した更地に大規模なプロジェクトを計画し、実現するというのは、建築家やゼネコンなどにとってはたまらない魅力でしょうが、未だに巨大なイベント型の開発が続いていることに首を傾げます。




福岡タワーからの眺め 福岡ドーム・ホテル・人口浜


ウォーターフロントのレストランゾーン


戸建て住宅地区  低い石垣と生け垣 有名デザイナーによるマンション


   これまで福岡市には武蔵野市から色々な委員会や開発公社などが視察に行っています(2月初めからも農水省跡地特別委員会でも視察が予定されています)。今回初めて訪れて、その理由がわかりました。つまり、福岡市はあらゆるところで計画が進む、「開発銀座」だったのです。福岡市役所からもらったプランでは今後も複数のプロジェクトが進み、福岡市が更に変貌していくことが透けて見えました。
   職員の方の説明だけを聞いていると「開発=発展」という感じで、良い面ばかりが強調されます。しかし、よくよく聞いてみると、目論見違いや問題があり、今後に積み残されているようでした。また、これだけの巨大プロジェクトに集中する資金や利権はどれほどかと考えると、私達の目に見えないところで様々な力が働いているのではないかと実感しました。
 
  また、頂いた資料を見ると、H12年の数字で、福岡市では第1次産業0.8%、第2次産業16.6%、第3次産業80.3%となっていて、東京都に較べても第3次産業の割合が高く、1次産業・2次産業が極度に衰退しているのがわかります。自然の浜を埋め立て、大きな道路や鉄道を引くことだけに集中させた結果、人々の生活が大きく都市型に変わり、人口構成も大きく変質したようです。

                                        産業別就労者率(2000年 国勢調査による)
−−− 第1次産業
就業者率(%)
第2次産業
就業者率(%)
第3次産業
就業者率(%)
     福  岡  市 0.8 16.6 80.3
福  岡  県 4.3 26.2 68.8
東  京  都 0.5 25.6 72.1
全国平均 6.0 31.6 61.8


                                             

   2005年1月31日(月)                                                                            
NHKの迷走

    海老沢氏らが顧問に就いたかと思ったら、3日目には辞退を余儀なくされるなど、NHKのドタバタが続いています。今回のことでNHKの新旧経営陣が如何に浮世離れしているか、改めて明らかになりました。特に海老沢氏は辞任翌日に全職員に向けて「一部マスコミの中傷に負けずに頑張れ」と言ったメールを出すなど、自分の立場が全く理解できていないようです。顧問を辞めたからと言って、会長の座を狙う直系の子分が理事のまま居座り、お飾りの会長はキレイごとを繰り返し言っているだけでは何も変わりません。

   またNHKについて、よく「国会で予算を通してもらわなければならないので、政治家に弱いのは仕方がない面がある」と言われますが、これも全くおかしいことです。毎年NHK予算が全会一致で原案通り承認される方がよほどおかしな事だと思います。国会議員にNHKの予算を潰すことなど出来るとは到底思えません。せいぜい承認を遅らせるくらいのことです。そうなったら暫定予算で暫くやりくり出来るはず。もし予算の一部削減や修正・変更などを要求されたら、NHKにも論客が大勢いるようですから、それこそ国会の場でガンガンやりあって、決着をつければよいのです。今のように自民党議員などにコソコソ会って根回ししていることの方が余程異常な事態です。
   NHK予算に対し、誰が賛成し誰が反対して、その結果どうなったか、「NHKスペシャル」などの判りやすい番組に仕立てて視聴者に提供するのもよいでしょう。但し言うまでもなく、それがNHKの言い分を一方的に垂れ流す番組になったら、またまた視聴者の反感を買うことになるに違いありません。
 
市民の蜜を吸う大阪市役所でも大阪だけのこと?
    元々大阪圏のラスパイレス指数(国家公務員の給与を100とした場合の地方公務員の給与水準)は異常に高水準でしたが、ゆっくりですが少しずつ是正されてはきました。大阪市についても表向き106.4(H14年)、101.9(H16年)と徐々に低下傾向にあると思ったら、全庁的カラ残業と決算報告不要としている互助組合を隠れみのにしたヤミ退職金、ヤミ年金、ヤミ報酬など、労使一体で不法な手当を受け取っていたことが明るみになりました。何と新年度から180億円削減する案を発表しましたが、これまで毎年それだけ税金を不法に受け取っていたということです。

   明るみになった発端はMBS毎日放送のニュース番組「Voice」の辛抱強い長期取材の成果闇の正体!”張り込み1ヵ月”大阪市『カラ残業』の実態1    2)からと聞きました。大阪市民の怒りは今や頂点に達していて、「大阪市役所は大阪から出て行け」とまで言われているようです。日本最大のアウトローがはびこる街では行政組織もアウトロー化するということでしょうか。ことは大阪市だけに留まらない筈です。全国の各自治体の互助組合はどうなっているのでしょうか?

   NHKや最近ニュースになった愛媛県警などに共通するのは、内部告発で問題が表面化したという点です。大阪市役所の問題でも内部告発の定義には当てはまらないかも知れませんが、元職員の人が実名でテレビに出て告白しました。告発は本当に命懸けの勇気がいることです。日本ではまだ「内部告発者保護制度」が確立されておらず、内部告発者の方々は告発後厳しい状況におかれているようで、この点についても気になります。