1. 「シーサイドももち」開発の経過
昭和57年 |
埋め立て開始 |
昭和61年9月 |
百道浜・地行浜地区の埋め立て工事が竣工 |
昭和61年12月 |
同地区の分譲が開始される。(分譲元:福岡市港湾局) |
昭和63年 |
シーサイドももちアーバンデザインマニュアルを策定(港湾局)
(景観形成地区指定の原型) |
平成元年3月〜9月 |
「アジア太平洋博覧会」開催 |
平成元年3月 |
都市計画シーサイドももち地区計画を定める。 |
平成元年9月 |
「21世紀を展望した計画的なまちづくり」が開始 |
平成8年4月 |
都市景観形成地区に指定 |
2. 「シーサイドももち」ゾーニング
戸建て住宅地区 |
東京で言えば松濤や田園調布といった高級住宅街で1軒1軒がかなり広い敷地でした。低い石垣と生け垣が義務づけられていて、庭も広く緑が豊かなエリアです。 |
集合住宅地区 |
海辺に近いのっぽの福岡タワーからまちを見渡したところ、すぐ近くに「福岡ドーム」が見え、ホテルや学校、図書館などが配置されていました。マイクロバスでまちを通った際に、内外の有名デザイナー(葉祥栄氏など)が競作したマンションなどがあり、凝った建物が目につきました。しかし、「よかトピア通り」という妙なネーミングが健康ランドの名称のようで気になりました。お役所がつけたのでしょうが、こういった安っぽい名前は止めた方が良いと思います。 |
商業・業務・レクリエーション地区 |
文化・公益施設地区 |
よかトピア通り地区 |
海浜公園地区 |
福岡タワーの後、人口浜を歩きましたが浜は思いの外、風が強く、人の気配がほとんどありませんでした。ショッピングゾーンやレストランがありましたが、冬場は閉めているようでした。 |
公共空間(道路・公園・河川) |
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