コース順路: 相鉄三ツ境駅前広場(WC)→楽老峰(桜)→野境道路(桜)→中原街道→矢指谷遺跡跡(桜) →瀬谷市民の森(桜)→瀬谷みはらし公園(WC)→海軍道路(桜)→若宮八幡宮(桜) 解散(12 時30 分頃)(約8㎞) 2021年3月27日開催・瀬谷の桜めぐり(案内チラシ・印刷用) 2021年3月27日開催・瀬谷の桜めぐり(当日配布資料・印刷用) |
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No. | 見所 | 由来・史跡 | ||
1 | 三ツ境駅 |
大正 15 年(1926)5 月に厚木~二俣川間の神中鉄道(現 相模鉄道)開通とともに設けられ |
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2 | 楽老峰 |
古くは美屋古山と云い、頂上は鎌倉台と呼ばれて狼煙台か物見台が築かれていた。慶長18年(1613)徳川家康が駿府への旅の途中、この地で休息し、地元民からの湯茶の接待を受け、お礼に茶種2俵を受けて生産し、茶所として繁栄したと言われています。 | ||
3 | 武相国境(野境道路) |
瀬谷区と旭区の境界で、昔は相模国と武蔵国の国境で、相模の雨は境川に入り相模湾に、武蔵の雨は帷子川から東京湾に流れる分水領。この道路は「さくら通り」とも云われ、瀬谷高校入口まで約2㎞に約120本のソメイヨシノ桜並木が続いています。 | ||
4 | 中原街道 |
古くから開けた道であり、小田原北条氏は関東支配の駅路として利用した。天正 18 年(1590) 家康はこの道を通り江戸に入府。東海道制定後は脇往還として整備し鷹狩りによく使用された。瀬谷は街道沿いに「日野役所」「高札場」「問屋場」がありました。江戸時代には沿道地域の物産を江戸へ運ぶ輸送路でした。別名御酢街道とも呼ばれていました。 | ||
5 | 矢指谷遺跡跡 |
矢指谷(やさしやと)遺跡は、市域の北方より連なる多摩丘陵の南西端に位置しています。東側には。遺跡の名称の由来ともなった矢指谷(やさしやと)と呼ばれる大きな谷戸が北側から入り込んでいます。 昭和59年度(1984年度)に聖マリアンナ医科大学病院を建設するにあたり発掘調査され、遺跡から先土器時代(BC18,000年頃)のナイフ形石器・敲打器・磨石等の石器及び剥片等の遺物、縄文時代早期(BC6,000年頃)の竪穴住居跡・炉穴、同じく縄文時代早期・前記(BC6,000~4,000年頃)にかけての100基余りの土抗が発見されました。 遺跡の特徴として、T字状に広がった大地の北側に竪穴住居跡が、中央部付近には調理場的に使用されたと考えられる炉穴群が、さらに東側には動物の捕獲用とされる土抗群主として発見されています。これは、空間ごとに異なった性格をもった遺構が分在していることで、縄文時代前半期の人々の生活跡を極めて良好な形として見ることができます。 さらに、台地の中央部で発見された先土器時代の遺物の多くは、約20,000年前に降下したとされる姶良丹沢火山灰下の相模野台地BB3層と呼ばれる土層内に含まれており、横浜市域で発見されている遺跡では最古の時期に属するものです。 |
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矢指谷遺跡跡 (聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院の敷地内にあります。) |
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矢指谷遺跡跡 |
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6 | 瀬谷市民の森 |
昭和 51 年(1976)4 月開園。旭区との境に広がる森林地帯の一部で、山林所有者の好意により解放された、区内一の公園である。スギやヒノキ、クヌギなどを植林し、池やアスレチッ |
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7 | 瀬谷みはらし公園 |
平成 30 年4月1日開園。少年サッカーなどを行うことができる多目的広場、幼児や児童のための遊具を備えた遊具広場、高齢者など大人を対象とした健康器具広場、公園を周回できるジョギングコースなども備えており、公園名の由来となった築山「みはらしの丘」からは、 |
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8 | 海軍道路(桜並木) |
海軍道路(環状4号線) 第二次世界大戦以前、この付近には、旧日本海軍(横須賀海軍軍需部、第二海軍航空廠)の火薬工場、補給工場、倉庫等が立地していました。当時は、海軍道路沿いに、旧日本軍が整備した引込線が敷設されており、旧日本軍施設と神中鉄道(現相模鉄道)瀬谷駅を結ぶ輸送等の役割を担っていたと考えられています。その後、旧日本海軍施設は「上瀬谷通信施設」として昭和26年(1951年)3月より米海軍に接収されていましたが、平成27年(2015年)6月30日、日本に返還されました。「海軍道路」は、これらの歴史を踏まえ、横浜市の道路愛称事業(歴史的に由来のある道路や、通称が住民に定着している道路に愛称を付ける事業)により、市道環状4号線のうち瀬谷中学校交差点付近から国道16号線に至る約2,850mについて名づけられた「愛称道路」名として、現在も広く親しまれています。 ソメイヨシノが約300本、ヨウコウサクラが約40本で、合計約340本あります。瀬谷中学校側は昭和50〜51年頃に、旧国道16号側は昭和57〜58年頃に植樹しました。(平成29年3月、瀬谷区役所) (注)現地に設置されている看板から説明文及び横浜市瀬谷区役所ホームページから引用させて頂きました。 |
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海軍道路(桜並木) |
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9 | 農業専用地区 |
都市農業の確立と都市環境を守ることを目的とした、横浜市独自の農業振興策で、集団的な農地等を農業専用地区に指定し、農業振興策を実施することにより、農地の保全を図っています。新鮮な農産物を市民に提供する、地域の自然や田園環境を保全する、災害から市民を守る防災空間となる。市内の農業専用地区は
28 カ所あり、上瀬谷(92ha)は 16 番目に登録 |
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10 | 若宮八幡宮 |
創建は永禄年間(1558~1569)頃、善昌寺と同じ武田の一族岩崎家の建立。八幡神社は一般的に応神天皇を祀っているが、若宮八幡宮は応神天皇の第二王子を祭神としている。 |
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1.当日の天候その他の事情で、コースを変更する場合があります。 2.当日の午前7時台のNHKテレビ画面左上、横浜の天気予報で、午前中の降水確率60%以上の場合は中止します。 3.参加費は一回につき300円(保険料・資料代)です。交通費、見学費、昼食代は各自ご負担願います。(散策中の事故は、傷害保険の範囲となります。) 4.各ガイドの詳細は、瀬谷区内の下記公共施設に実施1か月前に置かれるチラシをご覧ください。(瀬谷区役所地域振興課、区民活動センター、各地区センター、各コミュニティースクール、図書館、長屋門公園など) |
「せや・ガイドの会」は、横浜市瀬谷区の生涯学習サークルとして発足した前身の「わがまち瀬谷」(2003年(平成15年)発足)と、「瀬谷探訪の会」(2001年(平成13年)発足」が、2008年(平成21年)4月に統合して、「せや・ガイドの会」に名称変更しました。
横浜市瀬谷区を本拠に、地元やその周辺を、ご参加者の皆様と一緒に歩いてご案内しています。毎月開催のガイドツアーを通じて、歴史・地理・自然など、この街の魅力を再発見して頂けます。事前申し込みは不要で、全員ご参加頂けます。詳しくは、年間ガイドスケジュール一覧をご覧ください。
2020年4月現在、20名の会員が在籍しており、随時会員募集しています。資格など条件は一切ありません。歴史、地理、自然やウオーキングにご興味・ご関心をお持ちの方はお気軽にお申込みやお問い合わせお待ちしています。
年会費は2000円。自主企画案内が月1回のほか、勉強会や季刊記録誌などの会合があります。
(お申込み・お問い合わせ先)
せや・ガイドの会 竹見
📱電話090-3900-6469