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星月常運歩の記


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 
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表紙
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 昭和六十四年の新春を迎へ私は満九十歳となります。 少年の頃はどうした生まれでありませう至極学校嫌いでありました。 十五歳の時、親の知らぬ間に家出をしました、一人子でありながら 当時は大した問題にもならなかったと記憶いてをります。 神戸、大阪、東京とその時を得まして書生に住み込み懸命に勉学しました。 聊(イササ)か絵心を得まして二十歳の頃帰りました。 (徴兵検査の為帰郷、シベリア出兵を経て除隊) 新たなる願い(大和絵勉学の為)を持ちまして二十歳を過ぎる頃東京に出向きました。学半ば 夫(カ)の関東大震災に会いまして心ならずも故郷高知に帰る事になり、生涯此処で暮らしています。



 暇をみては夜となく昼となく図書館に熱心に通いました。 主として古典文学、宗教哲学、美学に関する読書をして十年余りが過ぎました。 心無き愚かな私にも思いがけず春が来ました。四十歳を過ぎた頃 図書館長の中島鹿次先生の紹介で女子医学専門学校(後の高知女子大学)に勤める事となり、 寒苦に耐え春を得て花の咲く思いでありました。 歳月は過ぎ七十七歳まで学窓に勤務致しました。



 少年の頃から絵画や彫刻に密かな思いを持ってをりました。何かを創造せんとする其の可能の精神、其の悩みを 絵画や彫刻に於いて観たいと思っていました。其の願いも適いまして今日の細やかな仕合わせを得た思いがあります。



 私の思い出の主体は読書にあります。読書に依りまして自我を知り他我を知るのであります。

論語   学而第一
子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

子曰わく、学びて時に之を習う、亦説(ヨロコ)ばしからずや。朋遠方より来たる有り、亦楽しからずや。人知らずして慍(ウラ)みず、亦君子ならずや。

いろはにほへど
「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見し酔ひもせず。」

これは般若心経とかかわりのある法語であります。無常を而今その真理を知る知恵を説いております。



千歳不朽の名作「源氏物語」その趣は「もののあわれ」であると本居宣長は申されております。無常なるもの常ならざるもの、 それはなかなかの難問題であります。万巻の書を読みて解脱することであります。




心とはいかなるものを言ふやらむ墨絵にかきし松風の音
一休禅師


春になる桜の枝は何となく花なけれどもむつまじきかな
西行法師


流れ行く木の葉のよどむえにしあれば暮れての後も秋の久しき
散り残る岸の山吹春ふかみ比ひと枝をあわれといはなむ
右大臣  実朝


流れゆく消えてかへらぬ星屑の永遠の光を知りそめにけり
島木赤彦


石山の石より白し秋の風
静けさや 岩に滲み入る 蝉の声
秋深し隣はなにをする人ぞ
松尾芭蕉


陽炎や碑塚の外が住まゐなり
子規居士


「人の悟を得る  水に月の宿るが如し 月濡れず  水破れず  広く大きなる光にてあれど 尺寸の水に宿り   全月も弥天(ミテン)も 草の露にも宿り  一滴の水に宿る」
道元禅師


「最初に言葉あり その言葉は神と共にあり その言葉は生命なり  言葉は人の肉体に宿る」
聖書 ヨハネ伝




読書は思い出にと今も私の内に生きております。真に純粋なる歓びであります。







昭和63年12月