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(多面像) 銅造。 昭和41年。 1基。 像高64cm。 |
均整の採れた美しい裸婦像とは違う、日常何処にでも居る普通の女の子を在るが儘に作者自身が連想して制作しています。モデルを観ながら制作したものではありません。若い女性の美しさは在るが儘の姿に、内面から湧き出るような清楚で無垢な生命の息吹を女神の形態として表現しています。観音菩薩像と並列される女神像です。 卒業式の体育館で女生徒が疲れと緊張からか、そっと足を長いスカートの中で組みました。 この仕草を見ていた作者は静かに手帳を取り出し鉛筆でスケッチしました。 人生の門出を祝福する作者の願いがこの乙女像になりました。若く豊かで清浄な肉体には内面から湧出る美しさがあります、この若さの美しさを自覚する乙女が少ないのを作者は嘆いていました、人間の人生は無常である事を知るには生涯かかるかも解りません、この無常を悟った時が初心であり門出の卒業だと考えていました。。 乙女の手に持つのは柾(マサキ)の小枝です、これは何かを為す、事始めの象徴として持たせています。 悲しみを知る事が人生です。悲しみを喜びに換える事も人生です。悲しみの中に喜びを発見する事です。 若い乙女の肉体には美しいものがあります。その美しい肉体を乙女自身は知っていません。唯、乙女の衣服だけが、その包まれた美しさを知っています。 若い女性は女性であるだけで美しいのです。この美しさを芸術家が自覚した時、そこに 永遠の美を観る事になります。 人間はどうしても仮面を付けたくなります。どんな仮面が自分に適した顔か、それを選択する事が、本当の自分という人間を自覚する事になります。 素晴らしい人に出会ったら、本当に大切にした自分を見る事が出来ます。自分の良さが自分に解って来ます。 |