我々人間が美の教養を持つことは、我々が動物性から先ず逃れることにある。
我等先祖は先ず美に就いて、花をもって美を示した。その昔乙女は恋人に初め
花輪を捧げた。彼は粗野な獣性から脱出し品位を得たのであった。また室町の
昔世阿弥元清が、「人は物数を盡くし、工夫を極めて後、花の失せぬ所をば知
るべし」と「美」をもって人生栄光の失せぬ工夫を啓示している。 喜びにも
悲しみにも美は我々の不断の友ある。美は我々の生涯に栄光を斎(モタラ)し永
遠の光を知らしむるものである。 美の教養は先ず物を見ることである。物が
見えることである。その眼を養うことである。眼が物の内なる性格に触れるこ
とで、眼が物を食べるように見えてくるのである。見る眼を養うと云うは、ま
た書簡の気宇を大にする諸事を学ぶにつれて謙譲となる。謙譲な無私は美意を
成就するに至り、そこに知性の豊かな稔が身に附くのである。 女性の美しさ
は膝廻りの清らかさから始まると云う。美しき物腰はその深い教養豊かな知性
を語る。物が善く観え、心で物の扱いが出来得る時、人の人たる愛と善意の方
向の定まりが観えて来るのである。
「衣」(着物類)「食」(什器類)「住」(家具類)に就いての「美」への願
望こそ、人間生涯の幸福とその栄光への宿命である。
* 美は性格である、それは真実である。
* 美は自然が人間と云う鏡に映像されたものである。
* 美は永遠に光を投げ掛ける夢をもつ。
* 美は断固として自然の性格を主張する、決して後悔しない。
* 美は資料集めや知識の羅列を忌む。
* 美は内気でむやみに自己の裸体を見せない、神の羞恥をもつ。
* 美は愛と善意を祝福して生命となす。
これからも皆さんと共に「衣」「食」「住」に関する美に就いて、それぞれの
性格に即応した勉強をしましょう。よろしく乙女たる情熱をもって勉学するこ
とを期待します。
人と共に、泣き悲しむ事が出来なくてはなりません。山を見れば山となり、鳥
を見れば鳥と鳴く。そこには、欲望というものがありません、純粋な魂だけな
のです。人のことに、泣き喜ぶ、この事を教えられました。その人の身になる
ことが、出来るのです。これは魂の触れあいなのです。だから自分と関係つけ
て、喜びや悲しみを共にしたいのです。この感情が「芸」なのです。一葉、鴎
外、独歩の作品の中に、このような心が見られます。願いと祈りのある姿こそ
、救いになると思われます。
昭和40年 大学での講義原稿
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