若い舞子が三人連れだって歩いて行きます。背中に長い「だらりの帯」、長い振袖、頭髪に花簪(カンザシ)、足元は高い「おぼこ下駄」で裾(スソ)を引き上げた正装の道行です。奇麗な若い舞子に明るい未来を象徴しています。若さは夢多い希望の姿です。舞子達の此れからの仕合わせを願い祝福しています。
女性は幾年経っても娘心を持ち続けたいものです。娘心とは無邪気さです。誰もが生まれながらに持っていた 無邪気さを成長する過程で、知識や経験を重ねて無慈悲、無慈愛に成り無邪気さを無くして仕舞うようです。花吹雪の題名のように若者の前途に有望な明日を願っていました。
作者は昭和初期に仙台にスキー旅行した事が有りました。宿で床の間に未だ咲いているのが珍しい一枝の椿を観て、此の花は大層苦悩に満ちた方が生けていると女中さんに話したら、この話を聴いた花を生けた方が洞察に驚愕して呼びにきて驚いた事があったそうです。
その方は満鉄の副総裁、貴族院議員を務めた江口定条氏で愁傷の心情を感知された事への謝辞を述べられたようです。後日,鎌倉建長寺の茶会でも再会し、「貴方は余りにも純粋です。人を信じて、信じた事によって貴方が傷付きはしないかと心配です。」と云われたそうです。
江口定条氏は土佐の出生で戦後奥様の里(高知市の近郷 国分村)にお住まいだと作者は記憶していて、一度伺いたいものだと話してくれました。
私が此の会場に居る事で、人形が生きているのです。私が居なくなってからは、人形の側に私が居て、こうして話している言葉が、人々の記憶に甦って人形と私を想い出してくれるでしょう。生きている限りこうして人形と共に生きている私を心に強く焼き付けてほしく、少しも気を抜かずにこうして人形と共に美しく哀れな女性の運命を話し懐かしんでいるのです。日本の女性の美しさを語っているのです。喜びにつけ悲しみにつけ、女性は美しいものでした。
展覧会では多くの人々の心を受けました。それに対しても今後も精進しなければならいと決意をしています。名も知らない人からも随分と心を戴きました。人形には清らかな魂を捧げて参りました。夜中人々が寝静まった一時を身も心も清めて作品を創って参りました。日本女性の魂を喚び起こす使命を帯びて生きています。この深い願いを理解してほしいのです。私の生涯は多くの人々に守られて参りました。その一つに戦時中に兵隊さんに一万個の人形を送りました。一つ一つの人形に私の願いを精魂込めました。人形も若者の飛行機と共に敵陣に向かったと聞いています。死んで逝った沢山の兵隊さんの魂も、きっと今の私を守ってくれているものと信じています。人間塩と僅かの米が有れば生きていけると思います。私には何一つ欲望が無いのです。だから周りの人も、私の心に添ってほしいのです。この一瞬が生命ですから、無駄には出来ないのです。そして、私は此処に生かされているのだと思います。
展覧会場で作品を観て戴く人の中に美しい真実の姿を観て、私自身がその人に感動し喜びと致します。作品を通して共に美しい人の姿を観るのです。
もの事に集中して無心になり一つに集中して、作品を創れるのは小さい時から茶で鍛え磨いてきたからです。この事は確(ハッキ)りしています。茶を真面目に扱って貰いたいのです。
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