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  紫花人形  終わりの章=笹の露)


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


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美しく演出した舞台は終わりの章で静かに終演に向かう表現です。黒紋付に留袖に正装した芸妓が演奏した楽器を膝元に置き、先ほど奏でた華やかな演奏の余韻に浸り安堵している姿です。襟元の広げた表情と後髪に掛けた白く長い髪飾り(手絡)に粋な心に染みる感動を覚えます。 人形は哀れで健気な女性の運命や想いを理想の男性に託す麗(ウルワ)しく儚い物語として数多く姿態を変えて創作していました。小さな顔は膨(フク)よかで澄んだ眼の作者自身の顔なのです。顔そのものには、表情や感情は表してなく全身の仕草や衣装で様々な思いを表現したものです。
作者は女学校を終え鎌倉の親戚(大正天皇侍従、貴族院議員)に迎えられ昭和初期の優雅な華族生活の一端を味わっています。後年当時の贅沢な生活様式も、嘗(カッ)て幼少時代に味わった生活習慣と比べて驚くものはなかったと話しています。それだけ戦前迄の日常生活は毎月法事があり本膳料理(儀式に出す正式な日本料理)を戴く高尚で文化的な生活でした 盆暮には部屋一杯の贈答品が高知から届けられたそうです。鎌倉海岸通りの浜辺で望郷の涙を流した事も有ったそうです、此処でも周りの人が作者の土佐弁を真似て話すように可愛がられたそうです。
歌舞伎や能も観劇しています。幕間(休憩時間)には役者が挨拶に来るような丁重な持て成しを受けていました。松本幸四郎丈(7代目)に手紙を出すと、丁寧な返事が有ったそうです。久米正雄さんからは文章を書くようにと薦められたそうです。茶道修徳の繋がりで江戸千家不白流の家元宅に社中(同門の師弟)として出入りしていました。稽古修練の為に皇族の宮家にも同行して 知遇を受け、宮仕えの誘いも有ったそうです。茶名は「梅中齊」を拝受していました。



燭台の炎が、ぱっと明るく生命が燃えるような一つの舞(物語)を終えて、弾いていた三味線を置いて先ほどの踊りを省みている芸者の姿です。「蕗の薹」から「望月」までが主題です。女性の激しい情念を華やかに乱舞して静かに舞い修めています。これから余韻を残して終う終わりの章に展開します。

男女の出会いは神から許されています。何時でも尊敬の念を忘れてはいけないものです。寸刻も自分(自我)を出すと現実的になり夢は破綻します。


森鴎外の「高瀬舟」を読んでいると、京都から舟が出る辺りから涙が出てきます。深い人生の苦悩と光明、如何にも主人公の喜助さんに後光が射しているような味わい深い文章です。 罪を犯しても、それが人間の善意となって返るように優れた小説にはそう書いています。


夜中の二時頃電灯から行燈にしたところ、周りが全く静かになりまして、虫の音が聴こえるではありませんか、風も何かしら秋の気配さえ感じました。 行燈の静かな灯りの中にいると紫式部、一葉が蘇ってくるのです。この静けさが文学であると味わいました。また、この情緒を普段の生活に取り入れ、最期の日本人の誇りを持ち続けて生きて行きたいと思いました。


人形の中の風格というものは、あれは本膳での厳格で美しい習慣があつたからだと思います。














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