題名の蕗の薹から厳冬に春の到来を希(コイネガ)う寂しさを感じます.。黒紋付の着物に紅赤色の長く垂らした長い帯(だらりの帯)の舞子です。何か急ぐ様に体が俯(ウツム)いています。舞子は純粋な乙女心です。人生の荒海に漕ぎ進まねばならない過酷な生活の足元を確りと胸に抑えて、舟出の切ない悲哀を表現しています。
人形の結ばれた帯(丸帯)も着付けの衣装では大切な要所となっています。帯は何方(ドレ)も高い位置に結ばれ若々しく綺麗にも観えます。帯を緊(キツ)く締めると緊張感があり、健康的にも複式呼吸の効用があるそうです。作者は脚が男性並みの長脚で坐ると座高が低く仕草が美しく、立つと帯が高い恵まれた身体の女性でした
。因(チナ)みに足袋の寸法は、九文七分(23センチ)と伺いました。
日本人は戦前迄は普段着として着物を着て草履や下駄を履いていました。草履は他所行きで、下駄は普段履きと区別したものでした。下駄や草履は鼻緒を足で締めて爪先に力が入るので、体が前方に傾く歩き方と成ります。靴を履くと踵(カカト)から着地しますから、歩くと身体が後ろに傾く反身(ソリミ)と成ります、生活様式の変化で心身に違いが有る事を再考したいものです。
作者の恵まれた幼少期は100枚位の着物を毎日の様に着替え稽古事にも励んでいたそうです。取り分け茶道の稽古は母と伴に12時間位座り師匠(江戸千家不白流師範、元連隊長夫人、息子さんが銀行の頭取、ハイカラ中尉、娘さんが陸軍大臣夫人)に厳しく指南されたそうです。時計商の屋敷で催された茶会に伺った事、その時の着物や帯は終生記憶に残っていたようです。広い屋敷に狐の巣が在ると聞いて一人で巣穴を観に行った想い出も話して下さいました。
これまでの作品が序の章でこれからが主題の章になります。黒の着物に長い帯の舞子です、下向きながらも急いで歩いています、目標を定めて行動する若さは健気な姿です。 強い弱い、静と動、このように相反するものが調和し、その真ん中を菩薩が行き来する姿が「芸」となります、この「蕗の薹」と次の「葉鶏頭」で娘心の熱い情熱を赤と黒の対照的な色彩で表現しています.
娘しか人形になりません。人形は一人の女性のいろんな考えや表情を、幾つかに分けて作品にしています。きちんと身支度を整えて表情の振り付けをします。不思議に人形に魂が入って、生きてきます、不思議なものです。
運命に抑えつ けられた中にも猶(ナオ)も花と咲いている女性を表現したいものです。 |
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