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   紫花人形  序の章=初時雨)


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART 


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やがて花嫁は歳老いた姑を労るように成っていきます。家庭に居て女性が家族を支えている健気で優しい姿がありました。 嫁が姑の背中を支える手、姑の杖の角度に積年の安心感が在ります。 家族の運命を支えて生活していた自身の多難な人生がありました。その運命に気丈にも立ち向かわねばならなった優しい女性の生き方を懐かしく想い出す場面です。「ゆかり花」「初時雨」は対になる作品です。
人形の芯は細い針金に奉書(和紙)を巻いて自在に形状を整えていました。戦時中に兵隊さんに慰問品として送呈した人形には奉書に作者の哀感溢れる願文が書かれていたそうです。一度も咎(トガ)められる事はなかったそうです。
人形の髪型は江戸時代から伝承された既婚女性の綺麗な丸髷です。大正時代には上流社会女性の気位を保つ様式であり、作者の育った環境にも丸髷姿が日常的でした。 終戦後までの女性は普段に和服を着て長い髪を結っていました。長い髪を如何に結び処すかが当たり前でした。
現代に於いても女性が正装の礼服として和服を着用する現象を喜ばしく思います。婚礼で花嫁が着る綺麗な和服(白無垢、打掛、振袖)に島田髷に着飾る風習にも伝承の美しさを感じます。
昭和の初年頃、陸奥伯爵家の御女中(女性の使用人)皆が日本髷を結っていたので驚いたと話していました。


花嫁は家から家へ嫁ぎました。それが何か女性の運命となっていくようで、哀れです。結婚が不仕合わせな運命の始まりのような気がしました。

女性は歳の暮れ、丸髷に襷を掛けて、台所を駆け回ってい姿が美しく懐かしいものです。昔は何故か優しかったかと思うのです。人形には大正時代の風俗を出来る限り残して表現しています。決して誇張したものではありません。花のように、美しい姿が女の修行でした。

御陰様とは、何に縋(スガ)るかという事です。縋って何かを戴くという事です。
御陰の光をこの身に受ければ水晶玉が反射する如く光り輝きます。

文学とは「お経」の様なものであると思いました。小説「滝口入道」の文章にも人生が語り伝えられているものがあります。文章の語呂の中に「人生の美」が織りなされているように思われます。詩を読んでいると小説を読みたくなるものです。

展覧会は素朴な雰囲気でした。ある場所ではダイヤモンドが素朴である事もあります。 時と場所とを弁える事が教養です。此処では皆が自分の晴着を着るのが良いのです。