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  紫花人形  序の章=福寿草)


KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART  ;


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「白梅」「鐘の音」と序章を軽快な華麗さで迎え入れ、物語は転じ過ぎし日の想い出から主題へと導いています。展覧会では幼き頃の想い出と成人して現代までの人生を顧みた作者の苦悩と未来への祈りと願いの姿が美しく物語られていました。「福寿草」は長い道を歩いてきた女性が立ち止り一息の安らぎに思いを馳(ハ)せる姿です、口に銜(クワ)えた手拭に強い意思を感じます。 縦縞模様(唐桟縞、普段着)の着物の裾(スソ)が垂れ下がり床に広がっています。裏地の朱色にも情熱が垣間観えます。この「福寿草」が全体の主題と成っています。
この「福寿草」同様に以前の展覧会で「高瀬舟」と題する作品が在りました。森鴎外の著作「高瀬舟」の役人(庄兵衛)が罪人(喜助)を素直で誠実な人間と諦観して眺めている情景でした。 立姿と着座する二人が朧夜に見詰め沈黙の時が流れる一時の苦悩を人形で表現していました。
人形では敢(ア)えて顔には細かい表情を表現していません、何故なら人形は同一人物ですから、丸顔で眼口も在るだけの目立たない表情です。然し実在の日本人は戦前までは、顔面は人格の表情を表示ものとの風習で額を前髪で隠す事はしていません。額を隠さず表示すると明るく清潔感ある好印象を相手に観せるものです。 は男女共に真摯な人間性の表状として気遣いするものと思われます。
幼少の恵まれた運命から成長して波乱万丈の苦悩と激動の人生が有りました。 自問自答した境涯から学び得た人生感を人形を介して 希代(キタイ)な作品として創作しています。 人形を観た哲人は「天孫降臨」と評していました。人形の姿に哲人は神様のような汚れない魂の言霊を聴き、崇高なる優姿に感銘していました。




この作品が今回の展示してある作品の主題です。哀れで美しい女性の生涯を静かに省みている姿の表現です。作品展は久し振りですから、 人形の物語の組立は最初の展覧会に違っています。「白梅」で礼をして始まり、「初時雨」までが序になっています。そして「蕗の薹」から「望月」までが本題となります。 もう五個並べたかったので。「十三夜」の次に昔の「月影」や「青柳」を加えたかったのです。「笹の露」で終わりですから、三味線を置いています。 昔の「時雨」も同じ表現です。それから想い出の「山茶花」となり、季節の「花吹雪」で飾り、「さすらい」で終わりの旅に発つように、 風のように余韻を残して終わりにしています。これが作品展の常の順序になっています。本当は三十余りで表現したいものです。人形は会場に合わせ、 見る人に話かけていますから、きっと人々の心に入っていく筈です。


日本の伝統や芸事が総て心の音となって人形になるのです。 伝統が好きです、これを支えているのは名も無い庶民なのです。


人形は一人の女性のいろんな考えや表情を、幾つかに分けて作品にしています。きちんと身支度を整えて表情の振り付けをします。不思議に魂が入って、生きてきます、不思議なものです。人形は無心な状態だと左向き、感情が深くなると右向きとなります。人形の顔が小さいのは、本当の顔の存在は小さいもので、在っても無くてもいいように、人の目に入らないように小さくしてあります。


私の生涯は苦労の多いものでした。女性は苦労の多い生涯に、ただ甘んじただけでは花は咲きません。苦労多いが故に仕合わせを願い、祈る、この努力が花を咲かせ、美しい色彩となり、芸の花をも咲かせるのです。


人間は魂で生きています。肉体は魂が宿る処です。肉体が消滅しても、物(作品)にも魂が宿ります。魂は魂を識る人間に映ずるものです。そして魂同志は互いに引きつける力を持って人々を感動さすのです。
























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