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  風姿紫花人形の宿願



KISEI  YUKARIHANA    MUSEUM  OF  ART  ;



表紙
設立の趣旨 全作品目録 精選作品目録 紫花人形作品目録 編者  






    



私が物心つく頃より創ってきた人形は、決して芸術の類ではありません。ほんの細やかな女学生の手芸としか思われないような、何方にでも其のまま解っていただけるような、 ごく単純な人形で御座います。十センチにも足りない人形に、私は限りない夢と憧れをもち続け、どんな悲しい事がありましても喜びと笑いを忘れた事がありません。貧しい境遇にありましても、 心だけは豊かにありたいと願っていました。其れは人形によって支えられて参りました。其の技は真に拙いものですが、心のありたけを尽くしまして創り上げています。 人形を創る時には、私の目に入っています幼い頃(大正時代)の美しい想い出の場面を一駒一駒想い出しています、想い出は追いすがるように悲しく寂しく思われます。人形は次第に薄 れていく人情や風俗の世界を、哀れにも優しい女性の物語をごく写実的に丁寧にアルバムにでも残していくような気持ちで創っています。 人形には妖しいまでに私の気持ちが其のままに移っていきます。人形によって終始私は私に鞭打たねばならなかったのです。人形を通じまして、 心の中の友達と合い助け励まし合いまして、どんな厳しい世の中にでも「女性の優しさ」だけは守りたいと願っています。私の生き甲斐であります。これからの人生を人形と共に生きて行こうと思っています。
                                    (昭和35年=会談の談話)      
               



人と共に、泣き悲しむ事が出来なくてはなりません。山を観れば山となり、鳥を観れば鳥と啼く。そこには、欲望というものがありません、純粋な魂だけなのです。人のことに、泣き喜ぶ、この事を母から教えられました。その人の身になることが、出来るのです。これは魂の触れあいなのです。だから、自分と関係つけて、喜びや悲しみを共にしたいのです。この感情が「芸」なのです。一葉、鴎外、独歩の作品の中に、このような心が観られます。願いと祈りのある姿こそ、救いになると思われます。


大自然を観ていて、ふと頭の中に自分の過去から未来への想い出が目の前いっぱいに浮かんできます。其処には、いっぱいの夢が自分の手を伸ばした掌の中に観えます。この掌の上に観える「夢の姿」これが人形の寸法です。この寸法で観れば大自然も人形と同じ大きさになります。この寸法より大きくなれば掌には乗りません。 大自然を掌に乗る人形に集約したものです。これが人形の芸となっている秘密です。


文字は心の儘に一筆も息を乱さず、水面に軽く力を入れず、茶釜に柄杓を置く引き柄杓の要領で書きます。文字が上手だと誉められて本当に嬉しいのです。今までにも数人から誉められていますが。文字を書くのに、私以外の不思議な人々 に守られた不思議な力を感じます。だから誉められて、一つ皆様のお役に立てるものが増えたと喜んでいます。 そして本当の私を知って戴き、それぞれの人が水晶玉のような立派な人になって欲しいと願うものです。


文字を書いても手先ではなく肘で書きます。絵を描いても同じです。 毛筆の良さは、字を書いていて、相手と自分との関係が呼び合っています、心が通じている良さがあります。書の中に人間を観るのです。 優れた人の書には思想が現れています。



         





風姿紫花人形は女性の優しく美しい姿を過ぎ去った大正時代の風俗として物語り創作していました。 残影している作者の言葉や映像から優雅で高貴な魂の在りし姿に感銘するものです。


作者の書跡から優雅で知的な品性や人柄が伺えます。文字は筆の末端を軽く持ち紙面に真っ直ぐ手先を動かさず肘で書いていました。文字も人形も作者の感情がそのまま手先から生まれ出る珠玉の作品でした。



掲載の行灯は人形制作の傍らに在りました。

    






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