「これから論文を書く若者のために」
出版後の進行状況

若手研究者のお経
進行状況ホーム


1/31(水) の進歩 山梨大学医学部で講演
あんを動物病院に預け、山梨大学医学部へと向かった。医学部は街中にあるだろうから甲府駅に行けばよいと思っていた。ところが、甲府駅から身延線で 20 分ほどの、常永駅にあることが判明した。常永駅に降り立って吃驚、無人駅であった。周辺の案内看板も無く、どっちに歩いたらいいのかわからない。女子高生 の一団がいたので道を聞いてみると、「山梨大学医学部? 病院のことですか?」との反応であった。後で聞いたところによると、山梨医科大学と山梨大学が三 年ほど前に合併して医学部になったのだという。だから未だに、「山梨大学医学部」では通じないらしい。医学部に到着して、世話をして下さる久保田先生とお 会いした。大隅典子さんと高校の同級生だそうだ。
 6 時に講演が始まった。50 人弱の方が参加して下さった。さすが医学部、医者の格好の白衣の方もたくさんいて、病気になった気分になった。「レポート作成法」の講演のつもりであった が、学生以外の方も多そうだったので、学術論文の話も織り交ぜながら話を進めた。会場にマイクを回して、ベガルタ仙台に関する架空の論文の序論を参加者に 読んで頂いた。「ベガルタ仙台の選手の身体能力の高さの秘密が解明できれば、ベガルタ仙台の継続的強化に役立つ」というものだ。初めて目にする言葉を読む ように、「ベ・ガ・ル・タ」とたどたどしく読む方もいて、ちょっと悲しくなった。さらには、「この論文の狙いは個人的な問題の解決であって、一般性が低いのでは?」と質問 され、喩えようのない衝撃を受けた。
 終了後、久保田先生に夕食をご馳走になってしまった。上品でとても美味しかった。どうもご馳走様でした。そして、いろいろお世話をして下さりありがとう ございました。
 思った通り、風林火山で盛り上がっているね、甲府。

1/30(火) の進歩 注意書きをめぐる、科学者としての良心
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、序論の書き方の説明を書き終えた。「これ論」同様、ベガルタ仙台の強さの秘密を探る架空のレポートを題 材に使っている。「ベガルタ仙台の選手は牛タン定食が好き」ということにして、牛タン定食を食べて身体能力を高めているというものである。とは言っても、 選手が本当に牛タン好きなのかどうかは知らない。以下が、その序論だ。

「ベガルタ仙台は強い。サポーターの熱狂的な声援に支えられて、向かうところそんなには敵無しである。
 (中略)ベガルタ仙台の選手は牛タン定食が好きで、頻繁に食べているらしい(注;本当はどうか知らない)。(中略)ベガルタ仙台が強い理由の一つは、牛 タン定食を食べて超人的身体能力を手にしているからであろうか。
 本研究では、牛タン定食を食べているからベガルタ仙台は強いという仮説の検証を試みる」

牛タン好きかどうかは、「注;本当はどうか知らない」と注意書きをしている。科学に関わる者として、いい加減なことは書けないからだ。私はこれで、科学者 としての責任を果たせたとずっと思っていた。----------------- しかしここ数日、これで良いのかという思いが、霧の中から姿を現しつつある。「注;本当は違う」と書くべきではないか、「ベガルタ仙台は強い」の後ろに。
というわけで、コメントをどうかよろしくお願いします。
「内蔵半額」という看板を出している焼き肉屋があった。絶対に、文面を変えた方が良いと思う。
明日明後日と山梨大学医学部に出張する。レポート作成法の講演をするのだ。次回更新は 2/2 の予定である。

1/29(月) の進歩 敗因は、おもちゃを放置したことであった
今朝のあんは大変だった。午前三時頃に起きてしまい、目はらんらん、鼻は湿り湿り。布団の奥深くに押し込んで寝かしつけようとしても、全然寝てくれない。 布団の中を匍匐前進し私の枕元に到達すると、がじがじふにゃふにゃと遊んでいる。寝る前にちゃんと片付けておけばと後悔した。あんがまたしても枕をかじっ て、蕎麦殻が噴出した状態になっていたのだ(12/30 の進歩参照)。先日ほどには酷くな かったこともあって、そのままにして寝てしまった。しかしこれでは、おもちゃを山ほどあんの鼻先に置いたままにしたようなものである。目覚めると、目の前 のおもちゃに大興奮。蕎麦殻をがじがじ食べ続けるのであった。ようやく寝付いたと思ったら、蕎麦殻はだいたい無くなっていた。わかりやすい子だ。

「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、イントロダクションの書き方の解説を書き進めた。明日には終わると思う。完成したら、タイトル の付け方の章と合わせて読んで貰い、コメントを頂くことにしよう。しかし本来は、もうすでに執筆完了していないといけない時期である。でも、だらだらと (じゃないけど)執筆は続く。暖冬のせいで、だらだらと起きている熊の気分だ。
1/28(日) の進歩 全部決めた
今日も、朝から一日中打ち合わせをした。和室の壁紙等・照明・外壁・玄関扉・玄関タイル・冷暖房の配管位置などを決めた。そしてなんと、夕方には、決める べき事は全部決めてしまった。「今週末に全部決める」と宣言していた通りとなった。相変わらずせっかちな私だ。ふつうは、契約してから 2-3 ヶ月かけて決める。これに対し我が家の場合、契約したのは先週の日曜日。打ち合わせを始めたのも 1/6 である。積水ハウスの払いで昼食を食べたのも二回だけだ(住宅会社と打ち合わせをする と、食事時にはタダで食べさせてくれるのだ)。でも、満足しているから問題ない。

1/27(土) の進歩 「これ論邸」売り出し
とうとう我が家が売り出された。河北新報に、積和不動産東北の広告記事が出ていた。文字だけの小さな広告なので、注意して探さないと見落としてしまう。し かし、家を探している方は注意して探すから大丈夫だ。さらには、積 和 不動産東北の HP にも掲載された。左上の「買いたい物件」をクリックして、「宮城県 --> 太白区」と選んで検索すると、「お問い合わせ番号: 00000830 宮城県仙台市太白区鈎取4丁目」の物件が出てくる。それが我が家だ。2000 年 9 月築の、積水ハウス施工注文住宅である。改修も思い切りして、新築時よりはるかに豪華になっている。私が、「これ論」を書いた家でもある。「これ論」の印 税でローンも払った。「これ論邸」として文化財になるかも。んなわけねーっつーの。3LDK で庭も広い。イオンショッピングセンター(大規模店舗)も近い(徒歩 10 分)。二人暮らしには最高の家と思う。興味をお持ちの方は、か、積和不動産東北にご連絡下さい。

暁子と一緒に積水ハウスに行って、新しい家の打ち合わせをした。和室の窓の位置を変更することにし、それに合わせ、和室内の模様も変えた。さらに それに合わせ、壁紙等を選び直した。壁紙の見本は小さくてイメージが湧かない。けっこう苦労した。頭を使い続け疲れる。夕方、へとへとになって打ち合わせ を終えたのであった。間違いなく、論文書きよりも疲れる作業である。
1/26(金) の進歩 一時間悩んだ
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、イントロダクションの書き方の解説を書き進めている。けっこう快調で、峠を越えた。おまけに、「これ 論:大改訂増補 版」での解説をグレードアップさせることができた(つもり)。「イントロ折り紙」(イントロダクションの骨子を作る秘訣)を新バージョンにしたり、「これ 論:大改訂増補版」には無い説明を書き加えたりしたのだ。
 一つ、悩んだことがあった。「イントロ折り紙」をなんと呼ぶかについてだ。2006.10.16 の進歩に書いたように、新バージョンを「折り紙」と呼ぶのは無理がある。「イントロの骨子の作り方」と素直に呼ぶか。しかし、「イ ントロ折り紙」で検索すると結構かかって、「おお」と思ってしまう。この方達のためにも、名前を残したい。そうか?結 局、「名称の由来については、気にしないか、酒井 (2006) を参照のこと」と注意書きし、「イントロ折り紙」の呼び名のままでいくことにした。執筆をほって、一時間も悩んでしまった。

三年生の竹原君が、研究室見学に来てくれた。朝の 9 時半頃に来るという、うっとりする訪問であった(研究室の学生は、午後にならないと来ない者ばかりなので、「朝の有効利用」に憧れている)。またいつでも 来て下さい。私だけでなく、先輩に話を聞いてみるのもいいよ。
 竹原君は、生協で「これ論」を買って下さるという。「私から著者割りで買うと 2200 円になるよ」と言うと、「悪いから」とのことである。そんなことはありません。書店を通さないので、一冊当たりの利益は確保されているのだ。みなさん、ど うぞ遠慮なく、著者割りを買いに来て下さい。
 美味しい酒を飲んで上機嫌の時間帯に来ると、本棚にある「これ論」を一冊取り出して、「あげるよ」となる可能性もある。しかしこのところ、研究室では めったに酒を飲まないので、この可能性は限りなく低いと思う。

1/25(木) の進歩 これから論文を書く私達のために
三月に愛媛で行われる日本生態学会のプログラムが公開されたので、つらつらと眺めていた。ポスター発表の演題のところで目が止まった。

「Is it an ill community that fouls its own nestedness? ーこれから論文を書く私達のためにー 」

という発表があったのだ。吃驚。そしてウケた。もちろん、論文の書き方関連の発表ではなく、植物の繁殖生態学に関するちゃんとした研究発表と思う。しかし こうやって使われるとは、意表を突かれた。

イタポンの論文セミナー。もうすぐ博士論文発表というのに、偉い。しかし紹介してくれた論文の方は、「それでどうしたのだろう?」と思ってしまう データだった。続いて及川の講座セミナー。質問したのは、中静さんと長田君と私だけ。学生、大人しすぎだ。セミナーは、壁を背中にしてじーっとしている時 間ではないぞ。若者こそ積極的に発言して盛り上げないと。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、序論の書き方の解説を書き始めた。私が一番訴えたい部分である。幸いにして、執筆にも乗ってき た。これは良い兆候だ。
1/24(水) の進歩 一年生の志しの高さに打たれる
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、タイトルの付け方の執筆を進めた。ここ数日うじうじ悩んだので、今日は思い切って書き進めたのだ。おか げで、あと少しで完成しそうだ。
 執筆の参考にするため、レポート作成法の講義(私が担当した)を今年度受講した一年生が提出したアウトラインを送って貰った。アウトラインとは、どうい うタイトル・中身のレポートを書くのかという指針案である。玉石混淆。素晴らしい物もあれば、酷いのもあった。しかも、酷いのが少なくない。一所懸命に講 義をしたし、「本で引用させて下さい」と承諾も取っておいた。だからみんな気合いを入れて、良いレポートがたくさん出てくると思っていた。しかし、悪い例 として引用されることを望む若者がこんなにも多いとは。その志しの高さに、「私の講義、意味があったのか」と黄昏れるのであった。

三年生の宮島君が研究室の見学に来てくれた。またいつでもどうぞ。私だけでなく、先輩に話を聞いてみるのもいいよ。
 三年生へ。私は、1/31-2/1 は出張のため不在の予定である。研究室見学をご検討のあなた、この二日間ははずして頂戴ね。

サガン鳥栖から移籍してきたシュナイダー潤之介は、「高橋ノリヲから正 GK の座を奪った男」として知られる。すごい褒め言葉に聞こえるが、実は全然褒めていない言葉だ。ノリヲ様のファンならわかるであろう。小針からも 正 GK の座を奪うのか、熾烈な争いを期待したい。

1/23(火) の進歩 抜け殻状態
昨日、修論生三人が無事に修論を提出した。今月初めには、博論生二人が博士論文を提出した。合わせて五人の執筆指導を終え、今日の私は抜け殻状態である。 私も、一日くらいは休養が欲しい。というわけで、昼休みにわざわざ、購入した土地を見に行ったりしてしまった。庭に桜を植えたら豪華だと思っていたけれ ど、隣の公園にたくさん植わっていた。これなら、我が家に植える必要もない。でも、目の前にある電柱を目隠しするため、高木を一本植えよう。ブナかカエデ か。
 「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆は、いったいどうなってしまったのであるか。とは言いつつ、悪いタイトルの例を探したりはしてい る。タイトルの付け方の執筆が、どうも滞っているのだ。
みっちーが、博士課程に進学するとのこと。よっしゃ。共に頑張って、明るい研究生活にしょう。修士論文をさっそく投稿しようね。

1/22(月) の進歩 やつれた
論提出締め切り日。しかし、かとぅもみっちーも、考察がまだ全然出来ていない。とりあえず二人の考察を読んで、コメントを付けて返した。語句の修正という よりも、考察で書くべき事の提案で、あと十数時間で締め切りという状 態でのやりとりではない。「これは終わらないな」と内心思うのであった。しかし二人とも頑張って直して持ってくる。それを読んでまたコメントを付けて返 す。こういうことを何度も繰り返しているうちに、なんと、二人とも修論が完成してしまった。世の中、不思議なこともあるもんだ。お疲れ様、よく頑張りました。私も疲れた。 はっきり書いておくけど、や・つ・れ・た・ぞ。

GK シュナイダー潤之介が、サガン鳥栖から完全移籍することになった(ベガルタ OHP より)。良かった。高桑を戦力外にしてしまったので、GK は二人しかいなかった。なんか変だなあと思ってはいたが、ちゃんと三人目を取ったか。
  「ようやくベガルタ仙台に来ることが出来ました、自分の憧れの土地だったので非常に楽しみです。あのスタジアムの大声援の中で早くプレーできたらいいと思 います」というシュナイダーの言葉、みんな聞いたか。みんなで応援に駆けつけてユアテックスタジアム仙台を満員にしよう。でなけりゃ、申し訳が立たない。
積和不動産東北と、自宅の売却依頼契約を結んだ。いよいよ売り出す。今週の土曜日の河北新報に、我が家の売却広告を出すそうである。数に限りがあ るので(先着一名様)、どうかお早めに。
1/21(日) の進歩 契約・打ち合わせ
積水ハウス仙台北支店に 9:30 に行った。支店の駐車場に車を停めたところ、「積水ハウス」の看板を見ながら暁子が、「『積水』っていう名前、どういう意味なんだろう」と疑問を口にし た。確かに、耳慣れない言葉である。営業担当の H さんに意味を聞いてみて、「わかりません」と言われたら、机を叩いて帰るかと話し合った。付記:聞くの忘れた。こういう意味だそうであ る。
 午前中は、設計担当 K さん・営業担当 H さんと、間取り図案について話し合った。二つの図案(A 案・B 案)の内のどちらにするか。私は、7:3 で A 案に傾いていた。暁子は、まったくの五分五分という状況であった。まず、A 案についていろいろ話をした。気に入った点・改良して欲しい点を話していく。それに対して設計担当 K さんが、的確な助言をくれた。さすがプロ、言うことが違うと感心した。そうこうする内に、「A 案についてすっかり話し込んだから」という理由で、A 案を採用することに決定した。ま、A 案がかわゆくなったということである。
 午後は、暁子と私が二手に分かれた。私は、土地の売買契約と建物の建築契約のために別室へと移った。暁子は部屋に残って、コーディネーターと内装等の打 ち合わせをした。
 土地の売買契約は一時間強で終わった。手付け金の 200 万円をお渡しすると、売り手様は、札の数を確認することなく領収証を下さった。なんと剛毅な。かくいう私も、札数を確認することなく、銀行で下ろした札束 をそのままお渡ししたのだ。200 枚もあるもの、いちいち数えられるか。かくして、上杉謙信対武田信玄の合戦のごとく、剛毅と剛毅がぶつかりあう契約となった。
 建築契約は 15 分ほどで済んだ。2/28 着工、5/28 完成の予定である。かなり急いだスケジュールだ。もとより、せっかちな私に異存はない。
 部屋に戻ると、和室の内装の打ち合わせの最中であった。相当お洒落な和室に仕上がりそうだ。私も話しに加わり、各部屋の壁紙・天井紙等を決めていった。 クリナップの展示場に行って、台所周りも決めた。

7 時過ぎに帰宅。心底疲れた。メールを読むのを逃避して、図案を眺めたりして過ごした。入浴後にようやくメールを開いた。みっちー・かとぅから、原稿が送ら れてきていた。みっちーの修論の結果の章にコメントを付けて返送。そこで力尽きた。後は明日だ。って、明日が提出締め切りだけど、良いのか。明 日になって みないとわからない。
1/20(土) の進歩 修論提出締め切り二日前
修論提出締め切りまであと二日となった。明日は、積水ハウスと一日中打ち合わせをするので、今日中にめどを付けておきたい。しかし、明暗があまりにもくっ きりと分かれる展開となった。
 ちの:朝、ほんの少々の修正書き込みをした原稿を返した。これを直せば無事に完成だ。午後には楽々と完成し、「お疲れ様でしたーー」と早々に帰っていっ たのであった。下の二人とはあまりに違う。二人から見ると、春のように爽やかで、太陽のように眩しいに違いない。
 かとぅ:徹夜した模様だ。さもあらん。考察の章を私は、まだ一度も見ていないのだ。今日にしてようやく出来上がった考察の初稿に目を通し、コメントを付 けた返した。
 みっちー:残るは考察の章である。考察にコメントを付けて返した。
 夕方、「原稿をメールで送って」と言い残して、私は帰宅したのであった。

 昼に、暁子が帰ってきた。修論読みをする私と一緒に研究室に来て、暁子も仕事をした。ただしその前に、積水ハウスが作ってくれた、間取りの図案 を見ていろいろ話し合った。二つの案があり、どちらを採用するか明日の話し合いまでに決めておく必要があったのだ。それぞれの案に良い点・気になる点があ り、なかなか決められない。結局、明日の話し合いの場で、行き当たりばったりに決めることになった。
 図案について話し合ってから修論を読み出したけれど、順番は特に間違っていないと思う。

1/19(金) の進歩 「これ論」邸の売却準備
朝、積和不動産東北の方が自宅に来た。自宅をいよいよ売り出すことになったのだ。本当に良いのかという一片の思いは残っている。でも残りの 99 片は、「良いのだ」である。豪華でお洒落な家なので、売ってしまうのはもったいない。しかし売らないと、新居購入のローンが大変である。涙を飲んで売りに 出そう。
 去年は、「これ論:大改訂増補版」の印税が入ったことに気をよくし、自宅の改修をたくさんした。洗面所・台所・ウッドデッキ・日よけ・玄関周り
。住み替えるつもりはなかったので、豪華にやってしまったのだ。こうした最近の改修代は、売却価格に入れて良いそうだ。ほっとした。でないと、まるで無駄 金になるところだった。改修でぐっとお洒落度が増したので、買い手様にとっても良いことに違いない。
 カーテン・エアコン・ストーブはもちろんのこと、照明も持って行って良いのだという。それは大助かりだ。いずれも、暁子が選んだお洒落な照明である。根 こそぎ持って行って、新居に付けることにしよう。しかし、付け替えるタイミングを間違えると、新居か旧居のどちらかでロウソク生活になる危険がある。

明日までに完成させるようにという恐喝が効いたのか、三人とも原稿を持ってきた。それぞれにコメント。疲れた。だれが最初に完成させるのか賭けた いくらい、熾烈な争いを展開している。倍率:ちの 4 倍 かとぅ 7 倍 みっちー 8 倍。

1/18(木) の進歩 自慢の卒業生
小林健志(「たけし」と私は呼んでいる)といえ ば、今や、サッカー界の名うてのフリーライターとして知られている。実を言うとと、もう何回書いたことかたけしは、私の研 究室の学生であった。つまり自慢の卒業生だ。そのたけしが、とろっと宮城で紹介されてい る。「研究室の助教授がサッ カー好きで、ブランメルを応援していたんですよ」の「助教授」は私のこと。たけしは、私の研究室の卒業生として唯一、卒業論文をちゃんと書いた(文章化し た)学生である。確かに文章が上手かった。フリーライターとなったのも大いに納得である。卒業論文の執筆指導をまったくしなかったことも、今となっては良い思い出だ(ご めんよー)。キミとキミ、卒論書いてくれてもよいぞ。ブランメル仙台(現ベガルタ仙台)の試合をたけしと初めて一緒に見に 行ったのは、仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)が完成した年だった。みんなで見に行く約束だったのに一人だけすっぽかした人がいて、今となってはますます悪い思い出である(嘘だっ て。四月以降のポスト決まった?)。

ちのの修論のイントロにコメントした。もうほとんど完成だ。残るは考察の章だ。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の「タイトルの付け方」の章の執筆に苦しんだ。東北大の一年生が提出したレポートのタイトルを紹介 しようと思うのだけれど、都合の良い例がなかなか見つからない。とくに、「ほどよく駄目」な例が少ない。「まったく駄目」な例はたくさんあるのだけれど。 思うように執筆が進まず、なんかやつれてきた。今月中に完成なんて不可能である。早くて二月中に完成か。
1/17 (水) の進歩 一生のことなので
修論書きに没頭しても気分転換に没頭しても、修論提出の締め切りは来週の月曜日 (22 日) である。つまりあと五日だ。さらには、私は、日曜日 (21 日) は研究室に来ない。積水ハウスで一日中打ち合わせをするのだ。だから、土曜日 (20 日)には完成させる心づもりで取り組んで欲しい。「そんな」と思ってはいけない。何しろ、今度の家は一生住むものである。一生のことなのだから修 論は毎年のことだし、打ち合わせに真剣に臨みたいのだ。土曜日こそ初滑りに行きたいとも思ったが、さすがに二日連続休んでは、「これからレポート卒論を書く若者のために」の執筆に差し障るので断念すること にしよう。

みっちーの修論のイントロと材料と方法にコメントした。説得力がだいぶ増してきたと思う。もう一息、頑張ってくれ。ちのとかとぅの、修論発表会用 の講演要旨にもコメン トした。こちらは適当で良い。それよりも本文に時間を注ぐべし。
不二家が消費期限切れの材料を使っていたことが問題になっている。確かに問題ではあるけど、1 日や 2 日くらい、大したこと無いだろう。げんに、食中毒になったという話はないし。ちなみに私は今朝も、賞味期限を 5 日過ぎた卵を食べてきた。気づくと、けっこうな数の卵が期限切れで、毎日せっせと食べているのだ。噂では、賞味期限を 5 年以上過ぎた「鍋つゆの元」を使い、鍋を美味しく頂いたグループもあるという。「鍋つゆの元」を提供した人は、余計な心配をさせないようにと、賞味期限の ラベルを剥がすという気遣いを見せたという。世の中、それで良いのだ。

「これからレポート・卒論を書く若者のために」の「タイトルの付け方」の章の執筆に取り組んでいる。「これ論」に書いたことをかなり流用できるけ れど、投稿論文とレポート・卒論では違う面もある。それとレポート・卒論の場合は、「タイトルを付けなさい」という所から書かないといけないのだ。「大学 生のための情報検索術」の 2005 年提出のレポートで、タイトルが無い物が三つもあったことは衝撃であった。そんなことから教えないといけないのかと、呆れたもんだ。生物学科三年生のレ ポートでも、「○○実習レポート」とだけ書いてあるものもあった。これでは、タイトルが無いのと同じである。
1/16 (火) の進歩 永井 篤志獲得
ようやくにして、日本人即戦力の獲得発表だ。ベガルタ仙台が、モンテディオ山形の MF 永井 篤志を獲得した(ベガルタオフィシャ ルページより)。「年齢も年齢なので、最後のサッカー人生をかけて」と、挨拶文がいきなり暗い。永井は、1995 年に福岡ブルックス(現アビスパ福岡)に入り、1998 年シーズン途中に福岡を退団した。その後、サンフレッチェ広島を経て、2000 年に山形に入団。以降、山形の攻撃の核として活躍してきた選手だ。「アビスパ退団後、一時期行方不明(家族とも音信不通)になるが」(Wikipedia より)で、早くも私の心を鷲づかみである。
  ひょっとして、山形から仙台への移籍は史上初か?  激しいライバル関係にある両者なので、選手の移籍も無かった。仙台の小原・財前が山形へと移籍したのが、初の人事交流である。今度はついに、逆方向の移籍 が実現したか。

チームも始動したようである(サンスポよ り)。17 選手が自主練習を開始したそうだ。本格始動は 22 日とのこと。それまでにもう何人か、移籍がまとまるのか?

竹中さんにも、「これからレポート・卒論を書く若者のために」の第二部前半へのコメントを頂いた。さっそく改訂に取り組んだ。どうもありがとうご ざいます。
1/15 (月) の進歩 研究室紹介
院生会主催の、三年生のための研究室紹介があったようだ。先輩が研究室の紹介をして、三年生が所属先を決める参考にして貰うのだ。植物生態の三つの研究室 (中静研・酒井研・彦坂研)の紹介を、ひじり(私の研究室の四年生)が一人でやったらしい。「誰も来なくても俺にせいにしないで下さい」と言っていたが、 そうは問屋が卸さない。もしも誰も来てくれなかったら、四年生を二回やって貰いまひょか、旦那。
不正確には朝一番に、正確には朝二番に、みっちーの修論の残りの部分を読んだ。昨日の日記を書くことは朝食を摂るようなもので、仕事に入る前に済 ませることなのだ。だから、修論を読む前に日記を書いたとしても、まったく問題とならない。
友蔵に、「これからレポート・卒論を書く若者のために」の第二部前半へのコメントを貰った。さっそく改訂に取り組んだ。どうもありがとう。
1/14 (日) の進歩 あんと一緒に論文読み
平常通りに研究室に来た。ただし、あんを連れてきた点が平常とは違う。あんを連れてくるのは久しぶりだ。机の上には、みっちーの修論が置かれていた。昨日 の帰りに預かったちの・かとぅの原稿もある。頑張って今日中に、三つとも読みたい。あんの様子を見ながら原稿を読み進める。あんは、部屋中を遊び回って大 変であった。紐に繋ぐと紐を囓り出す。こうやって一本、紐を切ってしまったのだ。廊下に人の気配がすると、けたたましく吠え出す。そうだった、だから研究 室に連れて来ていなかったんだと思い出した。それでも何とか原稿読みを進め、かとぅ・ちののを読み終えた。続いてみっちーのを読み出した。しかし、頭を使 い続けたせいか、疲れがたまって気力が萎えてきた。材料と方法の章まで読んで、今日は帰ることにした。
素直にまっすぐ帰れば説得力もあったであろう。しかしついつい、TOTO とタカラのショールームに寄って、台所・風呂・洗面化粧台を調査してしまった。TOTO はお洒落だった。でも高い。希望価格 300 万円を超える台所って、新築時に購入するといくらになるのだろう?  これに対してタカラは安かった。しかしダサい。タカラは考慮の外だ。

夜、土地の購入交渉がまとまった。売り手様と私の希望額の間を取るという交渉が続き、1225 万円でまとまった。「5 万円」は、売り手様がこれで最後のつもりで「1230 万円」と提示したのに対し、「1220 万円」と私がせこく答えた結果である。93.3 坪で東南角地という、首都圏とかに住んでいる方からは驚くべき物件だ。でも、仙台郊外の大規模宅地開発地は、これくらいの相場である(場所によってはもっ と安い)。逆に言うと、こういう条件の所に移り住めるからこそ、住み替えを決意したのだ。初夏には、泉ビレジの住人になっているであろう。

1/13 (土) の進歩 積水ハウスに決めた
朝から、積水ハウスと打ち合わせをした。昨夕届けて貰った間取り案を元に、いろいろ話し合ったのだ。和室に燃える暁子にターゲットを絞った案で、書院造り のお洒落な和室に、前室まで付いている。和室に入る廊下部分が、玉砂利を敷き詰めて踏み石を置いた作りになっているのだ。いやーー、あまりのお洒落さにし びれた。あんが玉砂利を食べてしまうことは、火を見るよりも明らかで あるが。「明るい家に」という私の要望で、窓の付け方も豪華であった。吹き抜けの天井には明かり取りの窓。居間の南側・東側にも大きな窓が配置され、燦々 たる陽光が差し込む。吹き抜けの雰囲気も抜群だ。吹き抜け沿いに二階の廊下が走っていて、一階から見上げるととてもお洒落である。ともかく素晴らしい案 だった。で、「別の案にして下さい」と頼んだのであった。注;居間と 食堂が一続きになっていないのが難点であった。居間・食堂・台所が一続きの、広々とした空間にしたいのだ。
 打ち合わせのあと、購入予定の土地を見に行った。まだ二時過ぎというのに、南西側が向かいの家の陰になっていた。東側は一面、燦々と陽があたっていた。 東側に駐車場を作るつもりであったが、南西側に作っても良いのではないか。そうすれば、東側一面を庭に出来る。積水ハウスに電話して相談したところ、「日 陰だと雪が残りやすいので、南西側を駐車場にしない方が良いのでは?」という話であった。そういう意図か。しかし私は、雪などまったく気にしない。南西を 駐車場にする案と、東を駐車場にする案の二つを作って貰うことにした。
 現地で、もう一つ確認したかったことがある。二階から泉ヶ岳が見えるだろうかということだ。北西方面に泉ヶ岳があり、室内から見えると嬉しい。しかし、 地面からは見えない。隣の公園にちょっとした小山(建物の二階よりは高さが低い)があったので登ってみた。すると、泉ヶ岳が見えた。隣家との位置関係が問 題とはなるが、二階から見える可能性が高まった。これは嬉しい。二階の北側の眺めが楽しくなるかもしれない。
ミサワホームには断りを入れた。担当の S さんにはとても親切にしていただき、心苦しかった。S さん、どうもすみませんでした。建てる家は一軒。どちらかは断らないといけない。二軒目を建てる私が言っても、どこかしら説得力ないか。
三時頃、研究室にやってきた。さっそくちのが、修論の考察の章の相談に来た。相談を終えた後、序論を読んでコメントを付けた。朝から打ち合わせで 今日は疲れた。かとぅも今日中にコメントを欲しそうにしていたけれど、もう帰っちゃうのであった。合掌。明日読むから。
 付記;いい加減に明日、初滑りに行こうかとも思っていた。しかし、そういう雰囲気ではないみたいである。

1/12 (金) の進歩 移籍話は?
各 J リーグクラブは、活発に選手を獲得している。今月末には始動するので、今が移籍まっさかりなのだ。ところが我がベガルタ仙台は、今年になってとんと獲得話 がない。ブラジル人と新卒日本人を除くと、田ノ上(横浜 M を戦力外となった)の獲得が昨年末に発表されただけである。経営に失敗して、来季に向けての補強費用がないという噂は本当であったのか? しかしやはり、 日本人即戦力の補強は必要だろう。たとえば左サイドバック(村上を戦力外にしてしまった)。磯崎一枚で戦う気か?

ちのの修論のイントロダクションを読んで、構成に関する意見を述べた。1)  装飾的な花の説明、 2) 本当に誘因に効いているのかという問題提起、3) コストもかかるわけだし、それに見合う誘因効果がないといけないという追い打ち、4) 装飾花の効果は、花序の齢に応じて変わる可能性もあるという着眼、5) 本研究ではこれこれを調べると宣言。こういう構成ですっきりではないか。
 続いて、みっちーとデータ解析の相談をした。データの提示は単純なものが一番だ。あまりひねくり回すと、余計な仮定を取り込んでしまうことになりかねな い。この点、考慮しようね。

暁子がさっそく、「これからレポート・卒論を書く若者のために」の第二部の前半へのコメントをくれた。仮説検証型の研究を全面に出し過ぎていると いう指摘であった。確かにそうだ。帰納的方法の重要性も書くことにした。
1/11 (木) の進歩 計画を根本から見直すべきか?
友蔵から、衝撃の事実がもたらされた。1/1 の進歩に書いた、お出かけベスト 10 についてである。六位に入っている「まる讃」は、泉区ではなく青葉区であるという。ーーーーーーーーーーー! 青葉区の端っこ、道路を渡ると泉区というぎりぎりの位置にあったのだ。これはつまり、泉区と青葉区が四カ所ずつで並ぶということではないか! 私は、泉区 に引っ越すべき理由を失った。イズミクノユキハシロ。頑張れ泉区。四カ所対四カ所でまだ並んでいる。負けた訳ではない。泉区越冬隊基地よ り。泉区への移転計画はかなり具体化しているというのに、私はいかにすべきや。

*これで引っ越しを取りやめたら、筋金入りの ウケ狙いとして記憶に残るであろう。
生物学科三年生の、小泉君と岩嵜君が研究室見学に来てくれた。折良く月始め談話会の日であったので、二人を交えて談話会をした。先輩達は、自分の 研究を二人にわかって貰おうと、一所懸命説明してくれた。会が終わってからは、みなでお茶を飲みながら、研究室選びの話とかをした。岩嵜君・小泉君、また いつでも見学に来て下さい。先輩を掴まえて、研究の話をとことん聞いてみるのもいいと思うよ。
 というわけで月初め談話会。修論・博論の時期なので、「論文書きをする」で終わってしまう所であった。しかし、三年生が来てくれたので、研究紹介を兼ね て盛り上がった。

今日は鏡開きだ。去年の轍を踏まないように(2006/1/15 の進歩参照)、偽 装の疑いのまったく無い鏡餅を買っておいた。お汁粉にして暖まろう。

「これからレポート・卒論を書く若者のために」の第二部の前半を完成させ、竹中さん・暁子・友蔵に送った。コメント、どうかよろしくお願いしま す。
1/10 (水) の進歩 自分は有頂天で、人には大掃除などに励まさせる気であるか
ベガルタ仙台から川崎フロンターレに移籍した村上の、移籍報告の書き込みを読んだ(このページの KAZUSをクリック)。昨年の 12/28 の書き込みである。

「本当に仙台で俺のことを応援してくださったみなさんに感謝しています!(中略) 今回の移籍は自分にとって最高の環境へチャレンジできる、大きな転機になりました! 自分がサッカー選手としてどれだけやれるのか、また気持ちを新たに死 に物狂いでやりたいと思います。(中略)仙台での6年間は俺にとってサッカー選手としても一人の人間としても成長させてもらっ たし、間違いなくこれからの人生の財産になった!(中略)フロンターレは長い時間をかけて作り上げたチームだし、かなりのスタイルが確立されているから、 そこに割って入っていくのは本当に大変なことだとは思うけ ど、それも挑戦!自分の選んだ道だから!」

喜びと感謝と決意に溢れている。そして締め括りの私たちへの言葉。

「では、これからは大掃除などに皆さん励んでください!

余計なお世話だ(太字は私)。「これからは」ってなんだ。

かとぅが修論の原稿を送ってきた。イントロから結果の章までだ。前にも書いたけれど英語が上手い。読むのにストレスを感じなくて大助かりである。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、「文献検索・実験・調査の進め方」の章と「構想の練り方」の章を完成させた。残るは、---- --- いっぱいある。しかしまだ、今月下旬までの完成は諦めないことにしよう。そういえば、修論の提出締め切りは 1/22 である。修論生と競争だ。間に合わせた方を勝ちとする。私の原稿が間に合わなかった場合は「しょうがないねえ」であるが、修論が間に合わなかったら人生が 狂うという違いがある。
1/9 (火) の進歩 お疲れさま
イタポンも、博士論文を無事に完成させた。よく頑張った。お疲れ様でした。
 といいつつ今日は、生態学会の講演要旨の締め切り日である。イタポンは、博士論文を仕上げながら講演要旨を書くという苦労、みっちーも講演要旨を書い た。二人の講演要旨にもコメントした。
 ちのが、修士論文の「材料と方法」「結果」の章を持ってきてくれた。さっそく読み出す。
 なんか、読んでばかりで疲れた。やつれてきた。気のせいか、胸も息苦しい。風邪ぎみなのかも。博士論文の打ち上げは、発表が無事に終わった時ということ で。今日は帰るのだ。

昨夜のあん。15 cm  四方ほどの大きさのタオル(何日ものあいだ噛んで遊んだため、この大きさに縮小していた)を、がじがじ囓っているなと思った。しばらくして様子を見ると、 タオルが無くなっていた。部屋中を捜索をしても見あたらない。あんの口とお腹を見ながら、「全部食べてしまったの?」と呆れた。大丈夫かね。
 明け方、あんが突然ふとんから這い出した。床に降りようとするので阻止し(粗相をされては大変)、トイレへと連れて行った。しかししない。布団に戻って しばらくすると、またしても這い出そうとする。ぐいと押さえつけて布団に戻した。しかしすぐに、「ふぃーーん」と泣きながら外に出た。そして、「おえっ、 おえっ、おえっ」と吐いた。タオルを丸ごと食べるからだ。

「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、「文献検索・実験・調査の進め方」の章と「構想の練り方」の章を書いている。気づくと、仮説検 証型の研究を激しく勧めたものになっている。ちょっと行き過ぎという気もするが、仮説検証型の世界に触れて衝撃を受けるのも良かろう。
1/8 (月) の進歩 博論生との二日目
今日も、平常通りに研究室に来た。イタポンの原稿が机に上に乗っていたので、さっそく読んでコメントを返した。説得力がぐっと上がっていると思う。夕方に 改訂稿を持ってきてくれたので、すかさず読んでコメント返しだ。明日には完成するであろう。
 何の因果か、生態学会の講演要旨も明日が締め切りである。みなさん、こちらも忘れずに。

ベガルタ仙台の期待の若手選手である菅井のブログを見つけた。「これからレポート・卒論を書く若者のために」で、例文にさんざん登場している選手 である。村上の日記と違って突っ込みどころが無いなと思っていたら、そうではなかった。「僕は今、萩原選手と二人で(中略)過ごしています!これから鍋を 食べに行ってきます!」という、ありきたりの日常に思える書き込み。しかし、タイトルは「メリークリスマス」で、「僕は今、萩原選手と二人でクリスマスを過ごしています!これから鍋を食べに行ってきます!」と いう書き込みなのだ(この日の書き込 み;太字は私)。「一年に一度のクリスマスを素敵なものにしてください…それではメリークリスマス!!」と続く文に、思わず、「『寂しい』って知って る?」と問いかけたくなる。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、「テーマの決め方」の章を書き終えた。「甘ったれるな」で済ませては商売にならない(昨日の進 歩参照)。食事処のお品書きを開いてみたら、「甘ったれるな」と書い てあったら客がむっとするのと同じである(それ以上に、意味のわからない品書きである)。ちゃんと書こうということで、テーマの条件は、1) 学術的な問題であること、2) あなた自身が面白いと思っていること、3) 解答できる問題であることの三つだと説明しておいた。

1/7 (日) の進歩 博論生との一日
朝早くから、イタポンとモリナガ(二人とも博士論文生)が研究室に来ている。さもあらん。博士論文の提出締め切りは 9 日なのだ。私も休日出勤して、二人が原稿を見せに来るのを待っている。去年までの私ならば、構わずにスキーに行ったであろう。しかし、外は大荒れだし、ス キー熱も冷め気味だ。今年の博論生はついているわ。
 休日だし、研究室にあんを連れて来たかった。しかしモリナガが、私の部屋で博論執筆中である。ぎゃんぎゃん吠えまくる子がいては、気が散って執筆が進ま ない。あんと過ごす楽しさとモリナガへの迷惑を比べるならば、前者を大事にしたい。しかし、あんがいる気苦労(私自身の)が大きなマイナスとなり、結局連 れて来なかったのであった。
 私の気遣い(したのか?)のおかげで、モリナガの博士論文は無事に完成した。おめでとう。とりあえずはお疲れ様でした。

積水ハウスでは、新築一戸建てを 2007 万円という超特価で売り出すという新春企画をしている。7 万円という端数が出ているけれど、利益をぎりぎりに切り詰めるなどの苦労の結果であろう。そう思っていたら、「2007 年にちなんで 2007 万円にしました」と言われた。なんと、ちっとも気づかなかった。言われてみると、何で気づかなかったのか神秘である。「去年の新春売り出しは 2006 万円で、1 万円お得でしたか」と、動揺あらわに突っ込んでみたのであった。

「これからレポート・卒論を書く若者のために」の、「テーマの決め方」の章を書いている。良いテーマを見つける方法の説明だ。「そんなのあったら 苦労しない、甘ったれるな」と一言で済ませたい。
1/6 (土) の進歩 年間チケット売り出し
ベガルタ仙台の年間チケットが売り出された(ここ)。ホームゲーム 24 試合を、18.5 試合分の値段で観戦できるという超お得な物である。試合ごとにチケットを買うという煩わしさからも解放される。みんなで買って、ベガルタ仙台の J1 復帰を後押ししよう!

DVD を借りてきて、「ゴール」を見た。FIFA 公認のサッカー映画だ。メキシコ系のアメリカ青年が、イングランドのニューキャッスルに入って活躍するまでを描いている。面白かった。それと、本場のサ ポーターにしびれた。「ここでは、フットボールは宗教だ」って、なんとかっこいいことだろう。しかし主人公、足元ばかり見て、全然周りを見ていないな。

積水ハウス営業担当の H さんと建築士の K さんにお会いして、打ち合わせをした。こちらの希望を述べて、それに合う建築案を出して貰うのだ。色々話し合ったけれど、さすがプロの建築士と感心した。 私のような素人とは、目の付け所が違った。どんな案を出してくれるのか楽しみだ。
 今の家をさんざん改修したので、積水ハウス仙台リフォームセンターの T さんと親しくなっている。営業担当 H さんの上司の S さんは、T さんの元部下であるという。おう、何か強気になれる。六年間で二回も新築する客はそうそういまい。サービス期待しちゃう。
 とはいっても、積水ハウスに決めたわけではない。ミサワホームとも相談しているのだ。ミサワの建築案は実にお洒落であった。積水ハウスに心が傾いている ことは確かではある。しかしもう一押し欲しい所だ。建築案の魅力と価格の安さと、「こ れ論」 「これからレポート・卒論を書く若者のために」の売り上げが決め手となるだろう。

1/5 (金) の進歩 銭や
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆を再開した。いよいよ、第二部「レポート・卒論の書き方」の執筆に本格的に取り組んだ。ここが、本書 の核となる部分である。理系・文系と、読者対象はあまりに広い。うまく書けるかどうか、ちょっと心配している。
 しかし私は頑張る。今までとは気迫が違う。住み替えを決意したので、印税を家計の足しにしなくてはいけないのだ!  原稿を、「銭やっ」という意気込みで睨んでいる。

モリナガの博士論文にコメントした。総合イントロ・第一章も完成だ。あとは総合考察を残すのみである。
1/4 (木) の進歩 仕事再開
仕事をばりばりと再開した。正月休み中に送って貰っていた原稿を次々と読んでコメントを付けたのだ。まずは、休み中の日記をまとめ書き(と、いきなりずら す)。次に、イタポンの博士論文の第二章にコメントした。次いで、モリナガの博士論文の第一章と総合イントロにコメントだ。そして、ちのの修論のイントロ にコメントし、最後に、みっちーの修論のイントロにもコメントした。おまけとして、土 松の生態学会講演要旨にコメントした。
 今日中に全部できるとは思わなかった。おかげで、正月気分を延長することができる。「これからレポート・卒論を書く若者のために」の原稿 執筆はどうした?
 原稿を読むことよりも先に、日記の執筆に取り組んだことにわだかまりを感じた方へ。結果として、今日中に全部読んだのだから良かったではないか。そもそ も、日記を後回しにすることは私には無理であった。気になることは先に済ませておかないと何も出来ない性分なのだ。原稿読みは気にならなかったということになるが、なんというか、上手く説明でき ないので、済んだことは忘れておくれ。

ベガルタ仙台の梁と萬代の残留が決まった。二人のうちのどちらかが移籍するという噂があっただけに、ほっとしている。非戦力外通告組で移籍したの は清水だけか。出場機会を求めて、サガン鳥栖に移籍したのだ。清水がいなくなるというのは、「移籍した」というより、「NASA に連れ去られた」という方が私としてはぴったり来る(注;走る姿が、宇宙人を連想させる)。ともかくも、鳥栖での健闘を祈らない(昇格のライバルでの活躍 を祈るはずがない)。
 毎年のことではあるが、仙台の選手が移籍することは少ない。大体の選手が、仙台との契約を続けてくれるのである。嬉しい反面、引き抜かれるような選手が いないのかと少し心配になる。
1/3 (水) の進歩 正月がもう終わってしまった
スキーに行こうかとも思ったけれど、その気になれずにあっさり取りやめた。暖冬でスキーという感じがしないし、スキー熱がかなり冷めてしまってもいる。

DVD を借りてきて、「トリック」を見た。暁子が見たいと言ったのだ。私は、「ザ・リング」の類かと思い、「見たくない」と抵抗した(私は、怖い映画は嫌い)。 しかし勘違いで、コメディーだという。「いくら私でも、正月そうそうリングなんて見ない」と暁子は言っていた。
夕方、暁子は横浜に帰って行った。もう、正月が終わっちゃった。4, 5 日と正月気分で過ごせばすぐに三連休という意見もある。でもそうしたら、博論生・修論生がとても悲しむと思うの。

1/2 (火) の進歩 もう秘密ではない打ち合わせ
暁子と一緒に、住宅展示場を見て回ることにした。「豪華住宅展示場を 1200 万円でお譲りします」とか、「新春特別価格」とかいったチラシが入っていて、住宅も初売りをしているのかと感心したのだ。仙台駅前の住宅展示場でちょこっ と調査をし、泉パークタウンの住宅展示場に行った。我が家は積水ハウスで、建物は大いに気に入っている。だからやはり、新しい家も積水ハウスにという思い はある。それと、人生で一回の買い物を二回もする(しかも六年間のうちに)というあほ上客ならば、積水ハウスも頑張って割り引きしてく れるかもしれない。積水ハウスでいろいろと話を聞いている内にすっかり満腹(気持ちが)し、他の住宅会社を回るのは止めてしまった。

今夜もお節料理。お節料理って甘い。かなり辟易してきた。本に書いてある量の 7 割の砂糖にしたというのに、まだ甘い。来年は 3-5 割にするか。

1/1 (月) の進歩 明けましておめでとうございます。そして重大決意
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年は、原稿を書き上げれば、「これからレポート・ 卒論を書く若者のために」を出版する予定です。「これ論」ともども、どうかご愛顧下さい。
重大決意をした。とは何や。
 私が出かける場所を、頻度の順番に並べてみた(スーパー等の、日常品を買う店を除く)。

1 位. 研究室(仙台市青葉区)
2 位. ユアテックスタジアム仙台(仙台市泉区)
3 位. 仙台駅(仙台市青葉区)
4 位. ヨネヤマプランテーション(園芸店;仙台市泉区)
5 位. ペットエコ仙台(ペット店;仙台市泉区)
6 位. まる讃(讃岐うどんの店;仙台市泉区)
7 位. 陸女寿司(仙台市泉区)
8 位. ザ・モール長町(大規模店舗;仙台市太白区)
9 位. 山形蔵王スキー場(山形県)
10 位. 一番町(仙台の繁華街;仙台市青葉区)

ベスト 10 の内、実に五カ所を泉区が占める。ついで青葉区の三カ所である。太白区は一カ所しかない。仙台市は北から、泉区・青葉区・太白区と並んでいる(この他に、 宮城野区・若林区がある)。それでもって、我が家は太白区にある。だから、泉区に出かけるたびに「遠いなあ」と思っていた。太白区に住みながら、生活の 拠点は泉区にあるのだ。

遠ければ 近くにしよう お出かけ場

泉区にあるお出かけ場を我が家の近くに移転させることは現実的ではない。我が家が泉区に引っ越すしかあるまい。さらには、西南西向きに我 が家は建っていて朝日の入りが遅い。朝日が大好きな私は、一生住むのは辛いと思っていた。これがホントの理由。よっ て、住み替えを決意した。この日記で「秘密調査」とあったのは、土地を探していたのだ。
 2000 年に新築したというのに、なんてことを考えるのか。我ながら呆れる。しかし物は考えようだ。私は、新築したばかりというのに、しばしば改修をした。その延長線上として捉え、丸ごと改修すると思えば良いではないか。良 くないか。
 というわけで、またしてもローンに苦しむことになりそうです。ちっとも同情を買わ ない気もしますが、「これ論」「これからレポート・卒論を書く若者のために」をお買い上げ下さり、どうか家計を支えて下さい。