「これから論文を書く若者のために」
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10/31 (火) の進歩 ロペスを残す?
早くも、来季の外国人をどうするか思案が始まっているらしい(サンスポよ り)。ロペスを残して、ボルジェスとチアゴネーヴィスは放出するとか。ボルジェス放出は金目当てであろう。来季の補強資金が無いという噂なので、高く売っ て資金を作る算段に違いない。三億円で買ったボルジェスをいくらで売るのか。あほフロントよ、あほな商売はするなよ。チアゴネーヴィスの放出は当然だろ う。役に立たないもん。問題はロペスだ。私は、ロペスも切るべしと思っている。彼がいると、全員攻撃全員守備のサッカーが出来ないのだ。攻撃時に献身的動 きをするわけでもないし、守備はもちろんしない。ロペスのせいで攻撃が滞り、しょうがないからロペスにボールを預けるという悪循環である。「全体の中の一 つの駒」として働いてくれる選手を取るべきではないか。
 それにしても、「来季は“2FW+1ボランチ”」とはよく言ったもんだ(今季の外国人選手は、FW と攻撃的 MF を揃えた)。攻守の要であった、ボランチのシルビーニョを放出したのは君たちではないか。シルビーニョは仙台でプレーすることを望んでいた。なのに、かの 三人を取るために追い出してしまったのだ。腹立つ。ついでに言うと、佐藤寿人も仙台に残りたがっていたぞ。
今日も一日、「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆に取り組んだ。テンの打ち方・語順の替え方についての解説を書き進めている。図 を Word の文書ファイル中に取り込もうとしているのだけれど、Word がアホで憤然である。なんで、とんでもない所にコピーされるのか?  なんで、近くにある文章を削除すると一緒に消えるのか? PowerPoint にも相変わらず憤然とさせられる。作図ソフトとしては最低だろう。AppleWorks の素晴らしさを少しは見習って欲しい物だ。

10/30 (月) の進歩 承諾率 93.7 %
先週の金曜日の「レポート作成法」の講義で、今年の受講生にレポート引用の承諾書を配った。「 「これからレポート・卒論を書く若者のために」で引用するかもしれないけれど承諾してくれる?」と聞いたのだ。あとあとのことを考え、まとめて承諾を願っ ておいた方が良いと思ったのである。その結果、79 人中 74 人の方が引用を承諾してくれた。承諾率 93.7 % である。承諾率 70 % か 100 % のどちらかであろうというやや不可思議な予想を立てていたので、予想は外れた。でも、74 人もの方が承諾してくれた。講義では、悪いレポートの例をばしばし紹介したので、警戒されるかと思っていた。みなさん、どうもありがとう。頑張って、良い レポートを書いておくれ。ついでにお願いであるが、悪いレポートも書いてくれると嬉しい。やはり、悪い例も紹介しないと、問題点が見えにくいのだ。
 方や、昨年度と昨昨年度にレポートを提出した学生からの引用承諾は難航している。予想していたことではあるが、返信が非常に少ない。困った。みなさんど うか、返信して下さい。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆を進めている。レポートの引用承諾がどうなるかわからないので、引用無用の部分から書くこと にした。まずは、わかりやすい文章技術の解説の章である。わずかながら形が見えてきて元気が湧いた。
ぶっちーと、卒業研究中間発表の相談をした。面白いテーマだと思う。それと深い。調べるべき事がたくさんありそうだ。中間発表では、解決したい問 題と、その解決のためにどういう方向に研究を進めていくのかを明確にするようにしよう。
10/29 (日) の進歩 紅葉を見に行く
天気が良いので、蔵王に紅葉を見に行った。ところが、山の中腹あたりまですでに落葉していた。でも気持ちが良いので、葉の落ちたドッコ沼を散策した。他に も何人か散策している人がいた。「紅葉が見られると思っていた間抜けが他にもいるよ」と囁きながら歩いたのであった。山を 下りて、東雲という店で蕎麦を食べた。「百なんとか」という特別の手打ち麺だそうだ。旨かった。この「百」蕎麦同様、東北ハンドレッド(ベガルタ仙台の運 営会社)にも頑張って貰いたいものである。
 なぜか蕎麦に燃えたので、新蕎麦祭りをやっているという大石田に行った。しかし、タダで食べられると思ったら大間違いであった。そもそも、私たちが着い たときに丁度、蕎麦券が完売となっていた。憤然として帰路に着く途中、「大石田川下り」の看板を見つけた。面白そうだと行ってみたが、営業していなかっ た。「「川上り」の会社が無いので、下ったきり船が戻ってこないのではないか」と暁子が言っていた。
 帰りに通った作並は紅葉が綺麗だった。でも、山の紅葉はもうすぐ終わりであろう。仙台の昇格もまもなく終わるが、紅葉とは一切関係ない。

10/28 (土) の進歩 心が通い合った
ベガルタ仙台がモンテディを山形と 0-0 で引き分けた。これで仙台の昇格は、「ほぼ絶望」から「ほぼ確実に絶望」へと変わった。
 暁子も帰ってくるので、今夜は私の誕生会をする。朝市で豪華に、本鮪大トロと毛蟹を買った。松茸も買いたかったけれど、国産品(一かご 1,0000 円とかする)しかなかったので断念した。北朝鮮品が無いのはわかるが、なぜに中国品や韓国品も無いのだ?暁子と落ち合い、仙台っ子ラーメンを食べてからユ アテックスタジアム仙台へと向かった。
 チアゴネーヴィスが久々の先発復帰で、ブラジル人三人衆が揃った。しかし、山形の組織的な守備の前にまったく機能しなかった。山形は、DF と MF の 8 人が綺麗に並んでスペースを埋めてきた。スペース無しとなると、仙台の攻撃陣はなすすべもない。何しろ、スペースを作り出す無駄走りが無い、裏を突く動き も無い、1 タッチプレーも無い。ブラジル人は皆、足元でボールを貰ってこねくり回そうとするばかりだ。これでは、山形の守備を崩すことは出来ない。仙台は、強引に持 ち込もうとしては潰されるということを繰り返すだけであった。一方、山形のカウンターは鋭かった。何度もサイドを破られ、あわやの場面を作られた。がくっ とくるような(山形サポから見て)シュートミスをしてくれるので失点はしなかった。決定力のある相手だったら 0-4 くらいで負けていたかもしれない。
 けっきょく仙台は、決定機を一度として作ることのないまま試合を終えた。またしても、絶対に勝たなくてはいけない試合を引き分けてしまった。残り 4 試合で三位と勝ち点 9 の差。仙台サポは、ブーイングさえしてあげなかった。そこへ、「ベガルタ仙台!」のコールが山形サポから起きた。なんと。かつて、仙台サポが送ったエール にブーイングで答えた山形サポである。それ以来エール交換は無くなっていたというのに、山形の方から送ってくるとは。仙台サポも、「山形明夫!(「山形 ディオ」と言っているのだが、「山形明夫」としか聞こえない)」と答えた。「フォルツァ、フォルツァ仙台!」とさらに帰ってきて、「また来年、また来 年!」で締めくくった。エールを送っているのか、「昇格」という相手に振られた者同 士に通い合うものが生まれたのかよくわからなくなった。
 仙台の悲惨な攻撃力は、選手の問題というよりも戦術の問題と思う。つまりは監督の問題だ。サンタナ監督はあまりに無策である。サンタナのままでは、来季 も同じ事を繰り返すのではないか?折しも、東京ベルディ 1969 のラモス監督の続投が発表され、他クラブのサポを歓喜させた。ラモスでは昇格は無理だから。しかし私は、サンタナ監督にも同じ不安を感じる。ここは景気よ く、清水大明神を復活させるべきではないか。岩本も復活したことだし(関係ないけど)。

帰宅後、豪華反省会兼誕生会をした。暁子は、あんのいたずらに手を焼いていた。頼むから、何でもかんでもかじるのを止めてくれ。
10/27 (金) の進歩 どうか承諾を
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆のため、レポート引用の承諾願いを学生に送り始めた。許可を得ることは、私にとっては重大な問題であ る。しかし学生にとっては「単に面倒なこと」でしかないかもしれない。レポートの書き手は、自分が頑張って書いたレポートを皆が読んでくれるものと思い、 読者にとっては、「単に面倒なこと」であるのに似る。だからこそ、情熱を持ってレポートを書こうと講義している。でも、承諾願いにはどうやって情熱を込め れば良いのか?
こじこじと、卒業研究の議論をした。中間発表での議論を踏まえ、どういう方針で解析に臨むべきか。環境の多様性に応じて、最適な種子の大きさがど う変化するのか解析してみることにした。
今から、「生物学へのアプローチ」と「レポート作成法」の講義に行って、そのまま帰る。今から、「生物学へのアプローチ」と「レポート作成法」の 講義に行って、そのまま帰る。
10/26 (木) の進歩 喜ぶことと咬むことの関係について
あんは、私が帰宅すると大喜びである。しかし最近、疑問が生じてきた。ケージから出すと、抱きついて来て顔を舐める、袖を咬む、袖を咬む、袖を咬む、顔を 舐める、顔を舐める、袖を咬む、顔を舐める、袖を咬む、顔を舐める、顔を舐める、袖を咬む、袖を咬む、袖を咬む。いったいこれは何であるのか?   喜んでいるのか、咬んで遊んでいるのか?  渾然一体となっていてわけがわからない。
 長袖になり、着替えも大変になった。長袖の服を頭からかぶり片袖通し、もう片袖を通そうとすると袖が動かない。あんが、袖の先を咥え込んでいるのだ(しかもほぼ毎回)。取 ろうとすると、渾身の力で歯を食い縛る。ジョーズはきっとこんななのだろうと思う。はからずも、頭と片袖を通したまま動きが取れなくなり、あんと格闘する ことになる。こっちの憤りも知らずあんは超真剣だ。「遊びじゃないのっ」と、こちらも真剣に怒りたくなる。

ちのの論文セミナー。「この植物はハエ媒花かもと思って調べたらわけがわからなかった」という論文であった。まさに、わけがわからなかっ た。著者は、どこか面白いと思っているのであろうか?
ひじりと、卒業研究の相談をした。もう十分に休んだだろうから、これからはばりばり解析するように。
 かたやぶっちーは、来週が卒研中間発表である。その方針の相談をした。まずは、話の流れを紙に描いて構成を練ってみるべし。
「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆状況。わかりやすい文章の書き方の説明の章をつらつら書き始めた。書く方針が固まると乗って くるのだけれど、まだそこには至らず。一方、「レポート作成法」受講生に連絡して、レポート引用の承諾を得る準備も始めた。共立出版の顧問弁護士に相談し たら、「出典を明記すれば承諾は不要」とのことではある。しかしまあ、承諾をとっておいた方が波風が立たないだろうということになった。みなさん、どうか 承諾して下さいね。

「おれおれ詐欺」には「だれだれ返し」。相手が誰か確認を忘れないようにしよう。
10/25 (水) の進歩 どうもありがとう
朝、研究室に来たら賑やかなことになっていた。生物学科三年生と、植物生態温泉部(*)一同から、「誕生日おめでとう」の言葉が寄せられていたのだ。
おめでとう

今日は私の誕生日である。どうもありがとう。とても嬉しい。おかげで今日は、ほんわかととても気持ちよく過ごしている。暖かい学生に囲まれ、私は幸せだ。飴一個で「お寿司食べたいでーーす。」とは、かなり大胆な提案ではあるが。それ と、推定年齢間違っているぞ。そこまでいっていないって。私の研究室に入ったら、大学院入試終了時(合否を問わず)・修士論文提出時・博士 論文提出時に陸女寿司に行けるぞ!

*植物生態温泉部:研究室に結成された、温泉に行こうという部。

 お礼をしようと、ル・グレンのお菓子を買って実習室に行った。ところが、もうすぐ実習が始まる時間というのに誰もいない。今日は休みか?  そこへ、三年生の佐上さんがやって来た。「今から実習?」と聞くと、「はいそうです」と答える。???。やがて、「ぎゃーーっ、場所を間違えた」と叫ん だ。今日の実習は、私たちがいる青葉山キャンパスではなくて、片平キャンパスで行われるそうだ。ならばと、佐上さんを車で片平まで送った。そして、お菓子 を皆に届けてくれるよう頼んだ。美味しかった?  ほんに、どうもありがとうね。

ついに書き始めた。「これからレポート・卒論を書く若者のために」の執筆開始だ。「これ論」の文書ファイルを立ち上げ、「これレポ」として別名保 存。流用できる部分を残して、他の文章を消した。そして新たに、レポートの書き方を書き始めた。どんな本になるのか、自分でも楽しみである。
10/24 (火) の進歩 書くことが無い
書くことが無い。たまにはいいか。

寒い。いきなり冬になったみたいだ。
生物学科の予算委員会に出た。出席者 13 人中、知らない人が 3 人いた。生物学科もずいぶん変わってしまった。「昔からいる人は誰だっけ」などと思って出席者を見回したら、自分が、13 人中 4 番目の古株であることに気づいた。その内に、1 番の古株になるのであろう。立派に苔むして見せよう。

10/23 (月) の進歩 感染研セミナー
国立感染症研究所で、「これから論文を書く若者のために」のセミナーをしてきた。
 あんを動物病院に預け、JR 長町駅に向かった。駅に着くと、風景が変わっていた。改築したようで、新しい入り口が出来ていた。今までは、「田舎の小さな駅」という佇まいだったけれ ど、普通の小さな駅になっていた。
 玉川上水に着き、向かいに来て下さった座本さん・わたなべさん(すいません、漢字がわからない)にお会いした。コンビニで昼食を買って研究所へ。「感染 症研究所」と聞くと、素人としては何か怖い。実際、入退室が厳重に管理されていた。
 セミナーの時間になり、多くの方が会場に入って来られた。皆さん見るからに気鋭の研究者で、正直焦った。「若者のために」なんて場違いな話ではないか。 でも、皆さん熱心に聞いて下さった。「隙あらば寝る」学生相手よりも、気分良くセミナーをすることが出来た。聞き手が積極的だとこちらも乗ってくるのだ。
 気鋭の方々なので、勉強になる意見もたくさん頂いた。二つだけ記す。

タイトルに結果を入れるべきか(10/20 の進歩参照)
 予想通り、意見が分かれた。結果を高らかに述べるタイトルの方が魅力的であるという指摘だ。
 セミナーの後に気づいたのであるが、私が言っているのは実は、「タイトルに結果を入れるな」ではなく、「結果だけを宣言するな」であった。たとえば

・中心体の分極により分泌顆粒は免疫シナプスへと送り込まれる (Nature 443:462 -)
・神経変性疾患の原因タンパク質アプラタキシンは不完全なDNA連結反応中間体を解消する (Nature 443:713 -)

といったタイトルは、取り組んだ問題を述べずに結果だけを宣言している。こうしたタイトルは不親切で良くない。結果を述べつつも「取り組んだ問題」が明確 ならば、それはそれで良いということである。たとえば

・漁業は、漁獲種の個体数の変動性を上昇させる (Nature 443:859 -)

は、取り組んだ問題がほぼ確実に伝わるので、良いのかも知れない。

アブストラクトに「どうしてやるのか」を書くべきか(「これ論」の八番参照)
 私は、アブストラクトには「どうしてやるのか」を書くなと言っている。読者がアブストラクトを読むのは論文の中身を素早く知るためであって、取り組んだ 問題の学術的意義を吟味するためではないからだ(吟味は、本文を読んでやること)。「どうしてやるのか」(学術的意義の説明)がアブストラクトにあると、 無用の前置きと感じていらいらしてしまう。
 しかし、自分の馴染みの薄いテーマを扱った論文の場合は、アブストラクトにも少しくらい「どうしてやるのか」がある方が助かるという意見を頂いた。なる ほど。私自身は「助かる」と感じることはないのだが………。みなさん、どう思いますか?

セミナーの世話をして下さった座本さん、どうもありがとうございました。私にとっても有益でした。

仙台に戻って、あんを迎えに行った。粗相二回。ふとんにもやられた。以前に預けたときも、トイレがすっかりおかしくなっていた。ひょっとして、預 けられて憤然としているのか?
10/22 (日) の進歩 絶望
ベガルタ仙台が水戸ホーリーホックと引き分けてしまった。残り五試合で三位と勝ち点 9 の差。しかも上位三チームはいずれも六試合残している。絶望と言うしかない状況になった。可能性がある限り諦めはしないが、よっぽど目出度いこと(仙台に とって)が続かないと、昇格は無理だろう。はあ。
 私はすっかり、サンタナ監督を解任すべきと思うようになっている。サンタナは、日本のサッカーに対応できない。ブラジルでやって来たことを繰り返すのみ だ。このままでは、来季も同じ事になるように思う。なんか、ジーコを見ている気分である。日本代表の監督がジーコでなかったら、ワールドカップではもっと 良い成績を残せたであろう。それと同じ目に遭う気がしてならない。

新しい花壇が出来たので、花をどっさり買ってきた。バラも一本買った。これらを景気よく植えて気分一新した。
10/21 (土) の進歩 土曜日に久しぶりに来た
起きてみると快晴だ。あんを連れて蔵王に紅葉を見に行きたい。しかし、感染研で行うセミナーの準備が終わっていない。ぐっと堪えて研究室に来た。頑張って 午前中に準備完了したので、午後は花を買いに行くことにしよう。自宅の玄関先を改修して花壇が広くなったので、明日にでも植えてやるのだ。

本日の悩み。長いあいだ週休二日の生活を送っていたのに、土曜日に研究室に来た。「土曜日に久しぶりに来た」と書こうとして手が止まった。

A. 「土曜日に来ること」が久しぶりである。平日には来る。
B. 来ること自体が久しぶりである。来た日がたまたま土曜日であった。

の区別をどうつけるのか?  機械的に六通り書いてみた。

1. 土曜日に久しぶりに来た。
2. 土曜日に、久しぶりに来た。
3. 土曜日に久しぶりに、来た。
4. 久しぶりに土曜日に来た。
5. 久しぶりに、土曜日に来た。
6. 久しぶりに土曜日に、来た。

A の意味の場合は 5、B の意味の場合は 2 が良いように思う。しかし、誤解の可能性が無いかというと、そうも言い切れない気がする。じーっと見つめていると何だかわからなくなる。「土曜日に来るか らいけないのだ」と結論したのであった。
昨日書いた、「タイトルに結果は入れない」について、しんすけと土松が意見をくれた。参考になる。もっと考えよう。どうもありがと。

10/20 (金) の進歩 タイトルに結果を入れない理由
国立感染症研究所で行う「これから論文を書く 若者のために」のセミナー準備のため、感染研の研究成果のページを眺めていた。 研究結果を述べたタイトルが結構多い。「これ論」に載せた、ベガルタ仙台の論文(ベガルタ仙台の強さ(*注)の理由を調べた架空の論文)を例に用いると、

・ベガルタ仙台が強いのは牛タン定食のおかげである

(*注:疑わしいかもしれないが、強いのである)

といったタイトルである。実際の論文の例もあげると(下記は、感染研のページにあったものではなく、最近の Nature から拾ったもの)、

・中心体の分極により分泌顆粒は免疫シナプスへと送り込まれる (Nature 443:462 -)
・神経変性疾患の原因タンパク質アプラタキシンは不完全なDNA連結反応中間体を解消する (Nature 443:713 -)
・漁業は、漁獲種の個体数の変動性を上昇させる (Nature 443:859 -)

といった感じである。「これ論」では、「結果を述べるタイトルはあまり良くないんじゃないの」くらいの調子で書いている(大改訂版 p. 47)。しかし本日をもって、「結果を述べるタイトルは良くない」に変更したい。
 その理由は、取り組んだ問題を教えずに結果だけを述べることになりやすいからである(タイトルは短い方が良いので、結果だけを宣言した物になりやす い)。実際、結果を入れたタイトルのほとんどが、「結果だけ宣言」型である。こうしたタイトルからは、取り組んだ問題が一読ではわからないことが多い。上 記の例だって、ベガルタ仙台を愛する者が、「ベガルタ仙台が強い理由の解明」に取り組んだのか、牛タンを売りたい者が、「牛タン定食の効果の解析」に取り 組んだのかわからない。
 私たちが論文を探すときに気にかけるのは、その論文で「得られた結果」ではなくて「取り組んだ問題」である。ある問題に対して興味関心を抱いて探すの だ。ベガルタ仙台の強さの秘密に関心がある人は、以下のどの論文も読もうと思う。

・ベガルタ仙台が強いのは牛タン定食のおかげである
・ベガルタ仙台が強いのは牛タン定食のおかげではない
・ベガルタ仙台が強いのは刺身定食のおかげである

「得られた結果」に応じて、「読む読まない」が変わることはない。
 タイトルは、論文を読むか読まないかを判断するために使われる。判断の基準は「取り組んだ問題」である。ならば、「取り組んだ問題」を少しでも明確にす るように努力すべきだ。そのためには、「得られた結果」は足手まといである。
 上記 Nature の論文は、こんな感じに直す方が良いと私は思う(みなさん、どう思いますか?)

・中心体の分極により分泌顆粒は免疫シナプスへと送り込まれる
------> リンパ球が、分泌顆粒を免疫シナプスに送る機構:中心体の分極の役割

・神経変性疾患の原因タンパク質アプラタキシンは不完全なDNA連結反応中間体を解消する
------> なぜ、アプラタキシンの変異が神経変性疾患をもたらすのか:DNA 修復におけるアプラタキシンの役割の解析

・漁業は、漁獲種の個体数の変動性を上昇させる
------> 漁業が、漁獲種の個体数の安定性に及ぼす影響

今からレポート作成法の講義に行って、そのまま帰る。
10/19 (木) の進歩 中間発表
卒業研究の中間発表があった。こじこじ・ひじり、お疲れ様でした。思ったことを五つ書く。

・自分の疑問を大切にするのはとても良いことだ。画期的な研究というのは、若い頭脳が抱く疑問から生まれるものである。ただし、自分の疑問を明確にしない といけない。もやもやとした疑問を、はっきりとした形にすべし。先行研究とどこが違うのか、どこか新しいのか。そして、自分の疑問を他者にわかって貰える ようにしよう。
・セミナーは、聴衆にわかって貰うためにやる。わかって貰うための基本は、聴衆を見て話をすることである。スクリーンに映っているスライドを見ながら話し てはいけない。
・自分の研究の面白い点はどこなのか、それを訴えるように。「これが売りです」と伝えないと、面白さをわかって貰えなくなってしまう。
・質問の意図は何なのか、それをきちっと捉える努力をしよう。難しいことだけれどね。
・休む必要なし! これからすぐ、卒業研究を再開すべし。

ベガルタ仙台は昨夜、徳島ヴォルティスと惨分してしまった。残り試合全勝が義務だというのに。三位との勝ち点差は 10 になり、奇跡の昇格が大きく遠のいた。試合終了後、サポは黙り込み、 ブーイングさえしてあげなかった。とうとう終戦か。しかーーし。「東京V3発快勝!J1復帰へ残った」(スポニチよ り)と言っている人もいるのである。三位との勝ち点差が 16 の東京 V がその気であるとは。なんか、変に元気づけられる見出しである。
来週の月曜日に国立感染症研究所で、「これから論文を書く若者のために」のセミナーをする。ようやく今日から準備を始めた。今週末もまた休みなし かね。
10/18 (水) の進歩 今夜は徳島戦
ベガルタ仙台は今夜、ユアテックスタジアム仙台に徳島ヴォルティスを迎え撃つ。絶対に勝たなくてはいけない試合が続く。決して油断せず思い切りぶつかろ う。そうすれば必ず勝てる。
 DF 池田は、「月内0封? その気持ちはあるけど、まずは徳島戦だ」(サンスポよ り)と、無失点に抑える意気込みを見せている。これに対して MF 熊林は、「失点 は何点しても勝てばいい」サンスポよ り;私の太字)と語っており、喧嘩を売っているのかという気がしないではない。二人仲良く、失点を抑え得点をあげることに勤しんでいただきたい。
 さ、四年生をほっておいて(明日、卒業研究中間発表がある)、今夜もスタジアムに馳せ参じるのだ!

オーダースーツの佐田が、ベガルタ仙台にスーツを提供する ことになった。お洒落でかっこよい。5,0000 円で、選手と同じスーツを作ることが出来るそうだ。「お試し価格初回限定 1,9800 円の商品」もあるそうである。既製のスーツよりも安いではないか。オーダーならばサイズもぴったりに出来る。みなさん、佐田でスーツをつくってみてはいか がか。
どうにか、レポート作成法の講義の準備を終えた。疲れた、大変だった。でもおかげで、「これからレポート・卒論を書く若者のために」に書くことが まとまってきた。
10/17 (火) の進歩 これからレポート・卒論を書く若者のために
ついに決心した。新しい本を書く。「これからレポート・卒論を書く若者のために」という本だ。学部学生に向け、レポートと卒業論文の書き方を解説すること が目的である。
 決心出来たのは、レポート作成法の講義の経験を三年分積んだ(とはいっても、今年の講義はまだ途中であるが)からである(*)。一年目は、何を講義して よいのやら、正直なところわからなかった。レポートでは何を書くべきなのか、一年生がイメージするレポートとはどんなものなのか。学部生の書いたレポート をほとんど読んだことがなかったので、手探り状態であった。しかし、講義三年目になってわかってきた。受講生が提出したレポートを二年分読んだおかげであ る。そして、「これは良いレポートだ」「これは酷い」「こんな書き方では駄目」「ここはこう書くべし」といったことが見えるようになってきた。こうして 培ったものを、今年の講義に盛り込むべく一所懸命に準備している。同時に、本を書きたいと思うようになった。我ながら驚きである。去年までは、レポート本 を私が書くなどあり得ないと思っていたのだ。
 今度の本は、「これ論」の読者の前段階にある方々が対象である。読者対象は異なる。「これからレポート・卒論を書く若者のために」を読んだ方が、やがて 「これ論」へと進んで行ってくれたらと思う。
 10.7 の進歩に書いた「ある決意を固めつつある」とは、このことであった。「引退を決意したのか」という 憶測もあったようだが、もう実質引退しているのでそ れはない。

*謝辞:佐藤さん・今泉さんをはじめ東北大学附属図書館の方々には、レポート作成法の講義をする機会を与えていただいた。この講義で培ったことが本書を執 筆する上で大いに役立った。篤くお礼申し上げる。と謝辞する前に本を書け。来年度からの教科書に指定してくれないかしらん。来年度の開講に 出版を間に合わせてから頼め。

今日も、レポート作成法の講義の準備に勤しんだ。イントロの書き方の解説だけで一こま終わってしまいそうな勢いだ。去年のレポートを読むほどに、 解説したいことが増えていくのだ。正直、疲れた。
ひじりが、卒業研究中間発表で使うスライドの原稿を見せに来てくれた。もう出来ているとは偉い。筋書きはだいたい良いので、もう少し全体を膨らま せよう。それと、鍵となる部分(今までの研究の足りない点の説明や、ひじりの卒研で取り組む問題の提起)に力を込めるように。
10/16 (月) の進歩 折れなくなった
朝から、レポート作成法の講義の準備に勤しんだ。イントロの書き方を説明するのにイントロ折り紙を使おうと思った。私が発明した、イントロの骨子を練る 方法である(「これ論大改訂増補版」の折り紙;上記リンクの折り紙 を改訂している)。

イントロ折り紙
1) 「何をやったか」を起点に、下記の矢印の方向に考えていく。
「どうして取り組むのか」<--「何を前にして」<--「何をやった か」-->「どういう着眼で」
2) 「何を前にして」「どうして取り組むのか」「どういう着眼で」「何をやったか」の順番に並べ替える。

一つめの矢印と三つ目の矢印の所で折る(骨子の順番を入れ替える)感じなので、イントロ折り紙と名付けた。
 ところが、昨年の受講生が提出したレポートを読み進める内に、この折り紙では不十分ではないかと思うようになった。そのレポートで「何を解決したいの か」を明記していないイントロが多いのだ。こうしたイントロを読むと、「何が目的なんだ?」といらいらする。折り紙に従ってイントロを作れば良いのかとい うとそうでもない。折り紙では、「何を解決したいのか」は「どうして取り組むのか」の一部という扱いであり、表には出てきていないからである。「何を解決 したいのか」を骨子として明記する方がわかりやすいようだ。そこでこう変えた。

新折り紙
1) 「何をやったか」を起点に、下記の矢印の方向に考えていく。
「どうして解決したいのか」<--「何を解決したいのか」<--「何を前にして」<--「何をやったか」-->「どういう着眼で」
2) 「何を前にして」「何を解決したいのか」「どうして解決したいのか」「どういう着眼で」「何をやったか」の順番に並べ替える。

これですっきりした。ひさし・みっちー・ちのにも見て貰って、わかりやすくなったと太鼓判を貰った。
 しかし重大な問題に気づいてしまった。新折り紙では、「何を解決したいのか」の位置は変えずに、「どうして解決したいのか」と「何を前にして」の位置を 入れ替える。これを折ると表現するのは無理ではないか?  無理矢理説明をこじつけて、「折る」と言ってしまえなくはない。しかしそのために折り方の複雑な説明をするのは、無意味なことで物事をわかりにくくしてい るという誹りは免れない。困った。どうしよ。

ちのの論文セミナー。知り合いの論文なのでコメントは差し控えよっと。お疲れ様でした。
10/15 (日) の進歩 こりゃ、連れて来るわけにはいかないか
久しぶりに、日曜日に研究室に来た。レポート作成法の講義の準備が間に合うかと、かなり不安なのである。序論の書き方をみっちり講義しようと思ってい るのだけれど、悪い序論というものは奥が深い。「どうして悪いのか」がなかなか難しいのであった。
 休日なので、あんも研究室に連れてきた。で、後悔した。ぶっこわすはうるさいはで、仕事に集中できないのである。ボールで遊ばせておくと、ボールをすぐ に本棚の下に入れてしまう。あんは、ボールを掘り出そうと、本棚の下に前足を入れて全速で回転させる。カサカサカサカサと耳に障るので、私がボールを取っ てあげるしかない。でも、30 秒後には同じ事の繰り返しである。ボールに飽いたと思ったら、電気コードを囓っている。気づいたときには、電気ストーブの差し込みを食いちぎっていた。膝 の上に乗せると、椅子の肘掛けをがじがじと囓る。私は、仕事に来たのかあんのお守りにきたのか。廊下を誰かが通る気配がすると、ワンワン吠えて止まらな い。こればかりは止めて欲しい。日曜とはいえ大迷惑である。
 でも、膝の上で寝ているときはやはり可愛いのだ。ずっと寝ていてくれるなら、また連れて来ようかと思う。

ぶっちーが、熱帯での調査から帰ってきた。私の部屋の扉を開ける音にあんが大反応。すさまじい声で吠えだした。びびったぶっちーは、扉を閉めて撤 退してしまった。あんを抱っこして後を追うと、間合いを取って近づかない。「噛むけれど、知らない人のことは噛まない」と元気づけたら、恐る恐る撫でてく れた。あんを抱っこしながら調査報告を聞いた。なかなか大変だったようだ。ともあれお疲れ様。
ぶっちーから、京都工芸繊維大学の熊野さんが結婚したと聞いた。それはおめでとうございます。お幸せに!
10/14 (土) の進歩 昇格する気があるのか
ベガルタ仙台が愛媛 FC に 2-1 で勝った。勝ちはした。しかしやる気を疑う内容だった。これでは、上位チームに勝てるとは思えない。

試合は午後から。たまには服でも買いましょかと、午前中は買い物に出かけた。まずは、ベガルタ仙台の公式店であるオーレベガルタへ。あんに、部屋 着を食いちぎられ亡き物にされてしまったのだ。長袖が半袖になったり、丸首が U 首になったりと、もう大変である。我がクラブの服を部屋着にしようというわけで、冬物を一つ買った。次に藤崎に行った。ブルックスブラザースとか J プレスとかニューヨーカーといったトラッド系の服が好きなので調査したのだ。ブルックスブラザースが無くなっていると思ったら、クリスロード沿いに新しい 店が出来ていた。

帰宅後、大急ぎで庭仕事を済ませてキックオフを待った。
 試合開始からしばらくは、夢のような時間が過ぎた。流れるような華麗な攻めで愛媛を圧倒。またたく間に 2 点取ってしまった。これは何点取るかと温泉気分でいたら、愛媛がペースを握りだした。そして 1 点返されて前半を終えた。後半は、生きた心地のしない時間が続いた。愛媛の猛攻にさらされ、次々と決定機を作られてしまった。なにしろ、仙台の守備がぬる い。前線の高い位置からのプレッシャーは全くなし。中盤でも、愛媛のボール保持者をのろのろと追いかけるだけであった。愛媛の選手に、ほとんどフリー状態 で前を向かせてしまっていた。これじゃあ、愛媛がやりたい放題である。勝ちはしたけれども、先行きを大いに不安にさせる後半の内容だった。
 後半の闘いからは、「絶対に昇格する」という気迫がまったく感じられなかった。とてもではないが、背水の陣を闘うチームではない。ひょっとして、「1 点を守りきりたい」と受け身の気持ちになってしまったのか?  そんな弱い気持ちでどうするのだ。これからもずっと、精神的に厳しい闘いが続くのだぞ。
 水曜日の徳島戦では、気迫に充ち満ちた闘いを見せよ。そしてもちろん勝利あるのみ!

10/13 (金) の進歩 明日は愛媛戦
ベガルタ仙台は明日、敵地で愛媛 FC と闘う。残り 8 連勝が使命の仙台である。きっちり勝つべし。愛媛・水戸・徳島と三連勝すれば、ぐっと面白くなるであろう。

生物学科三年生の山脇君が、「これ論;大改訂増補版」を持って、「サインをして下さい」とやってきた。嬉しい。お買い上げありがとう! 「これから論文を書く山脇君のために」と書いたら、「次に改訂するときはそのタイトルにして下さい」と喜んでいた。「これから論文を書く山脇君のために」 という本が出たら、ある意味で人目は惹く。しかし、本にして書店で売る必要があるの かとも思う。直接本人に渡せば良いのではないか。
ひじり・こじこじと、卒業研究中間発表の相談をした。二人とも、話すことの枠組みは決まった。あとは、枠の中身をどれだけ揃えられるか、二人の努 力にかかっている。
今日は、生物学へのアプローチ(生物学科一年生向けのリレー講義;各教官が一回ずつ担当する)の講義の日だと思っていた。ところが、出席用紙など 必要物が届いていない。どうしたのかと確認したら、私の担当は 27 日であることが判明した。がーーん。ここ数日、アプローチの講義があるという微妙な緊張感と共に過ごしてきた。なんか、緊張してすごく損した気分である。

さ、これから、全学一年生向けのレポート作成法の講義に行ってくる。
10/12 (木) の進歩 レポート作成指導の講義
今日は、西日本の大学図書館職員を対象とした、レポート作成指導法の講義をする。会場の大阪大学附属図書館に入ると、職員が、開館前の朝礼をしていた。そ してなんと、「いらっしゃいませ」「少々お待ち下さい」「申し訳ありません」等の発声練習をしていた。学生や教員相手にここまでへいこらする覚悟であるの か。学生時代に長崎屋でバイトをしていたとき、同じような練習をしていた。けれど、長崎屋は民間の小売業である。大学図書館でこのような練習をしていると は。すごいというか、そこまでやるのかというか、ともかく日記のネタにはなると思った。
9:30 に講義が始まった。「レポートとは何か」「タイトルの付け方」「序論の書き方」を話していく。量が多くて心配していたのだが、実際はその逆だった。「レ ポートとは何か」を話し終えても 15 分しか経っていない(講義時間は 1.5 時間)。ゆっくり目にしても、20 分早く終わってしまった。「質問の時間を長めに残しておきましたので何なりと」と嘘こいて(残ってもせいぜい 5 分と思っていた)、質問時間に切り替えた。みなさんいろいろ質問してくれた。もっとも印象深かったのは、イントロ折り紙(*)についての質問であった。 「「イントロ折り紙」の横に「18 歳児以上」とあるのはどうしてですか?」。そう聞かれても ………。「ウケ狙いです」と正直に答えるしかなかった。

*イントロ折り紙:イントロダクションの骨子を練る方法。「何をやったのか」「何を前にして」「どうして取り組むのか」「どういう着眼で」の順番に考えて から、「何を前にして」「どうして取り組むのか」「どういう着眼で」「何をやったのか」の順番にする。順番を変える行為を強引に折り紙に例えている。
15:30 に帰仙。あんを病院に迎えに行った。あんは、私の姿を見ると猛然と甘えてきた。満足。
 その夜、三回の粗相。一晩外泊しただけでトイレの場所を忘れてしまうのか、とほほ。

10/11 (水) の進歩 大阪へ
あんを動物病院に預け、仙台空港へと車で向かった。13:00 の便というのに 11 時過ぎに着いてしまった。心配性なので早めに出る傾向がある上、飛行機だとますます張り切ってしまう。早めに行って窓側の席を取ろうと燃えるのだ。空港 で、講義に使うスライドの確認をするなどして時間を過ごした。
 2:40 に伊丹空港に着き、万博記念公園そばのホテルに向かった。せっかくだからと、万博記念公園を散策することにした。太陽の塔、でかい。学生時代に見たのかも しれないが記憶に残っていないので、初めて見た気持ちである。「こんなのなら自分にもデザイン出来る」と思うのだが、きっと大間違いなのであろう。歩みを 進めるとバラ園があった。最近バラに燃えているのでじっくり観察だ。係員が、まだ綺麗に咲いている花をばしばし切り落としているのを見て衝撃を受けた。咲 き終えた花を切り落とすのは知っていたけれど、あまりに早い運命ではないか。日本庭園も散策した。異様に広い。我が家の庭もこれくらい広ければと、無謀な ことを思ったのであった。
 温泉入浴後(ホテル内になぜか、温泉と称している浴場があった)、豪華懐石料理を楽しんだ。部屋に戻って日本対インドの試合を見るも、酔っぱらっていて わからず。ほとんど寝ていた。

10/10 (火) の進歩 イントロの説得力
レポート作成法(全学の一年生向け)の二回目の講義の準備を始めた。講義は来週だけれど、大幅に内容を変えるので、早めに取りかかろうと思ったのだ。去年 のレポートのイントロを読み直し、どうして説得力が無いのか考えた。私は、イントロでは、「何をやるのか」「どうしてやるのか」「どういう着眼で(その問 題を解決しようとするのか)」を書けと言っている。ところが、これらが揃っているイントロは説得力があるのかと言うと、必ずしもそうではないのだ。たとえ ば、

「日本人は特別にディズニーランドが好きである。(中略;外国に比べ異様に人気が高いと述べている)。なぜ日本人はこんなにもディズニーランドが好きなの かを検証することにした。それによって日本人の特異性や、これからのビジネスに役立つようなことが分かるのではないか。」

「日本人の特異性や、これからのビジネスに役立つようなことが分かる」が「どうしてやるのか」である(ただし、このイントロは着眼を書いていない)。で も、説得力がない。もう一つ例をあげると、

「近年ニュースで児童虐待についての事件が取り上げられるなど、児童虐待を身近に感じる機会が増えてきた。(中略;児童虐待の実態を説明している)。我が 子を虐待してしまう親には、何があったのだろうか。児童虐待の起こる原因を、親の精神状態との関連性か探っていこうと思う。」

「親の精神状態」が着眼である。でも、訴えかけが弱い。
 こうした例を読んで思ったのは、「どうしてやるのか」「どういう着眼で」は、ただ書けば良いというものではないということだ。これらをきちっと説得しな いといけない、そして読者に印象づけないといけない。一つめの例では、「なぜ日本人はこんなにもディズニーランドが好きなのかを検証する」ことで、「日本 人の特異性や、これからのビジネスに役立つようなことが分かる」理由がわからない。著者は、その理由を一言も書いていない。二つめの例では、親の精神状態 に着眼する理由がわからない(たとえば、親の経済状態に着眼してもいいではないか)。それに、さらっと書き流しているので、これが着眼であると見落として しまいやすい。
 こうしたことも講義しよう。説得力の無さって奥が深い。

明日明後日と大阪に出張する。大阪大学附属図書館で、レポート作成指導法の講義をするのだ。国立情報学研究所主催の「学術情報リテラシー教育担当 者研修」というものの一部である。講義対象は、学生ではなく図書館職員である。みなさん、真剣に聞いて下さると思う。頑張ろっと。
 明日は、14:30 頃に伊丹空港に着く。講義は明後日なのですることが無い。何も考えていなかったので、何とも中途半端な時間の飛行機を取ってしまった。こんな時間に大阪に 着いて、何かすることあるかな?
 というわけで、あんは明日、二回目のお泊まりである(一回目は避妊手術のとき)。近所の動物病院に預かって貰うのだ。寂しがらないか心配。

10/9(月) の進歩 あん、着ぐるみにびびる
今日は 11 時からあんの学校があった。ぽかぽかと気持ちよい日差しの下での勉強であった。甘噛みが威力を増しているので、対処法を相談するなどした。

終了後、泉パークタウンに繰り出した。何をしに行ったのかというと、よそ様の玄関先を調査しに行ったのだ。我が家の玄関先を大改良することにした ので、参考にするためである。泉パークタウンは大規模宅地開発地で、お洒落な一戸建てがたくさんある。住宅展示場もある。きっと参考になるであろう。住宅 街に入ってみると、お洒落な家が確かにたくさんあった。しかし、参考になったというよりむっとした。「なんでこんなにお洒落なのか、悔しい、世の中は金 だ」という思いがはち切れんばかりになった。
 住宅展示場にも行った。家の中を見るためではない。外構を見るためだ。プロが金をかけてやっているのだから、相当にお洒落に違いないと踏んだのである。 あんを連れて、いろいろな住宅会社の建物の外側を見て歩いていたら、あんが急に硬直した。あんの視線の先を見ると、スモリの家のマスコットである像の着ぐ るみがいた。あんの紐を引いても、前に足を踏み出そうとしない。完全に固まっている。着ぐるみが、一歩一歩とあんに近づいてきた。中に入っている人として は、やさしく近づいたつもりであろう。しかし私の目にも(むろん、あんの目にも)、「ふっふっふっ」と悪魔が近寄ってくるようにしか見えなかった。わずか に後ずさりするあん。硬直した表情で、逃げ出すことも出来ない。紐をぐいと引っ張っても動かない。どうすべきか?  「考えてみれば着ぐるみではないか」と面倒になり、あんを抱えて通り過ぎたのであった。

家の近くまで戻って急に思い立ち、愛子のガーデン・ガーデンに行った。昨日行ったザ・ガーデンには小さなカツラしかなかったので、「カツラ買い」 を諦めていた。突然、ガーデン・ガーデンにならあるかもと思い出したのだ。なんでカツラを買いたいのかというと、ひょろひょろと情けないシラカバを引っこ 抜き、そこにカツラを植えようと思ったのだ。行ってみると、立派なカツラがあった。これなら暁子も喜ぶであろう(暁子は、大のカツラ好き)。会計をしてい たら、三年生の佐上さんにあった。奇遇。
 帰宅後、大急ぎで、穴を掘ってシラカバを引っこ抜いた。もうすぐ暗くなってしまうので早くやってしまおうと思ったのだ。石と土を掘り出し新しい土を入れ てカツラを植えた。終わったときには真っ暗になっていた。懐中電灯で照らしてみると、ぐっとお洒落な空間になったように見えた。ただし、今着いている葉は 汚い。今年の夏に移植したとかで、その影響だそうだ。来春には綺麗な葉を展開すると言っていた。新葉の頃が楽しみだ。

10/8(日) の進歩 仙台サポにあらずことをしてしまった
あんを連れて研究室に来た。13 日に行う講義(生物学へのアプローチ;理学部生物学科一年生向け)の準備をするためだ。明日 9 日はあんの学校だし、11-12 日は大阪に出張するので、今日の内に少しでも進めておきたい。一日かけて、有性生殖の進化に関する最近の仮説を調べよう。ユアテックスタジアム仙台で天皇 杯三回戦(ベガルタ仙台対ロッソ熊本)があるけれど、欠場やむなしである。
 と思っていたら、午前中で準備が終わってしまった。とりあえず、まる賛に讃岐うどんを食べに行くことにしよう。ザ・ガーデンで草木を見よう。カーサベガ ルタ(ベガルタ仙台の公式店)で秋冬物でも物色しよう。そう思って、あんを車に乗せて 12 時頃に研究室を出た。ここで、重大の問題を指摘されるはずである。天皇杯のキックオフは 13 時。まる賛とザ・ガーデンは、ユアテックスタジアム仙台から車で 10 分ほど。カーサベガルタに至っては、スタジアムから目と鼻の先だ。気合いを入れれば(というより、スタジアムに直行すれば)試合に間に合ったはずである。 しかしなぜか、海老天生醤油うどんを悠々と頂き、「このハナノキは日本の物?」「苗を持ってきて日本で育てた物です」「アメリカハナノキの苗?   それじゃ佐渡のトキだ」とねじ込んだり、「秋冬物は来週入荷します」と言われたりした。スタジアムの横を通ったときはすでに試合が始まっていて、サポの応 援が聞こえた。我がクラブが闘っているというのに横を素通りするとは。こりゃ、サポ失格であった。
 言い訳(説得力の無い順)
1) 勝つに決まっていた。<-- BS の中継を見た。這々の体で、何とか勝った試合であった。
2) あんが一緒であった。<-- アウェー試合に連れて行くときは、試合の間中、車の中で留守番をさせている。
3) まる賛のうどんを食べたかった。<-- 明日もこの店の方面に出かける。そもそも明日食べに行くつもりだった。
4) 園芸屋でカツラを買いたかった。<-- そう思うと、「カツラ買い」しか見えなくなるのが私の性分。「カツラ買い」と書くと誤解を招きかねないが、私にカツラは不要である。そもそも園芸屋では、 カツラは売っているがカツラは売っていない。
5) 今日は見に行かないと決めていた。<-- あ、そう。

10/7(土) の進歩 ベガルタ仙台にスクリーンを
有志のみなさん、ベガルタ仙台にスクリーンを送ろうではないか!  クラブハウス内で行われた栄養講習会の写真を見よ。思 わず笑ってしまう涙するであろう。パソコン 画面を壁に映して説明しているとは。スライドプロジェクタはあるのにスクリーンが無 いとは、あまりに片手落ちである。さらに言うなら、ベガルタには専属のビデオディレクターがいるというのに、スクリーン無しでよいのであろ うか?  ミーティングはどうしているのだろう?  パソコン映像は使っていないのか?  講義やセミナーを生業としている私としては、「スクリーンって無いこともあるんだ」と、ちょっと新鮮な気持ちにもなるのであった。それと、「サッカーの食 事」ってすごい。サッカーがご飯を食べるとは。
 そのベガルタ仙台は明日、ユアテックスタジアム仙台で天皇杯三回戦を戦う。相手は、元仙台戦士の森川がいるロッソ熊本だ。三回戦を勝ち抜くと、賞金を 100 万円(あるいはもっとかも)貰える。スクリーンは 1 万円くらいだ。熊本に勝ってスクリーンを買おう!

天気は悪いし忙しいしあんは噛むし(*)、久々に土曜日に研究室に来た。学生は誰もいない。私は学生時代、土日祝日関係なく研究に勤しんでいたけ どなあ。「ライオンに追われているウサギが、土日に逃げるのを休みますか?」と、オシム語録にはまるのであった。
 *あんが噛んで食べるので、長袖の寝間着が半袖になってしまった。しかも二着も。

レポート作成法の第一回目の講義の準備を終えた。けっこうな量になった。時間内に終わるか?
じわじわと、ある決意を固めつつある。いやもう、内心ではほとんど決断している。いつ、本決心とするか。
10/6(金) の進歩 第五刷出来
「これ論:大改訂増補版」の第五刷が出来した。新たに 2000 部印刷して、計 9000 部となった。初版(1,7000 部)と合わせると 2,6000 部である。我ながらすごい。お買い上げ下さった皆様、まことにありがとうございます。

インタビューを受けた。PharmaNext という雑誌(薬剤師対象)で論文の書き方の特集を組むそうで、そのための取材である。論文を書く上で大切な心構え、わかりやすい論文を書くコツなどを、聞 かれるままに答えていった。「リジェクトされてしまったら?」という質問には、オシム語録を目指して、「一度も失恋せずに結婚する人がいますか?」と答え た。最後に、「読者の皆様にメッセージを」を頼まれた。ここは、オシム語録ではなく「胸がじぃーんとなる言葉」でいこうと思ったが、しどろもどろになって しまった。なんとか、「あなたの成果が論文として出ることで、喜ぶ人がきっといます」と答えておいた。NHK ローカルのベガルタトーク(ベガルタ仙台の選手が出演する)で、サポーターへのメッセージをちゃんと語る仙台選手を甘くみていた。前もって考えて練習して いたのだろう、村上を除いて。

友蔵からさっそく、フキ論文へのコメントがきた。どうもありがとう。今は、講義の準備で忙しい(来週、講義を三つする)ので、改訂は再来週以降に なると思う。他の人もコメントよろしくね。

今日も、レポート作成法の講義(全学の一年生向け)の準備をした。レポートとは何かを徹底講義しなくてはいけないと思い、悪い例・良い例をたくさ ん紹介することにした。改めて読み直すと、良いレポートは本当に良く書けている。一年生とは思えない。悪いレポートは本当に悪く書けている。一年生とは思 えない。
10/5(木) の進歩 月初め談話会
月初めの談話会があった。そろそろ今年のデータが出てくる頃である。みっちーは、かなりの量の充実したデータを出してくれた。食害の影響の仕方に年・場所 によるばらつきが見られそうである。これはそもそも期待した結果ではないか。開花期の個体間変異が維持されている理由は、こうしたばらつきがあるためだろ うと予測していたからだ。どのデータにばらつきがあり、どのデータは一貫しているのかを見極めよう。そしてそこから、開花期の適応進化を洞察していくの だ。ちのの泉ヶ岳のデータは、正直言って解釈に困る。ここでだけ、装飾花を付けることの意義が出てしまうとは。さらなる解析をして検討して欲しい。ひじり とこじこじの二人は、モデル解析をいったん中止してよろしい。卒業研究の中間発表に向け、論文読みに没頭すべし。中間発表の仕方については9/28 の進歩を参照のこと。

レポート作成法の講義(全学の一年生向け)の準備を始めた。反面教師レポートのおかげで、講義したい内容がけっこう増えた。去年までは、タイトル の付け方と序論の書き方しか講義していなかったけれど、今年は他の部分(議論展開の仕方とか)も講義することにしよう。講義の構成も変える。こんな手抜き レポートを撲滅するのだ。

今年の手抜き大賞「私の野望・・・交通事故撲滅」
「私は、世の中の交通事故を撲滅させる方法を提案したいと思います。
 私の将来の夢は交通事故を減らす活動をすることです。大学で法律を学び、卒業時に国家公務員試験に優秀な成績で合格し、中央官庁の警察庁か国土交通省に 就職してある案の実現を図ることが私の現在の野望なのです。
 その案というのはいくつか考えていて、1) 日本全国の全ての信号機にスピードメーターやカメラなどを設置し、スピード違反を始め全ての道路交通法違反車両を監視・取締りをする、(中略)暴走行為に は手荒い手段による確保を可能にする法律を取り入れることです。
 (中略)撲滅するために悠長な手段を選んでいられません。
 (中略)私は今後大学で、希望官庁に採用されるよう勉強を怠らず、またこの荒削りな案に現実性をもたせるよう努力していきたいと思います。」

 気持ちはわかるし、(いろいろな意味で)面白かった。レポートなのに、「国家公務員試験に優秀な成績で合格」と出てくるところとか。「暴走行為には手荒 い手段」「撲滅するために悠長な手段を選んでいられません」というあたりも胸に迫る。でも、レポートとしては失格。
10/4(水) の進歩 一年生のレポートの続き
今日も、一年生のレポートを読み続けた。疲れた。昨日に比べると、はったおしてやりたくなるレポートが多かった。「Let's love」というタイトルで、自分が思うところの恋愛術を延々と書くとか。私だって、恋愛ネタを講義で使うことはある(「これ論:大改訂増補版」でも使っ た)。しかし、ウケ狙いと学術は異なる(のか、私?)。恋愛術を学術的に論じるのなら立派なレポートとなる。「自分が思うこと」を根拠もなしに真 理のように扱って書くだけでは、怪しげな恋愛相談だ。「人類はどこへいくのか -- 遺伝子操作と進化論による検証 --」にも呆れた。著者の論によると、遺伝子操作により超人が出来上がり、「現世人類が畏怖と敵意の眼差しを向け」て、「その感情は大規模な闘争を呼ぶの だ」。でも超人にかなうわけもなく、「我々現世人類は、人類が新たな進化を遂げるための生贄として絶滅していくのだ」。ただし、この超人も絶滅してしまう そうである(めんどくさいので、理由は省略)。事実に基づいて議論せよ、空想に基づいて議論するでない。「この仮説はファンタジーでしかなく、まったく現 実味がない上に、すでに完全に否定されていることだろう」って、真面目に書いているのかウケを狙っているのかわからん(怒)!  こんな物を書かせるために講義をしたのかと思うと泣けてくる。調べたことを書いただけのレポートも多かった。たとえば、温泉の効能とか飲み水の安全性とか について、本やネットで調べたことをまとめているだけ。問題提起をしていない(問題意識を持っていない)ので、調べただけになってしまうのであろう。「レ ポートは学術、問題を提起してそれに対する回答を示すもの」とさんざん言ったつもりであるが、通じなかったか。
 悪いレポートを読むと、何を講義すべきかが見えてくるのは確かである。今年も、悪い例をたくさん紹介して講義をしよっと。
今朝、研究室に来たら、「先生早く帰り過ぎです」という書き置きがあった。生物学科三年生の実習レポートを取りに来た某さんからの物のようであ る。いや、昨日は三時から片平で会議があり、ふだんはサボるくせにこの会議には出て、五時過ぎに終わったけれど、研究室に戻るのも面倒だし、何も無い日 だって五時か六時には帰っちゃうわけだし、あんに早く会いたいし、だからそのまま帰宅したのだ。ともかくも、なんかほんのりした書き置きなので、しばらく 消さずにおくからね。
10/3(火) の進歩 一年生のレポート
今月、全学の一年生を対象にレポート作成法の講義を行う。その準備のため、去年の受講生が提出したレポートを読み始めた。ぐっと惹き付ける魅力的な物もあ れば、あからさまに手抜きな物もある。総じて、一昨年のレポートより質は向上しているようだ。これまで読んだ中で一番印象に残ったのは、「日本人の宗教観 -- 日本における「無宗教」の意味 --」というレポートだ。日本人は無宗教と言われる。しかし本当にそうなのかを問い糾したレポートである。宗教には、創唱宗教(教祖・教典・教団を持つ) と自然宗教(無意識のうちに受け継がれてきたもの)がある。キリスト教・イスラム教などが、創唱宗教の典型である。日本人が「無宗教」なのは創唱宗教に対 してであって、自然宗教という内なる宗教を持っているというのがレポートの主張だ。なるほど。説得力もあり素晴らしいレポートと思った。「仙台牛タン発祥 のルーツを探る」という、「これ論」的に画期的な問題に取り組んだレポートもあった。「牛タンが仙台で愛されるようになった経緯を知ったりその歴史を学ん だりすることで、さらに牛タンに対して親しみを持ち、もっと食べてみたいとように(ママ)なるのではないだろうか」という愛情が立派である。「ジーコジャ パンはドイツで勝てるか -- 過去のダークホースとの比較に見る日本の可能性 --」(レポート提出は今年の一月)は、結果を知った後で読むと味わい深かった。「日本の躍進の可能性は非常に小さい」と指摘しているところに感心した。
 いちおう私は理学部生物学科の教官であり、植物の生態学の研究者である。なのに、オタクのこと・できちゃった結婚・龍とドラゴンの違い・中国賢人のゴマ すりの仕方・自転車の乗り方といったレポートを一日中読んでいる。ふっと、自分は何をしているのだろうと思うのであった。

10/2(月) の進歩 就職おめでとう
ヒラガから久しぶりにメールが来た。修士を修了して一年半になる。今年の八月に、新潟大学附属病院の管理課に就職したそうだ。おめでとう。内の研究室で やっていたこととは縁もゆかりも無い職についたようだけれど、活躍を期待している。
 ヒラガがいなくなって、この日記のネタも減ってしまった。こ うやって検索すると、ヒラガが我が研究室に残した足跡の偉大さがわかる。聞くところによると、新潟大病院に就職早々救急車で出勤し、盲腸でしばらく入院したそうである。かえ すがえすも、おいしい人材を失った。そんなヒラガが、病院という、人 の命を預かる職場に就職した。うっかり 八兵衛がふぐ料理の調理人となり、客を恐怖のどん底に突き落とすという漫画があったが、ヒラガの就職とは一切関係ない。ともかくも、深く愛 しているので、またいつで も遊びに来ておくれ。それと、寒ブリを食べに新潟に遊びに行こうかな。というより、寒ブリを送ってくれたら嬉しい。

レフリーを一つやった。今どき、こんな検定をしているとは(詳細は伏せておく)。いったんリジェクトして、再解析したものを投稿し直すように進言 した。
10/1(日) の進歩 あん、温泉に入る
暁子とあんと、栗駒岳の須川温泉に出かけた。紅葉と温泉を楽しむのだ。
 出かける直前、支度を調えた私は、庭に出て花々を眺めながら、暁子が出てくるのを待っていた。室内にいたあんは、私の姿を見てひんひんと泣いていた。出 かけると察して、連れて行ってとせがんでいるのだ。ほっておいたら、畳の上にうんちをした。そんな頼み方あるか。
 8 時頃に出発、10 時過ぎに須川温泉に着いた。妙にお腹が空いていたので、まっじぃラーメンを仕方なく食べてやった。
 あんを連れて、登山道をちょっと歩いてみることにした。ひもを放してやるとあんは、とことこと数メートル先に走って行く。そこで立ち止まって振り返り、 私たちの元に駆け寄って来る。こんなことを繰り返して歩んで行った。しばらくすると広い湿原に出た。こんな所に湿原があるとは思わなかった。気分を良く し、昭和湖まで行ってみることにした。湿原を越え本格的な山道に入ると、数メートル先がぬかるんでいた。そう思った瞬間、あんはそこへどばっと踏み込ん だ。足が泥だらけになっちゃった。と嘆いていたら、私めがけて突進してきた。あんとの勉強の日々が走馬燈のようによぎり、「飛びつき防止のしつけをきちっ としておくべきだった」という後悔の念が起きた。私は、山歩きの格好ではなく綺麗な格好をしている。しかしあんにはわからないのであった(当たり前か)。 泥びっちょりのズボンにげんなり。しかもその後は、ぬかるんだ道が延々と続いた。あまりに酷い所ではあんをだっこしたけれど、もう諦めた。歩き終えた時に は、下半身が泥だらけになっていたあんであった。このまま車に乗せるわけにはいかない。折良く、足湯があった。川の流れがそのまま温泉になっていて、そこ に足を浸けて寛ぐのだ。「ペット禁止」の札もなければ、「お一名さま二本まで」(浸ける足の数)とも書いていない。ここであんを洗ってやろう。あん(お風 呂嫌い)は怯えるだろうけれど、そんな場合ではない。さすがに気が引けるので、上流の誰もいない所に行ってあんを浸からせた。下流の皆様の 元に、あんの泥が流れることになりはしまいか。

ann
温泉に入って体はさっぱり、気分は硬直。

温泉に入ってほぼ綺麗になった。しかし完璧に綺麗になったわけではないので、帰宅後 に再びお風呂に入れられるという、恐怖の一日を終えたあんであった。
柏が鳥栖に破れたとの朗報!  新居抜きでよくやった、鳥栖。今節は、上位 3 チームのうち柏と神戸が敗れた。これでぐっと、奇跡の昇格気分が高まった!