ヨークベニマル石巻湊鹿妻(みなと かづま)店の大津波の様子
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北上川の河口東側にあり、
湊(みなと)地区 と 鹿妻(かづま)地区 の間に位置するスーパーマーケットである。

湊地区は、ヨークベニマル店の写真に向かって左側の町内、
鹿妻(かづま)地区は鹿妻小学校周辺の町内 である。

石巻市渡波地区には、4つのスーパーマーケットがあるが、 
店の建物屋上に駐車場があるのはこのスーパーマーケットだけである。
そして渡波地区で2番目に大きいスーパーマーケットである。

私は、大津波前には、一週間に1度 ヨークベニマル石巻湊鹿妻店で買い物をした。
だから、店内と周辺の様子を知っている。 以下のビデオを興味深く見た。 そこで、

1. スーパーの周辺の様子を写真で紹介したい。
2. 2011年3月11日大津波の1年前と2年前の津波警報発令時のこのスーパーマーケットの様子を
   このページ後半で記述する。

以下のビデオはもちろん私が撮影したものではないl。

ヨークベニマル石巻湊鹿妻店屋上から1 へのリンク
(海岸線から 700 メートル、 およそ300センチメートル浸水)

ヨークベニマル石巻湊鹿妻店屋上から2 へのリンク

ビデオが撮影された場所は、地図からわかる。


MapWataIshiWataChuSchoolRed80.jpg

図0.石巻市の渡波(わたのは)地区の地図: 向かって右から左へ赤い丸がある。

もっとも右の赤丸がサンファン館(800センチ浸水 エスカレータ途中の壁に赤い印で表示あり)
その左上が自宅(家の中で285センチ浸水、家の外の浸水深は今もわからない)、
(左へ)際(きわ)地区-私の個人的避難場所(海岸線から垂直方向に2200メートルの山すそ、
(さらに左が)鹿妻小学校(太平洋の海岸線から1100メートル、およそ60センチ浸水)、 
(さらに左の赤い楕円が)ヨークベニマル(海岸線から700メートル、 およそ300センチ浸水)、
そして石巻ガスのビル(漁港の岸壁から470メートル、 400−500センチ浸水)。
さらに左に北上川、と日和山(または日和ヶ丘)(石巻高校がある)。

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図2. 屋上への駐車場入り口: 当時津波警報とともに店はお客さんを帰し、閉店していたはずなので、避難者は、店内から屋上にあがることはできずこの自動車専用入り口から屋上の駐車場に入ったはずである(推測)。 図1. ヨークベニマル湊鹿妻店 開店に向けて改装中 2012年3月
ガレキがすっかり片付けられてきれいになった。 現在(2015年11月)は内装外装共にきれいに整備されて開店営業している。

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図3、 屋上の駐車場から店の前の駐車場を見る 2012年3月撮影
ビデオはここから撮影された。 ここは、太平洋の海岸線からおよそ 750 メートル地点で、およそ 300 センチメートル浸水。 前方が太平洋の海岸線方向である。 画面中央上にある2階建ての細長い建物が、旅館 「小松荘」 で、400 センチメートル浸水。
図4. 屋上の駐車場: ビデオ撮影位置は、画面正面奥やや右側。

中央やや左が屋上と店内への出入り口である。

デオでは、4人の人が津波に追い立てられるように駐車場入り口に駆け込む様子が映っている。 
ここに避難する人はここから歩いて5分から10分前後の町内に住む人たちである。
地震から既に50分が経過した時間帯であるのに
だれもリュックサックを背負わず、避難準備物を入れた袋も持たず、着の身着のままだ。
4人目の人は、ひざ、腰まで海水に浸かっていた。 運動能力の高い若い人であれば
ジャブジャブと海水の中を移動できるだろう。 しかし、そうでなければ、・・・、
難しい。 無事であればよいのだが・・・。

ビデオには雨傘が映っている。 しかし、よく見ると
雨傘ではなくて夏の日傘ではないだろうか? 春の初めとはいえ、
まだ雪が降る季節である。 よほどあわてて家を出たのだろう。

この日の天気予報は、「曇り、午後から少し冷え込み、ところにより小雨、
山沿いでは小雪」 であった。 だから私も雨傘を持って家を出た。
避難場所で傘を開いてみると骨の折れた使わない折りたたみ式の雨傘だった。
落ち着いて行動したつもりだったが強い揺れの直後で注意力が散漫になっていた。

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図5. 店前駐車場横の理容店ネイビー: 子供がビデオの中で
「ネイビー、ネイビー! ネイビーが埋もれてる!」 と叫んでいた理容店
明るい青色の 「理容 ネイビー」 ブルーの看板がある。
ビデオでは青色の看板の下まで浸水していた。

物差しで測ると、看板下から地面まではおよそ300センチメートルあった、
理容店の地面は左の国道から傾斜して10−20センチメートル(目分量)高い。
だからこの付近での撮影時の津波の浸水深は、およそ320センチメートル。

左の道路は国道398号線: 石巻市中心部方向の道路奥に
「伊原津(いばらづ)歩道橋」(500メートル先) が見える。

子供がビデオ2の中で、「みな中(ちゅう)へ隠れたかった。 
みな中(ちゅう)へ行けばめっちゃ安心だ(ったのに)。」 と叫んでいた。 
湊(みなと)中学校は、この写真の奥方向およそ西へ1500メートル にある。
地図にもある。
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図6(左) 海側から ヨークベニマル湊鹿妻店とその屋上駐車場入り口を見る。 

旅館 小松荘 のエアコンの下に「津波浸水深 4 m」 の掲示がある

右は、石巻市筒場(どうば)地区災害公営住宅 建設中 平成28年3月完成予定 (このページは写真により撮影時期が異なるので注意: あるはずの建物が別の写真では存在しない。 逆もある。)
図7  旅館 小松荘 のエアコンの下に
「津波浸水深 4 m」 の掲示 2015年11月 撮影
この看板は、宮城県により設置された。

小松荘 は太平洋の海岸線から およそ620メートル、 浸水深は 4メートル。
ヨークベニマル湊鹿妻店は小松荘よりも130メートルほど陸側にあり、浸水深はおよそ3メートル。

小松荘は土台を高くしているから4メートルの津波でも持ちこたえた(のだと思う)。
(石垣はおよそ高さ75センチメートル、傾斜しているので、
土台はさらに高く、高さは、およそ120センチメートルある。)
 周辺は解体した家屋が多い。

2015年12月 右の写真を撮影時、庭の野菜を採り入れ中のご主人と会釈をした。
少しお話をうかがう機会があった。

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2. 2011年3月11日大津波の1年前と2年前の津波警報発令時の
    このスーパーマーケットの様子を書きます。

2年前: 2011年3月11日の2年前にも津波警報があった。 
この時も同様に私は避難した。 ただし、切迫感はなかったので、
避難途中ヨークベニマル湊鹿妻店に立ち寄った。

店内の入り口付近で男の店員に呼び止められた。 
「お客さん急いでください。 これから店を閉めようと思いますから!」

私は、急いでチョコレートを買って外に出て避難場所へ向かった。 
避難場所には私一人だけ。 避難して来る人なんて誰もいなかった。
ラジオを聴いた。 「海岸に近づかないでください。 津波は、第2波、第3波のほうが
大きいことがあります」 を繰り返している。
津波警報はなかなか解除されない。 退屈で退屈でたまらない。
津波警報は出たままであるが、がまんができなくなって、3時過ぎ
(記憶は薄く時間ははっきりしない)、家へ戻ることにした。

帰る途中、再び ヨークベニマル湊鹿妻店 に立ち寄った。
店に入ると、買い物客でいっぱいだった。 
土曜、日曜、祝日の人出よりもずーっと多い人出である。 
さらに、自宅にもっとも近い あいのや渡波店 にも立ち寄った。
同様に、珍しいほどたくさんの買い物客でいっぱいだった。

つまり、町の人は、津波警報が発令されても、石巻市の街頭放送があっても、
避難することはせず、家の中でテレビを見ながら様子見をしていた。 そして、
夕方近くになり、もう津波は大丈夫とホットした気持ちになったところで、
食料品を確保するためいっせいに買い物に出てきた、というわけである。
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1年前: 2011年3月11日の1年前にも津波警報があった。 
これまでどおり同様に避難した。
この時も津波はすぐに来るという切迫感はなかったので、
少し遠回りをして、ヨークベニマル湊鹿妻店に立ち寄った。 

入り口前で若い男の店員に呼び止められた。 

「お客さん、もう店には入れませんよ。 店を閉めましたので。 
パートさんにも家に帰っていただきましたから・・・」 

男の店員はパートの従業員をこのように丁寧語で表現した。
ヨークベニマルは、全国展開のスーパーマーケットなので警報発令時の
対応ルールを決めているのだろうと思った。

閉店していることがわかったので、すぐさま津波避難場所へ向かった。
途中鹿妻小学校裏門わきの道路を通過した。 

避難場所には私だけ。 避難して来る人はいつものように誰もいなかった。
ラジオを聴いた。 津波警報はなかなか解除されない。 退屈で退屈でたまらない。
NHKラジオの伊藤和明さんの地震、津波のお話は聴いていてためになり
わかりやすくかつ楽しいが、それでも何もすることがなく、退屈でたまらない。 
いつ津波警報が解除になるかも見当がつかない。

津波警報は出たままで、ラジオは海岸方向に戻るなと放送していた。 けれども、だいぶ時間が経過し、
もう大丈夫だろうと考えたので、NHKラジオの伊藤さんには悪いが、3時過ぎ、家へ戻ることにした。

ヨークベニマル湊鹿妻店 に立ち寄りたかったがもう閉店していることは確実だ。
だから直接自宅へ戻ることにして、途中、渡波小学校向かいの 「あいのや渡波店」 に立ち寄った。
店内に入ると、珍しいほどたくさんの買い物客でいっぱいだった。
どれくらい人でいっぱいであったか?
ちょうどお正月の景品付き初売りの日の店内と同じくらい買い物客で混み合っていた。
それで、私は、なーんだ、みんな避難しないんだ! とわかった。

家に着いて夕方の6時か7時頃やっと津波警報は解除された。
(記憶がはっきりしないので時間が間違っているかもしれないが・・・)
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つまり、町の人は、津波警報が発令されても、石巻市の街頭放送があっても、
避難することはせず、家の中でテレビを見ながら様子見をしていた。 そして、
夕方近くになり、もう津波は大丈夫とホットした気持ちになったところで、食料品を確保するため
いっせいに買い物に出てきたというわけである。
2年連続そうであった。

石巻市の(私の住んでいる周辺の)町の人は、津波警報が発令されても、
石巻市の街頭放送で避難の呼びかけがあっても、よほど切迫した状況にならないかぎり、
避難をする習慣がなかったのである。

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そして、2011年3月11日 が来た。

2011年3月11日、避難しないのでたくさんの人が犠牲になった。
津波警報が出ても避難しないのは2011年3月11日だけのことではない。

ビデオを撮影した人は、既に閉店したヨークベニマル湊鹿妻店の屋上駐車場に
避難したことになる。

私は、これまで同様に避難をした。 これまでになく地震の揺れは大きく、長かったから、
ヨークベニマル湊鹿妻店は閉店しているはずだと考え、直接避難場所へ向かった。

とは言え、津波が必ず来るとまでは思わなかった。 空ふりの津波警報になるかもしれない。
これまでになく大きなゆれだったので、海水面が50センチ、100センチ程度
上下する程度で被害なしかもしれない。 もしかして、もうちょっと大きいかもしれない。
などと様々に考えながら、それでもこれまでの避難訓練どおり避難をした。

太平洋の海岸線から2200メートルの
山裾の目的地、避難場所(際(きわ)地区)に着いたのは、当日は知ることができなかったが、
大津波が石巻市に到達するおよそ20−30分前であった。 

応急仮設住宅に入居(2011年7月29日)以来、国、大学などによる大津波避難の
聞き取り調査、アンケート調査が数回行われた。 それによるとおおよそ住民の四分の一から5分の一が
すぐに避難をした と答えたという。 この結果には、私は大いに違和感がある。
避難の実態を表していないと思う。 

このビデオに登場した ヨークベニマル湊鹿妻店 の屋上駐車場に避難をした人たちは
大津波避難の聞き取り調査が行われたならば何と答えるだろうか? おそらく、
「津波警報が出たのを知ったのですぐに避難をした。 屋上に到着してまもなく津波が来た。 
ヨークベニマル湊鹿妻店の屋上に避難をしてちょうどだった。」 と。

しかし、私からみるとちがう。 すぐに避難したうちには入らない。
つぎのように書くことは心苦しいがあえて書いてみる。

津波避難に逃げる時期を失い、とりあえず、近くのヨークベニマル湊鹿妻店 の
屋上駐車場に避難をした。 それでなんとか間に合い、ちょうどだった、
が実情であると思う。 

なぜならば、海から陸側300メートルに住宅はない。 
魚加工工場(団地)があるだけで、人の住む一般住宅はない。
海側にある住宅から陸側最寄のヨークベニマル湊鹿妻店まで500メートル前後で、
歩いても5分から10分前後である。
それに対し、津波はおよそ50分後に到達したからである。

避難所の鹿妻(かづま)小学校あるいは牧山(まぎやま)の山裾(登り口がある)
あるいは湊(みなと)中学校に直ちに避難をすべきであったのだ。


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石巻ヨークベニマル湊鹿妻店前 チャンポン炊き出し (外部リンクYouTube)
(2011年4月26日、被災およそ1ヶ月半後)




2015年11月23日から書き始めた。 
今は、その途中なので、さらに書き加えるつもりです。

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うわさを否定する:

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