石巻市立 渡波(わたのは)中学校 の近くの大津波の様子


東日本大震災津波動画 2011/3/11 tsunami へのリンク
YouTube

撮影者は、「場所は石巻の渡波中学校の辺りです」 と書いている。 さらに、浸水の様子から推測して、
撮影された場所は、下の地図の右下にある大きな赤い丸の範囲にあるのではないかと思う。




図1.石巻市渡波地区の地図(このGoogle Earth は、大津波以降の地図です。)
    画面向かって中央、右下に 渡波(わたのは)中学校(小さい赤い4角形) がある。     
   YouTubeのビデオは、その上の大きな赤い丸の範囲に住んでいる人により撮影されたと推測される。
   渡波中学校の太平洋側には松林が広がっている。 渡波中学校は解体されて今は更地になっている。
   西側に隣接する石巻市立女子商業高校も解体、更地になった。

ビデオを撮影した地区の人は、近くの避難所に避難することになっていたのではないだろうか?
たとえば、渡波(わたのは)中学校 あるいは鹿妻(かづま)小学校 に避難する。

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渡波字浜曽根は、家の前が国道398号線で家の後ろが松林である町内である。 したがって、
国道398号線と松林にはさまれた細長い区域で、道路に沿って家が1−2列に並んでいる町内である。 
この町内は、世帯数が少ないこともあるが、6人に一人の割合で津波の犠牲となった。

私が現在住んでいる仮設住宅の近所に住む人は、この町内、渡波字浜曽根(はまそね)に住んでいた人である。
津波当日は家には居らず、車で外で仕事をしていたので助かったそうである。 
その後、仮設住宅に入居するまで4ヶ月半渡波(わたのは)中学校の3階で
避難所の世話係の役員をしながら避難所生活をした。

私は仮設住宅入居半年から1年後に質問をした。 
津波は渡波中学校のどこまでまで(津波の高さ)来ましたか?
校舎に付着した津波の痕跡は、どの辺に着いていましたか?


答え: 「わからない! そのようなこと、今まで考えたこともなかった。 1階はぐちゃぐちゃだったが・・・。」

私は 「今まで考えたこともなかった」 という、その答えに驚く。 
大津波の後、避難所の中で、毎日、毎日、もう夢中で暮らしてきたのだろうな・・・、と。

2015年11月23日書
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渡波(わたのは)中学校の被災校舎と海岸線の様子 <--- YouTube ビデオへのリンク
(撮影日時は不明だが、大津波二年後の 2013年3月18日 にアップロードしたとある。
 私が撮影したものではありません。)

渡波中学校の一階が 「ぐちゃぐちゃ」 だった様子がよくわかる。
学校裏の長浜海岸の堤防の津波破壊の程度もわかる。

高さ4メートルの堤防は、陸側は、コンクリートで固められたものであるが、
海側は、そうではなくて、コンクリートブロックで被覆する方式であった。 つまり、コンクリートブロックを
パネルのように堤防斜面にはめ込む方式であった。 ビデオを見ると、その被覆ブロックが津波で
引き剥がされ堤防の天端を越えて陸側道路まで運ばれている。 堤防の内部も破壊されて、
堤防内部の岩石も露出し、道路側まで散乱している。
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次の写真は、災害復旧工事後の写真(2017年1月撮影)です。
復旧工事後の堤防は、コンクリートブロックで被覆する方式であるが、被覆した上でさらにコンクリートで固めてある。
ビデオと同じ場所を歩き写したので比較ができます。

   
図1. 渡波中学校裏の松林から太平洋方向を望む: 新しい防波堤が見える。 たぶん雨水の排水路、今は使われていない。 以下の写真は、上記ビデオ撮影者と同じ場所を移動しながら写したと考えていただいてよい。 図2. 渡波中学校裏の松林: 大津波で松林は、まばらになってしまった。 倒木がたくさんみられる。 もともと密生したぶ厚い松林なので、どの松ノ木も比較的細い松ノ木で構成されている。 神社の境内にあるような幹の太い松ノ木はもともとない。 
   
図3. 災害復旧工事後: 新漁港、石巻魚市場方向を見る(仙台方向): 左は、復旧した新堤防、 右は渡波中学校側の松林。 大津波前は、堤防側の歩道は一部分を除き舗装されていなかった。 写真の舗装道路と堤防は1500メートルほど先の魚町三丁目津波避難タワーのある付近まで延びている。 あれほど破壊された状態を、6年が経過したとはいえ、よくこれほどきれいに復旧整備できるものです。 図4. 災害復旧工事後: 新漁港、石巻魚市場方向を見る(仙台方向): 大津波前は、松林側に舗装した歩道はなかった。 左の堤防に関しては災害復旧工事は、全長のまだ半分ほどである。 ビデオと同じ場所です。 まわりに高い建物がないせいか、高さ7.2メートルの堤防でもあまり高く感じない。
図5. 災害復旧工事後の太平洋の海岸の新しい防波堤の上面: 石巻新漁港、魚市場の方向: 満潮時、干潮時であるか不明: 大津波前の満潮時よりも潮があがっている状態ではある。 石巻市牡鹿半島(おそらく石巻市全域)は、東日本大震災により75センチメートル沈降した。 その後、毎年9センチメートルづつ直線的に隆起している(2014年現在 石巻市北上川中瀬にある水辺の復興みらい館(国土交通省のプレハブの建物)の展示パネル(下図参照)。 新堤防の高さは7.2メートルのはず(ものさしで測るのを忘れてしまった)で、コンクリートブロックの被覆方式だが、ブロック全体をコンクリートで固めてある。。 元の堤防の高さはおよそ4メートル、コンクリートブロックの被覆方式で、コンクリートで固めてはいなかった。 仙台市は、堤防の方向のおよそ三十数度左側の方向にある。 その中間の方向が松島海岸の方向である。 1960年のチリ地震津波の頃は、50メートルかそれ以上の砂浜が広がっていた。 今は砂浜はゼロ、写真のようにまったくない。  図5. 堤防前の道路から解体した渡波中学校側を見る: 大津波前は松くい虫防除のため弱った松ノ木をたくさん切り倒しているのを見た。 それでも、写真のように松林の向こう側が透けて見えることはなかった。 それほど厚みのあるうっそうとした松林だった。 渡波中学校は解体された。 跡地の国道298号線沿いの空き地にボランティア団体がコスモスを植えた。 私は、そのコスモスを見ながら応急仮設住宅と自宅の間を何度も往復した。 (新)渡波中学校は、ここから東北の方向、海岸線から1000メートルの場所に新築中である。 平成29年3月に完成予定。 


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