3月13日 朝 避難所 渡波小学校の教室の中

  小学生のこしかけに座ったまま眠るとは眠った。

  夜明け1時間前の午前3時 目を覚ます。
目を覚まさせたのは 「寒さ」 だった。

  午前4時少しづつ薄明るくなりはじめる。

皆が横になり寝ているにもかかわらず、
大きな声で世間話を始める年寄りが現れる。
明るくなり始める午前4時からすっかり明るくなる午前5時ころまで
1時間に渡り大きな声で世間話をする年寄り連中がいる。
 
  午前7時、トイレの掃除が始まった。
 
  午前8時、朝食として、ビスケットのような、
片面にお菓子のチョコの付いたクッキーが2枚が配られた。
 
  教室全体で飲む水、ペットボトル1本(1リットル)が教室の前に置かれた。
どこから入手したものであるかの説明はなかった。
 
班長が朝食を配布している間に
私は、教室の前に出て次の三つのことを簡単に話した。

1. およそ1000年前の「貞観の大津波」以来の大災害である。
       黒板に「貞観」と年号をチョークで書いた。

2. これからしばらくの間、食べ物が不足し、栄養状態が低下し
風をひきやすくなる。 とりわけ体力の弱いお年寄りは、小さな
風邪ひきから重い病気になることもあるので、
油断をせず十分に注意するように!

(これは、従軍看護婦であった私の母親から子供の頃より
繰り返し聴いていた話をそのまま伝えたものです。)

3. (教室にいた2人の小学生向けに)歴史的な大津波、災害である。 
大人(おとな)のやること、すること、町の破壊の状態を、なんでも見て
観察して頭にしっかり入れておくこと。 きっと役に立つ。
 
だれか私の話をきいているような人はいたか?

2.は、最後列中央で寝巻にくるまった80歳台のおばあさんが
    私を見ながら小さくうなずいているのが見えた。
3.は、小学6年生の男の子が私を見つめているのに気付いた。

私の方を向いている人はほとんどなく、
聴いているか、いないかわからない状態であった。 

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家に向かう準備として、二つのリュックサックの中味を整理する。
どうしても失いたくない物とそうでない物のグループに分けた。

ひとつのリュックサックを教室に置き、もう一つの
リュックサックのみ背負い自宅に向かうことにする。

(もしかすると、最初の朝は、
リュックサックを二つとも背負って家に向かったかもしれない。
周りにいる人がどのような人たちなのかわからなかったから・・・。)

リュックサックの中に、たまたまオロナミンCの空き瓶が入っていた。
この空き瓶に 水を半分ほど入れて出発した。

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