3月12日 避難所 渡波小学校の夜 3.


夜9時を過ぎるとそれまでの がさごそ音は消えて
教室の中はシーンと静まり返った。

静かになるのも当然だ。
暗くなってから、もう4−5時間経過している。 
暗い中、何もすることはないのだからだ。

教室の中には36人またはそれ以上の人がいた。

不思議なことに、寝息も聞こえず、咳をする人もいない。
教室全体がシーンと静かなだけである。


私は何も考えなかった。 目を閉じながら
明日のために早く眠りたいと思っていただけだ。


夜の11時ころトイレに行くことにした。
持参の防災ラジオ(発電器付)のハンドルをぐるぐる回して発電した。
リュックサック二つを背負い、LED1個の明かりを照らしながら
人の頭や体や足を踏まないように、慎重に教室の外に出た。

防災ラジオ付属のLED1個の明かりがついに初めて役に立つ時が来た。

背中にリュックサックを二つ背負い教室の外に出た。
教室の中に荷物を残しても大丈夫という雰囲気はなかったからだ。

廊下の外窓のある所は月の明かりで薄明るい。 
学校裏に隣接する家々も寒々と明るくよく見える。
二階の教室ほぼ全部に避難者が入っている。
廊下の向こう端にはトイレに向かうらしき人影が二人ほど見えた。

廊下の外窓のない所は真暗だ。
 歩きながら
防災ラジオ付属のLED1個の明かりがついに本当に今役に立っていると
感じた。 明かりがなければ、廊下の壁に手を当てるなどしながら
手探りで歩かねばならない。 トイレの入り口も判別がつきにくい。


トイレには誰もいなかった。 
トイレには木製のスリッパ1足だけあった。
靴を履きかえることなくトイレに入った。 
水洗は出ないが、トイレは何故かきれいだった。
阪神淡路の大震災の時ニュースで伝えられた
学校のトイレの状態では全然なかった。

トイレは外窓が開き放しで冷たい風が吹き抜けていた。。 
窓からは隣接する家の屋根や窓が、電気が灯っていないにもかかわらず、
明るく、冷たくはっきりとみえる。
帰りにトイレの外窓を閉めて出るつもりだったが、閉めない方が良いと考えを変えた。

避難者がいる教室は締め切っている。 廊下の窓も寒いから締め切っている。
空気の交換は1階と2階、2階と3階を結ぶ階段だけだ。
トイレの窓ぐらい開けておかなければ空気の交換が不十分になると考えたからだ。


目の前の冷たい窓を閉めようと思えば閉められるのに、
その日以降、雪が窓から吹き込む日でも窓は開き放しだった。
ちっちゃなことだが、だれでも同じことを考えていたのかもしれない。
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だいぶ細々としたことを書きすぎてしまった。

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この夜は、午前2時ころにも、もう一度トイレに立った。

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津波前は、一度布団の中に入ったならば、
朝目が覚めるまでトイレに行くことはなかったのだが・・・。
津波避難開始以降、水を飲むことはなかったのに・・・。
寒かったからだろう。


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