避難所 渡波小学校の教室の中 2.

2011年3月12日
(大津波の日の翌日の夜)

夜8時頃窓の外を見る。

町の中はすべて停電。
家々の灯りはまったくない。

それならば、真っ暗なはずだが、そうではなかった。
夜空には雲がなく、いつもよりたくさん星が輝いている。
 月の光で町中は明るい。 家影がよく見える。
(ただし、今、当時の月を思い出せない。)

牡鹿半島の山の斜面も見える(およそ1000メートル先)。
山の斜面にある(たぶん、電話用の)鉄塔の一か所が
月明かりの反射であたかも電気が点灯しているように見える。
静かだ。

渡波小学校に隣接して消防署がある(150メートル程斜め右側)。
消防署に赤色灯が灯っている。 それ以外の人工的な灯りは見えない。
 消防署に動きはないようだ。 消防署前の道路(国道398号線)は
自動車の走行はできず、徒歩で通行もできないから。


小説家ならば、大災害の次の日の夜、町には灯りがなく
真っ暗であったと書くだろうに・・・。
しかし、小説と異なり、現実はちがう。
電気はないのに、町は明るく、赤色灯まで灯っている。

窓の外を見ながら、今この時点でもガレキの中に閉じ込められ、
海水の中に体を浸し、命を落としつつある人がいるに違いないと思った。


夜9時を過ぎると教室全体はそれまでの
ガサゴソ音は消えシーンと静まり返った。

電気はなく、暖房もない。
教室の床はコンクリートなので足元から寒さが伝わる。
時間とともに気温が下がるのを体感する。
それでも、たくさんの人の体温で
空気だけはほんのり生暖かい。

(報道写真によると、
避難所によっては石油ストーブが設置された所もあったようだが、
避難所の渡波(わたのは)小学校の各教室では、石油ストーブなどの
暖房はこの日から冬が過ぎ、春の終わりまで全く設置されることはなかった。
渡波小学校は大きな避難所なので、石油ストーブ設置の支援を求めれば
設置できたはずだと思うのだが・・・。 
火災を心配したのだろうか? 理由はわからない。)


コンクリートの床なので、服を着たまま横になるわけにはゆかず、
小学生用の椅子に腰かけたまま眠ることにした。 
手袋をしたまま、ひとつのリュックを背中に背負い、
もう一つのリュックに両腕を通して
胸に抱え込み背中を丸くしながら眼を閉じた。
なかなか眠れない。


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