* 手回し発電機付きラジオ(SONY ICF−B01) *

3月11日の東日本大震災の避難行動時とその後の
避難所と被災した自宅生活で大変役立ちました。

その使用体験から改良していただきたい点をここに記します。


1. 総合的な評価

たいへん良い。 致命的欠陥はなかった。

2. 改良したほうがよいと考える 3 点

LED(発光ダイオード)は側面と上面の2か所にある。

 1. 側面のLEDは懐中電灯の役割で大変に役立ったから不可欠だ。
2.  上面のLEDの灯りはこのままの状態では無くてもよい。

2.の上面のLEDは、ランターンの役割で、周辺を照らし、安心感を与え、
物品の配置の確認や、文字を読む用途としてあるのだろう。
身の周りに点灯して置いてみたり、天井から吊り下げて使ってみたが、
照度が低くどの用途にも不十分で、実用的でなかった。
一言で言って役に立たなかった。  だから、
1. 上面のLEDの灯りはこのままの状態では取り除いてもよいと考える。
これにより、
上面と側面のLEDを切り替える切り替えスイッチが不要となる。


電源は2種類ある。 1.手回し発電 2.乾電池(単4 2個)

2. 1.の手回し発電だけがあればよい。 2.の乾電池は不要、
災害時は乾電池が手に入らない。 そして、
単4乾電池は電力容量が小さいから災害時には頼りにならない。
 これにより、
乾電池収納ボックスは不要、 電源の種類の切り替えスイッチも不要となる。
空間的余裕が生まれるのでケース本体の強度も高まると期待する。

3. 手回し発電器のハンドルの丸いつまみをもう少し大きいものにしていただきたい。
毎日回していると、小さすぎて回転操作中に中指(第一関節)が痛くなる。
やがて親指も痛くなる。 いつも手袋を付けて回していた。



図1. 発電機付きラジオ(SONY ICF-B01)
大きさ: 77 x 127 x 48 ミリメートル (縦 x 横 x 厚み)
重さ: 285 グラム


3. あまり活用しなかった機能

携帯電話への充電機能
長い時間充電用ハンドルを回してみたがほんの短い1通話ができる程度だった。
電話回線が回復した時期にはもう公民館や渡波小学校(避難所)で
電灯線から充電できたので充電機能は活用しなかった。
ハンドルを回しながら充電中問題なのは、
現在どの程度充電できているかわからず心許なかった点である。

FM放送VHFテレビ(音声のみ)の受信機能について

NHK FM仙台(82.5MHz)と 民間のFM仙台(77.1MHz) の受信状態
付属のロッドアンテナを延ばしても受信状態は不良で安定せずほとんど聴かなかった。 
とくに渡波小学校(避難所)の教室の中ではFM放送は受信できなかった。 

けれどもラジオの受信感度が低いからとは思わない。 
FMの送信所(仙台)から50キロメートル離れていることが主要な原因だと考える。
さらに学校が鉄筋コンクリート造りであるせいで、電磁的に
遮蔽(しゃへい)されるからだと考えている。

ローカル局のラジオ石巻(FM 76.4MHz)の受信状態
FM石巻も渡波小学校(避難所)の教室の中では受信できなかった。

屋外で、ロッドアンテナを延ばし、
ラジオの筐体の方向を細かく選ぶと受信はできた。
しかし、体の向き、ラジオの筐体の向きを少しでも変えると
雑音混じりとなり受信状態は安定せず不良となる。

FM石巻の送信アンテナとの距離はおよそ5000メートルである。
その間に海側に突き出た山(牧山(まぎやま))がある。 
FM石巻の電波は海方向に突き出た山をかすめて
海側から回り込むように私の地域に届くので電波が弱いようだ。

ラジオ石巻(FM 76.4MHz)は臨時災害放送局として送信電力が10ワットから
100ワットに大幅にアップしているとのことだが
以上のような受信状態であった。

できれば、地域の情報を放送していたFM石巻を聴きたかった。


何か良い方法はないものだろうか?

「いしのまき市議会だより」 (石巻市議会発行)によると
(平成28年5月13日 No.47号 各家庭に配布)

伊藤議員の質問: 防災ラジオ難聴区域の改善策は?
石巻市の答弁: 新たな中継局の設計をすすめており早急に設置工事に着手する。

おかげさまで、大宮町津波避難タワーに中継局が設置されてよく聴こえるようになりました。
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中波のラジオ放送とりわけNHKのラジオ放送は重要

避難途中、避難所の渡波小学校、自宅の避難生活で聴いたのは中波の
NHK仙台第一放送(891KHz)だけだった。 民間の中波の東北放送(1261KHz)は、
自転車で避難途中にダイアルを合わせたとき、地震情報の後にコマーシャルを流した。
こんな時にコマーシャルを流す判断をするとはなんだ! と思ったのでそれ以降、
応急仮設住宅に入る7月の終わりまで、東北放送は聞く気持ちになれなかった。
災害時には、地形を選ばずに安定にどこででも聴取できる中波のAM放送
とりわけNHKの中波のラジオ放送は重要だ。

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4. これからも維持していただきたい機能と付属品

防滴構造---津波襲来時は小雨、小雪であった。 ぬれた手で操作しても安心感があった。
ラジオが防滴構造になっていることは知っていたが、それでも私は津波襲来時の小雨、小雪の中
念のためラジオをビニールの袋の中に入れたり出したりしながらてラジオを聴いていた。

防滴構造は災害時には必要だと思う。
私は今回、津波に流されたわけではないので、防滴構造で十分だったが、
もしも、一時的にでも、体を津波で流されたとすれば、防水構造が必要かもしれない。

素人の考えだが、ラジオを防滴構造にすると設計者は、
自動的に筐体を丈夫な構造にせざるを得ない。 と同時に、
水分やゴミがラジオ内部に入りにくくなる。 その結果、故障しにくくなる。
防災ラジオとして好ましい。
その代わりに、音質は悪くなる(理由は省略)。

筐体が丈夫---頑丈というほどではないが、普通の安いラジオよりも丈夫である。
安心感がある。 写真にあるよりも傷だらけになっているが、
立ち位置から落としても壊れる心配が少ない程度には丈夫。
防災ラジオとして筐体が丈夫であることは必要なことだと思う。


布袋付属---いろんな物を詰め込んだリュックサックの中にいっしょに入れていた。 
リュックをドスンと地面に置いたとき、自転車の買い物かごに入れて走り、転んだときでも
ラジオを壊さないためには必要だと思う。 布袋で軽く包んでおくだけでも保護効果は大きい。 
実際に自転車を転倒させてしまったことが何度もあるからである。

大きさ---購入した時には小さ過ぎると思ったものだが、実際に災害時や
避難所生活で使ってみるとこの大きさでちょうどよいと感じた。
日常生活で使うラジオとしては小さすぎる。 けれども、リュックサックの中に
たくさん物といっしょにラジオも入れて、あちらに行ったり、こちらに行ったり活動したことを考えると、
この小さいサイズでちょうど良いと思う。  これ以上大きいサイズでは邪魔になる。

大津波の日から応急仮設住宅に入った7月の終わりまでラジオを常に持ち歩いた。
外に出ている時にラジオがないと、不安で、不安でたまらない気持に襲われる。 今は、
近くの みやぎ生協石巻大橋店(ひざ下まで浸水) に買い物に行くときには携帯しないが、
自宅に帰る時、海岸近くを通行する時には必ずリュックサックに入れて出かけている。


5. さらに性能が高い方が良いが、このままでも十分だと考える機能
(互いにトレードオフの関係にある機能)

発電ハンドル1分間回転の発電量 と 筐体の大きさと重量
1分間勢いよく発電用ハンドルを廻すと30分間ラジオが聴けることになっていた。
廻してみると連続1分間ハンドルを廻すのは大変で、くたびれる。 だから、
連続1分間発電用ハンドルを廻したことは数えるほどしかない。
私は、15秒から30秒間発電用ハンドルを廻して
10分から15分間ラジオを聴き、音量が小さく、消えそうになれば
再びハンドルを廻すことを繰り返しながら使った。
ハンドル回転当たりの発電量が大きいことにこしたことはないが、
わたしはこれで十分で満足している。 筐体が大きく重くなるよりもよい。
ラジオのニュースは5分から15分間、
19時のニュースは30分間だからこの方式で不便を感じなかった。

このラジオは電源電圧が低下しても受信周波数(同調)がずれない。
この点たいへん良い。 (H-Ni充電池の特性によるものかもしれないが・・・)

避難所の渡波小学校での2ヵ月半の間、音楽を聴いた記憶がない。
教室の中は音楽を聴けるような雰囲気でなかった。

音質と音量 と ラジオ受信の持続時間
NHKのニュースのアナウンサーの音声を聴き取るために十分な音質だった。
もちろん音楽を楽しめるほどの良い音質、音量であるという意味では全然ない。
人間の音声用の狭い帯域幅に制限されている。 そして、歪が多い音質である。 
その代りに消費電力が小さく、ラジオ受信の持続時間が長いのであろうからこれでよい

NHKのニュースは聴き取りやすかった。 
避難所にいた隣の人によると、「そのラジオは
音が小さい時でも話の内容がよくわかる」のだそうだ。 
わたしもそう感じた。 この意味において音質は良かった。

側面のLEDの明るさとその持続時間 と 筐体の大きさと重さ
夜間に避難所の廊下で、自転車の鍵を落としてしまったことがあった。
必死で探した。 何しろ避難所生活では自転車はわたしには必要不可欠で、
生活の質の維持に直結していたからである。

落とした自転車の鍵を探してみて、現状のLEDの明るさでは、自分の足の周り
50センチメートル周辺を探すのにはなんとかなる明るさであるが、
さらにそれ以上(たとえば、1メートル)自分の足元から離れた所を探すのには
明るさが不足だと痛感した。 確かに1メートル離れても
LED1個の電灯の明るさは届く。 しかし、地面の上にある、
小さな自転車の鍵を認識できるほどの明るさではない

LEDはより明るく、持続時間がより長い方がよいに決まっている。
だからといって、筐体が大きく、重さが重くなるのは困る。
判断が難しい。 今後の、LED,発電機、充電池の性能の改良に期待する。

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その他

付属の呼子笛 --- 今回幸い私は呼子笛を使う機会はなかった。
呼子笛は、ラジオを入れる布袋と共にラジオにいつも括り付けている。
ないよりも、あるにこしたことはない。

イヤホーン --- なかったので使わなかったが、必要だと思う。 避難所の
教室では音量を最低にしてスピーカーを耳に当てて聞いていた。

乾電池 --- はじめからまったく使うつもりがなく、準備もせず、使わなかった。
支援物資としても乾電池は受け取らなかった。

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そして、2016年2月6日 ついに壊れてしまった。

大津波からもうすぐ5年となる日だった。


2016年2月6日 手回し発電機の回転軸が壊れてしまった。
購入したのは12−13年前だった・・・。

ハンドルを回せないので発電はできない。 ラジオは聴こえる。
修理したい・・・が、どうすればよいのやら?



この程度の回転軸ならば壊れても別段不思議でないと直感的にわかる。
そう思えるほど毎日、毎日ハンドルを廻した。 だから、壊れた回転軸を見て
湧き上がってくるのは、震災から5年間よくもち耐えてくれた、
今まで私のためにご苦労さん、ありがとうという気持ちだけである。

物差しで測ってみると、中心軸の直径はぴったり10ミリメートルであった。
回転の中心からハンドルまではおよそ70ミリメートルある。 だから
回転の中心から70ミリ離れたバンドルを手で回すと、半径5ミリメートルの回転軸が廻り
70 割る 5 は、14 なので、回転の中心軸には、手で発電ハンドルを回す力の
少なくても14倍の力がかかることになる。 結構大きな力だ。 
中心軸付近は、この大きな力に耐えられる丈夫な構造が要求される。

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手回し発電機付きラジオ を購入するまでの経緯

1. 何年前であったか思い出せないが、大津波から6−10年ほど前のことである。
新聞で、ドイツの海外青年協力隊の青年が手回し発電機付きラジオを
考案したことを読んだ。 それによると、
アフリカやインドに派遣されて小型のラジオを配りたいへん喜ばれた。 
しかし、アフリカやインドの人は経済的に乾電池を買う余裕がなく
電池がなくなると、使われないままになってしまう。
そこで、手回し発電機付きラジオ を考案した、とのことである。

ひじょうにすばらしい考えで、私も入手したいと思った。 子供時代、
トランジスタラジオを持っていたが、乾電池を購入するのがたいへん
であった自分と重ね合わせた。 そして、停電時に役に立つ。
考えただけでなくて実際にその実物を創り出したことは
誰にもできることではない。


2. さらに1−2年後、
MoMA(ニューヨーク近代美術館)のウエブサイト
手回し発電機付きラジオ(ドイツ) を
実用上の必要性から生まれた(美しい)形状(フォルム)として
紹介するページを読んだ。 写真と解説文があった。
キューレータによる音声とビデオによる解説はなかった。 


3. さらに1−2年後、新聞で、ソニーが災害用として 
手回し発電機付きラジオ を発売したことを知った。

新聞の広告ではない。 普通の記事としてあった。
その記事の中では、1.と 2.に関する言及はなかった。


4. さらに半年から1年後
仙台駅東口にある ヨドバシカメラ仙台 の二階入り口付近で
手回し発電機付きラジオ を購入した。

ソニー と NEC と 無名の会社の発電機付きラジオがあった。
NECのラジオはソニーのものよりもさらに小さく丸みのある形状だった。
当時は、ソニーのラジオでも小さすぎると思ったので
さらに小さいNECのラジオは選ばなかった。 しかし、今では、
NECの発電ラジオでも災害時には小さすぎることはないと思う。
かえって大きさの点で災害時には適当かもしれない。
(記憶ちがいで、NECではなくて東芝のラジオであったかもしれない。)

ヨドバシカメラの40歳前後の男の店員が私のお相手をしてくれた。
もしも、当時、小さなラジオを買う私に話しかけてくれなかったならば
ラジオを購入しなかったかもしれない。

5. 購入から大津波までの6年ほどの間
発電機付きラジオをどのように使っていたか?

デスクトップパソコンの机の上にノートや鉛筆と一緒にラジオを置いていた。 
パナソニックの500円ほどの新、旧のイヤフォンを2個ラジオの袋に入れていた。
なのに、大津波の日はなぜか袋の中にはなかった。
携帯電話への充電アダプタは、はじめから役に立たないと
考えたので机の引き出しの中に入れていた。

乾電池でも使ってみた。 単4は容量が小さい。 予備の保守が面倒。
充電用単4、H-Ni電池を2組計4個(ヨドバシカメラのポイントで入手した)を使ってみた。
一組(2個)を使い、もう一組をその間に充電しながら交互に使った。 1ヶ月に1度程の
割合で交換しながら1年未満使ってみた。 結局、私の結論は、
乾電池は必要ない、であった。 理由は細々(こまごま)と長くなるので書かない。 
以後、乾電池を使わないことに決めた。 

普段はほとんど使わず、時々思い出した時にラジオをちょっとだけ聴いた。 
FMはどの局も良く聞こえない。 中波のNHKを聴いた。

石巻から仙台へ出かけるときにはいつも発電機付きラジオを
持ち出した。 JR仙石(せんせき)線の松島ー塩釜間では
海岸のすぐ近くを走る。 津波があれば、線路が浸水し、
路線が不通になることは確実だからである。

電車の中ではラジオはよく聴こえなかった。 特に走行中は聴こえない。
仙台駅に着くと、時間があれば仙台駅のペデストリアンデッキで


仙台駅前青葉通り側のペデストリアンデッキ
(画面右下の植え込みの囲い石に腰をかけて)

しばし ラジオを鳴らしてみた。 NHKのFM仙台、民間のDateFM、テレビの音声と
さらに、3局ほどのコミュニティラジオ(仙台市青葉区、泉区、宮城野区)が
強力に聴こえる。 石巻市内とはぜんぜんちがう良好な受信状態である。
そのたびに、仙台はいいなぁと思ったものである。

以上のように、2011年3月11日の大地震の際に
たまたま 発電機付きラジオを持ち出したわけではない。
普段から軽い気持ちで、準備をしていたのである。

ソニーの手廻し発電機付きラジオは、今回、期待通り、
期待以上に、たいへん役に立ちました。

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2か月半の避難所(渡波小学校の教室)での生活でどんな番組を聴いていたか?

1. NHKの19:00からのニュースを欠かさずに聴いた。 
初めのころは、朝の06:00や07:00のニュースも聴いた。 しかし、朝のニュースは、
夜のニュースの繰り返しのようなので、新しいものがありそうな日だけ朝聴いた。

2.音楽は一切聴かなかった。 教室全体が、音楽を聴いて楽しむような雰囲気でなかった。
私は、音楽や歌が好きなのだが、当時は、音楽を聴きたいとは全然思わなかった。  

3. NHKのラジオ深夜便は、全く聴かなかった。 眠ることに専心していたから。  
イヤホンを持っていなかったが、イヤホンを持っていたとしても聴かなかったと思う。 
眠り、休むことが一番大事だと考え、それに専心した。

4. ニュース以外の番組を聴いた記憶がない。
ニュースだからと言って毎時聴いていたわけではない。

5. NHKのニュースの中で、「ヘドロや瓦礫の中にいる破傷風菌が小さな傷口から入り、
破傷風になることがあるので気を付けるように」と注意喚起の放送があった。

この放送内容を、朝の朝食(ビスケット2枚)配布の時に、教室の前列に出て、
みんなに大きな声で伝えた。 黒板に「破傷風」 と書いた。 
NHKのラジオのニュースで知ったこともはっきりと伝えた。 その対策(消毒薬があればよいのだが、
ない場合は、小さな傷もそのままにせずに傷口をきれいな水で洗い流すこと)も伝えた。 
(当時は消毒薬が避難所にあるかないかもわからなかった。 
初めの4−5日は、飲み水が教室にペットボトル1−2本配布される程度だった。
その後は、ポリタンクで飲み水が配布されるようになった。)
教室内の人から特別反応はなかった。

6. NHKのラジオニュースで「菅首相が、自衛隊員を、雲仙普賢岳の災害時の3000人規模から10倍の自衛隊員を派遣する決定した」
との放送があった。 教室の皆に伝えた。 だからもうすぐ、渡波地区のあちらこちらで自衛隊員を見かけるようになるはずだと伝えた。

ちょうどこのころ、当時現職の石巻市議会議員の(たしか)「中野」さんが教室を訪問してくれた。 
市議会議員として頑張るなど励ましの言葉を教室の前で話してくださった。 私は当時のこの人の姿を忘れない。
よく来てくれたといまでも感謝している。 避難所生活全期間で渡波小学校の教室を訪ねてきたのは、
市議会議員、県会議員、国会議員たくさんいる中でこの「中野」さんただ一人であった。
私は当時のこの人の姿を忘れない。 2023年現在「中野」さんは市会議員ではない。

7. 余震は大小たくさんあった。 津波になりそうだなという時には必ずラジオのスイッチを入れた。
ラジオの情報を得ていたので周りの人よりも、安心して落ち着いて居られたのは大変に良かった。 

大きめの余震があり、「大きな津波がくるから、皆、三階、屋上に移動するように」と大きな声で走り回る人が現れ、
学校全体が騒然となることが数回あった。 皆移動を始め、36人居た教室の中が空っぽになった。 そのような時でも、
ラジオを聴いていたおかげで、どこからあの人(大声で走りまわっている人)たちはそのような情報を得ているのかなぁ、と
不思議に思いつつも私の周りの3人と共に冷静で居ることができた。 そして、一応、空っぽになった教室を一番最後に
ゆっくりと出て移動した。 結局、学校まで到達する余震による津波はなかった。


ラジオを聴いていたおかげで、まわりの人たちよりも、わたしは、不安な気持ちから解放されていたと思う。


発電機付きラジオのおかげで、いつ乾電池がなくなるのだろうと心配することは一度もなかった。
このことだけでもたいへん良かったと思う。

8. 

その後、仮設住宅に入居するまでの自宅での生活でどんな番組を聴いていたか?

1.NHKの19:00からのニュースを欠かさずに聴いた。

2. NHKの12:20からの「昼の憩い」を聴いた。(自宅に居るときだけ) 
お昼の炊き出しは、11:00−12:30ごろに不定時間にあり、
渡波小学校の校庭に並んでいたので聴く機会は多くはなかった。

3. 

4. 余震は大小たくさんあった。 津波になりそうだなという時には必ずラジオのスイッチを入れた。 

5. 以上以外の番組は聴かなかった。 なぜか、聴きたいとも思わなかった。



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