津波の日の最初の夜 4

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貞観の津波を伝える

午前零時半のNHKラジオニュースは、新しいニュースはないので途中で聞くことを止めた。
そして、午前零時35分ー40分頃、炬燵の周りの人に皆に聞こえるように少し大きな声で次のことを伝えた。

「今回の津波は、およそ1000年前に起こった貞観の地震、大津波の浸水状態によく似ている。
貞(じょう)は、貞淑の貞(てい)、観(かん)は観光の観(かん)なのですが・・・。

これは、1000年ぶりに起こった地震と大津波だと思う。
明日からは、そのつもりで、行動をした方が良いと思う。」

と話した。  誰からも反応などないと思いながら話した。

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予想に反して、私のすぐ隣で炬燵に入っていた若い男の人から、

「そのようなことがわかっていたのならば、どうして
これまで知らせてくれなかったのか?」

という声があった。

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そこで、私は次のように話した。

「まったくテレビや新聞で報道されなかったということはありません。
回数は少ないのですが、報道されています。

(牡鹿半島の先にある)金華山(小さな島)沖の 「地震の空白域」で、高い確率で
大きな地震が起きる可能性があることは、ここ10年来何度も、何度もテレビ、新聞で
とりあげられ報道されてきました。 これはご存知だと思います。

観の大津波については、大変少なくて、私の場合は、
2−3度 テレビ、新聞で目にした程度です。」 

若い男の人からは、
 「そうですか」 という言葉があった。 それ以上の話はなかった。 
炬燵の周りのその他の人からは、なにも声はなく、無言のままであった。

私はもっと話したい気持ちはあったが、実際に話したのはこれだけだった。
見ず知らずの人ばかりなので、たくさん話すことは遠慮してしまった。
だから、話足りなかったかもしれない。

けれども、明日から、1000年ぶりの大地震大津波に
遭遇してしまったと自覚しつつ行動するのと、何も知らずに
行動するのとでは、その気持ちや行動に大きな違いが現れると思ったので
自分の考えを、お話しした。


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当時、知りたいのに知ることができなかったこと

NHKの中波のラジオ仙台第一放送(891KHz)が唯一の情報源だった。
周辺にいた人からは、地震、津波に関する情報は特別何もなかった。


当時、ラジオニュースを聴いて知っていたことは書きません。  長時間
ラジオニュースを聴いていたにもかかわらずわからなかったことを書きます。

1. 石巻の海岸線に大津波が、何時何分、何メートルの高さで到達したのかわからなかった。
2. 現在石巻に津波が襲来している最中なのか、津波が引いている状態なのか不明だった。

ラジオを聴いていたのだから1.と2.がわかってもよさそうなものだが、知ることはできなかった。
1.については、7月の終わりになって仙台の大学に行った時に初めて知ることができた。

1.と2.は避難する者に直接的に関わる基本的な情報である。 なぜ、2.については当時、1.については、
当時そしてその後の長期間、ラジオニュースから知ることができなかったのか不思議でならない。

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室内外の様子

炬燵(こたつ)は冷たいが厚いこたつ掛け布団、太い蝋燭(そうそく)が2本、でも暗い。

外のガレージは、一晩中発電機を廻しライトで明るくしていた。 
外のガレージには、だれも人がいないはずなのに・・・。 たぶん、この家のご主人が、
夜中にも避難してくる人のためにそのようにしているのだろう。
大変有難いことだと思った。

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やがて午前1時をむかえる

午前0時40分過ぎ、もうそろそろ明日に備えて眠る時間だ。

炬燵の周りの人は、子供を除いて横になっている人はいない。
全員炬燵の周りに人影が見える。


明日からの行動のためにも、今はしっかり眠っておかなければならない。
二つのリュックサックに腕を通したまま枕代わりにして、炬燵の布団の中に横になり目を閉じた。
なかなか眠れない。 午前1時となる。 耳に押し当ててラジオニュースを聴く。
これまでの繰り返しの内容で、もう新しいニュースは無い。 
ラジオを途中で止め、なんとか眠るように努めた。

幸い眠りに落ちた。


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