津波の日の最初の夜 2.


夜の9時半ころになり、
女の人が数人家の中に入って行く。
トイレらしい、乳飲み子にミルクをあげるために
お湯をもらいに入ったらしいなどの話が聞こえてきた。

夜も11時に近くなったころ、
「寒くなったので家の中に入ってください」、と姿は見えないが、声が聞こえてきた。

思いがけずありがたいことで、皆周辺を片付け始める。 
段ボール、新聞紙をたたみ、ストーブを消し、ブルーシートのをたたみ、
家の中に入れていただいた。


炬燵(こたつ)を囲む

10畳間ほどの広い部屋へ招き入れられた。 
そして、大きな踏み炬燵(こたつ)に皆入った。


小学校低学年の男の子とその母親、35才前後の姉妹、
フィリピン人の女の人、60代後半の夫婦、35歳前後の若い男、
そして、私を含めて10人ほど
である。

踏み炬燵は十分に大きいのでゆったりしている。
炬燵は冷たかった。 火はなかった。 電気もなかった。


35才前後の姉妹は、南三陸町(元の志津川町)から石巻の日赤病院に
定期的に通院をしていたが、その帰りに地震にあい

避難をしてきたとのことである。 
(牡鹿半島沿いの漁村、三陸海岸沿いの町の人は、専門の医療を受ける時は、
石巻市内の病院や仙台市内の病院に出かける。 
そして、その帰りに美容院に寄ったり、市内で買い物をして帰る。)


夜の11時過ぎ 「志津川病院4階まで浸水」 の NHKニュース を伝える。

ラジオはまわりの人にはうるさいだろうと思い、耳に押し当てて小さい音量で聴いていた。
すでに繰り返しのニュースが多い。 新しいニュースに注目しながら15分おきにラジオを聴いた。

「志津川病院が4階まで浸水しているとの情報がある。」 というNHKのニュースを耳にした。
早速、南三陸町(元の志津川町)出身の姉妹に大きな声で伝えた。

さらに、口頭ではなくて直接ラジオニュースで聴いてもらうのがよいと考えた。
15分後ラジオの音量を大きくして聴いてもらった。

姉妹のうちのお姉さんは、
 「あー。   あー、   家(うち)が心配だー。   あー、  家(うち)が心配だー 」 と、
丸めた両手を胸の前でもむようにしながら、震える声でつぶやいた。


周りの人も私もどう声をかけてよいかわからず、言葉はなかった。

私は、いずれわかることを、あのように念入りに姉妹に伝えて
心配させてしまった。 あの時以来一度も会っていない。
名前も知らない。 あの日から何度も思い出しては、
姉妹には、大変申し訳ないことをしたと思う。
 


夜の11時半過ぎのNHKのニュース

仙台の荒浜海岸に 200人から300人の遺体が打ち上げられているられている
との通報がある。」 との、NHK仙台のニュースが飛び込んで来た。

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