3月13日(大津波2日目) 午前、家への途中、
裏町で顔見知りの人と出会う

さらに入り江の海岸線方向へ道路を進む。
裏町の十字路に出る。
太平洋の海岸線方向の道路、家に向かう道路でも
あるのだが少なくても途中までは通行可能であることがわかる。

道路は通行可能だが、道路わきには大破した自動車、
ガレキが集まっている。

次の十字路に出る。
太平洋の海岸線までおよそ550メートル
入り江の海岸線までおよそ300メートル。
自宅までは直線距離でおよそ100−150メートル。
ここでの津波の浸水高は地面からおよそ200センチメートルから
250センチメートル。 もしかすると場所によっては300センチメートル。
(ただし、この町内の浸水高は物差しで実測していない。
隣接する町内の浸水高から推測した。)

十字路の三方は、それぞれ1階の軒下まで
ガレキが積み重なりもう進めない。 自宅へ向かう
入り江の海岸線への道も同様で進めない。
行き止まりだ。

近所の人たちが瓦礫の片づけを始めている。
寒いので小さな焚き火をしている。
何人かが集まって話をしている。

津波翌日の昨日出会った人々は、言葉少なで無表情であった。
1日が経過しした今日ここで出会った人々は少し異なる。
皆活動を始めている。 体の動きがちがう。
隣近所の人たちが集まっているせいもあるが、昨日の
人々よりも表情が生きいきしている。


この近所に住む顔見知りの3−4人の集まりに顔を出す。
挨拶を除くと、お話した内容は、次の通り。
家族で亡くなった人はいるか? いない。
津波の時どこにいたか? 2階に避難した。
家は大丈夫か? 大丈夫。 家は使える。

最後に私は質問した。
「津波は、地震の揺れが収まってから何十分後に来たでしょうか?」

「あっという間でした。 もう、すぐ!、すぐ、来ました。」
「もう、あっという間だったよね。」、と
皆顔を見回しあいながら、互いに、うなずいて答えた。

「あっという間に津波が来たはずはありません。 津波が家の玄関まで
ひたひたと押し寄せてから天井付近まで海水が上がるまで
あっという間だったかもしれません。 私が知りたいのは
そのことではありません。 地震の揺れが収まってから、
津波が玄関に押し寄せるまでどのくらい時間がありましたか?
ということです。」 大変申し訳ないと思いつつ、自分が
最も関心のあることを再度尋ねた。

みな、私の方に顔を向けながら、無言のままだ。
何か言いたそうな表情のまま私を見つめている。

もういちど、ゆっくりと、同じ質問をくりかえした。
返事はなく何か言いたそうな表情のまま無言であった。 

時間の記憶が消えてしまったということではなくて、たぶん、
津波が押し寄せた驚きで、時間の経過を積算的に認識する感覚、機能が停止して、
時間経過の記憶そのものが行われなかったからではないかと思う。

ちょうど、わたしに地震の揺れの継続時間の記憶が
現在ないのと同様ではないかと思う。 

たいへん申し訳ない気持ちになったので話題を変えた。、

同じ質問は、この日から仮設住宅に入る7月の終わりまで、(そして
応急仮設住宅に入居してからも、)質問に答えてくれそうな人やグループを
選び行った。 この最初の聴き取りがその典型的な様子である。

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際地区、石巻線のトンネルの入り口
誰も知らないようだ。
石巻線は赤字路線。
石巻線は2時間に1本ディぜルカーが走る。
石巻市内の高校に通学。
牛乳屋さんのお嫁さん。 いつも車で仕事をしている。
おじいさんは「ニュートン」を読んでいた。
50センチメートルほどかさ上げしたいる。
木造の2階建ての家は無事。

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