気が付いたらニュー・ソウルのバンドに参加していた。
これまでにも、気が付いたらナイト・レンジャーの コピーバンドにいたとかEarth, Wind and Fiber にいたとかStevlandにいたとかあったわけだが 歴史は繰り返す。 さて、ニュー・ソウルとは何か。50 〜 60 年代のソウルとは一線を画し、 より洗練され、アーティストの個性、主張が強く感じられるものを指すようだ。 具体的な名前を挙げれば、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、 カーティス・メイフィールド、ダニー・ハサウェイを「ニュー・ソウル四天王」と 称する… んだそうだ。 という風なことを、今回お話しするニュー・ソウル・バンド「Natural High」の ヴォーカリスト兼バンマスである I 氏が熱く語っていたと思うんだけれど 既に記憶不鮮明。ニュー・ソウルの定義について一家言ある方、ぜひご指摘願います。 というわけで I 氏は女が大好きである。じゃなくて、いや、じゃなくてってことは ないんだけど取り敢えずその件は置いておいて、ソウルが大好きである。 マニアである。オタクである。 普段は、例えば Earth, Wind and Fiber でフィリップ・ベイリー役として ドーラン + アフロでドレスアップして、 美しいファルセットとお笑い MC を客へ届けているイカしたサラリーマンであるが、 一皮剥けばマニアであるからして、マニアらしい欲望を持っていたりする。つまり、 「えーそんな曲知らない」とか「知ってるけどそんなの選ぶかふつー」とか 言われると快感に身悶えしてしまうというアレだ。アレだって言われても困るか。 ソウルへの深い理解、憧憬、そういうものをバックグラウンドとしているわけで、 I 氏の目指すところはニューソウルのフィーリングを再現することであろうと思う。 しかしここに K 氏が存在する。 Natural High でキーボードを担当する K 氏、最近はもっぱらダンサーとして ライブハウス等でご活躍中であるが、ジャズ、そしてラテンのピアノ弾きとして 素晴らしいプレイを聴かせてくれる、尊敬すべき名演奏家である。彼は言う。 「インタープレイのない音楽なんてねえ」 インタープレイというのは、楽器での会話というか、他人のフレーズに触発され、 またそれに答を返すように自分のフレーズを紡いでゆく、みたいな演奏形態である。 私はこれが大好きだ。いや、本当のジャズ・ミュージシャンから 見れば、私のインタープレイなど非常に幼稚なものだとは思うのだけれど、 例えばサックス吹きが突然三連符のフレーズを繰り出す。その三連符を引き継ぎ、 さらに倍の六連符にして返してみる。そこでサックス吹きがニヤリと笑って 六連符の一拍半フレーズでも返してこようものなら、 もう嬉しくて舞い上がっちゃうのである。
あくまでも最終形を想定した制御された演奏と、 というのはあまりに乱暴な分け方ではある。I 氏だってアドリブの楽しみを 十分わかっているだろうし、K 氏は変化を楽しんだ上で全体として どういう雰囲気にまとめるのかを見据えているのだろうと思うので、 非常に失礼な分類だと思うのだけれど、 それを承知で強引に分けると I 氏が前者、K 氏が後者、というイメージ。 自分は、というと、後者であろう。 例えば「俺はこのバンド『大魔人』で一生演っていくんだ! 俺にはこのバンドしかねえっ! このバンドで世界制覇だぜっ!」という太郎君 にはあまり縁の無い話かもしれないが、ところでその「大魔人」というバンド名は いかがなものかと思うがそれはさて置き、 いろんなジャンルのバンドで演奏する場合は、 上記の二つをある程度使い分けていく必要があるのかもしれぬ。 また、「素材は歌謡曲だけどバリバリのインタープレイ」みたいな 演奏も大いに楽しいが、バンドとしてのベクトルは揃えておくべきだろう。 バンドメンバーがいぶし銀のバッキングに徹している中、一人だけが炸裂というのは つまり、全員がスーツの中一人だけ T シャツ G パンで会議に出ているようなもので、 ってそれは両方俺ではないか。喩になっていない。とほほほ。 案の定、リハーサルを録音した MD を聞いた I 氏から「りおはピアノソロの バックで暴れ過ぎである」「8 ビートが 16 ビートになってしまっておる」 という指摘を頂戴する。俺はこういうの楽しめちゃうんだけどなあと思いつつ、 今回このバンドの進行方向を一番把握しているのは I 氏であるし、 その方向ならば自分のプレイがそぐわないという意見も理解できる。 今回は落ち着いた演奏、大人の魅力でノックアウトだわうっふん、とか思ったりする。 しかしこの演奏、笑える。調子に乗り易い私の性格を分かった上で、K 氏が 様々なそそるフレーズで刺激しているのだ。それにあっさり乗っかって いい気になって白目をムいて盛り上がっている私、という構図だ。 ちょいと思ったからといって大人の魅力が出てくるはずもないし、 本質的な演奏スタイルが変わるわけもないのだ。 というわけで本番、やはり K 氏がくすぐってくる。いかん。挑発に乗ってはいかん。 ああ一拍半フレーズが。あっしまったちょっと反応しちゃった。つーか音量上がって 来た。まずい。あっ。こっち見てる。目を合わさないようにしよう。ううう。 なんとか、リハのような爆発は起こさずに演奏は終了した。 しかし、何か心に引っかかる。このもやもやは何だろう。 そして K 氏のこの言葉「いろいろ弾いてるのに全然反応しないんだもんなあ」。 K 氏が仕掛けてきた時、「をぅ!がってんでぃ! ずがんずがん」と行くのが 私らしい演奏だっただろう。 上述のように、自分はどちらかといえば K 氏に近いスタンスの演奏者。 だからこそ K 氏の「反応しない」という言葉は痛かった。 反応することは私の持ち味ではなかったのか。 ずがんずがんと行けば、随分違った演奏になったかもしれない。十人のうち 八人は眉をひそめるかもしれない。実際、辛口の友人、隣町の S 君も「今回は 落ち着いた感じでよかった」と言ってくれた。 しかし。残りの二人に、ニヤッと笑いながら 「しょーがねーなー、お前らしーねー」と言われることもまた喜びなのではないか。 と書きながら、でも堅実で、安定していて、それでいて所々にニクい小技が 効いていて、なんてスタイル(多分自分が一番コンプレックスを感じるスタイルだ)も 良いよなあ、 とか、「ずがんずがん」なんて書いたら少ない友達がますます減ってしまう、とか 思っている自分もいるわけで。嗚呼。悩ましい。 どかんと行って怒られるのか。渋いプレイをきっちり決めるのか。 そのどちらでもない中途半端なところに自分を演奏を置いてしまったことが、 今回のもやもや感の原因だろう。 もう少し成長すれば、他人に反応しつつフロントを盛り上げ 雰囲気を壊さない、あるいは効果的に壊す、そんな風に演奏できるんじゃないかな。 だから、一緒に演奏して下さる皆様。もう少し時間を頂けると幸いでございます。 それともう一つ、その音楽に対する理解が深まれば、自ずと演奏の落とし所が 分かってくるのではないか、という話もあるんだけれど、長くなりそうなので それはまた別の機会に。 それにつけても…他人との関わり。自己表現の方法。スタイルの模索。 音楽は、人生だ。つくづく。 と珍しくまじめなことを考えているというのに、Natural High と来たら、 よほど「俺、全曲知ってました」という客がいたのが悔しかったらしく、 次は絶対誰にも分からん選曲にしてやる!と盛り上がっておる。
「それじゃますます客が呼べないだろーが!何演るんですかって聞かれて
困るだろ」 この情熱、方向正しいんだろうか。
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