第十三回:ボーカルと私


気が付いたら Night Ranger のコピーバンドに参加していた。

さて皆さん、Night Ranger をご存知だろうか。80 年代前半に一世を風靡した(のか?)アメリカのハードロックバンドである。ブラッド・ギルス、ジェフ・ワトソンという二人のギタリストを擁し、片やオジー・オズボーン・バンドでランディ・ローズの後釜として有名、片や端正な速弾きや 8 フィンガー奏法で人気。過去のバンドと思いきや、今年の夏頃来日するらしい…と、私はその程度の知識しか持ち合わせていないのだが、忘れてはいけないポイントが一つ。

このバンド、ドラマーがリードボーカルを取ることがあるのだ。

別にコピーバンドだからってそんなとこまでコピーしなくてもいーぢゃんよーと思うんだけど、このバンドのメンバーは歌えという。非常に恐い。逆らえない。何をされるかわからない。なぜって彼らはコンピュータやネットワークのエキスパート達なのだ。私の家のコンピュータがネットワーク経由で爆破されてしまったりするんだろう。多分。

さらに酒豪揃い。私は下戸。ウチアゲでは鼻をつままれて酒を流し込まれてぐでんぐでんにされたところで頬に渦巻きを書かれてバカボンにされてしまったりするのだろう。多分。

そんなわけで、ドラマーである私は何曲かで歌わざるを得ない状況に追い込まれてしまった。気が弱い人間はつらい。

ああ、歌なんて暗い想い出しかないのに。

本来出たがりの私は、性格的にはボーカルに向いているのかもしれないと思い上がった事を考えたりもする。しかしいかんせんなんというかどう説明して良いものやら困った事に端的に言うと下手なのである。その上声が悪い。深みのないぺらぺらな声で、こんな声で、例えばセールスをやっても誰も何も買ってくれないだろうというぐらいひどいものである。

というのは例えとして適切なのだろうか。まあいい。とにかく駄目なのだ。駄目なのに数年の周期で「人前で歌いたい」という欲求が爆発する。なぜだろう。人間というのは不思議なものだ。

高一の頃、アイ・オヴ・ザ・タイガー(「ロッキー 3」という映画の主題歌で、サバイバーというバンドがヒットさせた)を歌って玉砕している。
高三の頃、スコーピオンズの曲を歌って玉砕している。
空白の一年を経て大学一年の頃、ブライアン・アダムスの曲を歌って玉砕している。

「玉砕」とはなにか。

それはもちろんその時の実況録音を聴いてみて、一人きり海を見たくなっちゃってほんとにバイク飛ばして行っちゃって行ってみたら案外寒くてそれでもがんばって背中から哀愁出してるうちに風邪ひいちゃって鼻すすりながらふらふら帰って寝込んでしまい嗚呼なんて悲劇的とか勘違いしている、そういう心理状況を指すわけであるな。ただの迷惑である。誰もあなたの哀愁なんて見てないってば。

さて、なるほど、だいたい二年周期だな。そういや大学三年の時、ロキシー・ミュージックをちょっと歌って玉砕したな。見事だ。ボーカル玉砕二年周期の法則と名付けても良いかもしれない。しかしこのあと、最後の玉砕が身に沁みたのか、歌うことをやめている。もろい法則だな、をい。

どうだ、こんなに想い出が暗いのだ。なぜ理解してくれぬのだ。メンバー達よ。

取り敢えず「ボイス・トレーニング」などという本を買い込んでみたりする。声は改善されるとか嬉しい事が書いてある。どういう姿勢を取り、身体のどこをリラックスさせ、どの筋肉を使うか、口の形はどうするか…文章では分かり難い部分も多々あるが、それでもとにかくいろいろ試して感じを掴む。

感じを掴めばすぐに俺もマーヴィン・ゲイだぜと思ったらそうは問屋が卸さない。問屋が卸さないってどういう意味なんだ。まあいい。とにかくそう甘くないと。声域も狭いし音程も怪しい、ビブラートも思うようにかからないし、隣からは苦情が来る。

と、それでもめげずに何週間か続けていると、効果は表れてくる。それも変なところに。

腹式呼吸の感じが掴めてくると、腹筋、背筋で上半身を支えて、上半身はリラックスする感じになってくる。ということ自体が正しいのかどうかわからないのだがそれは置いておいて、

それはドラムに役立つのだ。腰の辺りで身体を支え、上半身や足をリラックスさせることで身体の自由度が増すように思う。素晴らしい。情けは人のためならず。って全然使いどころの違うことわざを思い浮かべている。ばかである。

で、肝心のボーカルだが、これは駄目である。

高校〜大学時代、まじめにボーカルに取り組んでいる人間は、私の周りに少なかった。特に高校時代なんて「バンドとしての完成度」なんてことは全くどうでも良くて、「音楽を演奏する事」=「自分がドラムやギターを演奏して注目されればいい」という程度の認識であった。

今もこの傾向は身体のどこかに脈々と受け継がれている気がしないでもないが取り敢えず忘れよう。

さらに、中学校時代にフュージョン等インスト音楽に親しんでいたこともあって、極端なことを言えば「ボーカルなんて誰でもいい」と思っていた。だって一応ボーカルいないとハードロックのコピーバンド出来ないもんなぁ。ちょっと高い声が出ればもう完璧っすよ! みたいな。

この歪んだ楽器至上主義は、その後何人かのボーカリストとの出会いで徐々に払拭されていくのであるが、やはり自分で体験して思い知ることのインパクトは強いもの。私が悪かった。ボーカリストの人たちごめんなさい。あなたたちはエラかった。歌はこんなに難しかった。今度カラオケに連れていって下さい。

なんでも Night Ranger のコピーバンドは四月の末にライブを演るという無謀な計画を立てているらしい。もう私に残された道はお笑いしかないのかもしれぬ。バラードで声がひっくり返っちゃうとか、その手の古典的なギャグを、残された短い時間で研究せねばならぬ。

こんなにシリアスなのにさ。俺。
哀愁出しちゃうぞ。


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