平成三十年は立教志塾創立三十年、戊辰戦争百五十年の年になりました。
立教志塾は、平成元年八月二十四日有志が集い、今後の白河の姿を語り合い、十一月二十四日に立教志塾が開塾しました。開塾趣意書の起案は岩淵初代塾頭でした。平成二年三月から平成四年十二月まで三十一回にわたり、塾報「立教」に、「立教志塾開塾趣意書解説」を掲載し、要旨を説明しています。
岩淵先生が塾生心得を書く時に思い描いたのは、同郷人(岩手県)の宮沢賢治と新渡戸稲造でした。塾頭は、宮沢賢治にあこがれ、水沢農学校に入り、卒業後は満州建国大学一期生の入学試験に臨み、百三十倍の難関に合格しました。満州の大地で「日ハ君臨シカガヤキハ白金ノアメソソギタリ ワレラハ黒キツチニ俯シ マコトノクサノタネマケリ」と花巻農学校精神歌を吟じ、植樹によってゴビ砂漠を緑化しようとしていました。現在、旧満州建国大の付近は緑であふれているといいます。
新渡戸稲造は岩淵先生が最も尊敬していた人の一人でした。札幌農学校でクラーク博士に学び、太平洋の橋になりたいと武士道を書き、明治大正昭和の三時代で最も教養が高いといわれた人物でした。第一高等学校校長の時に、新渡戸稲造の講話に千人の学生が参加しました。他学科の学生が授業をサボって席を争い部屋を埋めたといわれています。
しかしある時、新渡戸校長は偽善者、八方美人、女尊男卑の欧化主義者だとして排斥運動がおこりました。新渡戸は千人の生徒を前に、校長としての覚悟を述べ、生徒の直言を賞賛し、檀を降りました。満場寂として声なく、すすり泣きが聞こえました。全一高生が心服し、新渡戸への批判を改めたといいます。
人の師たる者の厳しさ、優しさ、師弟の情誼の細やかさ、これこそ血の通った教育だと、読むたびに感動を覚えます。今の教育に欠けているのがこれであると岩淵先生は言っています。
この頃、岩淵先生は「to do to be」とよく話されており、何を言っているのか不明でした。何年かしてこの意味がわかりました。新渡戸校長が、あらゆる機会をとらえ教えたことは、「外側の世界を見る前に、なによりも自分の内面を見よう、内面の人間性を耕そうではないか」ということでした。カーライルの言葉「トゥ・ドウ(to
do)の前にトゥ・ビー(to be)があることを考えよ。何かをしようとする前に、一人ひとりが何であらねばならぬか考えよう」これが新渡戸校長のモットーでありました。
創立三十周年にあたって、創設当時岩淵塾頭が、トゥドウ、トゥビーとよく説かれていたことを思い返しました。塾生心得に込められた精神性を、立教志塾の原点として改めて振り返り、次の時代の出発点としたいと思います。
平成30年1月 理事長 渡辺 薫