病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

まつろわぬ者C


 ゴットフリートによる突発的な叛乱が静められた大聖堂内―――未だざわめき冷めやらぬその中で、彼とそれに加担した者達が一人残らず捕えられ、次々と連行されていく。

 そんな中、近衛騎士に囲まれて高座から下りてきた皇帝グレゴリオは、その鋭い眼差しを二人の息子へと注いだ。

 しっかりと向き合ってその眼光を受け止めるフラムアークとは対照的に、フェルナンドは苦い光を湛えた視線を床に落としたままだ。

「―――……残念だ、フェルナンド。お前の高い能力には期待していたのだがな」
「―――っ……」
 
 無言で唇を結ぶ第三皇子に、粛々と皇帝は告げる。

「お前の沙汰は、事の精査が終わってから申し渡す。それまでは国の監視下に置いて軟禁とする。良いな」
「は……」

 静かに頭(こうべ)を垂れるフェルナンドにグレゴリオは告げた。

「お前の敗因は自らを驕り、人の心をないがしろにしたことだ。情は時に捨て置かねばならないが、根本たる心をなくしては一国の長は務まらない」
「……」

 頭を下げて黙したままのフェルナンドから視線を外したグレゴリオは、フラムアークの前へと足を運んだ。

「フラムアーク」
「はい」
「見事な立ち回りであった」
「……ありがとうございます」

 胸に手を当てて礼を取るフラムアークに重々しく頷いてみせたグレゴリオは、その様子を遠巻きに見つめている列席者達に向かって、声高に宣言した。

「皆も先程の光景を目にしたであろう! この騒動の責を取り、今この時をもって第一皇子ゴットフリートは廃嫡とする! それに伴い、これまでの功績を鑑みて、彼(か)の者に代わり第四皇子フラムアークを皇太子として正式に立し、我が後継者とすることをこの場に於いて宣言する!」

 わずかなどよめきの後、どぉっ、と歓声が上がり、拍手喝采が鳴り響いて、私は胸が熱くなるのを覚えずにはいられなかった。

 ついに、ここまで……!

 皆の祝福を受けるフラムアークの背後に控えたスレンツェの表情も、感慨深そうだ。

「やりましたね、ユーファさん!」

 ゴットフリートの叛乱後、控えの間から駆けつけていたエレオラが小声でそう言って、隣にいる私と喜びを分かち合った。

「近々立太子の儀を執り行い、フラムアークを新たな皇太子とすることを内外に広く知らしめ、その地位を名実のものとしようと思う。皆、そのように心し、惜しみなく励んでくれ」

 新たな皇太子の擁立に場が沸き立つ中、近衛騎士の一人がフェルナンドに歩み寄り、彼を軟禁場所へ移動させる為、腰に帯びていた剣を外して差し出すよう要請した。

 それに応じて剣帯を外したフェルナンドとフラムアークの視線が、かち合う。

「―――……もっと気にかけておくべきだったな、その瞳の色を」

 口元を凄絶に歪めて後悔を口にするフェルナンドに、フラムアークは静かな眼差しを向けて言った。

「優れた皇帝になるか否かは持って生まれた瞳の色によるものではなく、その人自身の積み重ねによるものだとオレは思う。様々な人と関わり、数えきれない取捨選択を繰り返して、そこに何を見出し何を掴み取ったかによる、その人自身が育んできた色彩(いろ)次第なのだと」
「ふ―――ご立派だな。私は今、そんなお前の瞳の色を絶望の色に塗り替えてやりたいと、心の底から強く思うよ」

 秀麗な顔立ちに暗い憎悪の色を滲ませるフェルナンドに、フラムアークは初めて正面からこう問いかけた。

「……。何故あなたは、そんなにもオレのことを憎むんだ? グリファスを通じて感じた底なしの悪意は彼のものではなく、あなたのものだった」
「それは―――お前が私の全てを奪っていく者として生まれついたからだ、フラムアーク……!」

 言い様、フェルナンドは手にしていた剣帯から自身の剣を素早く抜き放つと、空になったそれをフラムアークに向かって勢いよく投げつけたのだ!

「ッ!」

 周囲から悲鳴が上がり、腕をかざしてそれを防ぐフラムアークの前に剣を抜いたスレンツェが躍り出て、身構える。

 その時には制止しようとした近衛騎士を斬りつけて背を翻していたフェルナンドが、破滅的な呪詛の言葉を吐くのが聞こえた。

「せめて幾ばくか、お前から奪ってやる……!」

 辺りから混乱の叫びが上がり、フェルナンドの狂気を孕んだ視線と、一部始終を目撃していた私の視線とがぶつかり合った。

「―――!」

 あ―――まずい……!

 直感的にそう感じるのと、

「! ユーファさんッ!」

 それに気付いたエレオラが私の前に立ちはだかるのと、

「うわあぁぁぁッ!?」
「ひいッ!?」

 凶器を持って迫りくるフェルナンドから逃れようとする人達がそんな彼女にぶつかり、その場から弾き出すようにしてしまうのと、

「……ッ!」

 動く人波に阻まれて思うように動けないでいるスレンツェの姿と、

「ユーファ!」

 顔色を変えて叫ぶフラムアークの姿と―――……。

 断続的に起こった出来事を多角的に捕えながら、私はサファイアブルーの瞳に、迫りくる凶刃を捉えていた。

 そこから逃れようと、私の足は踵(きびす)を返し必死に動き始めていたけれど、全快に及ばない身体は遅々として距離を稼げず、背後に迫る相手の荒い息遣いと微かに聞こえた金属音に、繰り出される刃を連想してきつく身体を強張らせた。

 ―――刺される!!

 そう感じてぎゅっと目をつぶった次の刹那、強い衝撃が走った。

 身体ごと弾き飛ばされる感覚と同時にズシュッ、と肉に刃が突き立てられる嫌な音がして、床に倒れ込むような形になった私がハッと振り仰ぐと、そこに愕然と目を見開くフェルナンドと、私をかばって彼に刺された相手の背中とが見えた。

 帝国の紋章をあしらった、権威ある外衣を纏ったその後ろ姿は―――。

 それを目にした瞬間、私は自身の目を疑い、大きく息を飲みながら、心の中で反問した。

 ―――何故、どうして、何で彼が、私を!?

 その光景の意味が分からなくて、私は大いに混乱しながらその人の名を口にした。

「―――皇帝陛下ッ!?」

 色を失くして叫ぶ私の目の前で、皇帝グレゴリオががくりと片膝を折り、大聖堂内は悲鳴と混乱に包まれた。

「……ッ!? ち―――父上、何故ッ、何故身を挺してまで、その者を―――?」

 茫然とするフェルナンドの手から、駆けつけた近衛騎士達が血にまみれた凶器を取り上げ、負傷した皇帝から引き離す為、速やかに拘束し連行していく。それを視界の隅に捉えながら、私はグレゴリオの傍らに膝をつき、彼を床の上に横たわらせて、その傷を確かめた。

「陛下……陛下、しっかりして下さい! 今血止めを……!」

 腹部に受けた深い刺し傷からは、おびただしい血が溢れ出し、床をみるみる真紅に染めていく。

 圧迫止血を試みながら声をかけ続ける私に、朦朧とした視線を向けたグレゴリオの口から、思いも寄らぬ名前が出たのはその時だった。

「ユー……フェミア……」

 ―――えっ……!?

 私は兎耳を震わせ、驚愕を隠さず、彼を見た。

 ユーフェミア。それは、私の母の名前だ。

 ―――何故、どうして、大帝国の皇帝である彼が、私の母の名前を!?

 私は止血に努めながら、これまで間近で見たことのなかったグレゴリオの顔をつぶさに見つめた。

 親子だけあって、その容貌はフラムアークに通じているものがあった。フラムアークに剛健さを足して年輪を重ねさせたら、こんな感じになるだろうか。

 そうやってフラムアークの面影を重ねているうちにふと、ガーディア領にある生家の跡地で彼を見た時に感じた既視感を思い出した。

 褪せた記憶のいつかどこか、誰かのものと重なった、不明瞭な記憶の断片―――。

 その瞬間、記憶のピースがカチリとはまって、これまで想像もしていなかった衝撃が私の中を駆け抜けたのだ。

 私は愕然とサファイアブルーの瞳を見開いて、目の前の皇帝グレゴリオを見つめた。

 ああ、そうだ―――私がまだ子供だった頃、母が一度だけ、行き倒れになっていた怪我人を拾ってきたことがあった。

 その人は人間の青年で、事故に遭ったか何かで所持品を全て失くし、自分の身ひとつという状況だった。無一文だった彼はある程度傷が癒えた後、治療のお礼にとしばらく住み込みで働いてくれたのだ。

 幼い頃に父が亡くなってから母と二人きりで暮らしてきた私は、家に大人の男性がいることが新鮮で、楽しくて―――暇を見ては物知りな彼にせがんで、ガーディアの外に広がる世界の話や、街に溢れるたくさんの物語を聞かせてもらった。

 知らない世界を情緒たっぷりに語る彼の話は聞いていてとても楽しくて、私はまだ見ぬ様々な世界に想いを馳せて心躍らせたものだ。そんな彼と別れる時は、寂しくてたまらなかった。

 遠い昔の、褪せかけた古い記憶。温かな思い出の中にある、その人の名前は―――……。

「―――っ、グレイ……!?」

 記憶の底から浮かび上がった懐かしいその名を聞いて、グレゴリオの口元がわずかに笑みの形を刻む。

 その表情は、思い出の中にあるその人のものと重なった。

 思いも寄らなかった自分と彼との接点に、言葉にならない感情が胸に込み上げ、迫る。私は呼吸が止まりそうな衝撃に見舞われながら、彼を映す瞳を揺らした。

 そんな、まさか―――……! 信じられない、こんなことって……!?

 わずかな間とはいえ、実家で同じ時間を一緒に過ごした、あのグレイが!? あのグレイがまさか、皇帝グレゴリオだったなんて―――!?

 私は大いに動揺しながらも、駆けつけてきたフラムアーク達に処置に必要なものと応援を手配してもらい、懸命に彼の救命に努めた。

 グレイ、グレイ、まさかこんな形であなたを思い出すなんて―――!

 溢れそうな感情を堪(こら)え、ぐっと奥歯を噛みしめながら、私は蒼白になっていく彼へ、祈るような思いで心の中で呼びかけた。

 あなたには聞きたいことも、聞かなければならないこともあるの! お願いだから、こんな形でいなくならないで―――……!
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