病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

まつろわぬ者B


 息せき切って現れたのは皇太子ゴットフリートだった。次期皇帝の座が絶望的となったストレスによるものか、以前より薄くなったように見える頭髪はふり乱れ、大柄な身体をパツパツに詰め込んだ上等な衣服は不穏な赤茶色い染みで所々汚れている。

「フェルナンドッ……貴様……貴っ様ぁぁぁぁッ! 貴様、どこまでこの私を愚弄したら気が済むのだぁぁぁぁッ!」

 審理の場に飛び込んでくるなり顔を赤黒くさせて激高する皇太子を、第三皇子はひどく冷めた目で見やった。

「何事ですか、兄上。場をわきまえて下さい。厳正なる審理の最中ですよ」
「わきまえるのは貴様の方だッ! 汚い手を使ってこの私をさんざ貶めおって……! あげく私を出し抜き次期皇帝候補筆頭などと、ふざけるな!」
「訳の分からないことを……貴方のは単なる自滅で、私は何の関与もしていません。自分の無能を棚に上げて私のせいにしないでいただきたい。ご自身が皇帝の器ではなかったのだと、いい加減ご理解下さい」

 にべもないフェルナンドの対応にゴットフリートは血走らせた目を剥いた。

「何だとッ……いつもいつも私の背後に隠れて私の手だけを汚させて、その裏で手柄を全てかすめ取っていきおって……! だが、それも終わりだ! 懐に入り込んでいた貴様のネズミは駆除してやった! もはやあやつを介してこの私を貶めることは出来ん! 私を出し抜いてファーランド領を己が手中に納めんとしたようだが、残念だったな!」
「―――は……?」

 侮蔑に満ちた氷点下の眼差しをフェルナンドから向けられたゴットフリートは、それに明らかに気圧されながらも虚勢たっぷりに分厚い舌を回した。

「ははっ……、驚いて言葉もないか? 私があのネズミの所業に気付いていないとでも思っていたのか! 忠義面でこちらに潜り込んでいた貴様の手先ボニファスには先程、この私自らが天誅を下してやったと言っているのだ! 奴にファーランド領を任せた裏で実権を握ろうとしたのだろうが、甘かったな!」

 つい今しがた取り沙汰されたばかりの渦中の人物の名が乱入してきた皇太子から上がり、その内容に大聖堂内が騒然となる。

 このタイミングでこうなるよう、ボニファス伯爵が実はフェルナンドの手の者でゴットフリートを裏切っているという匿名の文書を秘密裏に皇太子宮へ届けさせたのはエドゥアルトだった。

 単細胞のゴットフリートがこれに苛烈な反応を示すだろうというその目論み通り、彼は怒りに任せてここへ乗り込んできたのだ。

「……身の程もわきまえずこの場に乱入した挙句、得意げに胸を反らせて何を言うかと思えば―――愚の極みだな」

 長々と溜め息を吐き出したフェルナンドは蔑みも露わにゴットフリートを質した。

「先程の言いようから察するに、貴方はボニファス伯爵をその手で害したのですね? 貴方の服にべったりとついたそれは彼の返り血ですか?」
「今まで散々害されてきたのはこちらなのだ! 尋問の際に少々流血するくらい問題なかろう!」
「尋問? 私刑の間違いでは? ……彼は生きているのですか?」
「ははっ、虫の息というやつだがな!」

 万が一にもゴットフリートが怒りに任せてボニファス伯爵を殺してしまうことがないよう、その辺りはエドゥアルトが気を遣って独立遊隊の一部隊を手配していたから、実際にはそこまでひどい状況にはなっていないのだろうと思いたい。

 私達にとっても大事な証人だから、彼が口の利けないような状態になってしまっては困るのだ。

 でも、このタイミングでのゴットフリートの登場と発言は先程のフラムアークの言葉に大いに信憑性を持たせる結果となった。

「……どういう、こと、ですか」

 青ざめたグリファスから震える声がこぼれ落ちた。

「ボニファス伯爵が、父の後任として我がファーランド領を任せられるという話は……本当なのですか」

 憔悴しきった風貌を愕然とフェルナンドへ向けて、彼はそう問いかけていた。

「根も葉もない妄言だ。そのような事実はない」

 冷静に否定の言葉を返しながらも、フェルナンドからは隠し切れない苛立ちが滲んでいるのが感じ取れた。

 予期せぬフラムアークからの指摘、計ったようなタイミングでの皇太子の乱入とそれを裏付けるような彼の証言―――フェルナンドにしてみれば舌打ちもしたくなる状況だ。

 これにグリファスが心を揺らされるのが、彼にとっては何よりもまずい。

 逆に、私達にとってはここがチャンスで正念場だ。

「―――火のないところに煙は立ちませんよ」

 フラムアークはそう言ってフェルナンドの言葉を一蹴すると、不安定に瞳を彷徨わせるグリファスへ真っ直ぐな視線を向けた。

「それは誰よりもお前が分かっているはずだ、グリファス」
「……!」

 呼吸を止めるグリファスにフラムアークは語りかける。

「ボニファス伯爵がファーランド領を任せられるということの意味、それが何を示すのか、お前には分かるはずだ。それはお前が、ヴェダ伯爵家が命がけで守ろうとしているものをないがしろにする、許しがたい背信行為に他ならないのではないのか!?」
「―――ッ!!」
「っ、何の証拠もない妄言でグリファスを混乱させるのをやめろ! それが事実だと言い張るのならば根拠を示せ!」

 声を荒げるフェルナンドの声を打ち消すように、フラムアークは更に声を張り上げた。

「グリファス! お前は何の為にその両腕を血で濡らし、何の為に殉じようとしているんだ! このまま犬死して約束を反故にされ、一族郎党を断絶に追いやり、死を賭してまで守りたかったはずの大切なものを蹂躙されるのを見過ごすのが、お前の真の望みなのか!?」

 橙味を帯びた燃えるようなインペリアルトパーズの双眸が、揺れるアイスブルーの双眸を貫く!

「己の矜持を見誤るな! お前にとって真に大切なものは、真に守るべきものは何だ!!」

 魂魄を打ち据えるようなその問いかけは、自身を縛り付ける頑なな呪いに綻びの生じていたグリファスの迷いを断ち切り、彼の喉から振り絞るような呻(うめ)きを上げさせた。

「―――っ、領、民っ、我がファーランド領に暮らす、全ての者達です……ッ!」

 聞いているこちらが切なくなるような声を絞り出したグリファスのこけた頬には、ひと筋の涙が伝わっていた。

「―――っ、ケルベリウスの栽培許可なくしては、我がファーランド領は立ち行かない……! だが―――だが、ボニファス伯は駄目です……! 自身の益を何よりも重んじる伯は、間違いなく安価な粗悪品にも手を出し、それが領民の間に出回ることにも頓着しない……! やがては領内に甚大な被害をもたらすこととなるでしょう……!」

 やっぱり……!

 私達は固唾を飲んで、グリファスの告白を見守った。

 グリファスが、ヴェダ伯爵家が命懸けで守ろうとしていたものは、自領の領民達だった。

「……!」

 頬骨に力を込めてその光景を見つめるフェルナンドへ、苦し気に眉根を寄せたグリファスが問いかける。

「何故です……!? ファーランド領の領民達の暮らしは守ると、彼らの今後を憂う必要はないと、最後までご自身が責任を持たれると、貴方は私にそう仰って下さったではありませんか! これでは、話が違う! あまりにも手酷い裏切り行為ではないですか……!」
「落ち着け、グリファス。お前亡き後、お前に代わってファーランド領の今後を見守っていくという私の心に変わりはない。陛下が定めた新たなファーランド領主の下、新生ファーランド領の今後の発展を皇族の立場からしっかりと見守っていく、それに相違はないのだ。それが長年仕えてくれたお前に対する、せめてもの心遣いだと思っている。
何度も言うが、ボニファス伯爵の件は私には身に覚えがないものだ。これはきっと兄弟達が私を陥れる為に画策した卑劣な罠に違いない」

 よくもまあ、心にもないことをペラペラと!

 心の中で憤慨する私同様、「何だと!?」と憤りの声を上げるゴットフリートの前で、ゆっくりと首を振ったグリファスはフェルナンドに訣別の言葉を送った。

「貴方の言葉には、誠がない」
「―――!?」

 かつての忠臣の回答に耳を疑う様子のフェルナンドの目を真っ直ぐに見据えて、グリファスは言った。

「貴方の為に差し出すと決めた、この命に代えた私の最後の願いを、貴方は無下に踏みにじった。もはや、信頼関係は崩れ去りました―――。これ以上、私が貴方の為に沈黙する意味はない」
「だから、それは誤解だと言っているんだ―――だが、それでお前の気が済むというのなら、好きにしたらいい」

 目元の筋肉をひくつかせながらも寛容にフェルナンドがそう返せたのは、グリファスが何を言ったところで提示出来る物証など何ひとつないという、確固たる自信があったからに違いない。

 確たる証拠がない以上、誰が何と騒ぎ立てようが、それがどれほど黒に近かろうが、自分を陥れられる存在など皇帝グレゴリオを除いてはいないのだと、フェルナンドは熟知しているのだ。

 そんな彼の前でグリファスはおもむろにフラムアークに視線をやると、こう言った。

「―――フラムアーク様。レムリアに、『宝石箱』とお伝え下さい。全ては、その中に。場所は彼女だけが知っています」

 その瞬間―――それまで冷静さを保っていたフェルナンドの表情が初めて強張り、フラムアークは高座の皇帝グレゴリオを振り仰いだ。その視線を受けるまでもなくグレゴリオはエドゥアルトに手振りで指示を出し、それを受けたエドゥアルトは一礼すると、ラウルを伴い大聖堂を後にしたのだ。

「……宝石箱とは―――何だ?」

 硬い口調で問うフェルナンドに粛々とグリファスは答える。

「以前貴方に差し上げたものと同じ内容を写した、我々のこれまでの軌跡とその記録です。自白剤を用いられても漏らすことのないよう、その外観も保管場所も、私は存じておりません」
「! まさか―――」

 フェルナンドの顔色がハッキリと変わった。

 ―――裏帳簿……!?

 息を飲む私達の前で、グリファスはその口元に薄暗い笑みを刷(は)いた。

「貴方はよくご存知でしょう、フェルナンド様。私がこういう人間であることを」
「……! く―――!」

 その一部始終を見ていたゴットフリートが高らかにフェルナンドを嘲笑った。

「ははははは! ざまぁないなフェルナンド! 飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのこと! 自業自得よな、これで貴様は名実共に失墜だ!」

 口汚く罵る皇太子に、高座から皇帝の叱責の声が飛んだ。

「見苦しい口を閉じよ、ゴットフリート。……良い機会だ、今この時をもってお前を皇太子の座から除し、その身分を第一皇子と改めることをここに宣言する」

 ―――え!?

 意図しなかったタイミングでの皇帝からの思わぬ宣言に、大聖堂内は大きなどよめきに包まれた。

 ゴットフリートに次期皇帝の座は望めないというのがもはや不文律になっていたけれど、まさかこの場で廃太子の宣言が行われるなんて……!

「―――な、はっ……!? ち、父上、急に何をっ……」

 まさかの事態に目を白黒させて赤ら顔を青ざめさせるゴットフリートに、皇帝グレゴリオは冷酷とも思える口調で淡々とそれを宣告する。

「粗暴にして浅慮、品性の欠片もない、その自覚にも乏しいお前は皇帝の器ではない。分かってはいたが、今日の振舞いを目の当たりにして、そのひどさを痛感した。自身の行動をよく見つめ返してみるのだな」
「なっ、父上、そんなっ―――!」
「当面自室にて謹慎し、猛省せよ。この言葉の意味が分からぬのであれば、次は皇籍から除することも考えねばならなくなるぞ」
「―――ッ!」

 大柄な身体を屈辱に震わせて両の拳を握り込んだゴットフリートは、その所業に耐えかねるように分厚い唇をわななかせた。

「わ、私はこの大帝国の長子で、尊(たっと)ばれるべき存在なのに、それなのに何故、このような仕打ちを……!? 悪いのは私を謀(たばか)った者達で、私自身に非はないというのに、何故、この私がかような仕打ちを受けねばならない……!?」

 血走った憎悪の滾る眼(まなこ)でフラムアークとフェルナンドをにらみつけたゴットフリートは、天を仰いで吼えた。

「おおおおぉおおおお! 何ということだ―――、何ということだ! 陛下はご乱心されてしまった! 皇太子たる私を除するなど、愚弟どもにいったい何を吹きこまれたか!? かくなる上は―――出会え出会え、我が忠実なる僕(しもべ)ども! 不肖な愚弟どもを討ち取り、大帝国を覆わんとするこの暗雲を晴らすのだ!」

 尊大な怒号と共に、控えの間で待機させていた彼の護衛と、大聖堂の前まで引き連れてきていたらしい配下の一隊が呼応し、鬨(とき)の声を上げながら大聖堂内になだれ込んできた。突然のこの事態に辺りからは驚愕の悲鳴が巻き起こり、厳かな雰囲気に包まれていた大聖堂内は一変、大混乱に陥った。

 ! ウソッ……!

 警備にあたっていた近衛騎士達が扉前でその半分くらいを押しとどめてくれたけれど、数と勢いにものを言わせたもう半分がこの場になだれ込んでくる。

「愚か者め……!」

 舌打ちする皇帝の周囲を精鋭の近衛騎士達が即時に固め、スレンツェがフラムアークの前に出る。そのフラムアークの背後にかばわれるようにして、一瞬にして様相を変えてしまった大聖堂内を血の気が引く思いで見渡していた私の目に、武器を構え鬼気迫る表情で第三皇子(フェルナンド)と第四皇子(フラムアーク)へ迫りくるゴットフリートの配下達の姿が映った。

 その時だった。



「―――“次期皇帝”を守れぇッ!!」



 絶対の意を込めた号令が皇帝グレゴリオから放たれた。

 それを受けた近衛騎士達が、その命令を遵守する為に走る―――次期皇帝にふさわしいと自らが感じた者、仕えるに値するとそう感じた者の下―――そう、フラムアークの下へ!

 混沌とした大聖堂内にありながら、私にはその時の光景がまるでスローモーションのように見えて、全ての音が自分の世界から消えたように感じられた。

 フェルナンドの下へ駆けつけた近衛騎士は、誰一人としていなかった。駆けつけられる状況にある者は皆、フラムアークの下へと馳せ参じたのだ。

 この時大聖堂内にいたのは、帝国を代表する有力者ばかり―――その彼らの目の前で起こったこの出来事は、非常に大きな意味を持つものだった。

 それを目撃することとなったゴットフリートは激高し、腰の剣を抜きながらフラムアークへと突進してきた。

「何故だッ……、何故、よりによって、貴様なのだぁぁぁぁぁッ!?」

 その攻撃はフラムアークを守護する近衛騎士達によってなんなく防がれ、ゴットフリートが彼らによって取り押さえられると、それを目にした彼の部下達はあっさりと抵抗をやめ、武器を捨てて、次々と投降したのだ―――。
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