「具体的に―――どのような処断を望むというのだ?」
そう尋ねるフェルナンドにフラムアークは少し考える素振りを見せながら答えた。
「そうですね……グリファスとレムリアは車裂きかそれに準ずる刑での公開処刑、ヴェダ伯爵家は取り潰しの上、ファーランド領でのケルベリウスの栽培許可の取り消し―――といったところでしょうか」
それを聞いたグリファスの顔色が明らかに変わった。
家が取り潰しになるということは現伯爵夫妻とグリファスの兄弟は投獄の上、血縁者は全財産を国に没収され、ヴェダ伯爵家は断絶されるということだ。
じっと床を見つめるグリファスの瞳の奥が揺れ、彼が息を詰める気配が伝わってくる。
「……過去の事例を鑑みると、本人の処刑はやむなしとしても、家の取り潰しはいささか処分が重すぎるのではないか? 家ぐるみでオピュームを違法に横流ししていたのならともかく、本件ではグリファスが個人的に使用する分を抜くにとどまっていたのだろう? 全体量からすれば軽微であり、ヴェダ伯爵が気付けなかったとしても無理からぬことと思うのだが……爵位を返上させファーランド領から放逐する辺りが妥当ではないか?」
フェルナンドのその見解をフラムアークはキッパリと否定した。
「その件ですが……グリファスは国の聞き取りに対し、あくまで個人で使用する分のオピュームのみを着服していたと供述しているようですが、私の方で独自に調べたところ、ファーランド領でのケルベリウスの実際の栽培面積と帳簿上の収穫量に明らかな誤差があり、ヴェダ伯爵家にはケルベリウスから精製した大量のオピュームを意図的に違法に横流しをしていた疑いがあるのです。家ぐるみで組織的に行わなければ不可能な量です」
「何?」
フェルナンドの表情が変わる。そんな彼にフラムアークは改めてその事実を突きつけた。
「ヴェダ伯爵家は組織的にオピュームの収穫量を偽り、違法な横流しをしていた疑いがあるのです。陛下よりケルベリウスの栽培許可を賜った地で、それを管轄すべき伯爵家の者が、あろうことか違法な横流しによって私腹を肥やし、薬物に手を染めた挙句、皇族の殺害を企てた―――管理責任者であるヴェダ伯爵は無論、一族の責任は重く、相応の罰を受けるべき事案であると提言します」
「何だと……!? しかし、そのような報告は―――」
「ありませんよね。私もこの事実を確かめる為に苦労致しました。ファーランド領は元々入領時の検問が厳しいことで有名でしたが、グリファスの事件以降はそれが一段と厳しくなっていて、限られた者しか領内に入れないようになっていましたから」
そう―――事件後、宮廷からの捜査が入っていることを理由に、領内に居を持つ者以外は例え皇族であっても正当な理由なくファーランド領内に足を踏み入れることが出来なくなっていたのだ。
例外として、捜査に影響を及ぼさないと判断された一般の商人達は身分証さえ提示出来れば身体検査を受けた後で領内に入ることが出来ていた。
決して豊かとは言えないファーランド領は自領のみでは充分に領民の衣食をまかなうことが出来ず、彼らが持ち込む物資や外貨によって領民の生活は回っていた。ゆえに、領民を慮るヴェダ伯爵は完全に物流を止めてしまうことは出来なかったのだ。
それを知ったフラムアークはこの時点でまだ自分との繋がりが公になっていない者達―――カルロ達“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の面々を商人に扮させて秘密裏にファーランド領へと派遣していたのだ。
人身売買組織の壊滅にひと役買った彼らとフラムアークはその後、密かに協定を結んでいた。
リーダーであるカルロと話し合いを重ね、現在はどこにも所属しない自警組織(ヴィジランテ)として弱き者を守る活動を展開する彼らに第四皇子の後ろ盾を与えることでその活動を支援する見返りに、こちらの要請を受けた際は義勇兵としてフラムアークの元へ駆け付けてくれるよう約束を取り交わしていたのだ。
それをカルロが了承した際、その場に立ち会ったスレンツェはひどく感慨深げにしていたという。
ファーランド領へ潜入する為の彼らの身分証はエドゥアルトが手配してくれ、怪しまれずに目的地へ潜入を果たしたカルロ達は密偵として先程のことを調べ上げてくれたのだ。
「にわかには信じ難い話だ。ヴェダ伯爵は清貧を信条とする人柄で贅を尽くすような人物ではない。彼を知っている者なら誰もが口をそろえてそう言うだろう」
そう言って眉をひそめるフェルナンドに同調する声があちらこちらで囁かれた。
「確かに……彼の生活ぶりは伯爵家にしては質素で、およそ贅沢とは縁遠い環境に身を置いていた」
「私も屋敷を訪問したことがあるが、堅実な生活をしているという印象しかない」
「不作が続いて領の財政が厳しい時は自らの家財を売って、領民の糧食に充てたという話を聞いたことがあるが……」
ヴェダ伯爵の人となりを知る者達の反応はおおよそ懐疑的だ。
「ヴェダ伯爵の人柄は私も存じています。しかし、ファーランド領でケルベリウスの実際の栽培面積と帳簿上の収穫量に明らかな誤差があるのは事実です。その裏付けはこちらで全て取れています。国から改めて調査チームを派遣し現状の確認を行えば、私が申し上げていることが間違いのない事実だと証明されるでしょう―――ヴェダ伯爵家の罪は明白で、彼らは厳しく断罪されるべきであるのだと!」
揺るぎないフラムアークの言い切りにどよめきが上がる。
けれどフェルナンドは動じなかった。淡々とフラムアークの言葉を受け止めながら、思慮深く疑念を呈してくる。
「お前の見解は分かった。改めてファーランド領を検見する必要性も理解する。その結果、お前の言うとおり不正が認められたならば、前述のような厳しい処罰も視野に入れねばならぬだろう。だが、仮にそうであったとして、ファーランド領でのケルベリウスの栽培許可まで取り消す必要はないのでは? 彼の地は肥沃とは言い難く、ケルベリウスの代わりとなる作物など容易には見つけられまい。その不利益を被(こうむ)るのは領民達だ。罪のない領民達をみすみす困窮させる必要はなかろう」
「ええ、仰るとおりファーランド領の土壌は肥沃とは言い難く、彼の地で育つ作物は限定されるでしょう。実際ケルベリウスの栽培許可を得る以前はヴェダ伯爵は領地運営に苦慮していたと聞きます。領民の暮らしを第一に考えるヴェダ伯爵にとって、安定した収入を得られるケルベリウスの栽培許可は喉から手が出るほど欲しい案件だった―――そして、伯には将来を嘱望された知にも武にも秀でた優秀な三男がいた」
兄の言葉にゆっくりと相槌を打ちながら、フラムアークは怜悧な光を湛えるその瞳を捉えた。
「だから貴方はそこに目を付け、ファーランド領にケルベリウスの栽培許可が下りるよう便宜を図ったのではありませんか? 貴方に絶対的な忠誠を誓わざるを得ない優秀な手駒と、己の潤沢な資金源を手に入れる為に」
不意打ちのようなフラムアークの発言に、しん、と場が静まり返った。
「何を―――」
一拍置いて声を返したフェルナンドにフラムアークは間髪入れず切り込む。
「これは先程からの貴方の発言を聞いていて私が感じた違和感なのですが―――兄上、貴方は直接関わりのないファーランド領の領民達の今後の生活については慮(おもんばか)れるのに、長年自分に忠義を尽くしてきた優秀な臣下のことは全く顧みないのですね。ただただここに至るまでの事実だけを認定し、己の監督責任を認めるのみで、むごい刑を課されることになるグリファスの処遇を気に掛ける様子が、一切見受けられない」
挑発めいたその発言にぴく、とフェルナンドのこめかみが動いた。
「聞き捨てがならないな……私は皇族としての己が立場をわきまえている。第三皇子として国民の生活を案ずるのは当たり前のことだろう。グリファスの罪状については明確な証拠があり、本人の供述も相まって残念ながら事実として認定せざるを得ない……過去の事例を鑑みてもお前の言うむごい刑に処する必要があると言わざるを得ないだろう。それについて私情を挟むことはしない。心の内でどれほど嘆き、どれだけ慙愧の念に駆られたとしてもだ」
己の葛藤を口にしながら、フェルナンドは不快感も露わにフラムアークをにらみつけた。
「むごい刑だと思うのなら、せめて斬首に切り替えてはくれまいか? そしてこのような場で憶測に基づいた発言をすることは皇族としてあるまじきことであり、恥ずべきことであると自覚してもらいたい」
「……失礼しました。しかし、私は憶測ではなく確信に基づいてこの場で発言をしています」
「何?」
鋭さを帯びるフェルナンドの眼光をフラムアークは正面から受け止めた。
「確かに、我々皇族が国民の生活を案ずるのは当たり前のことですね。ですが、だからといってヴェダ伯爵の後釜に勝手にボニファス伯爵を据えるのはいかがなものかと思いますよ。此度の審理はまだ終わっておらず、これを経て陛下が誰にどのような裁断を下されるのか、まだ決まってはいないのですから―――何の断りもなく事前にその準備を整えてしまうのは、明らかな越権行為です」
大きなどよめきが沸き起こり、整ったフェルナンドの表情がゆっくりと時を止めた。
グリファスの件を受けてヴェダ伯爵がファーランド領から放逐された場合、次のファーランド領主として誰が取り上げられるのかを仲間内で議論した時、いくつかの名前が挙がった中で、最有力候補と目されたのが件(くだん)のボニファス伯爵という人物だった。
その理由はこうだ。
グリファスの件で引責することになるフェルナンドの派閥から次のファーランド領主が出ることは国の体面を考えても、まずない。けれどケルベリウスから成るオピュームの横流しで莫大な利益を得ていたはずのフェルナンドは、後々出てくるかもしれない不正の証拠のことを考えると、今後の為にもそこを手放したくはないはずだ。
ならば、自身の派閥以外から都合の良い者をそこにあてがおうとするはず―――。
都合の良い者―――それは、フェルナンドが前もって他陣営に潜り込ませておいた自身の協力者だ。
そう、私達でいうところのレムリアのような―――……。
フェルナンド自身との関係を結び付けられることがなく、いざとなったら切り捨てても痛くない相手。
様々な情報を精査してそれらの条件にピタリと当てはまったのが、このボニファス伯爵だった。
ボニファス伯爵は昔から皇太子派として知られる人物で、皇太子に見切りをつける者達が急増する昨今にあっても変わらず皇太子派であり続けている奇特な人物だった。そしてささやかな悪い噂がそこはかとなく漂う一派の中で唯一、そういった噂を聞かない人物でもあった。
目くらましにはもってこいだ。フェルナンドが次期皇帝候補の筆頭ともてはやされるようになって以降、関係が急激に悪化している皇太子陣営の古株がまさかフェルナンドの息がかかった者だなんて、ほとんどの者は想像もしないだろう。
私達がこれを掴めたのはエドゥアルトの協力があってこそだ。彼と共闘関係を築けていなかったら、ここを掴むことは難しかったに違いない。
そんなボニファス伯爵は現在特段の要職に就いているわけではなく、今日のこの審理にも出席する資格を持っていない。
なので私達はこの場で突然自身の名前が出て狼狽するボニファス伯爵の姿を目にすることにはならなかったのだけれど、その名を耳にした瞬間、この日初めてグリファスが顔を上げて、フェルナンドの方を見た。
「……ボニファス伯爵?」
呆然と目を見開いた彼のひび割れた唇が微かに動いて、空気に溶け消えてしまいそうな呟きが私の兎耳に届いた。
―――反応した!
私は心臓がドキンと音を立てるのを感じながら、彼の動きに注目した。
フェルナンドの側近だったグリファスなら、皇太子派のボニファス伯爵が実は身内だと知っているはずだ。そして、実際の彼がどういう人物なのかも知っているはず……!
この一ケ月、私達はエドゥアルトの協力を得ながら、あらゆる情報を死に物狂いで集めてきた。
当初の予想通り、今回の件に関する新たな物証が国の捜査によって出てくることはなく、現時点でフェルナンドがこの件に直接関与したという証拠を押さえることは出来ていなかったけれど、間接的な状況証拠はかなり集まっていた。
集めた情報を精査する中、見えてきた真実―――確信はあっても、確証はない現状―――もどかしい思いを抱える中、私達が導き出した答えは、鍵を握るのはやはりグリファスであり、ヴェダ伯爵家であるということだった。
「前にも言ったけど、証拠が出てこないのなら出させればいい。そうなるように事態を動かす。オレ達の考えが正しければ―――」
この審理をどうやって戦っていくのか綿密に作戦を立てる中、フラムアークはそう言って思慮深い光をインペリアルトパーズの瞳に滲ませた。
グリファスが、ヴェダ伯爵家が、真に大切にしているものは何なのか。彼らが何の為に真実を秘したままフェルナンドに殉じようとしているのか。彼らの根底にあるものは何なのか。
その答えは、彼らしか持ち得ない。
そして彼らの言葉によってしか、そこへの扉は開かれない……!
「何を言い出すかと思えば……妄言も大概にしろ。そのような越権行為、私が行うはずがなかろう。それにそのようなことをして私に何の利がある? お前は何をもって私がボニファス伯爵をヴェダ伯爵の後釜に据えたなどとのたまうのだ」
多くの者が居竦むのに違いない、荒げずとも遠雷を孕んだフェルナンドの声音に大聖堂内の空気が張り詰めていくが、フラムアークは動じなかった。
「妄言でも憶測でもありません。信頼出来る情報に基づいた上での発言です。事実、貴方はボニファス伯爵本人にそのような内容を極秘で打診されていますよね?」
「事実無根だ。根拠もなくこれ以上私を貶めることは許さんぞ」
「先程も申し上げたように、私は信頼出来る情報に基づいた上で発言をしています。グリファスを切ることになったのは貴方にとっても痛手でしたね。彼は優秀でしたから……グリファスの後釜は彼に比べて裏工作が甘かった」
チラ、とグリファスに視線を投げかけたフラムアークの視線を追うようにそちらに目をやったフェルナンドは、こちらを見ていたグリファスと目が合うと、一見する分には不自然ではない動作で目線を外した。
けれど、この短い一瞬の間に両者の間では様々な思惑がやり取りされたに違いなかった。
フェルナンドの表情が不穏の色を纏い、フラムアークに最後通告を突きつける。
「そこまで言うならば、その信頼出来る情報とやらの根拠を貴様の覚悟と共に示せ―――これ以上の謂れのない愚弄は看過出来ぬぞ!」
その言葉に裏打ちされているのは、この場に提示出来る物証など出てくるはずはないのだという、揺るぎのない自信。
皆が息を飲む中、にわかに扉の外が騒がしくなった。
「審理中です!」と押しとどめる近衛騎士の制止を「私を誰だと思ってる! 退(ど)け!!」と振り切る尊大な怒号が響き、「お待ち下さい!」と食い下がる騎士達を強引に退けた人物が、審理中の扉を勢いよく開け放って入ってきた。
「ああ、いいタイミングだな。あの人にしてはやるじゃないか」
軽く口角を上げてそう評するエドゥアルトを傍らのラウルが物言いたげな目線で制すのが、振り返った私の視界の片隅に映った。