病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十二歳I


 二十騎ほどの精鋭を引き連れてフラムアークの後を追っていたグリファスは、犯罪組織の拠点とおぼしき森の中の古い館から火の手が上がるのを確認し、アイスブルーの瞳を眇(すが)めた。

「何事だ」

 その声に応えるようにあらかじめ偵察に出していた配下が急ぎ駆け戻ってきて、状況を報告する。

「自警組織(ヴィジランテ)を名乗る一団が館を急襲し、大規模な戦闘に突入した模様です! 自警組織(ヴィジランテ)はさらわれた被害者達の解放を謳い、解放された者達が続々と館から脱出してきている状況です!」
「自警組織(ヴィジランテ)? どこに所属する者達だ」
「現時点では不明です」
「第四皇子との接点は?」
「おそらくないかと。その一団は揃いの軽装備を身に着けており、貴族の私兵という雰囲気ではありません。指揮を執っているのは騎馬に乗った壮年の男でした。第四皇子と近しい関係者の間でも見たことのない顔です」
「……。第四皇子側に動きは?」
「今のところありません。正門にも裏門にもそれらしき人物は現れていないとのことです」
「……そうか」

 ―――だが、来るな。

 そう確信して、グリファスは目深に被った黒いフード付きの外套(がいとう)を翻(ひるがえ)した。

 この機に乗じて兎耳の宮廷薬師を取り戻す為に、第四皇子は必ず現れる。

 自警組織(ヴィジランテ)の襲撃は予想外だが、これはこちらにとっても好都合だ。

 この襲撃によって、館深くに囚われているであろうユーファが手の届きやすいところまで出てくるはず―――そのユーファを救出に現れたフラムアークもろとも、この混乱に乗じて一気に討ち取る。

 騒乱の最中、名もなき小悪党共に殺されたということにすれば、面倒な事後処理の必要もない。何の憂いもなく彼らを屠(ほふ)ることが出来るのだ。

 第四皇子達がこちらの動きに気付いていない今、これは絶好の機会が巡ってきたと言える。

 機運はこちら側にある。

「―――出るぞ。館の敷地内に入ると同時に散開、兎耳の宮廷薬師は見つけ次第確実に殺せ。これは絶対案件だ。
第四皇子が現れたら機を見て始末しろ。だが共にいるであろうアズールの亡霊とは単独で渡り合うな。出来るだけ第四皇子から引き離し、近くの者と連携して、必ず複数でかかれ」
「はッ」

 こうして黒いフードを目深に被った一行は馬首を返し、戦火の上がる古びた館へと人知れずその足を向けたのだ―――。



*



 そしてその絶対案件と自ら遭遇したグリファスは今まさに、それを己が手で遂行しようとしていた。

 悲痛な声で主の名を叫ぶ兎耳の宮廷薬師の口を慎重かつ確実に塞ぎ、その細首に今度こそ白刃を突き立てようと、剣を構える。

 その時だった。

「!」

 迸(ほとばし)るような殺気を感じ、グリファスは反射的に顔を上げた。魂魄(こんぱく)に突き刺さるような、無視出来ない種類の殺気だった。

 ―――アズールの亡霊か!?

 ヒヤリとするものが胸をよぎったが、視線を向けた先にいたのは、インペリアルトパーズの瞳をした金髪の青年だった。鬼気迫る表情で抜き身の剣を携えたフラムアークが単身、気勢を上げながらこちらへと突き込んでくる!

 ―――第四皇子か!

 それを見取ったグリファスの顔に凄絶な笑みが広がった。

 むしろ好都合だ……! この手で我が主の憂いを断つ!

 息も絶え絶えのユーファを打ち捨てるように手を離し、迎撃の体勢を取るグリファスへ、フラムアークが裂帛(れっぱく)の気合もろとも斬り込んだ。

 ガギィッ!

 重々しい金属音と共に夜の闇に火花が散って、剣越しににらみ合う二人の顔を一瞬映し出し、続けざまに体勢を入れ替えながら展開される激しい剣戟の応酬に次々と火花が弾けた。

 ―――なん、だと……!

 フラムアークと初めて剣を合わせたグリファスは、驚愕に目を剥いた。

 武に関してはまるっきり小物と侮っていたフラムアークが、こちらを脅かす勢いで剣を繰り出してくる。

 その一撃一撃が、驚くほど重い。そして、速い!

 予想だにしなかった相手の伎倆(ぎりょう)に、グリファスは表情を険しくした。

 伯爵家に生まれついたグリファスは幼少期から剣術の指南を受け、その才能を高く評価されていた。フェルナンドの下で暗部に関わる仕事をこなすようになったのもその才を買われてのことである。だからこそ彼はスレンツェの異質さを理解し、強く警戒していた。

 だが、フラムアークに関してはその警戒を怠っていた。

 十七歳の時、ひとつ年下の第五皇子エドゥアルトに公衆の面前で剣の勝負を挑まれ、その結果が防戦一方に終わったことは知っている。そしてそれが唯一、宮廷内で認知されているフラムアークの剣の腕前であった。

 後にも先にも、その一度だけ。そこからフラムアークは公の場で一度たりとも剣を振るっていない。

 元々病弱だったフラムアークが剣を持たずとも、誰もそれを不思議には思わなかった。

 そのフラムアークが、恐ろしいほどの剣さばきを見せる。信じられぬことに、押されているのはむしろグリファスの方だった。

 ―――バカな! この私が……!

 驚愕と、驚嘆と、焦燥と―――様々な感情が忙しくグリファスの中を駆け巡る。

「!」

 急所をかすめてくる斬撃をすんでのところでかわし、グリファスはきつく奥歯を噛みしめた。

 最初こそ打ち合えたものの、今は一方的にこちらが攻撃を受け、どうにか凌いでいるといった展開だ。 剣を握るグリファスの手はフラムアークの猛攻の威力に耐えかね、あろうことか痺れを訴え始めていた。

 鍔(つば)ぜり合う自らの足が後退し劣勢を強いられている今、グリファスは自身の見込み違いを悟らざるをえなかった。

 ―――これが第四皇子、フラムアーク。

 病弱であることを理由に不遇され続けてきた、今の宮廷ではその実を知らぬ者も多い、祝福されし御子―――。

 当初フェルナンドからフラムアークにも間者を付けるよう申し付けられた時は、正直そんなことをする必要があるのかと思った。

 十七歳で皇太子の尻拭いをする格好で総大将としてイクシュル領に赴き、大国アイワーンの大将軍アインベルトを撃退して頭角を現し始めた後は、意外な思いと共にその手腕を認めながらも、主であるフェルナンドには到底及ばないと、高を括った見方しかしなかった。

 あの時も、またあの時も―――数々の情報を通して見るだけで、これまでフラムアークその人を、その真価を、自分の目で確かめるということをしてこなかった。それで充分だと思っていたのだ。

 武に秀でているイメージは全くなかった。

 幼い頃から病弱な皇子という公然の刷り込み、そして人間離れしたスレンツェの陰に隠れていたこともあって、これほどの武を備えた逸材だとは、想像だにしていなかった。おそらくは宮廷内の誰もがこの実像を知らないに違いない。

 いや、おそらくはそのようにフラムアーク側が仕向けたのだ。そう思われるように、意図的に隠していた。

 来るべき時にその真価を遺憾なく発揮出来るよう、敢えて世間のイメージを崩さないように取り繕っていたのだ。

 ―――中途半端に腕に覚えのある、私のような者を狩る為に。

 グリファスの目前で、深い怒りに滾(たぎ)るインペリアルトパーズの瞳が燃えている。その瞳に映る自身は息が上がり、駆逐される側の様相を呈していた。

 フラムアークが吼え、強烈な一撃を受けた剣が大きく弾かれた。剣を持った右手が空高く上がる格好になり、右側のガードががら空きになる。

 殺(と)られた、と思った次の刹那、左腕に灼けつくような熱が走った。がら空きになった右半身を斬りつけてとどめを刺すのではなく、注意の逸れた左腕を持っていかれたのだ。

 グリファスの左腕の肘から先がドッ、と地面に転がり、傷口から勢いよく鮮血が溢れ出す。奥歯を噛みしめ激痛を堪えるグリファスへ、フラムアークの口から初めて怒気渦巻く声が漏れた。

「グリファス―――オレは、お前を許さない。こんな形で楽になどさせてはやらない。全て白日の下に晒し、徹底的に追及した上で相応の責任を取らせてやるから、覚悟するがいい。お前も、お前の主もだ!」

 その凄みに、張り詰めた大気がビリッ、と震えた。夜の闇を裂く雷光のような峻烈さだった。

 宮廷でこれまで目にしてきた穏やかな姿とはまるで違う、別人のように苛烈なその一面は、炎と氷のような違いはあれど、兄であるフェルナンドを彷彿とさせた。

 やはり血の繋がった兄弟なのだ―――仕える主を定めていなければ、思わずこの場で膝を屈してしまいそうになる、圧倒的な力の片鱗を感じた。

 その存在感も、纏う空気も、常人とは大きく一線を画している。

 正面から対峙して、初めて分かった。

「……」

 傷口を押さえ肩で息をつきながら、グリファスはその事実を事実として認めた。

 ―――だが、皇帝となるのは我が主だ。

「フラムアーク様―――!」

 その時、フラムアークの後を追ってきたとおぼしき少数部隊が現れた。

「!」

 先頭に立つ狼犬族の女剣士を見た瞬間、自身の置かれた状況を悟ったグリファスは素早く踵(きびす)を返し、闇と木立の中に紛れた。

「追います!」
「頼む」

 駆け付けたラウルと独立遊隊の隊員数名がそのままグリファスの後を追う。

 それを見送ったフラムアークはようやく、ボロボロになって樹木の陰に座り込んでいるユーファに声をかけることが出来たのだ。

「ユーファ!」

 自らの外衣を外して半裸に近い姿の彼女の肩にかけてやりながら、フラムアークはその顔を正面から見つめた。サファイアブルーの双眸が確かにこちらを見つめ返していることを確認して、途方もない安堵と万感の思いに包まれる。

「よく、生きて……!」

 感情が溢れて、それ以上は言葉にならなかった。

 言葉にならない想いを込めて、フラムアークは腕の中にユーファを包み込んだ。
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