病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十二歳G


 私達を乗せた馬車はそこから更に数日走り続けた。

 布で仕切られているせいで外の様子が全く見えない馬車の中は明るさで昼か夜か分かる程度で、一日二度の食事の提供と、見回りで男達が顔を見せる時にだけ、一瞬外の風景が覗く感じだった。

 男達はなるべく人目につかない道を選んで馬車を走らせているのか、悪路を通ることが多く、四六時中振動が傷に響いて辛かった。宿には一切泊まる様子がなく、夜になると焚火を囲んで野営している気配が伝わってきた。

 その間、私は意識は戻ったものの床から起き上がれないふうを装い、ファルマはそんな私の状況を予断を許さないと報告しながら、少しずつ回復してきていることも匂わせて、彼女の手腕で私が快方に向かっていることを男達に印象づけた。

 そんな中で私は密かに更なる回復に努めたけれど、安静に程遠い環境下では回復は遅々として進まず、馬車から逃げ出すには遠く及ばないのが現状だった。

「あせらないで、まずは身体を癒すことを考えて。どこへ連れて行かれたとしても、この状態のあんたと私が離されることは多分ない。チャンスが来た時に万全を期せるよう、今は備えよう」

 ファルマはそう言って、思うにままならない身体と、あせりと不安で押し潰されそうになる私を励ましてくれた。

 ありがとう、ファルマ。あなたの存在に私がどれほど勇気づけられ、心強さを感じているか―――本当に感謝してもし足りない。

 私達を乗せた馬車はやがて、深い緑に囲まれた一軒の古びた館へとたどり着いた。

「下りろ」

 男の一人に横抱きにされて馬車から下ろされた私は、久し振りの太陽の眩しさに目を細めながら、現在地の手掛かりになるものを求めて周囲に視線を走らせた。

 目の前に見える年代物の建物は、外観から察するにかつて貴族の別荘として使われていたものだろうか? 見える範囲に他に建物はなく、その景色からどこかの山奥らしいことが窺える。

 帝都よりだいぶ涼しく感じるのはここが高地だからか、それともだいぶ北の方へ来ているからなのか―――野生している植物の中に以前テラハ領で見かけたものがあったから、もしかしたらその近辺にいるのかもしれない。

 到着した馬車は私達が乗ってきたものも含めて全部で三台あった。手足を縄で拘束された女性と子供がそこから次々と下ろされてきて、不安そうな表情のまま、男達に急き立てられるようにして建物の中へと移動させられていく。

「お前らはこっちだ」

 私を抱えた男に促されるようにして、私とファルマは建物の地下にある牢へと連れて行かれた。

 薄暗い地下はカビ臭く、湿っぽくひんやりとして、空気が淀んでいる感じがする。所々設置されたカンテラの灯りが不気味に照らし出す中、いくつもある牢の中には暗い顔をした亜人の女性や子供が入れられているのが見えた。

「ここが今日からしばらくお前らが過ごす場所だ。喜べよ、地下で一番いい牢屋(へや)だぜ」

 私を抱えた男がそう言って、突き当たりにある格子付きの扉をくぐり、粗末なベッドの上に私を横たえた。その時だった。

「……柔らけぇなぁ。兎耳族ってのはみんなこんなに柔らけぇのか?」

 くぐもった声に不意に劣情の響きがこもり、ビクッとする私の前で男の細い目が好色そうな光を帯びた。ぶ厚い唇がゆっくりと笑みの形に裂けて歯並びの悪い黄色い歯列が覗き、背中の下にある腕が妙な動きを見せる。同時に膝裏にあった手が太腿の方へ移ろうとする気配を感じ、青ざめた私は身じろぎした。

「や……!」
「何するんだ! やめろ!」

 異変に気付いたファルマが声を荒げると、男はチッと舌打ちをして動きを止め、未練がましげに、ことさらゆっくりと私から手を離した。

「このくらいで騒ぐんじゃねぇよ。遅かれ早かれ、どうせ売られた先でヤラれまくるんだからよぉ……」

 ねっとりと絡みつくような視線とゾッとする文句に言いようのないおぞましさを覚えていると、冷ややかな牽制が牢の外からかけられた。

「それは対価を払った者にのみ与えられる権利だ。お前の薄汚い行為を正当化する言い訳にはならない」

 良く通るその声は、腰に鍵束を着けた三十代後半くらいのショートカットの女性から発せられたものだった。

「! アマンダ……」

 男にアマンダと呼ばれた女性は皮肉気に口角を上げた。

「頭の悪いお前にも分かってんだろう? その兎耳族はお前がどう足掻いたって払えない、見たこともないような大金になる貴重な商品なんだって。分かってんなら薄汚い手で触るんじゃないよ、次に妙な真似をしたらすぐに上へ報告する」
「クソ……ドブスが……!」

 旗色悪しと見たのか、男は精一杯の捨て台詞を吐くと牢を出ていった。それをじろりと見送った彼女は牢の中の私達に視線を戻してこう言った。

「ああいう下半身に節操のない連中が多くてね。商品が傷ものにならないよう、牢の見張りと巡回は基本あたしら女が担当している。あたしが見張ってる限りはああいう連中に手出しはさせないから、そういう意味では安心しな」
「……それはつまり、あんたがいない場合はその限りじゃないってこと?」

 眉根を寄せたファルマが確認の口調で問うと、アマンダは軽く肩を竦めてみせた。

「自分以外の見張りにまで責任は持てないからね。中には賄賂をもらって手引きするような奴もいるし……でもまぁあんた達は上も関知してる特別な商品だし、そういう危険性はかなり低いと思うよ」
「“特別な商品”ね……」

 これ見よがしなファルマの溜め息にもアマンダは涼し気な態度を崩さなかった。

「くれぐれも逃げ出そうなんて考えない方がいいよ。それよりもお友達の回復に努めて、なるたけいい飼い主に買ってもらえるよう体調を整えておくことをお勧めするね。その方がずっと建設的だ」
「ご忠告を、どうも」

 ファルマが渋い顔で応じた時、新たな靴音が響いて、これまでの男達とは明らかに雰囲気の違う人物が現れた。背後に二人の配下をはべらせた人相の悪いその男は、当然といった様子で私達のいる牢内に入ってくると、ベッドに横たわる私をまじまじと見下ろして、値踏みするように視線を走らせた。

「これが例の商品か。確かに兎耳族だな―――ふむ、見目は悪くない。ケガが治ればこれまでにない高値で売れるだろう。さらってきた連中にはいつもの倍、いや三倍の報酬をやってくれ」
「分かりました」
「それと羊角族の薬師―――こっちもなかなかいい値がつきそうだ」

 ファルマに視線を移し満足そうに頷いた男は、彼女に指を突き付ると一方的に言い渡した。

「おいお前、お前の当面の役目はこの兎耳族の治療だ。出来るだけ傷が残らないように尽力しろ。絶対に死なせるなよ。もし兎耳族が死ぬようなことがあれば、その分の補填はお前の肉体(カラダ)で賄(まかな)ってもらうことになるからな」

 ファルマは不満げな表情を見せつつも反論はしなかった。偉そうなその男は帰り際もう一度私に視線を向けると、薄気味悪い笑みを湛えながら配下と共に引き揚げていった。

「……今の胸糞悪い男は?」

 むっつりと問うファルマにアマンダは無雑作に答えた。

「ここの責任者のフランコだよ。あいつを怒らせることは避けた方がいい。人としての尊厳を全て奪われかねない目に遭わされることになる」
「ふぅーん……口答えしなくて正解だったな。見るからにヤバそうな奴だったもんね。ここの責任者ってことは、あいつがこの組織のボスってわけじゃないのか……。ねえ、そもそもここはどこで、あんた達は何ていう組織なワケ? こっちは何の説明もなく突然連れ去られてこんなトコまで連れてこられて、ワケが分からないんだけど」
「そんなこと、商品に教えられるわけないだろう?」

 アマンダの回答はけんもほろろだったけれど、ファルマは諦めずに問い重ねた。

「じゃあこれは? ユーファの傷が癒えるまで、私達はここにずっと閉じ込められていることになるワケ?」
「さあ? それはフランコの胸三寸じゃないかな。有り体に言えば顧客の要望と金次第」

 そんな……じゃあ具合が悪いふりを続けていても、売られないという保障はないの……?

 状況によってはいつファルマと引き離されて売られてしまうかも分からないなんて―――私達にとっては悪い知らせだ。

 フラムアークから聞いた話では、連れ去られた被害者達は一度帝国内のどこかへ集められてからまとめて国外に移送されているんじゃないかということだったから、彼らが問題の組織で、もしここがその「どこか」に当たる拠点なんだとしたら、次に連れて行かれるのは外国の可能性が高い。そうなれば、フラムアークの元へ帰るのがいよいよ難しくなってしまう。

 どうしよう……こんなことをしている場合じゃないのに……!

 なかなか回復が進まない自分の身体がもどかしい。つのる焦燥感とままならない現状に、私はぎゅっと敷布を握りしめた。

 時間がない。なるべく早く、せめて走れるように回復して、何とかここから逃げ出さなければ……!



*



 宮廷内の人払いを済ませたとある一室―――ユーファの捜索隊に潜り込ませていた配下からある報告を受けたグリファスは、その神経質そうな眉宇をひそめた。

「第四皇子が……?」

 色素の薄い金髪にアイスブルーの瞳。前髪を整髪料で後ろになでつけ、上等な仕立ての衣服をかっちりと着込んだ怜悧(れいり)さ漂う佇まいには隙がなく、見る者に冷然とした印象を与える。

 ファーランド領主ヴェダ伯爵の三男で、表向きフェルナンド陣営の若手の有望株として辣腕(らつわん)を振るう彼は、その裏で薄暗い噂に事欠かない人物でもあった。

 そして実際、彼はその噂に違わぬ人物であった。フェルナンド陣営の暗部を仕切る彼の両腕は、目に見えぬ血にまみれている。

 昨年ブルーノを介してカルロ率いる“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”に皇帝暗殺を教唆し、その裏でフラムアークとスレンツェをクーデターの首謀者に祭り上げようと画策したのも彼である。

 主であるフェルナンドの命を受け、フラムアークが頭角を現す以前から、その宮廷薬師ユーファのルームメイトであるレムリアに密かに接近し、彼女を諜報役として抱き込んだのも彼であった。

 何事にも手を抜かない主義のフェルナンドは万が一を考えて、当時誰もが眼中にもなかった病弱な弟にもしっかりと網を張っていたのだ。

 そのグリファスが眉宇を曇らせたのは、ユーファの捜索に加わっていたフラムアークが日没を過ぎても宮廷へ帰還しないという報告を受けた為である。

「第四皇子は昨日より捜索隊とは別行動を取っており、本日も昨日に引き続き別途川下周辺の集落での聞き込みを行っていた模様ですが、日没にて捜索隊が解散した現在も未だ宮廷へは帰還せず、何やら動き回っているようです。まだ裏付けは取れていませんが、どうやら北の方角へ向かったらしいとの報告がありました」
「北……?」

 グリファスは呟いて思考を巡らせたが、その方角にこれといって思い当たる節がない。

 妙だな……そちら側に何か今回の件と関連するような事案はあっただろうか……?

「供は? アズールの亡霊と例の女だけか?」
「そのようです」
「そうか……皇子という立場にある者が不用心なことだ―――先日の教訓は活かされなかったようだな。その立場上、己が行く道には常に思わぬ危険がつきまとうと、その身をもって体験したばかりだろうに」

 しかし、報告が確かであればフラムアークは何故北へ向かったのか……?

「……。ユーファの遺体はまだ発見されていないのだったな」
「はい。本日の捜索でも発見には至りませんでした」

 あの現場から転落して助かる者がいるとは到底思えないが、現状ユーファの遺体は発見されておらず、あきらめ悪く周辺で聞き込みを続けていたフラムアークが行動を起こしたとなれば、にわかには信じ難いが、ユーファが生存する手掛かりを掴んだと考えるのが妥当か―――?

 だが―――だとしても、何故北に?

 そこが解せない。

 よしんば転落死を免れていたとして、あそこから落ちて瀕死の重傷を負うことは免れないはずだ。そんな身体でそう遠くへ移動することなど、普通は考えられないが―――。

「第四皇子が聞き込みを行った周辺でここ最近、何か変事があったとの報告はないか?」

 グリファスは配下に問うた。

 万が一にもユーファが存命しているのであれば、こちらも色々と手を打たねばならなくなってくる。

「取り急ぎ確認したところ、数日前に羊角族の薬師が数名の男に誘拐される事件があったようです。最寄りの駐屯所へ周辺集落の長から救出嘆願が出されていました」
「誘拐……」

 呟いたグリファスの顔色が変わった。

「羊角族の薬師と共にさらわれた患者がいなかったか至急確認しろ。並行して第四皇子の足取りを追い、行き先を特定せよ。確認が取れ次第、私が出る」
「! グリファス様自ら……!?」
「それだけ事は急を要する。急げ」
「はっ」

 もし本当にユーファが生きているのならまずい。彼女はレムリアが反勢力の手の者だと知っている。こちら側という証拠はなくとも、大いにそれを疑っているはずだ。

 ユーファがもし生きているなら何が何でも始末せねば―――これ以上失態は重ねられない。無能を嫌い、何より成果を重んじるフェルナンドは二度目の失敗を許さないだろう。ファーランド領を預かるヴェダ伯爵家の一員として、この双肩にかかる主の期待を裏切るわけにはいかない。

 近頃帝国内で問題になっている新手の人身売買組織によるものと思われる誘拐事件はグリファスの耳にも届いている。羊角族の薬師を誘拐したのが件(くだん)の組織で、偶然そこに居合わせたユーファが組織の手の者によって連れ去られ、北へ運ばれているのだとしたら―――それを掴んだフラムアークがわずかな供だけを連れてその後を追っているのだとしたら―――これは千載一遇の好機が巡ってきた、そう捉えることも出来るのではないか。

 もしユーファが生きているならこの機に乗じて口を塞ぎ、更にはフラムアーク自身を亡き者にして、全ての罪を犯罪者集団に被ってもらえばいい。全てを不幸な事故として一度に片付けるまたとないチャンスだ。

 無論、失敗すればグリファス自身が身を滅ぼす。破滅と背中合わせの賭け要素を多分に含むが、それを鑑みても実行する価値のあるまたとない好機―――鬼が出るか蛇が出るかはグリファスの手腕と運次第だ。

 ここで機運を読み違えずに確実に遂行する為には、自らが出向くしかない。

 ―――ここが私の正念場となるか。

 自身の命運を左右する転換点、今その場に立っていることを自覚しながら、グリファスは仄暗い光をアイスブルーの瞳に湛え、暗躍の場へと動き始めた。
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