「川沿いの捜索は捜索隊に任せて、オレ達は付近の集落を当たってみよう。可能性は低いが、もしかしたら自力で岸にたどり着いて近くに助けを求めているかもしれないし、通りすがりの誰かに助けられているかもしれない。あらゆる可能性を視野に情報を収集しよう」
フラムアーク達は周辺の地図を頼りに、川の近くに点在する集落をひとつひとつ当たっていった。
藁にもすがる思いだったが、なかなかユーファに関する情報に行きつくことが出来ない。
その日は何の収穫もなく終わり、焦燥感を募らせながら臨んだ翌日、昼過ぎに訪れたある集落でついに有力な情報にたどり着いた。
「あんた達が捜している人かどうかは分からないけど……」
そう前置きをして話をしてくれたのは猟師の青年だった。
「ついこの間、隣の集落で物騒な騒ぎがあったんだ。ほら、最近噂になってる人さらい? あれが出たとかで、居合わせた薬師のファルマさんが患者の女の人と一緒に連れていかれてまったらしくて……確か、その患者が兎耳族だったって……。ファルマさんはこの辺りを定期的に巡回してくれてるとても良心的な羊角族の薬師でさ、オレのじいさんも診てもらってたからスゴく心配してるんだ。何とか助けてやってほしいって、集落の代表が近くの駐屯所へ陳情しに行ったらしいんだけど―――」
宮廷からこの付近に居を移した兎耳族がいるという話は耳にしていない。その兎耳族の患者は、きっとユーファだ。
それに羊角族の薬師ファルマ。彼女の名前がここで出てくるとは思わなかった。
ようやく掴んだ手掛かりに心臓が震えるのを覚えながら、フラムアークはスレンツェ達と顔を見合わせた。
ユーファはやはり無傷とはいかなかったようだし、帝国内で問題になっている犯罪組織に連れ去られたとあっては決して楽観視できる状況ではなかったが、何よりもユーファが生きていた―――まだ確証とはいかないものの、そう思える情報に出会えたことが大きい。
青年の情報通りユーファ達の連れ去りに問題の犯罪組織が絡んでいるのだとすれば、彼らとしても貴重な兎耳族の商品を失うわけにはいかないだろうから、無下には扱うまい。むしろ商品価値を高める為、状態の回復に努めようとするだろう。連れ去られたのは不運だったが、モンペオで薬師の責任者を務めていたあのファルマが一緒というのは不幸中の幸いだった。
「なぁ、あんたら身分ある人っぽいし、あんたらからもファルマさんを助けてくれるよう偉い人に頼んでもらえないかな? その、捜しているっていう兎耳族の人のついでに」
猟師の青年にそう請われたフラムアークは大きく頷いた。
「もちろんだ。彼女達の早期の救出に全力を尽くすと約束する。話してくれてありがとう」
急いで件(くだん)の集落へと向かったフラムアーク達は、ユーファを手当してファルマに引き合わせたというエナという女性の元を訪れた。
ファルマの予言通り現れた、高貴そうな身なりをした端整な面差しの金髪の青年に、エナは目を大きく瞠りながら、たどたどしく事の次第を話した。
発見時にユーファが握っていたという折れたナイフの柄と、薄汚れ擦り切れた白衣を受け取り、フラムアークは半眼を伏せた。
わずかながらでも、このナイフの加護があったからユーファは転落死を免れたと、そう思ってもいいだろうか。
不遇された少年時代、自身の生誕を祝したナイフなど形ばかりのものと、何の感慨も抱かなかった。
これをユーファに渡したのは気休めでも彼女の無事を祈りたかったのと、自分が彼女からもらった香袋のように、何か自分が渡したものを彼女に持っていてほしいという、そんな独りよがりな願いからだった。
だが今初めて、このナイフにまつわる全てのものに心から感謝する。例え形ばかりの慣習であったとしても、このナイフがあったからこそ、きっと大切な人の命は繋がれた。
―――ありがとう。
転落現場を目の当たりにした時は正直、最悪の事態が脳裏をよぎった。わずかな可能性を信じながら、時間だけが経過していく日々に心が擦り切れそうだった。
あれほど重く張り詰めていた空気が、今は軽い。
ユーファが生きている―――まだ手放しで喜べる状況ではないものの、その確証を持てて言葉にならない安堵感で胸がいっぱいになった。
その思いはスレンツェ達も同様だった。先行きの見えなかった状況に希望を見出した彼らは同時に、討つべき相手を見定めて静かに息巻いた。
「ユーファを迎えに行くついで、害虫退治だな」
わずかに口角を上げて馬首を返したスレンツェに、エレオラが穏やかながら物騒な物言いで相槌を打つ。
「そうですね。慎ましく生きる弱き者をかどわかす輩など百害あって一利なし、この機会に掃討してまいりましょう」
フラムアークはそんな二人に頷き返しながら、ユーファ達を乗せた馬車が走り去ったという方角を見やり、力強く瞳を輝かせた。
「ああ、何の罪もない子女を連れ去った罪は重い。―――行こう、ユーファ達が首を長くして待っている」
*
目が覚めた時、私は揺れる馬車の中にいて、傍らには心配そうにこちらを見つめるファルマの姿があった。
「……ファルマ」
「ユーファ! 良かった、気が付いた?」
「―――私……? ここは……?」
横たわったままぼんやりと辺りを見回す私に、ファルマはばつが悪そうな顔になってこう言った。
「あ―――驚かないで聞いてね。私ら人さらいにかどわかされている最中で、ここは奴らの馬車の中。多分どこかの拠点に移送されてる途中で、連れ去られてからもう三日が経過している。布で仕切られているから外の様子は見えないけど、多分関所らしいところを二回通過した。どこへ向かっているかは分からないけど、帝都からはずいぶん離れた所まで来てる」
「え―――……」
その話に青ざめて起き上がった私は、全身に走る痛みと眩暈に襲われて、肘をついた。
「まだ安静にしてなきゃダメだよ、ひどいケガなんだから。峠は越えたけどずっと高熱も続いていたんだよ。まだ熱も下がり切っていないし、あちこち痛むはずだ」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃ―――私―――私、帝都に戻らないと。宮廷に戻って、フラムアーク様に急いで伝えないといけないことが……!」
「ならなおのこと、今は回復に努めて。状態が良くならなきゃここから逃げることも出来ないし、死んでしまったら伝えることもかなわないでしょ」
冷静にファルマに諭された私はぐっと口をつぐんだ。
「幸か不幸か、連中は兎耳族のあんたを特別待遇にしている。絶対に死なせないように私を傍に置いて、治療に必要なものも頼めば手配してくれる熱の入れようだ。水も食料も問題なく提供されているし、定期的な確認以外は馬車の中にも入ってこない」
それを聞いて改めて馬車内を見渡してみると、私は粗末ながら敷布のひかれた床の上に寝かされていて、近くには水差しが置いてあり、いつでも水が飲めるようになっていた。枕元にはファルマのバッグが置かれ、処置に使った包帯や薬品等が広げられている。
ファルマは左足首に重りのついた枷を着けられていたけれど拘束はされておらず、どこかに繋がれたりもしていない。馬車内には私達以外の人の姿は見当たらなかった。
「この馬車も私達だけの貸し切りだ。そのしわ寄せか、他の馬車にはさらわれた人達がぎゅうぎゅうに詰められているみたい」
「えっ……そんなに大勢の人がさらわれているんですか?」
「馬車に乗せられる前、チラッと見えただけだけど若い女性と子供が十人以上はいたな」
「そんなに……」
だとするとかなり大掛かりな組織の犯行なんじゃ……!?
そこまで考えた私は、あることに思い至って蒼白になった。
まさか―――まさか、フラムアークが言っていた最近帝国内で問題になっている誘拐事件、あれと関係のある組織なんじゃ……!?
「エナさんが白衣から着替えさせてくれてたから、連中はあんたが薬師だってことに気付いてないし、ましてや第四皇子付きの宮廷薬師とは思ってもいない」
声を潜めたファルマにそう言われて初めて、私は自分が生成り色の簡素なワンピースタイプの寝間着姿であることに気が付いた。
「瀕死の重傷を負った兎耳族という認識でしかないから、連中はたいした警戒もしてないし監視の目も緩い。そこを最大限利用して逃げ出す機会を計ろう。私はこれからもあんたの体調が思わしくないフリを装うから、ユーファ、あんたは瀕死の重傷を装ったまま身体の回復に努めるんだよ」
「ファルマ……」
話すうちに色々と思い出してきた。
そうだ―――河原に流れ着いた私を家に連れ帰って手当してくれた女の人がいた―――彼女がそのエナさん? 彼女がファルマを連れてきて、私と引き合わせてくれたんだ。そこへ男達が押し入ってきて―――……。
記憶が鮮明になっていくにつれ、私はファルマに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
何てこと―――私が彼女を巻き込んでしまったも同然だ。
「ファルマ……すみません、こんなことに巻き込んでしまって……」
うなだれる私に彼女は首を振った。
「ユーファのせいじゃないでしょ? っていうより、そもそも奴らは私目当てであの辺をうろついていたみたいだし、どっちかっていうと居合わせたユーファがとばっちりを受けた形になると思うんだけど―――まあそれは置いといて、薬師としてはあんな状態の患者を放っておくわけにはいかないしね。逆の立場ならユーファだってそうしたんじゃない?」
「それは……はい、確かに」
思わず頷くと、ファルマは小さく笑った。
「死にそうなフリをして時間を稼いでいる間にあんたの主が助けに来てくれるのが理想だけど、現実はまぁそう甘くはないだろうし、悠長に構えてもいられないから、私らは私らで逃げられる算段を整えておこう」
「はい」
私がさらわれてから既に三日―――だとすると、崖から転落してからは更に時間が経過していることになる。
どういう形で伝わっているのかは分からないけど、既にフラムアークの耳にも私の失踪は届いているはず―――きっとひどく心配して手を尽くしてくれているはずだ。
「じゃあまずはあんたの今の状態を把握しとこうか。現状どんな感じ?」
「ええと……」
私はそろりと身体を動かしてみた。今までずっと意識が朦朧としていたから、こうして自分の状態をきちんと確認するのは初めてだ。
「……全身が痛くて、痛くないところを探す方が難しい感じです……特に右腕と左の足首が痛みます」
ファルマの処置で私の右腕は肩から手首まで添え木を当てて固定されており、左足首にも同様の処置が施されていた。
「折れているんですか……?」
「いや、幸いどっちも折れてはいなかった。が、足首はひどく捻っていてもしかしたらひびが入っているかもしれないし、右肩と右肘はおそらく靭帯を損傷している。断裂までいっていないといいんだけど……手首ももしかしたらひびが入っているかもしれない。そのせいで昨夜まで高熱が続いていたんだ。脱水症状はない?」
言いながらファルマは水を注いだ陶器のカップを差し出した。私はそれをひと口含んで、それから勢いよく飲み干した。その水には塩が少し混ぜられていて、飲むと生き返るような心地がした。
目覚めてから意識する間もなかったけれど、身体がスゴく水を欲していたのだと分かった。
「……もう一杯同じものをもらえますか。とりあえず、それで大丈夫だと思います」
「分かった。ほら、どうぞ。頭が痛かったりはしない?」
「頭……」
私は自由の利く左手で自分の頭に触れてみた。頭もケガをしていたらしく、包帯が巻かれている。
「……大丈夫です。傷は痛みませんし、今のところ内部に損傷を受けているような感じもありません。視界も異常ないです」
「それは良かった。頭は怖いからね。パッと見大きな傷がなくても内部が損傷受けてたりすることもあるし……腰の傷はどう? 創傷の中ではそこが一番ひどかったんだけど」
寝間着の上から腰に触れると、大きめのガーゼを当ててある感触があった。服の上からでも触れると少し痛い気がする。振り返るようにしてそこを覗き込んだ時、何気なく視界に入った自分の左手の指は五本ともテーピングが施されていた。
「……満身創痍ですね、私」
ふと、そんな言葉がこぼれた。
どこもかしこも傷だらけ。小さな傷を枚挙していけばキリがない。
「本当だね。でも、命があって何よりだった」
そう返すファルマの声を私はどこか遠くに聞いていた。
助かったのは、きっと奇跡的な確率だった。
フラムアークが多少強引に私にナイフを預けてくれなければ―――エナさんが流れついた私を助けてくれなければ、ファルマが迅速に処置してくれなければ―――そのどれが欠けていても、きっと私は死んでいた。こうして命を繋ぐことは出来なかった。
―――レムリア。
何でもない顔をして、うっすらと笑みすら湛えて、崖の上からこちらを見下ろしていた彼女の姿が脳裏をよぎり、私の胸を鈍く、深く、締めつけた。
―――本気で、殺すつもりだったんだ……。
今更ながらその事実が身に沁みて、表現しようのない切なさと重苦しさに見舞われた。
レムリアは―――レムリアは、本気で私を殺そうとしたんだ―――……。
あんなふうに、無造作に、何のためらいもなく―――……。
「―――っ……」
どうして―――? どうして、レムリア―――!?
込み上げてくる激情を堪えきれず、唇を噛みしめて嗚咽する私の背中に、ファルマが優しく手を置いた。
「……。それで―――いったい何がどうしてこんなことになったワケ? 話せることなら、話してほしいんだけど―――」
レムリアが誰の手の者なのか、確証はない。
でもきっと、大元にいるのは“あの人”だ。
私の身に起きたことをファルマに話せば、きっと彼女の身にも危険が及ぶ。
本来なら話すべきじゃない。巻き込むべきじゃない。けれど、レムリアのことは何としてもフラムアークに伝えなければならないと思った。
何食わぬ顔をした敵が身近に潜んでいる。
第四皇子という立場にあるフラムアークに平民のレムリアが近付くのは容易ではないけれど、彼女が私のことをだしに使って彼に接近を図る可能性は充分に考えられた。何かしら理由をつけて人払いをさせた上で、凶行に及ぶ可能性だってある。
私が死んで、彼にこのことが伝わらないという事態にしてはいけない。私に万が一のことがあっても、絶対にフラムアークに伝わるようにしなくては―――単純に好きな人だからというわけじゃなく、この国の為に、今ここであの人を殺させてはならないとそう感じる。
「ファルマ……私の話を聞いたら、あなたの身に危険が及ぶことになるかもしれません。それでも……聞いてくれますか?」
ためらいがちに口を開いた私に、ファルマは驚いた顔をして瞳を瞬かせた。
「え?」
そんな彼女に私は小さく首を振って、言葉を改めた。
「―――すみません、頼み方が違いますね。あなたを危険に巻き込むことを承知で、無理なお願いをします。どうか私の話を聞いて下さい。もし私に何かあったとしても、あの方に必ずこの情報が伝わるよう、あなたには私の話を聞いてほしいんです。そして万が一の時は、私の代わりにあの方にこの情報を届けてもらいたいんです」
神妙な面持ちでそう告げた私に対し、ファルマは短い沈黙の後、軽く肩を竦めてみせた。
「何言ってんの。既に充分危機的な状況にあるんだし、今更だよ。それに私は知りたいんだ。共に困難に立ち向かった同志の身に何が起こったのか―――モンペオで見事な陣頭指揮を執ってくれたその主に、いったい何が差し迫っているのか」
「ファルマ……」
ためらわずに受け入れてくれた彼女の度量に、私は目頭を熱くした。
「ありがとうございます……」