病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十歳@


 それは、いつもと変わらぬ至福の時間となるはずだった。

 種族を違(たが)える一組の男女の、人目を忍んだ秘密の逢瀬。

 わずかな時間だけ交わし合える熱情は、彼らにとって何にも代えがたいものだった。だが―――。

「―――そこで何をしている!」 

 ささやかな彼らの蜜月は、突然の誰何(すいか)の声によって打ち破られてしまったのだ―――。



*



 フラムアーク二十歳の、とある陽春の日のことだった。

「えっ?」

 レムリアが人間の恋人との密会現場を目撃され、兵士に拘束されたという一報を彼から受けた私は、あまりのことに一瞬言葉を失った。

「レムリアが……? そ、それは本当ですか!?」
「本当だ。既に宮廷内でもかなりの噂になっている」
「そんな……そんな、レムリアが拘束されただなんて……」

 サファイアブルーの瞳を彷徨わせる私の脳裏に、最後に会った時の幸せそうなレムリアの姿が思い浮かんだ。

 もうすぐ彼の誕生日なのだと言って、何か手作りの品をプレゼントしたいと張り切っていた。あれがいいかな、これがいいかな、それともやっぱりこれかなぁ―――彼の為に何を贈ろうか、見ているだけでこちらにも浮き立つ心が伝わってくるような、そんな屈託のない笑顔を見せていたのに。

「レ、レムリアはどうなるんでしょう? 彼女は今、どこでどうしているんですか? ひどい目に遭ったりはしていないんでしょうか!?」
「落ち着いて、ユーファ。彼女は今、宮廷の地下牢で恋人とは別の房に入れられ監視されているようだ。種の保存に関わる初めての案件だから、官吏や看守ら刑務官が勝手に動くことはない。皇帝の沙汰が下りるまで滅多な扱いは受けないはずだ」

 その言葉にひとまず安堵しつつ、私はレムリアの現状を思いやって胸を痛めた。そんな私を見やり、フラムアークは静かに尋ねた。

「ユーファは、知っていたの? 彼女が人間の男と恋人関係にあったことを」

 私はきゅっと唇を結んで彼の整った顔を見上げた。

 こんなことになって、こういう形で彼にそれを打ち明けることが申し訳なく、心苦しかった。

「……はい。黙っていて、申し訳ありません」
「……。彼女はそれを、君以外の他の誰かにも話していた?」
「いいえ。私以外には、他の誰にもその話はしていなかったはずです」
「そう。彼女の恋人は、君が彼らの関係を知っていることを知っていたのかな?」
「それは……すみません、分かりません」

 言い淀みうつむく私に、フラムアークは文句を言うでもなく淡々と問い重ねた。

「うん……そうか。ユーファは彼女とはどの程度の仲だったの? 単なるルームメイト? それともそれ以上?」
「えっ?」
「気を悪くしたらごめん。君が彼女とどの程度のことまで話せる間柄だったのか、把握しておきたいんだ」
「私は……レムリアを親友だと思っています。確認したことはありませんが、おそらく彼女もそう思ってくれていると―――ですが、公私の分別はつけています。無用の話はしていません」
「うん、そこは心配していない」

 フラムアークは頷いて、私への信頼を示してくれた。

「……例えば、詮議の場で厳しい追及を受けたとして、彼女は君もこの事実を知っていたことを認めたりはするだろうか?」
「……口が固くて義理人情に厚い娘(こ)です。口頭での追及ならば、絶対に口にしないと思います。ですが……拷問のような手段を用いられるようなことになると、分かりません」

 自分で言った内容に、胸が潰れる思いだった。

「……申し訳ありません! 大切な時期に、こんな形でいらぬ心配を―――万が一、フラムアーク様に迷惑が及ぶような事態になってしまった場合は、どうぞ私を処分して下さい」

 私は平身低頭した。

 でもきっと、その場合はそれでは済まない。責任問題は間違いなくフラムアークまで波及して、彼に大きなダメージを負わせてしまうことになるだろう。私が責任を取って済む話ではないのだ。

 頭では分かっていても、私にはただそうやって詫びることしか出来なかった。

「ユーファ、顔を上げて。前にも言ったけど、オレの野望を達成する為には絶対に君の力が必要なんだ。君とスレンツェ、どちらが欠けてもオレの野望は潰(つい)えてしまう。君達のどちらかが欠けてしまっては、オレの野望は成立しなくなってしまうんだ」
「しかし、貴方の足枷となってしまうのでは本末転倒です……」

 うなだれる私にフラムアークは力強く言を紡いだ。

「うん。だから、そんなことにはならないように努力するよ。そう取り計らうのがオレの役目だ。レムリアは口が固くて義理堅い人物なんだろう? 彼女が君を親友だと思っていて、口頭での追及に屈しない精神の持ち主なら、いくらでもやりようは出てくる」
「えっ?」
「近々この問題を審議する為の場が開かれるはずだ。オレもその場に列席する資格は持っているから、思わしくない方向へ行かないよう力を尽くす。だから、君が知っている限りのことを話してほしい」

 彼には与(あずか)り知らぬ事で迷惑をかけることになってしまったのに、フラムアークは私のこともレムリアのことも一切責めなかった。

 ただ現状を見据えて、前向きにそれに対する策を講じようとしてくれている。

 そんな彼の姿勢に、胸が熱くなった。

「はい。私が知っている限りのことを、お話しします」

 私はレムリア達に関することで自分が知っていることを全てフラムアークに話した。

 二人は職場で出会い、次第に互いを意識するようになって、長い片想いの末、昨年から付き合い始めたということ。周囲に気付かれないよう、密会する時間や場所にひどく気を遣っていたこと。二人だけの合図を決めていて、職場では必要以上に話をしないようにしていたこと―――。

「レムリアの職場は宮廷従事者が利用する食堂の調理場で、相手のバルトロはそこの責任者の補佐役だったね。彼女が彼を意識し始めてから付き合うまで四年程、付き合ってからは約一年―――バルトロは現在二十七歳、か」

 長い指を顎にあてがいそう確認する彼に私は頷いて、情報を補足した。

「はい。兎耳族のレムリアの担当は野菜の皮むきやカットといった調理の下準備や使用済みの食器等の洗い物全般になります。バルトロは彼女達の仕事を統括する役目でした」

 基本的に兎耳族に割り振られる仕事は単純で裏方的な作業が多い。調理担当は人間で、兎耳族は決してやらせてもらえないのだと、いつだったかレムリアが愚痴っていたのを覚えている。

「ユーファはバルトロとの面識はあるの?」
「いいえ。レムリアから話を聞いているだけで、実際に会ったことはありません。もしかしたら宮廷内ですれ違っているようなことはあるのかもしれませんが、少なくとも私は彼の顔を知りません」

 そんな話をしていた時、ノックの音と共に席を外していたスレンツェが戻ってきた。

「例の件、審議の日程が決まったぞ」

 彼の口からもたらされたその言葉に、心臓が緊張の音を立てる。

「そうか。いつになった?」
「一週間後だ。皇帝の他に宰相や宮内卿(くないきょう)といった要職者、それに皇子は全員が参席する運びだそうだ」
「……ずいぶんと迅速な対処だな。分かった」

 一週間後―――知らずごくりと息を飲んだ私を、フラムアークは慮(おもんばか)った。

「そんな深刻な顔をしないで、ユーファ」
「でも……」
「今回のことは皇帝が取り決めた種の保存に反しているだけであって、レムリア達の行為は普通に考えたら罪として裁かれるようなことではないはずなんだ。人が人を愛するという、人本来の普遍的な感情に基づいたごく自然な事象なんだからね。それを理由に人が人を裁くのは本来はあってはならないことだと思うし、オレ自身の理念にも反する。
彼らは何も間違ったことをしているわけじゃない。人が人に抱いて当たり前の感情を法で規制しようとする、この国の現在の在り方が間違っているんだ」

 それは私自身もそう捉えていることだ。

 けれどそう捉えることと、それを公に主張するのとではまた事情が変わってくる、とも思う。

 それを公式の場で主張するのは、皇帝の心証を著しく害してしまうことになるのでは?

 次期皇帝の座は現皇帝の裁量で決まると言っていたのに、それでは下手をしたらフラムアークの野望への道が閉ざされてしまうのではないの?

 ―――私の、私達のせいで……。

 言葉に出来ない申し訳なさと責任感とで、胸が押し潰されそうになる。

 そんな私を力づけるように、フラムアークは優しく肩に手を置いた。

「だから、そんな顔しない。君にも彼らにも本来は非のないことなんだ。堂々と前を向いていればいい。やましいことなんて、何もないんだ。少なくともオレはそう考えているんだから」
「フラムアーク様……」
「―――そういうわけでユーファ、お願いがあるんだ。オレのその考えを主張するにあたって、兎耳族の人達に聞き取り調査をしてしてきてもらえないかな?」

 唐突にそう振られて、私はひとつ瞬きをした。

「聞き取り調査、ですか?」
「うん。レムリアの件はほどなく兎耳族の耳にも入るだろう。彼らがそれを聞いて何を思うのか、この問題をどう考えるのか、出来れば全員に確認をしてきてほしい。それと、審議が兎耳族の保護の在り方に及ぶ可能性を考えて、当事者の君達が皇帝の保護下にある今のこの状況をどう捉えているのか、調べてきてほしいんだ。このまま現状維持を望んでいるのか、保護は望むが現状に不満があるのか、またその不満はどういったものなのか、それとも保護などいらないと考えているのか―――百人百様の捉え方があることと思う。それを把握しておきたい」

 それは確かに重要なことだと思えたから、私は即座に頷いた。

「―――はい! お任せ下さい!」
「うん。じゃあ早速頼むよ」
「分かりました。行って参ります!」

 私は勢い込んで一礼するとフラムアークの前から退出し、取るものもとりあえず保護宮への道を急いだ。

 こうなってしまった以上、少しでもフラムアークの負担を減らしたい。そんな罪悪感と使命感とで、胸がいっぱいだった。



*



「……スレンツェ、このタイミングをどう思う」

 ユーファが出ていったドアをしばらく眺めやった後、そう問いかけてきたフラムアークにスレンツェは少し考えてから答えた。

「タイミングとしては悪いな。こちらとしては想定外の事態だ。万全に態勢を整えてから臨みたい核の問題だったのに、まだ何の準備も出来ていない。……誰かが意図的に仕掛けた可能性は?」
「ユーファにも話を聞いたが、状況としては現段階で不自然なところはなかった。くそ……さっきは大見得を切ったが、正直痛いな……時機が早過ぎる。オレとしてはもう数年、時間が欲しかったところだ。入念に根回しをして、盤石な地盤を築いたと言える状態になってから着手したかった」
「では、どうする。ユーファにはああ言ったが今回は見過ごすのか」
「いいや。皇帝はこの国の法であり柱だが、こんな馬鹿げた取り決めはオレの目指す未来には不要のものだ。このまま見過ごせば、将来自分の政策を掲げた時に絶対にそれで足を取られることになる。『では何故、あの時見て見ぬふりを決め込んだのか』とね。そんな皇帝には誰もついてこないだろう」
「それは確かにその通りだ。だが現行、この国はそれで動いている。どうする気だ?」

 冷静に促すスレンツェに、フラムアークは眉根を寄せ、覚悟を述べた。

「思ったよりだいぶ早いタイミングになってしまったが、ぶつかるしかない。審議の流れにもよるが、二人に対する処分を軽微にとどめてもらうよう、進言する」
「要職者達は恐らくそれでは示しがつかないと反発するぞ。お前も考えている通り、場合によっては兎耳族の保護の是非にまで話が及ぶ。どういう意味かは分かるな?」

 フラムアークは厳しい表情で頷いた。

 ユーファをフラムアーク付きの宮廷薬師に任命したのは父である皇帝の采配だ。

 兎耳族の保護の是非にまで話が及び、仮に彼らの保護自体が解かれるような運びになった場合、皇帝の保護が解かれた彼女は宮廷に留まる資格を失くし、兎耳族の一薬師という身となって、この宮廷を去ることになるだろう。

 しかしながらフラムアークが望めば彼女を自分付きの宮廷薬師として再度任命することは可能だろうし、心優しい彼女はきっと、それを断らない。否、断れない。

 だが、彼女がこの十余年、どれほど自由を渇望してきたのか―――どれほど外の世界へ想いを巡らせ、時に望郷の念に駆られながら、幾多の夜を人知れず忍んできたのか―――フラムアークもスレンツェも、よく分かっていた。

 そして自分達がこれから進む道が、いかに険しさを増していくものであるのかも。

 これまでその道にユーファを伴うつもりだったのは、彼女が皇帝の保護の下、宮廷に縛られている身だったからに他ならない。だが、その前提が崩れるとなると、また話は違ってくる。

 皇帝の保護は彼女を宮廷に縛りつける鎖であると同時に、彼女を護る不可侵の盾ともなっていた。その加護が失われるということは、皇帝を目指す道を征(ゆ)くフラムアークの傍らにいる彼女に、これから数多(あまた)の危険が及ぶことを示す。

 ユーファにはああ言ったが、これを機に彼女が晴れて自由の身を手に入れられるのならば、彼女をこれ以上危険な争いに巻き込むべきではないと、彼らはそう理解していた。

 障りのない状態で彼女を解放してやれる分岐点は、おそらくここが最初で最後だ。

 ユーファを手放すことになるのは身を切られるように辛く、心の底から口惜しい。皇帝を目指す為に彼女の力が必要だと言ったのは紛れもない本心で、それを失うことはフラムアークにとってこの上ない痛手だ。

 だが、ユーファの為を思うのなら。

「……分かっている。だが、ここでその理念を貫けないようならオレはそこまでの人間だ。いずれはそうするつもりだったんだ……そこまで話が及んだ暁には、兎耳族の保護に絡む不条理な取り決めを撤廃することを提言する」

 揺るぎない道を進むと決めたフラムアークに、スレンツェはほろ苦く笑んだ。

「……何にしろ、お前にばかり痛手が及ぶな。今回の件、他の皇子達はどう転んでも痛くも痒くもないだろうに」

 今回の件で、事と次第によってはフラムアークは様々なものを失うことになる。だが、他の皇子達は今回の事態がどう転ぼうと、特別失うものもない。高みの見物を決め込んでいればいいのだ。

「誰かの差し金だとしたら相当にいい趣味をしている。恐れ入るよ」

 若干一名、脳裏に浮かんだ顔があったが、憶測の域を出ないので口にはしない。何も言わないがスレンツェもそれを察しているようだった。

「ざっと調べたところ、バルトロは下級貴族の次男で当初は騎士団への配属を希望していたようだが、それが叶わず現在の職場への配置となったらしい。これまで特に問題を起こすようなことはなく、仕事態度は真面目で、周りから恨まれたり不興を買ったりすることもなかったようだ。これからもう少し掘り下げて調べてみるが、怪しい人物が接触していたような形跡は今のところはない」
「そうか。ありがとう、引き続き頼む」

 レムリアがバルトロを意識し始めたのは約四年前、やがてバルトロも彼女を意識するようになり、二人が付き合い始めてからは一年程―――決して短い期間ではなく不自然とも言えないが、偶発的な事故として片付けるには手痛い事態だった。

「先に謝っとくよ、スレンツェ。もしユーファを失うようなことになったら……ごめん」
「お前が謝る道理じゃない。例えそうなったとしても別に死に別れるわけじゃないんだ、全く会えなくなるわけじゃない。それでオレ達の絆が切れるわけでもない」
「うん……そうだね」

 兎耳族の保護の在り方について議論が及ぶことはユーファ自身も想定しているだろうが、それが保護の根底部分を覆す事態に発展する可能性を含んでいるとまでは考えていないだろう。これほど大きな話に繋がる可能性があるとは思っていないに違いない。

 ―――もしもそういうことになってしまったら……驚くだろうな。

 フラムアークはそっと睫毛を伏せた。

 ユーファにはいつか保護という名目の鳥籠から出してやるのだと約束していた。

 議論の流れによっては、自分が想定していたよりもだいぶそれが早まる―――ただそれだけのことと、割り切るしかない。

 例えここでユーファと自分達の道が違(たが)われたとしても、彼女を自由に出来たという点で、皇帝を目指した自分の夢は道半ばながら、幾ばくか達成出来たことになる。

 計画通りにいく生易しい道ではないことは最初から分かっていたことだ。 理想としては覇権を制し全ての憂いがなくなった時点で着手したかったが―――やはり甘くはなかったと、そう納得して、進んでいくしかない。
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