病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十歳A


 通称兎宮と呼ばれる兎耳族の保護宮へとやってきた私は、そこで暮らす人々にさっそく聞き取り調査を行い始めた。

 三階建ての集合住宅群からなる保護宮には現在二百名程の兎耳族が生活しており、日中ここにいるのは主にお年寄りや幼い子どもがいる母親といった層だ。

 レムリアの一件は既にここにも伝わり始めていて、知っている人達は心配と好奇の入り混じった目で私に彼女のことを尋ねてきた。

「ごめんなさい。私も詳しいことはまだ分からないの」

 私は何十回と同じ言葉を繰り返しながら、その件についてどう思うか、また現在の保護生活についてどう考えているのか、一人一人に聞いて回った。中には回答することで自分に不利益が生じるんじゃないかと心配する人もいたから、丁寧に不安を取り除きながら話を進めるように努めた。

 聞き取りをして分かったのは、レムリアの件に関しては特に女性から同情的な意見が多く、男性からも厳しい意見は少なめだということだった。

 皆、個人の感情まで制限されている今の状況には少なからぬ不満を抱いているようだ。

 保護生活についてはお年寄りが「現状で概ね満足」と答える割合が高かったのに対し、若い世代からは「保護生活の在り方に対する不満」や「保護そのものが不要で苦痛」という意見が多く、世代間による捉え方の格差が大きかった。

 お年寄りは身体的な衰えといった理由から、今更保護を解除されて一から生活をしていけと言われても、自力での生活再建が困難という意見が最多で、若い世代は保護の恩恵を認めつつも仕事や私生活に関する不満を漏らす声が多く、幼い子どもを持つ親達からは保護宮の中の世界しか知らない子ども達に広い世界を見せてあげたいという切実な願いが聞かれた。

 性別や年代、個人の価値観の違いもあって、兎耳族として一概にこういう道を望んでいる、という方向性を見出すのはなかなかに難しそうだ。

 久々に帰ってきた自分の部屋はレムリアの私物で溢れていて、小さなテーブルには装飾用の石と作りかけのブレスレットが置いてあった。彼の誕生日プレゼントにと、彼女が心を込めて作っている最中だったものなのだろう。

 切ない気分に囚われながら、私は聞き取った意見をざっとまとめ、日中働きに出ている人達が戻ってくる頃合いを見計らって、再び聞き取り調査に精を出した。

 けれど聞き取りを渋る人やなかなか捕まらない人もいて、思うようには進まず、全員の回答を得るのに三日を要してしまった。

 思ったより時間がかかっちゃった……みんなの意見を聞くって、大変ね。

 二百人程度でこれだもの……国民の総意を見取りながら国の舵取りをしていくなんて、まさに至難の業……想像を絶する行いだわ……。

 そこから報告書をまとめてようやくフラムアークに提出する頃には、審議まであと三日と迫っていた。

「申し訳ありません、遅くなりました」
「いや、ありがとう。ご苦労様」

 労いの言葉と共に受け取った報告書へ早速目を通すフラムアークに、私は様々な思いを込めて頭を下げた。

「どうか、レムリア達を宜しくお願いします」
「うん。彼女達に理不尽な処分が下らないよう、全力を尽くすよ」

 鷹揚(おうよう)に頷いてデスクからこちらを見上げたフラムアークの様子はいつもと何ら変わりなく、私はそんな彼の有り様に大きな安心感を覚えた。

 不思議……いつもどおりのフラムアークの姿を目にした、ただそれだけなのに、心に渦巻いていた不安が嘘のように凪いでゆく―――さっきまであんなに張り詰めていた気持ちが、貴方のその落ち着いた佇まいを見ただけでこんなにも和らいでいくなんて……。

 理屈ではなく態度ひとつでこんなにも他者に安心感を与えられる彼という存在の特別さを、改めて感じた瞬間だった。

 でも、だからと言って、フラムアークにばかり甘えてはいられない。

「他に何か、私にお手伝い出来ることはありますか?」

 そう意気込んで尋ねた私に、フラムアークは当たり前のように頷いた。

「あるよ。オレの体調管理。大事でしょ?」

 その微笑みに、残っていた気負いも自然と解けて、気が付けばきつく結んでいた私の口元にはほころびが広がっていた。

「……はい。私の本分です」

 自分でも驚くほど穏やかな声が出た。

 ―――まるで呼吸をするようなさりげなさで、周囲の強張りを解いてしまう人。

 穏やかな春の陽だまりのような空気感と、それに相反する機知と胆力を併せ持った、私の主上。

「この先はオレの領分だから。後は任せて」
「はい。宜しくお願い致します」

 私は肩の力を抜いて、フラムアークに全てを託した。

 ―――この人が全力を尽くすと言ってくれているんだもの。きっと、大丈夫。

 レムリア達は大丈夫……大丈夫だわ。



*



 それから三日後。

 皇帝の庇護下にあり同族間以外での婚姻が禁じられている兎耳族のレムリアと、彼女と同じ職場で責任者の補佐役を務めていた下級貴族の人間バルトロによる不義の関係について審議する場が、宮廷内の議場にて開かれていた。

 重厚な楕円形の長テーブルの最奥に座した皇帝グレゴリオを筆頭に、宰相や宮内卿といった政務に関わる重鎮達が顔をそろえて上座に並び、六人の皇子達はその下座に皇位継承順位に則(のっと)った席順で参席している。

 第四皇子のフラムアークは右を第二皇子ベネディクト、左を第六皇子アルフォンソに挟まれ、その正面の席には第三皇子フェルナンドが座している。テーブルを挟み向かって右上に皇太子ゴットフリート、左上に第五皇子エドゥアルトを臨む位置だ。

 進行役によって今回の概要が改めて説明なされ審議が始まると、予想通りレムリア達に厳しい処罰を科すべきだという意見が相次いだ。

「皇帝陛下の恩情をないがしろにする、あまりにも義務と自覚に欠けた行為だ」
「兎耳族の保護の為に莫大な国家予算を投じているというのに、これでは税金を納めている民に示しがつかぬ」
「この機会に規則を見直し、兎耳族達の統制を強化すべきだ」
「宮廷従事者にも改めて種の保存を周知徹底し、罰則を盛り込んだ規定を設けねばなるまい」

 議論は始めからレムリア達に非ありきで、どの程度の処分を科すのが妥当か、今後このような事態を防ぐ為にはどうすべきかといった内容を協議する展開になった。

 このままでは埒(らち)が明かない。

 議論の流れを変えるべく、フラムアークが動きかけた時だった。一拍早く、落ち着いた涼やかな声音が白熱する議事の場に制止をかけたのだ。

「少し、宜しいですか」

 発言者は第三皇子フェルナンドだった。

 母親譲りのさらりとした薄茶の髪を後ろでひとつに結わえ、父親譲りのトパーズの瞳に理知的な光を湛えた秀麗な顔立ちの青年は、右手を上げて列席者をゆったりと見渡し、自らの発言を求めた。

「申してみよ、フェルナンド」

 皇帝グレゴリオの口から威厳ある重々しい声音で許可が下りた。齢(よわい)五十を超えた大帝国の皇帝は未だその剛健さにいささかも衰えを見せず、帝国の紋章をあしらった権威ある外衣を纏ったその姿は、実に威風堂々としている。

「はっ。僭越ながら、まずは兎耳族の保護という根本に立ち返って議論すべきではないかと思います。先に指摘のあったとおり、彼らの保護には莫大な予算が投じられています。彼らは宮廷内での職務に従事する形でこの救済措置に幾ばくか報いてはいますが、投入される予算に対しては比べるべくもありません。加えて、今回の件のように与えられた恩情を軽んじる輩も現れました。種の保存を重んじる陛下のお心掛けの尊さは重々承知しておりますが、この機会に兎耳族の保護について改めて考察し直すべきであると私は考えます」

 第三皇子の見解に重鎮達の間から、ほう、と興味深げな息遣いが漏れた。

 ―――やはりそう仕掛けてきたか。

 フラムアークは唇を結び、正面の席からフェルナンドの整った容貌を見つめた。

 だが、その狙いはどこにある? 純粋に国の将来を考えている部分もあるのか……それとも単純にオレへの嫌がらせ……片翼(ユーファ)をもぎ取ることにあると考えていいのか?

 あるいは、別の着地点を見据えての行動なのか。

 淡い笑みを湛えたその表情の奥を読み取ることは、まだ出来ない。

「―――僕もその意見に賛成だな」

 フラムアークの視界の左上でエドゥアルトの手が上がった。

「父上の救済措置には一定の意義があったと思う。だが災害から十年以上が経過し、保護当時とは状況が変わってきた部分もあるだろう。長期に渡る保護生活においては、思い描いていたものと実際のそれに生じた齟齬(そご)を感じている者も少なくないはずだ。しかし保護という名目で生活を管理された彼らにはそれを訴え出る場所も手段もなく、募るフラストレーションは放置された。保護生活における彼らの意識の変容と現状とのずれ―――その結果が今回の騒動に繋がったと言えるんじゃないかな? 保護の甲斐あって彼らの数は少しずつ増加傾向にあるし、このまま宮廷内で増え続ける彼らの面倒を見続けるのは現実的ではないと思う。物理的にも内面的にもいつか必ず限界を迎えるし、僕が彼らだったら、こんな狭いエリアに長年押し込め続けていられるのは我慢ならないしね」
「エドゥアルト、口の利き方に気を付けろ」

 歯に衣着せぬ第五皇子(おとうと)の物言いに第二皇子のベネディクトが苦言を呈した。エドゥアルトは悪びれるふうもなく、そんな兄に質問を返す。

「はいはい。そういう兄上はどうお考えで?」
「わ―――私は父上の、皇帝陛下のご意向に従う。陛下は長年彼らの措置にお心を砕いてこられたし、それに」
「ああ。ご自分の意見は特にないということですね」

 みなまで聞かず話を打ち切る第五皇子(エドゥアルト)に第二皇子(ベネディクト)はキリキリと歯噛みして細面の顔を真っ赤にした。

「エドゥアルト!」

 それを見ていた皇太子ゴットフリートが肩を揺らしながら野太い声で五番目の弟をたしなめた。

「ベネディクトをあまりいじめてやるな、エドゥアルト」
「そんなつもりはないんだけどな」
「昔はもっと可愛げがあったというのに、近頃のお前の言動はどうも目に余るぞ。あまり兄を軽んじるんじゃない」

 冗談交じりといった口調だったが、皇太子の目は笑っていない。近頃のフラムアークに対するエドゥアルトの姿勢諸々に向けた非難だと受け取れた。

「軽んじてなどいないよ。だがそう映ったのなら申し訳なかった。僕も男だからね、いつまでも可愛いままじゃいられないんだ」

 皇太子の牽制を第五皇子は軽くいなした。それを腹立たし気に眺めやって、ゴットフリートは議題へと話を戻す。

「皇太子たる私の見解としては、フェルナンドの意見にも一理あると考える。そこはそこでこれから議論を尽くすとして、それとは別に、今回の罪人には重く厳しい処分を科すことが相当であろうと考える。陛下の恩情で保護された身分にありながら、それを仇で返すかのような今回の愚行、これは紛(まご)うことなき背信行為だ! これを咎めずに皆の得心は得られないことと強く思う!」

 鼻息荒く訴える彼のベクトルはどうも審議云々ではなく、今回の当事者達に重い処罰を与えることへと傾いているようだ。

 まあ、その理由は分かり切ってるけどね―――エドゥアルトは内心鼻白みながら、自分の正面の席に座る弟へと視線を向けた。今年十五歳になる末弟のアルフォンソは昨年領地視察を終えたばかりで、これが初めての議場参加になるのだが、どうやらこの独特の雰囲気に気後れしてしまっているようだ。

 彼の隣で沈黙を守っているフラムアークがいったん口火を切れば、この先アルフォンソが発言する機会は訪れないだろうと、珍しく兄らしい見地から弟を慮(おもんばか)ったエドゥアルトは、萎縮しているアルフォンソに話を振った。

「アルフォンソ、お前も意見があれば遠慮せずどんどん発言していいんだぞ」

 議場で声を出した経験があるのとないのとでは次回に臨む心持ちも違ってくる。気まぐれな兄の心遣いに弟は恐縮した様子を見せながら、母親似のまだあどけなさの残る顔を向け、ぎこちなくもしっかりと自身の考えを述べた。

「は、はい、ありがとうございます。ですが私はこれが初めて臨む審議の場ですし、まだ勝手も分かりませんから、まずは皆の意見をよく聞いて余すところなく勉強させてもらってから、その上で発言出来ることがありましたらさせていただこうと思います」
「……うん。そうか」

 すぐ上の兄が心配するまでもなかったか。末っ子で兄達のやり取りを幼い頃から見てきたアルフォンソは良くも悪くも要領がいいのだ。

  エドゥアルトが意外な一面を見せたところで、フラムアークの右手が上がった。

「―――私も兎耳族の保護の在り方について考察し直すべき、という意見については賛成です」

 議場の視線が一斉に第四皇子へと集まった。皇帝により任命された兎耳族のユーファを臣として抱えるフラムアークがすぐにそれに賛同の意を示すとは、多くの者が思わなかったに違いない。

 フラムアークとて、出来ればまだこの問題には切り込みたくなかった。それが本音だ。

 だが、フェルナンドによって早々にこの問題は提議された。そしてそれに切り込む覚悟は、既に彼の中で出来ていた。

「ですが、今回の件とそれを安直に切り離して考えるべきではないと考えます。先程指摘が出たように、保護当時と今では状況が違います。様々なものを一度に失い茫然自失としていた被災直後と、落ち着きを取り戻し冷静に物事を考えられるようになった今とでは、兎耳族達の意識の在り方に違いが出て当然なのです。それが『人が人を愛する』という、人類の普遍的な感情に基づいたものであればなおさらではないでしょうか」
「は……何を言い出すかと思えば、甘っちょろいことを。まさかそんな感情論でこの問題を片付けられると思っているのではあるまいな?」

 ゴットフリートが侮蔑混じりにフラムアークをねめつけた。

「感情論で片を付けようなどとは毛頭思っていません。ですが、生きる上で人と感情とは切り離すことが出来ないものです。今回、彼らは確かに禁を犯しましたが、人が人を愛するというその行為自体は、普通に考えたら罪として裁かれるべきものではないはずです。約定に違反したという事実に対しては然(しか)るべき処罰を科すべきですが、その処罰が常識から鑑(かんが)みて甚(はなは)だしいものであってはならないと、私はそう考えます」
「皇帝はこの大帝国の法であり柱だ。彼奴等(きゃつら)はその皇帝の定めた制約を犯したのだ! 亜人の一種族の絶滅を憂い御心を砕いた、種の保存という尊(たっと)い計らいを! これ以上の罪があるか!?」

 声を荒げるゴットフリートに対し、フラムアークはあくまでも冷静にそれに応じる。

「彼らは人を殺めたわけでも傷付けたわけでもありません。ただ、互いを必要とし求め合っただけです」
「そんな理屈で罪を免れると思うのか! それでは民に示しがつかん! 恩情を踏みにじられた陛下のお立場はどうなる!?」
「お言葉ですが、この程度のことで揺らぐような陛下のお立場ではないでしょう。必要以上に厳しい措置を取ることがその威信を示すことになるとは思いません。むしろ寛大な処置を取られた方が、民に懐の深さを感じさせ、より陛下への支持を集めることに繋がるのではないでしょうか」
「きっ……貴様は罪人を無罪放免せよ、と言っているのか!」

 唾を飛ばして憤る皇太子を橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が鋭く見据える。

「勘違いなされぬよう。制約に違反した事実については然るべき処罰を科すべきだと申し上げています。ただ、その内容が著しく度を越えたものであってはならないと、そう申し上げているのです」
「ぐぬ……!」

 青筋を立ててフラムアークをにらみつけたままゴットフリートが押し黙ったところへ、涼やかな声が割り入った。

「確か……当事者の一人であるレムリアは、お前の宮廷薬師のルームメイトなのだったな」

 声の主は第三皇子のフェルナンドだった。彼は穏やかながら感情の窺い知れない眼差しを、正面の席から直下の弟に注いでいる。

 沈黙しかけていたゴットフリートはこれで息を吹き返した。

「そうだ……そうであった、私もそこは重々確認せねばと思っていたのだ。よもやとは思うが、貴様、先程の弁は兎耳のママに友達の罪を軽くしてやってほしいと頼まれてのことではあるまいな?」

 あまりにも直接的なこの当てこすりに、上座ではさざめきが広がった。

「審議の場を軽んじておられるのか? 厳粛な場での子どもの戯言のような発言は控えていただきたい。それと、私の臣下を侮辱するような発言は慎んでいただこう」

 心無い皇太子の発言に、さしものフラムアークも険しい表情となった。

「はは、これは済まぬ。つい本音が漏れてしまった。だがこれは重要な確認事項である故(ゆえ)、今一度問うぞ。臣下に懇願されて先程の答弁に至ったわけではないのだな?」
「無論です」
「ならば質問を変えよう。貴様の臣下と当事者のレムリアはルームメイトだというが、兎耳の宮廷薬師は今回の件を事前に知り得ていたということはないのか? 以前からレムリアとバルトロの関係を知っていたにも関わらず黙っていたというようなことは?」
「それはありません」
「ほう。よぉく確認はされたのかな?」
「もちろんです」
「ふぅむ、今回の件が表沙汰になってから初めて知ったと? 女という生き物は種族を問わず恋愛話が大好きなものと相場が決まっていると思っていたが」
「それは女性に対する偏見ですよ。認識を改められた方が良い」

 淡々と回答するフラムアークにゴットフリートは厚い唇を歪めた。

「ならばそれが偏見かどうか、当事者から話を聞いてみるとしようか」

 こういった流れになるだろうことは当初から予想がついていた。レムリアがユーファのルームメイトであるという格好の事実をゴットフリートやフェルナンドが攻撃材料にしないわけがないからだ。

「……それで貴方がたの私の臣下に対する嫌疑が晴れるのならば、どうぞ」

 落ち着き払ったフラムアークの態度にゴットフリートは面白くなさそうな顔をしたが、気を取り直すように大袈裟な身振りで「罪人を中へ」と告げた。

 それに従い議場のドアが開いて、あらかじめ控えさせられていたレムリアが刑務官に伴われて室内へ入ってきた。

 この場に出廷させる為、事前に湯浴みをさせられたらしく身綺麗にはなっていたが、囚人服を着た彼女の首と身体の前に出された両手首には枷が嵌められ、その間は縦に細い鎖で繋がれている。両の足首には逃亡防止用の金属製の丸い重しが鎖で繋がれており、彼女が歩く度に冷たい金属音を立てた。

 櫛の通されていない顎の辺りまである雪色の髪はぼさぼさで、同色の兎耳は力なく垂れさがっている。うつむいた大きなトルマリン色の瞳には生気がなく、頬はこけて、だいぶやつれているような印象を受けた。

 フラムアークは初めての対面となるレムリアの様子をつぶさに窺った。彼にとってもここからは正念場だった。彼自身は彼女の人柄を知らないが、ユーファの彼女に対する信頼は厚かった。

「面(おもて)を上げよ」

 進行役に促されて初めて顔を上げたレムリアは、皇帝以下、大帝国の皇族と重鎮達が居並んだ錚々(そうそう)たる光景に慄いた様子を見せ、不安そうに兎耳を動かしながらひとしきり視線を彷徨わせた。

 一瞬だけ、フラムアークの視線と彼女の視線とが交じわり合う。その時の彼女の瞳に、フラムアークはわずかながら意思の光のようなものを感じ取った。

「我が名はゴットフリート、この大帝国の皇太子である。ここは我が父である皇帝グレゴリオの御前にして神聖な議事の場だ。嘘偽りはまかりならぬと肝に銘じよ。真実のみを口にすると誓え。偽りが露見した場合はその命を以(も)って贖(あがな)う覚悟とせよ」
「……は、はい」

 ゴットフリートの大仰な物言いに青ざめて頷いたレムリアは、一拍遅れてそれに対する誓約を述べた。

「はい……真実を述べると、誓います」
「汝(なんじ)の名は」
「レ、レムリアと申します」

 自らの名を告げる彼女の身体は遠目にも分かるほど小刻みに震えていた。

「ではレムリア、汝に問う。宮廷薬師ユーファは保護宮での汝のルームメイトであり友人なのであったな。間違いないか?」
「えっ? は、はい……」

 自分の罪に関する質問がなされると思っていたレムリアは、想定外の質問に戸惑いながらも頷いた。

「友人と言ってもその親しさには様々あると思うが、汝とユーファの仲はいかほどのものだったのか?」
「わ……私は……彼女のことは、親友だと思っています。口頭で確認したことはありませんが……」

 レムリアはユーファと同じ見解を述べた。彼女達の互いを思う心は一緒であったということだ。

 それを聞いたゴットフリートはしてやったりと言わんばかりの顔になった。

「ふぅむ、親友とな。親友であれば、汝はバルトロとの仲を彼女に……ユーファに相談することはなかったのか?」
「えっ?」
「禁じられた恋に身をやつした汝は、例えようもない幸福感と背徳感に苛まれたことだろう。一人で抱えるには辛い、辛過ぎる問題だ。身近に心を許せる存在がいれば、それを共有してほしいと考えるのは人としての常であろう?」
「えっ……ま、待って下さい……」
「女は殊(こと)にその傾向が強い。汝は己が恋愛事情を吐露せずにはいられなかったはずだ。これはもう女の性(さが)のようなもの―――故(ゆえ)に、ユーファは汝とバルトロとの関係を知っていた。違うか?」

 ゴットフリートはレムリアをそちらへと誘導するかのように、おぞけ立つような猫なで声でそう示唆する。

 議場中の注目が集まる中、レムリアは震えながらも毅然とした口調でそれに答えた。

「―――いいえ。ユーファは、私達の関係を知りませんでした」

 その回答にフラムアークは心の中で拳を握り、ゴットフリートは目を剥いた。

「なッ……! 嘘偽りは、許さぬぞ!」
「嘘では、ありません」
「黙れッ、痴れ者!」

 皇太子の怒号が轟いた。耳をつんざくような怒声にビクッ、と身を竦ませたレムリアに、いきり立ったゴットフリートは更なる大声で迫る。

「親友とは互いの間に秘密など一切存在しない、心から分かり合った唯一無二の相手のことを言うのではないのか! その相手が、何も知らぬなどということがあるわけが……!」
「無二なればこそ……」

 皇太子のあまりの剣幕にレムリアは兎耳を伏せて涙目になりながら、それでも必死に嗚咽を堪えて意見した。

「無二の親友だからこそ、伝えないことも、あります。こんなことを言ったら、いつかユーファに迷惑がかかるかもしれない……私はそう思いました。そう、思ったから……そういう怖さが、あったから……!」

 唇を噛みしめて大粒の涙をこぼしながら、自らを奮い立たせるように真っ直ぐに皇太子を見据えて、レムリアは訴えた。

「だから私、言えませんでした。ユーファは、何も知りません。本当です……! 疑うなら、バルトロにも聞いてみて下さい! これは私達だけの、二人だけの秘密……彼も、そう答えると思います……」

 フラムアークはこれがレムリアからの自分へのメッセージだと気が付いた。

 審議でこの問題が取り沙汰されることを想起してユーファに事前確認をした時、彼女は自分が二人の関係を知っていることをバルトロが知っているかどうかは分からないと言っていた。

 レムリアは、それについて教えてくれている。自分をだしに使ってユーファを、ひいてはフラムアークの責任問題にまで発展させようとしている皇太子の意図を察した彼女は、ユーファが知らないであろう情報をフラムアークに提示することで曖昧な状況を回避し、親友がこれ以上不利になることがないよう取り計らってほしいと、暗にフラムアークに伝えているのだ。

 二人の関係をユーファが知っていたという事実をバルトロが知らないのであれば、レムリアが口を割らない限り、それが露呈することはない。

 ―――ありがとう。

 フラムアークは心の中でレムリアに礼を言った。

 これで懸念のひとつが消えた。

 自分が罪人という立場でこれからどういう運命をたどるのかも分からない中、国の中枢を担う面子に囲まれて、大声で恫喝されながら真実と異なる供述をするのは、相当な覚悟と勇気が要ったことだろう。

 さすがはユーファの親友だ。聡くて度胸もある。

 ―――ここからは、オレの番だ。

  議場ではレムリアの意見に納得しないゴットフリートの怒声が響き続けている。皇太子の怒りを浴び続けるレムリアはすっかり萎縮して、今はもう何も言えず、小さく震えながらただただ涙を流していた。強き者が逃げ場のない弱き者をひたすら糾弾し追い詰めているだけの光景に、議事の場はどちらかといえば罪人のレムリアに同情的な空気が漂い始めていた。

 これは彼女の身体を張ったファインプレーと言えるだろう。

「もう、その辺りで収めるのが妥当ではありませんか」

 フラムアークが右手を上げ異議を申し立てると、ゴットフリートは鼻息荒く振り返った。

「何だとッ!?」
「彼女は既に貴方の問いに対し回答しています。論も証拠もなく、そのような憶測に基づいた恫喝まがいのやり方で物事を推し進めようとするのは、如何なものか」
「憶測ではない、事実だッ!」

 激高し、言葉を叩きつけるようにして返すゴットフリートの様子にフラムアークは眉をひそめた。

 先程から彼は何が何でもレムリアの言質(げんち)を取ろうと躍起になっているように見えた。しかも今、彼は確かに“事実だ”と言い切った―――。

 ゴットフリートはレムリアからユーファが二人の関係を知っていたという言質(げんち)を取れるはずだった……? その目論見が外れて怒り狂っている?

 そう仮定してみると、おおよその状況が見えてきた。彼がどういう経緯でそう思い込むに至ったのか、大体の察しもつく。

 ならば、ここが反撃の糸口だ。この場で奴の口からそれを吐かせる!
Copyright© 2007- Aki Fujiwara All rights reserved.  designed by flower&clover