病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十九歳H


 やせ細ったその少年は声を振り絞るようにして、涙ながらに私に向かい訴えた。

「薬師さん、オレの村へ来てくれよ! 村へ来て、どうかみんなを助けてくれ!!」

 ひと目見た瞬間から、モンペオの住人とは雰囲気の違う少年だと思った。

 年の頃は十二〜三歳といったところだろうか。浅黒い肌に黒褐色の髪、白目部分がほとんどない大きな黒目と、側頭部にある丸い小さな耳が特徴的な穴熊族の少年だ。汚れたボロボロの服を着た彼はあちこち傷だらけで、ひどく思い詰めた表情をしている。

 治療の順番が来て天幕へと入ってきた彼は、先程の言葉を言うなり私の手首を掴んで、外へ連れ出そうとしたのだ。

「ちょ……ちょっと待って、まずは話を……」
「道すがら話すから! 時間がないんだよ、頼むから付いてきてくれ!」

 事情を聞こうとする私を遮り、切羽詰まった様相の少年は掴んだ腕を引っ張りながら急き立てる。

 すぐに異変に気付いた周りの人々が駆けつけてきて、強引に私を連れ出そうとする彼を押しとどめた。

「おいコラ、薬師さんから手を離せ!」
「お前、この町の者じゃないな!?」
「やめろ、離せ! クソッ、邪魔すんな―――ッ! 早く、早くしないと、間に合わないんだよ! みんな、みんな死んじゃうんだよォ―――ッ!」

 全身の毛を逆立てる勢いで抵抗する少年に場は騒然となり、フラムアークが呼び出される事態となったのだ―――。



*



 町長の屋敷へと連行された少年は、皇族のフラムアークを目の前にして緊張を隠せない様子ながらも、必死の形相で火急の事情を訴えた。

 少年の名前はピオ。モンペオより北の山間部にある穴熊族の村に住む少年で、彼の村は早々にベリオラの猛威に飲み込まれた地域にあった。

 村に薬師はおらず、近隣の村に助けを求めたが、どこも似たような状況で、町へ出る為の街道は役人によって封鎖されていた。村の男達はバリケードの外にいる役人に窮状を訴えたが、感染者が出た町村からの移動は領主命により禁じられていることを理由に「ここは通せない」の一点張りで、薬をもらうことも薬師を呼んでもらうことも「今は出来ない」と断られた。無理やり通ろうとした村人の一人は、役人に腕を斬り落とされた。

 外へ助けを求めることを断念せざるを得なかった彼らは失意のままに村へと戻ったのだが、状況は悪化の一途をたどった。適切な治療が受けられないまま感染者が広がった村内は地獄絵図の様相となり、その中でとうとうピオの家族も病に倒れてしまったのだ。

 ピオはどうにかして助けを呼ぶべく、危険な山道を迂回して役人の目をかいくぐり、幾日もかけてやっとの思いで街道へと出て、そこでモンペオに帝国の皇子が来ているという噂を聞き及んだのだ。そこには薬師もたくさんおり、満足な治療が受けられているという話だった。

 ―――何だよ、それ。オレ達の村は見捨てられて、あんなに必死に頼んでも助けてもらえなかったのに……!

 やるせない激情に支配されながら、それでもピオは満身創痍の身体を引きずるようにして、わらにもすがる思いでモンペオへとやってきたのだ―――。

「オレが村を出てから、もう何日も経っている。今こうしている間にも、また誰かが死んじゃっているかもしれない……! お願いだよ……お願いです、皇子様。どうかみんなを、助けて下さい。どうか、お願いですから……オレはどんなに罰せられてもいい、どうか、どうか、家族を、村のみんなを助けて下さい……!」

 やせ細った傷だらけの身体を床に伏して、ピオは涙ながらにそう哀訴(あいそ)した。

 これは、現在のアズールの縮図だ。

 疫病の蔓延を防ぐ為、感染者が出た町村からの移動を早々に禁じたダーリオ侯爵の判断はもっともと言える。これが遅れれば感染の規模は更に拡大して、より深刻な事態を招くことになっていただろう。だが、それによってピオの村のような隔絶地域が生じてしまったことは否めない。

 本来であればその地に然(しか)るべき支援を差し向けて対策に当たるはずが、ベリオラの爆発的な感染力の前に初動が遅れ、その時機を逸してしまった。その後の対応も後手に回った。これ以上の蔓延を防ぐ為には既に病魔に侵された隔絶地域を救うのではなく、最前線の町で全力をもって病魔を封じ込める作戦へと切り替えざるを得なかったのだ。

 その結果、ピオの村のように初期段階での感染地域では見放されるところも出てきてしまった。

 ピオの言う役人の対応にはずいぶんと問題があると思われたけれど、その時その地域がどういう状況だったのかは改めて調べてみないと分からない。

 私は奥歯を噛みしめた。

 ピオの村のようなところが存在することは、予測出来ていたことだった。けれど全てがギリギリの中、自分達も目の前のことに向き合うだけで精一杯の中、そういう場所があるであろうとの認識はあっても、今はどうすることも出来ないのだと、私達自身半ば考えないように努めていたことでもあったのだ。

 それをこうして目の前に突き付けられて、胸を締めつけられる思いがする。

 見捨てられてしまった方は、どんな気持ちだっただろう。

 命の重さに変わりはないはずなのに、国や地域という尺度で計った時、「より多くを助けられる道を」という基準で見放されてしまう「数少ない犠牲」、そちらにいってしまった者達の心境は―――。

 この場に集まった町長も救援部隊の隊長もファルマも、沈痛な面持ちで口をつぐんでいる。

「ピオ―――まずは、まだ子どもの君にこんな真似をさせてしまったことを詫びさせてほしい。すまなかった」

 フラムアークの口から最初に告げられたのは、謝罪の言葉だった。

 ピオが驚いたように顔を上げ、居合わせた長達も息を飲んでフラムアークを見やる。

「本来は我々の方から手を差し伸べねばならなかったのに、大人の都合で君に辛い思いも理不尽な思いもさせた。申し訳なかった」

 フラムアークはそう言って、ピオに深々と頭を下げた。

「その意を示す為にもオレが出向こう。遅ればせながら、君の村の為に手を尽くさせてほしい」
「え……え……?」

 予測もしなかった事態に目を白黒させるピオの前で、フラムアークはファルマを振り返った。

「ユーファと宮廷から連れてきた面々を引き上げさせてもらっても構わないか?」
「……! 大丈夫です。おかげさまでモンペオは終息の目処(めど)が立ちましたから。残りの者で頑張れます」
「では頼む。それと出来ればアズール城から派遣されてきた看護要員を若干名貸してもらいたいのだが、頼めるか?」

 フラムアークからそう要請を受けた救援部隊の隊長は、ふたつ返事で頷いた。

「そのように手配致します」
「ありがとう。町長、そういうわけで急な話で申し訳ないんだが、我々は明日の朝にはこちらを発とうと思う」
「分かりました。モンペオの為にご尽力いただき、心より感謝致しております。本当にありがとうございました。どうかこの子の村にも救いの手が間に合いますよう、この地よりフラムアーク様達のご活躍をお祈りしております」

 そのやり取りを固唾を飲んで見守っていたピオが、半信半疑の口調で尋ねた。

「あ、あの……皇子様が、オレの村を助けに……来てくれるんですか?」
「ああ。もっともオレは薬師ではないから、裏方の仕事を手伝う形になると思うが。雑務を担う補助要員といったところかな。この町で洗濯は上手くなったし、そこそこ役に立てると思うぞ」
「せ、洗濯……」

 帝国の皇子の口から飛び出した似つかわしくない用語に、目をしばたたかせるピオ。

「主体となるのはこのユーファだ。彼女を中心に手を尽くす。ユーファ、まずはピオの状態を診てやってくれるか。傷の手当とワクチンの接種も頼む」
「分かりました」
「え……あ、あの、オレは罰せられないんですか……? 領主様の命令を破って、ここへ来たのに……」

 戸惑うピオへフラムアークは鷹揚に言葉を返した。

「もちろん、領主の命令を破ることは基本的にはあってはならないことだ。だが、罪のない領民を見捨てるような真似もまた、同様にあってはならないことなんだ。今回は迅速に判断しなければならない難しい事案で、ダーリオ候も断腸の思いだったろう。だが、ピオの立場に立てばその決断は到底納得し得るものではない。
オレはそこは、その時々の状況に応じて柔軟に対応していかなければならないと思っている。幸いモンペオはベリオラの封じ込めに成功して、全住民にワクチンの接種も済んだところだった。この地へ君が来ても、これ以上の感染拡大の懸念ははない。
何より人として、家族が、大切な者達が苦しんでいるのを救いたいと願う気持ちは当たり前で、その為に取ったピオの行動は、本来は責められるべきものではないはずなんだ。そんな人として当然の温かい感情を、オレは出来るだけ大切にしていきたいと考えている。―――だからピオ、オレは今回のことで君を罰する気はない」

 それを聞いたピオの両眼から涙が溢れた。

「あっ……ありがとうございます……ありがとう、ございます……」

 崩れ落ちるようにして泣き伏す彼に私は歩み寄り、骨の浮き出たまだ幼さの残る背中を撫でた。

「行きましょう、ピオ。あっちであなたを診るわ。弱った身体には少しきついかもしれないけど、ワクチンも打っておかないと」
「うっ、うん……」
「ピオ、今日はしっかりと食事を取ってゆっくりと身体を休めるように。出立は明朝だ」

 フラムアークにそう告げられたピオは涙に濡れた顔で彼を振り仰ぎ、たどたどしくその名を口にした。

「は……はい! ありがとうございます、フッ……フラムアーク、様……」

 そんなピオにフラムアークは柔らかな微笑で応えた。

 こうして私達はモンペオを後にし、穴熊族の村を目指すこととなったのだ―――。



*



 翌朝ファルマ達に別れを告げて、フラムアーク以下、応援要員として派遣された三名の看護要員を含めた私達一行は、穴熊族の村へと向けて馬車で発った。その中には、あのエレオラの姿もあった。

 馬車は順調に進み、午後に入って間もなくピオの言っていた問題のバリケードへと差し掛かった。御者台にいたスレンツェが見張りの役人に馬車の通行を求めると、最初は横柄だった役人の態度がみるみる低姿勢に変わり、彼の隣に座るフラムアークの姿を確認しながら慌てた様子で他の役人達に声をかけ、全員で慌ただしくバリケードを動かし始めた。

 ほどなくして村への道が通れるようになり、役人達が最敬礼で馬車を見送る様子を荷台の幌の中から見ていたピオは、呻くように言葉を絞り出した。

「何だよ、あれ……オレ達の時とまるで態度が違う……。こんなに簡単に、こんなにあっけなく、どうやっても開かないと思っていた道が開かれるものなのか……!? 村へ早く戻れるのは嬉しいけど……オレはモンペオにたどり着くまであんなに苦労して、あんなに時間がかかったのに……!」

 釈然としない様子で唸る彼に私は尋ねた。

「さっきの役人達は、あなた達が助けを求めた時と同じ顔触れ?」
「そうだよ……あいつらに抗議してバリケードを通り抜けようとしたイルマさんは、見せしめに、う……腕を、斬り落とされて……血が、スゴくいっぱい出て……痛がって、苦しんでいるのに、あいつら、顔色ひとつ変えなかった。飛び散った血で自分達が感染すると悪いから、早く村へ連れて帰れって……」

 込み上げてくる不条理感と戦うように、ピオは頬に力を込めた。

「まるで、病原菌扱いだった。オレ達のこと、人として見ていなかった。あいつらにとって、オレ達の命は虫けら同然なんだ。スゴく、軽い。自分達と同じ人だと、思っていないんだ」
「ピオ、そんな―――」
「そんなこと、なくないんだよ!」

 叫ぶようにして私の言葉を遮ったピオは、直後、ハッとした様子で私に詫びた。

「あ……ご、ごめんなさい、ユーファさん……」
「いいのよ」

 首を振る私の前で、ピオは気まずそうに視線をうつむけた。そんな様子を見ていたエレオラが私にそっと穴熊族の抱える事情を耳打ちしてくれた。

「アズールでは昔から、穴熊族に対する差別的な偏見があるんです。帝国領になって帝国側の人口が流入して、中心部の方ではそれも軽減されつつあるようですが、田舎の方では今もそれが根強く残っているんです」

 世界に住まう人類の中、圧倒的な人口を誇る人間達に対して、私達亜人は数そのものが少ない。軽微なものを含めたら、差別的な扱いを受けたことがないという亜人はほとんどいないだろう。

 私自身もそれで嫌な思いをしたり、理不尽と感じる扱いを受けたことはある。

 けれどそれは日常的につきまとうようなものではなくて、それで生き辛さを感じたことはなかった。

 差別的な扱いに苦しんでいる亜人種がいることは知識としては知っていたけれど、実際にそれを目の当たりにしたのは初めてだ。

「オレ達穴熊族は、岩肌をくりぬいた洞窟様式の家に住んでいるんだ。昔からの伝統的な住処だよ。人間達はそれをバカにして、日陰者、汚れ者って蔑んでいるんだ。オレ達は暗がりでも目が効くし、土や岩盤を掘るのが得意で、自分達に適した環境で生活しているだけなのに。
その特性を活かして鉱山では人間の何倍も活躍するし、何度も鉱脈を掘り当てて人間達に貢献してきた。なのに、どうしてこんな扱いを受けないといけないんだ……!」

 ピオはそう悔しさを露わにして、両の拳を握りしめた。

「父さんが言ってた。この地ではオレ達はどんなに頑張っても報われないんだって―――例え人間の倍の働きをしても、賃金はずっと低いままだし生活はいっこうに楽にならないって。治める国がアズールから帝国に変わって少しはマシになるかと思ったのに、実情は何も変わらなかったって……! だから若い穴熊族はどんどんアズール(ここ)を出ていってそのまま戻ってこないから、村は廃れていく一方なんだって……!」

 勢いのままにそう言ってしまってから、彼は再びハッとして口をつぐんだ。

「―――っ、ごめんなさい、オレ……」

 御者台のスレンツェの傍らに座るフラムアークの背中をチラリと見やって、ピオは自己嫌悪に陥った様子でうなだれた。

 その顔色が優れないことに気が付いた私は、うつむいた彼の顔を覗き込んだ。

「ピオ……? どこか具合が悪い?」

 言いながら彼の額に手を当てると、微熱があるように感じられた。

 弱った身体には、やはりワクチンの接種はきつかっただろうか。疲労の蓄積に様々な心労も重なって、体調の悪さから不安定な気持ちが抑えづらくなっているのかもしれない。

「大丈夫……」

 ピオは否定して腰を引いたけれど、しばらく彼の様子に注意してあげる必要があると思った。

 本当はゆっくり静養させてあげたいところだけれど、穴熊族とのパイプ役が彼だけという事情もあり、そうはいかないところが心苦しい。

「もし具合が悪くなったらすぐに言ってね」

 そう言葉をかけるに留めた私に、ピオは小さく頷いた。

 それからほどなくして、馬車は山間部にある穴熊族の村へとたどり着いたのだった。
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