病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十八歳D


 騒動からひと月程経ったある日の午後、私達の姿は宮廷内の修練場にあった。

「やぁユーファ、大変だったね。色々聞こえてきたよー。性悪令嬢達が“あの”フラムアーク様の逆鱗に触れたって、宮廷中大変な騒ぎになって、しばらくその話題で持ちきりだったね」

 片手を上げ、当事者達を目の前に屈託のない表情でそう声をかけてきたのは、狼犬族の女剣士ラウルだ。

「お前は少し礼儀というものをわきまえろ」

 そんな彼女を背後から冷ややかにたしなめるのは、彼女の主、第五皇子エドゥアルトだ。彼の傍らにはいつもの男性の側用人が控えている。

「エドゥアルト様に言われたくないです」

 ラウルはムッとした面持ちになりながらも、私の隣で苦笑するフラムアークには素直に詫びて頭を下げた。

「本日は私の申し出を受けて下さり、ありがとうございました。スレンツェ殿の胸をお借り致します」
「こちらこそ。オレの力不足でスレンツェにはなかなかこういう機会を設けてやれないから、こちらとしてもありがたい申し出だった」

 そんなフラムアークにラウルは微笑んで、スレンツェに向き直り一礼する。

「今日は宜しくお願いします」
「ああ。こちらこそ」

 淡々と礼を返すスレンツェは気負った様子もなく、いつも通りのように見える。

「ラウルとの手合わせを受けた以上、あんたの側用人がどうなっても僕は責任持たないからな。キレるなよ」

 先日の騒動を暗に皮肉るエドゥアルトへ、フラムアークは穏やかな声を返した。

「騎士道精神に則(のっと)ったものであれば、そんな真似しないよ。それにスレンツェには要らぬ心配だと思う」
「へえ? 言うじゃないか」
「ラウルが凄腕の剣士なのは間違いないだろうけど、オレはオレの師もそれに引けを取らないと思っているからね」
「ふん……まあ手並みを拝見させてもらうさ。僕としてもあの男のことは少々気に掛かっていたからな」
「ああ、だから許可したのか? あの騒動の後だったから、正直意外だったんだ。余計な注目を浴びるだろうし、皇太子達の耳に入ればいい顔はされないだろうし」

 フラムアークはそう言って、どこからか噂を聞きつけたらしいギャラリーが集まる修練場内を見やった。エドゥアルトは小さく鼻を鳴らして、くだらん、と言い捨てる。

「言い出しっぺはラウルだろう。僕にはあいつが望む者と戦わせてやる義務があるからな、そんな些末なことはどうでもいいんだ」
「ふぅん……?」

 そのやり取りを聞いていた私はラウルの話を思い出した。

『この先の人生、剣に携わり剣を究めていきたいと考えているのなら、僕はいい雇い主だぞ。世界の最先端を目にする機会と、世界の剣豪と渡り合う機会をくれてやる』

 当時十歳だったエドゥアルトがラウルをスカウトする際に、彼女に放ったという言葉。

 エドゥアルトはそれをきちんと覚えていて、実際にこうして履行しているのだ。

 それは、しがらみに囚われず飄々と我が道を行くエドゥアルドでなければ出来ないことかもしれない。自らが決めたことについては迷いなく、誠実に実践する。ラウルがエドゥアルトを主として認めているその一端が、垣間見えた気がした。

 ラウルと挨拶を交わし終え、立ち位置に着くスレンツェを見やりながら、私は静かな緊張感が胸に満ちていくのを感じた。

 自らの身長ほどもある大剣を背負ったラウルに対し、スレンツェは腰の左右に一本ずつ長剣を帯びたスタイルだ。

 二人の身長はほぼ同じで、男女の差はあるものの、狼犬族のラウルは筋力的に人間の男性に劣らないだろう。

 これはただの手合わせで、命を取り合うような勝負じゃない。けれど何故かしら、空気が張り詰めていく感じがして、こんなにも喉の渇きを覚えるのは―――。

 互いに一礼して、ラウルが大剣を抜き、スレンツェも右の長剣を抜く。構えを取り合い、先に動いたのはラウルだった。

 ―――速い!

 あんなに大きな剣を持っているのが嘘のように、ラウルは瞬く間にスレンツェへと距離を詰める。一拍置いてスレンツェも動き、二人は甲高い音を響かせて互いの剣をぶつけ合った。

「様子見のつもり? 私に対して、失礼でしょ」

 重なり合う剣越しに青灰色の瞳をギラつかせて、ラウルがスレンツェの黒い瞳をにらみつける。

「あんた本来のスタイルでかかって来い!」

 牙を剥き、ラウルはスレンツェの剣を押しやった。スレンツェは刀身を滑らせるようにしてかかる力を受け流し、大きく後ろへ飛び退いて距離を取る。それを追って跳んだラウルが薙ぎ払うように大剣を振るった。スレンツェはかわしたが、剣圧、というのだろうか。ラウルの剣の軌道方向にフォンッ、と鋭い気流が走り、ギャラリーからどよめきが湧き起こる。

 観衆達の注意がそちらへ逸れているうちにスレンツェは左の長剣を抜いていた。ラウルが口角を上げ、両手に剣を携えた彼に挑みかかる。

 そこから先は、私には未知の領域だった。両者の繰り出す剣が速すぎて、目で追いきれない。重そうなラウルの剣をスレンツェは二本の剣で器用にさばき、時折剣戟の隙間を穿つように剣を突き込むが、ラウルは素晴らしい反射速度でそれを防ぎ、どちらも全く譲らない。

 息もつかせぬ攻防の末、一度距離を取り合った二人は、こんな言葉を交わし合った。

「悪かったな。久しくこういう環境から遠ざかっていて、感覚が曖昧になっていた」
「勘は取り戻せたの?」
「ああ。あんたは手加減すべき相手じゃない」
「はは! じゃあここからは、真剣にいこうか」

 楽しそうに笑ったラウルの言葉に、私は耳を疑った。

 えっ!? 今までは、二人とも本気じゃなかったってこと!? あれで!?

「そら恐ろしいな。オレとはまるで領域が違う」

 隣で詰めていた息を吐き出したフラムアークを私は振り仰いだ。

「本当に、二人ともあれで本気じゃなかったんでしょうか? 正直、私は目で追い切れませんでしたが」
「あの様子からするとそうなんだろうな。オレもスレンツェの本気を見たことがないから、何とも言えないが」
「スレンツェは、二刀流の剣の使い手なんですね。知りませんでした」
「ああ、普段は一本しか帯剣していないものな。オレに教えてくれるのは剣術の基本スタイルだし、知っている者は少ないと思うよ。オレはスレンツェの本来のスタイルが二刀流だっていうのは知ってはいたけれど、それをこうして目にするのは、実のところ初めてなんだ」

 そう言いながらスレンツェを見つめるフラムアークの瞳には、憧憬の光が溢れている。

「スレンツェはやっぱりすごいな。オレの想像以上に、すごい」

 そこからのスレンツェとラウルの打ち合いは、凄まじかった。先程よりも剣速を上げ、見切れぬ速さで繰り広げられる一流の手合わせを見守る観衆は、火花を散らせてぶつかる剣と剣に湧き、技と技がぶつかる度、巻き起こる剣圧に慄いた。

「ははっ……楽しい……肌が粟立つよ!」

 何合目かを打ち合い、重なり合い軋み合う剣越しに爛々と目を輝かせるラウルへ、スレンツェもまた静かに高揚する声を返す。

「……オレもだ。久し振りの感覚だ」
「ふふっ……いいよね、この魂が打ち震えるような感覚!」

 剣を押し離すように飛び退(すさ)って距離を取りざま、ラウルは驚異的な瞬発力で再びスレンツェに肉薄すると、柔軟な肢体を活かして、驚くほど低い位置から彼を仕留めにきた。地面スレスレから刹那の勢いで上段に向かって放たれた餓狼の牙に、私は思わず息を飲む。

 スレンツェッ……!

 心臓が一回、鼓動を飛ばした。

 甲高い音を立てて、スレンツェの右手の剣が飛んでいく。同時に、ほぼ直角に振り下ろされた彼の左手の剣は、ラウルの頬をかすめて、鋭く地面を貫いていた。

 一方のラウルの剣も、スレンツェの首筋をかすめて空を突いていた。

 一様に静まり返る修練場で、ゆっくりと剣を引き合った二人は、顔を合わせて頬を緩めると、互いの健闘を称え合った。

「どうやら引き分け、だね」
「そうだな。手合わせとしては上々だった」

 スレンツェが手を伸ばしてラウルの手を取り、彼女をエスコートするようにして立ち上がらせた。流れるような優雅な所作が、彼の高貴な生まれを物語っている。

「いい刺激になったよ。スゴく楽しかったし、身になった。また、手合わせをお願いしてもいいかな?」
「オレ自身も目が覚める思いだった。そちらの主の許しが出たなら、こちらこそぜひお願いしたい」

 遅れての拍手と歓声が響く修練場で握手を交わす二人の前に、苦虫を噛み潰したような表情のエドゥアルトが進み出た。

「行くぞ、ラウル。今度は僕の相手をしろ」
「はぁ? 見てましたよね、今? さすがに体力を使いましたから、少し休憩を挟んでからにして下さい」
「体力馬鹿のお前らしくもない」
「あのですね、エドゥアルト様の相手をしたのとはワケが違うんです」
「何だと?」

 怖いもの知らずのラウルの返答にエドゥアルトは青筋を立てると、じろりとスレンツェをにらみつけた。スレンツェに何か因縁をつけだすんじゃないかと私は冷や冷やしたけれど、エドゥアルトはしばらくの間を置いて視線を逸らすにとどまり、腹立たし気にラウルにこう申し付けた。

「……部屋で待っててやるから体力が回復したら来い」
「分かりました」

 私達に折り目正しく一礼した男性の側用人を伴って修練場を後にするエドゥアルトを見送ったラウルは、深々と溜め息をついた。

「何だろうね、あの言い方。うちの主は居丈高で、もう。お兄様に挨拶もせずに……フラムアーク様、失礼致しました。本日は私の願いを叶えていただき、ありがとうございました」
「気にしなくていい。エドゥアルトは君達の手合わせを見て、居ても立っても居られなくなったんじゃないかな。オレでもこう、胸に迫るものがあったから、剣の腕に覚えのあるあいつにとっては尚更だと思う」

 フラムアークは弟のことをそう慮(おもんばか)った。

「ラウルはエドゥアルト様相手に、結構容赦のない物言いをするんですね」

 まだ動悸のする胸を押さえながらそう言うと、ラウルは「そう?」と小首を傾げた。

「子どもの頃からあんな調子で付き合ってるから、私達の間ではあれで普通なんだよね。あ、もちろん公式の場では私もわきまえてるよ? あんな口の利き方しないし、もっとちゃんと臣下っぽく振る舞うけど」

 そうなのね……慣れない者としては、あのやり取りを目にしただけで寿命が縮まる思いだったけれど。

「スレンツェ、今日は楽しかったよ。またね」
「ああ」

 頬にかすり傷をこさえ、満面の笑顔で手を振るラウルと別れ、私達は修練場を後にした。

「最後はあんな形で決着したけれど、あれ、お互いに当てる気はなかったのよね? 始めから、ギリギリを狙っていたのよね? 手合わせだもの」

 最後の場面で心臓が止まるような衝撃を受けた私は、スレンツェの首の傷を診ながらそう尋ねた。擦過創で皮膚が赤くなってはいるけれど、切れてはいない。

「―――とは思うが……互いに、相手がどうにか回避するだろうという頭があったことも、否めなくはない」
「実際、ラウルの最後の一撃はスレンツェが右の剣をわずかに当てて軌道を変えていたよね?」
「そうだな」
「…………」

 スレンツェとフラムアークの回答を聞いた私は青ざめた。

 やだ、それ、スゴく怖い話じゃないの!

 そんな大まかな感覚で、あんな攻防をやり合ってるの!?

 それをやり合った後であんなふうに笑顔で楽しかったね、と称え合える人達の気が知れないわ!

 二の句を継げない私を見やりながら、スレンツェはふと口元をほころばせた。

「……何だかずいぶんと忘れていた気がするが、オレは心身が研ぎ澄まされて剣と一体となる、あの感覚が好きだ。余計なものが削ぎ落とされて、剥き出しになった魂を剣を介して語り合う―――そんな感覚が好きで、剣を究めようと鍛錬に励んでいたことを思い出した。
戦争が起こって、剣を振るう目的が変わって―――苦い思い出が降り積もり、いつしかそれに追いやられて、何の為に剣を握っていたのか、当初の気持ちを見失ってしまっていたが―――今日、ようやくそれを思い出せた気がする」

 どこか吹っ切れたようにそう語り、暗い過去から一歩を踏み出したスレンツェは、爽やかな表情をしていた。

「オレは、剣が好きなんだ。ユーファには心配をかけるだろうし呆れられてしまうかもしれないが、オレはそういう人間なんだと、承知置いてもらえるとありがたい」

 憑き物が落ちたような、そんな澄んだ瞳をして言われたら―――頷くしかないじゃない。

「……分かったわ」

 あなたがまたひとつ、あなたを取り戻せて良かった―――私は余計な心配をすべきじゃなく、そのことを素直に喜ぶべきね……。

「でも、なるべく怪我をしないように気を付けると約束をしてちょうだい。自分も含めて、誰も傷付けないように守る為の力……それがあなたの剣にはあると、私は思うから」

 スレンツェの精悍な顔が、思わず見とれてしまうような柔らかさを帯びた。

「そう言ってくれるか。ならばそうなれるよう……肝に、銘じておく」
「うん、そうだな。スレンツェの剣にはその力があると、オレも思う。ラウルとの手合わせは、見ていて本当に鳥肌が立った。スレンツェの伎倆(ぎりょう)はすごい。オレの目標だ」

 初めて目にした師の実力に興奮冷めやらぬ様子のフラムアークは、頬を紅潮させてそう言った。

「教えた者にそう言ってもらえるなら、指南役としては本望だ。ラウルに感謝しなければならないな」

 自分とそう変わらない目線の高さまで成長した愛弟子に、スレンツェは瞳を和らげる。

「目標は超える為にある。やってみろ」
「うん。身長の方は残念だけど超えるのが難しそうだから、そっちの方を目指すことにする」
「はは。年齢的に背丈の方はそろそろ頭打ちだものな」
「スレンツェは、色んな意味で大き過ぎるんだよ……」

 悔しそうなフラムアークとしたり顔のスレンツェに、私は何だかとても温かい気持ちになった。

「ふふ。二人とも充分に大きいですよ」

 身長的にも人間的にも、この男(ひと)達は充分に大きい。けれど、まだまだ大きくなれるであろう器を持っている男(ひと)達だ。

 ああ、何だか二人がとても眩しい―――きらきらキラキラ、輝いて見える。

 こんなにも眩しく映る彼らの助けとなれるような自分でありたい。彼らと共に在っても、恥ずかしくない自分でありたい。

 あなた達に負けぬように、あなた達と共に在れるように、私も輝ける自分であれるよう、頑張って自身を高めていきたい―――。
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