「薬師の白い長衣(ローヴ)姿以外、初めて見た。何だかビックリして、言葉が上手く出てこないけど……綺麗だね」
厚かましくも彼に「可愛い」とは言われ慣れているけれど、「綺麗だ」という言葉は初めて使われた。
思いがけず頬が熱くなって、彼の顔を直視出来なくなる。そんな自分に少し戸惑った。
「ありがとうございます。こんな素敵なドレス、初めてで着慣れてなくて、少し恥ずかしいですけど……何だか気持ちがふわふわしますね」
「ユーファもやっぱり女性だね。良く似合っているから、ちゃんとこっちを向いて見せて。……何だか不思議だね、こんなに長い間一緒にいるのに、薬師としての君の姿以外見たことがなかったなんて」
「そう言われると、そうですね」
私服は保護宮の自分の部屋に置きっ放しで、たまの休日をそちらで過ごす時にしか着ないし、寝間着でフラムアークの部屋へ行くような非礼をするはずもなく、兎耳族の私は一緒に外出する機会もないから、必然的に彼が目にするのは薬師としての私の姿だけとなる。
「そう思うと、もったいないことをしていた気分になるな。オレとしてはもっと、色々なユーファを見てみたいのに」
「ふふ。大袈裟ですね、今日はこのドレスのおかげで特別かもしれませんけど、他はたいして代わり映えしませんよ」
「そうかな? オレはそうは思わない」
フラムアークが進み出て、私の目の前まで来た。
今日の彼は金糸の刺繍が施された紺を基調にした衣服に身を包み、白いブーツを履いている。羽織っていた白い外衣は私をくるむのに使って汚れてしまった為、今は身に着けていなかった。
「……華奢だな。いつもゆったりとした長衣(ローヴ)を着ているから、分からないけど」
気のせいだろうか。私を見下ろす彼の瞳が、いつもより甘やかな光を帯びているように感じられるのは。
でもその瞳は、すぐに痛みを伴う苦し気なものへと変わった。
「あ……」
彼の視線がどこへ向けられているのか悟って、とっさに腕のあざを手で覆い隠す。長衣(ローヴ)を着ている時は手首から足首まで覆われて隠されていたあざが、五分袖のミモレ丈のドレスを着たことで露出してしまっていた。
そんなに大きなものではないから気付かれないだろうと思っていたけれど、甘かった。
フラムアークの視線は目ざとく私の足のあざにも向けられる。
「あの……大丈夫です、時間が経てば消えますから」
微妙に身体を動かして彼の視線からあざを隠すようにすると、フラムアークは沈痛な面持ちになった。
「……ごめん。オレのせいで、ユーファに痛い思いも辛い思いもさせた。本当にすまなかった―――」
「そんな、これは貴方のせいでは」
かぶりを振る私の言葉を遮って、彼は自身を断罪した。
「オレの判断ミスだ、初動を誤った! 彼女がどういう人間かは分かっていたんだ、最初にそれを本人に告げた上で毅然と距離を置くべきだった……! その後の対応も後手に回った。自分が見くびられているのは分かっていたのに穏便に済ませることを優先して相手の出方を待った、猶予を与えるべきじゃなかったんだ……! オレの自覚のなさと覚悟の甘さが、君を傷付けさせたんだ」
フラムアークは奥歯を噛みしめて瞑目し、私に深く頭を下げた。
「すまなかった、ユーファ」
「ちょっ……やめて下さい、頭を上げて下さい、フラムアーク様」
私は驚いてそう頼んだけれど、彼は深く頭を下げたまま微動だにしてくれない。
「そんなふうに責任を感じて、ご自分を追い詰めないで下さい。お願いですから……」
困った私は握り締められた彼の拳を自分の手で包み込むようにして、きつく目をつぶったままの彼に訴えた。
「私の方も自覚と配慮が足りなかったんです。回廊でこんなふうに貴方の手を取ったところを彼女達に目撃されていて……思えば、それが発端で話がこじれてしまったのかもしれません。だから、今回のことは私にも責任があるんです。ですから、ご自分だけを責めるのはやめて、私と二人で反省会をしましょう!」
勢い込んでそう言うと、ようやくフラムアークの瞼が開いて、私の顔を見てくれた。
「それに、こんな言い方をしたら不謹慎かもしれないですけど……私、さっき貴方に助けてもらえた時、すごく嬉しかったんです。皆の前で毅然とした対応を取ってくれたこと、何よりも私を『絶対の信を置く比類なき存在』と言ってくれた貴方のあの言葉に、胸が熱くなりました」
それは本心だったから、私はその想いが彼に伝わるよう必死で彼の瞳を見つめた。
そんな私に、フラムアークはどこか儚げな笑みを返す。
「まだまだ頼りない主だけど……ここからオレがより良い主になっていく為に、これからもユーファの力を貸してくれる?」
「もちろんです。ええ、それはもう喜んで。その為の反省会ですよ!」
両手で握りこぶしを作る私を優しい眼差しで見やり、フラムアークはこう伺いを立ててきた。
「ありがとう。……触れても、いい?」
「え? あ、はい……」
それがどういう意味合いのものなのか計りかねて微妙な返事になると、神妙な面持ちで私の右手を取った彼は、肘の内側にあるあざにおもむろに顔を近づけ、そこに静かに口づけた。
「―――精進する。二度と、大切な者を傷付けることのないように」
流れるような所作で行われた一連の行為は、どこか神聖な儀式を思わせるもので、他意は感じさせなかった。
固い決意を滲ませたフラムアークの表情は、またひとつ、階段を上っていこうとする青年のそれで―――私は肌に一瞬感じた彼の熱を、意識しないように努めた。
「―――ところでフラムアーク様、これまでのことから察するに、見ていたんですね? 私がラウルに助けられた一連の現場を」
「ああ、うん。調剤室へ行ったはずのユーファの姿がそこになかったから、辺りを探していたら偶然―――その時もラウルに後れは取るわ、気付かれて気配の消し方がなっていないと揶揄されるわ、ひどいものだった。本当に形無しだな、オレ」
フラムアークは自嘲混じりの深い溜め息をついて、きまりが悪そうに後ろ頭を掻いた。
「そこから、彼女達の動向を監視なさっていたんですか?」
「うん、出来る限りね。彼女達が他人を使ってユーファに嫌がらせをしてるのはすぐに分かったから、証拠固めに奔走してた。本当はエスカレートする前に食い止めたかったんだけど、間に合わなくて―――ごめん」
「フラムアーク様、同じループに入るのは避けましょう」
「ああ、そうだね。とりあえず君に水を引っかけた男は拘束したし、彼女達の悪事の裏は取れている。今回はあくまでオレの名で彼女達の家長に厳重な抗議文を送る形で、刑罰を与えるようなものではないけれど、彼女達の宮廷への出入りは禁止されるし、貴族社会でのイメージダウンは大きい。彼女達には今後良い縁談が舞い込むこともないだろう。父親達の出世は余程のことがない限りは打ち止めだ。社会的な制裁は大きいと思う」
つまりは、彼女達の貴族の令嬢としての華やかな道は絶たれ、社会的には抹殺されたも同然ということになるだろうか。
同情する気にはならなかったけれど、今回のことで私自身にも反省すべき点が見えたし、色々と考えさせられたから、この経験を心に留めておくことが大切だと思った。
「一緒に考えていきましょう、フラムアーク様。今回のことを踏まえて、私達はこれからどうしていくべきなのか、どうあるべきなのか」
「うん。そうだね……」
わずかに視線を伏せたフラムアークの端整な面差しに、微かな翳りが差したように見えた。この時彼の胸にどんな思いが渦巻いていたのか、この時の私には、推し量ることが出来なかったのだ―――。
*
「ええー! そんなことがあったの!? スゴッ! 女って怖っ! 怒涛のような展開だったね!」
私の話を聞いたレムリアは、興奮した面持ちで雪色の兎耳をぴるぴると動かした。
あの後フラムアークから二〜三日休みを取るように言われた私は、通称兎宮と呼ばれる保護宮にある自室へと久々に戻ってきていた。
「てか、その令嬢達ざまあ! って感じ! いったい何様のつもりなのよ!! はぁ〜、皇子様がビシッと言ってくれてスッキリしたけど、くっそ陰湿! 腹立たしいわぁ〜! 本当に大変だったね、ユーファ」
鼻息荒く憤るレムリアに、私は少し頬を緩めた。
「ええ、もうちょっと続いていたら精神的に参っていたかも。フラムアーク様には本当に感謝している」
「も〜フラムアーク様、素敵! いい男に育ってるじゃん〜! ねえねえ、そんなふうに助けられてキュンとしたりしなかったの?」
「キュン……?」
レムリアにそう尋ねられた私は、小首を傾げてその時の心情に思いを馳せた。
少なくとも、レムリアの言う「キュン」とは異なる感情だった気がする。もっと胸の奥底から込み上げてくる、安堵と喜びと様々な感情とがない交ぜになった、激情だった。
「そんな可愛い感じのものじゃなかったわ」
「何? キュンでは足りない、もっと激しい愛を感じちゃった??」
「あなたが期待してるようなものじゃないから」
目を輝かせて身を乗り出してくるレムリアの額を押しやって、私は話題を変える。
「そういうわけで私は疲れているから、出来れば癒されるような楽しい話が聞きたいんだけど……レムリア、例の彼とはその後どうなったの?」
話を振られたレムリアは分かりやすく頬を染めて、照れくさそうに、でも嬉しそうに話し始めた。
「えへへ。実はね、ここ最近何となくいい雰囲気になってきて……」
どうやら進展があったらしい。もう二年、同じ職場の同僚である人間の男性に片想いをしている彼女の話をずっと聞いてきた私は思わず目を瞠って、今度は自分が身を乗り出した。
「何々? 詳しく聞かせてよ」
「うふふ、聞いて聞いて。それがさー」
女の子の顔になって彼との関係の変化を語るレムリアはとても可愛くて、それを聞く私も自然と柔らかな気持ちになった。
ああ、いいな。恋をしているレムリアの表情は、とても素敵だ。
うらやましいな……私もいつか誰かを好きになったら、こんな表情で、その人の話をしてみたい―――。