病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十七歳D


 イクシュルへ向かう道中、フラムアークは折に触れ兵達とコミュニケーションを図るよう心掛けたそうだ。

 騎兵や歩兵の区別なく、小休止時や食事休憩、野営の際にはなるべく姿を見せ、多くの者に言葉をかけるように努めた。

 突然の招集、そしてお飾りとしか思えない第四皇子の指揮下に収まることになった面々には不満と不安が渦巻いており、第五皇子エドゥアルトの方が軍を統括するのに相応しいという声も少なくなかった。

「皇子という立場にある者が兵の機嫌取りとは、情けない」
「皇族としての矜持がないのか。エドゥアルト様は実に皇族然として堂々としておられるのに」
「こんな調子で果たして大丈夫なのか」

 こういった辛辣な声が囁かれる一方で、

「自分達のような者にまで声をかけて下さって、感激しました」
「この方の為なら頑張ってもいいと思えた」

 そういった好意的な意見もちらほらと聞かれた。

 否定的な見解を示したのは貴族の多い騎兵に多く、肯定的に捉えたのは平民の多い歩兵に多かったようだ。

 だが、とにもかくにもこれで多くの者がフラムアークという人物像に触れる機会を得た。噂ではなく、己の目と耳を介して。

 これが大事なのだと、出立前スレンツェは語っていた。

「フラムアークは他の皇子達と違って露出が少ない。その姿を見たことがないという者も多いだろう。病弱な皇子という先入観、負の要素を含んだ噂だけが先行していて、『フラムアーク自身』を知らない者が多いんだ。それをここで変えていく。後は結果だ。結果次第で、ここからの風向きが変わっていく」

 フラムアークに必要なのは実績だ。

 アイワーンと戦にならないに越したことはない―――だがそうなった場合は、何が何でも勝利を掴み取りに行く。

 スレンツェの表情には強い決意が湛えられていた。



*



 深夜のイクシュル―――国境の門付近に設営された野営地での逗留が続く皇太子と第二皇子の第一次派遣軍は、これに代わる第四皇子と第五皇子の第二次派遣軍の到着を明日に控え、いささか気の緩んだ最後の夜を迎えていた。

 軍隊の需要を当て込んで野営地近くに仮設された妓館から気に入った女達を自らの天幕へ呼び、いつもより少々深酒をして、明日にはこの僻地に別れを告げ華やかな帝都へ向けて発つのだと、多くの者が浮足立っていたのだ。

 軍の逗留地近くに妓館が設営されるのは決して珍しいことではない。ハワード辺境伯は軍規の乱れに繋がるとしてこれを是としない方針だったが、容認派の皇太子はそれに頓着しなかった。その為、それを知った妓館の経営者が近くの町からこぞって出店したのだ。イクシュル領内では珍しい光景だった。

「今夜で最後なんだから、素敵な夢を見ましょう? これを焚くと、いい香りがして気分がとても盛り上がるのよ」

 何人かの兵士は、最後という言葉にかこつけた妓女達からの甘い誘惑に逆らえなかった。これまで何度も彼女達と夜を共にしていた気の緩みもあった。

 彼らは言われるがままに渡された怪しげな粉を天幕内の灯火で炙ってしまったのだ。

 その成分を吸い込んで眠りに堕ちた兵達はもれなく喉を一突きにされ、永遠に覚めない夢を見ることとなった。

 あちらこちらで意図的に開け放たれた天幕の入口からは眠りの香が垂れ流しにされ、派遣軍の野営地へと広がっていき、わずかな兵の愚かな行為は三万の派遣軍を危機に至らしめる事態となったのだ。

 無論、全ての妓女がこういった行為に及んだわけではない。軍を当て込んだ仮設の妓館は野営地付近にいくつも建っており、その中のひとつがアイワーンの息のかかった偽の妓館だったのだ。妓女達はアイワーンの工作員で、今回の事態が起こるずっと以前から国王バイゼンにより帝国内に送り込まれていた者達だった。

 国境の門近くにある砦で野営地を見下ろしながら寝泊まりしている皇太子ゴットフリートと第二皇子ベネディクトは、アイワーンの工作員ではない妓女達と最後の夜を謳歌しており、この事態に全く気が付かなかった。

 この時国境の門の向こうでは、忽然と現れた国王バイゼンの右腕である大将軍アインベルトと直下の将五名が五万の軍勢を率いて待機しており、その更に後方には夜明けと共にイクシュルへなだれ込まんとする五万の増援が迫っていたのだ。

 アイワーン軍は傍目には軍事訓練を装いながら、この時の為にひと月かけて国境の門付近へと武器や食料を密かに運び込み、人材を送り入れ、満を持しての奇襲に臨まんとしていた。

 その口火を切る為、妓女に扮した工作員達はあらかじめ打ち合わせていた通り二手に分かれて砦と門へ向かい、速やかに作戦を展開する。一方は間抜けな皇子達を捕えて砦を制圧し、もう一方は内側から門を開け放ってアイワーンの軍隊を引き入れる狙いだ。

 順調に進むと思われた作戦は、だがしかし、想定外の横槍により頓挫した。

 まだ健在だった砦の見張りを昏倒させ、入口の左右に設置された大きな篝火に大量の眠り薬を投入しようとした女の手を掴んだ者がいたのだ。

「そんななりをしているが、アイワーンの工作員だな?」

 いつの間にか背後に現れた黒目黒髪の長身の青年にそう問われた女は、即座に痛烈な蹴りを放ったが、かわした相手に投げ技で地面に叩きつけられ、受け身を取り切れず失神した。周囲では同じような小競り合いの末、女の仲間達が帝国の兵士達に取り押さえられている。

 時同じくして、国境の門付近でも似たような出来事が起きていた。

「ここは開けさせぬ」

 目の前に立ちはだかった騎士の顔を見たアイワーンの工作員は、絶句した。

「……! 辺境伯ハワード!? 何故、この前線地帯に!?」

 国境の門付近で五万の兵を従えて時機を待つアイワーンの大将軍アインベルトは、大きな騒ぎが起こっているわけでないにも関わらず、工作員からの合図が遅れていることを不審に感じ始めていた。

 そして、気付く。闇夜の中、国境への道を挟んだ左右の山肌からこちらを狙う、獣の如き視線に。

「馬鹿なッ……いつの間にこちらの領土内に!?」
「ああ、思ったより勘がいいな? どうやら馬鹿ではなさそうだ」

 敵の挟撃に気付いたアインベルトの指示が飛ぶより、薄く笑ったエドゥアルトの号令が下りる方が早かった。

 左右から複数の大岩が押し落とされ、五万の軍隊を分断するように中央付近へ轟音を上げてなだれ込む。不意を突かれたアイワーン軍は多大な犠牲者を出し、大いに乱れた。そこへ追い打ちをかけるように両側から弓矢の雨が降り注ぐ。闇の中では敵の全容が見通せず、パニックに陥ったアイワーン軍の後ろ半分は自国領土内へ敗走を始めた。

「放っておけ。深追いするなよ」

 この時、足場の悪い山道を迂回して事前に帝国領からアイワーン領に潜入し、左右に展開したエドゥアルトの軍勢は一万。無論アイワーン側も国境付近に見張りは立てていたが、一部が今夜の作戦遂行に動員されて一時的に見張りが手薄となっていた。そこを突かれた格好になった。

 何より奇襲をかけるつもりだったアイワーン側は、まさかこちらが奇襲をかけられる立場になるとは予想もしていなかった。

 大岩の襲来で秩序を失い四分五裂となった軍を立て直そうと将達が苦心するが、波状に続く弓矢の雨の中、一度失った統制を取り戻すのは容易でない。

 軍の真ん中に横たわるようにした大岩群は前方部隊の退路を塞ぐような格好になっており、もし今、ここへ国境の門が開いて帝国軍がなだれ込んでくれば、アイワーン軍は壊滅的な被害を免れない。アインベルトは苦渋の決断を強いられた。

「―――撤退! 全軍撤退だ! 全軍、撤退せよ!」

 実際には帝国軍の第一次派遣軍はそのほとんどがアイワーン側の工作員の手によって深い眠りの中にあり、国境の門を開けての戦闘となれば、入り乱れた敵味方の人馬に多くの者が踏み潰されて帝国側も多大な痛手を被るところなのだが、門の向こうの状況が分からないアインベルトには判断しようがなかった。

「あいつが指揮官か。ラウル、付いて来い」

 アイワーン軍の先頭集団の中で、ひと際目を引く立派な甲冑に身を包んだ大柄の騎士に狙いを定めた第五皇子の言葉に、狼犬族の女剣士は大きな獣耳を動かして苦言を呈した。

「エドゥアルト様、深追いはしないはずでは?」

 するとヤンチャな気性が疼いて仕方がないらしい彼女の主は口角を上げて言った。

「深追いはしないさ。下りていって挨拶するだけだよ、小賢しくも帝国を騙し討ちにしようとした卑怯者の飼い犬にな」
「敵陣の真っ只中にこちらからわざわざ突っ込むんですか? 私と二人、たったの二騎で? 向こうは気付いていませんけど、あちらの方が数的には断然上回っているんですよ? 正気の沙汰とは思えませんが……」
「人生で一度しかない初陣なんだ、記念に何か箔をつけておきたいじゃないか」
「勘ですけど、あの男、多分相当やりますよ。死んでしまったら箔も何もないと思いますが」
「だからお前を連れて行くんだよ。もしもの時は助けてくれ」

 恥じる風もなく厚顔なエドゥアルトにラウルは青灰色の瞳を眇(すが)めた。

「箔を付けたがる人の台詞じゃないですね……」
「正直な話、腕試しがしてみたいだけなんだ。僕はまだ狭い世界しか知らないからな。他国の強者がどの程度のものなのか、この機会に手合わせをして、ぜひその現実を体感しておきたい」
「そういう台詞は私から二本に一本取れるようになってからにしたらどうですか」
「つべこべとうるさいな。犯すぞ」
「貴方にはまだ無理です。それとセクハラはいただけませんね」

 じろりと横目をくれたエドゥアルトの圧を事もなげに受け止めるラウル。周囲を大いに冷や冷やさせた主従のにらみ合いは、嘆息したエドゥアルトが馬の手綱を引くことで決着した。

「―――いいから付いて来い」
「……。男というのはどうして、こう―――」

 急斜面を馬で駆け下りるエドゥアルトを、溜め息混じりのラウルが追う。

 指揮官自ら殿(しんがり)を務めていたアインベルトは、砂煙を上げ山肌を猛スピードで下りてくる二つの騎影に目を細めた。

 この急斜面を馬で駆け降りてくるとは、見事な手並みだ。月明りではよく見えないが、名のある者に違いない。

 果たして、近付いてきた騎影の一人はその装いから帝国の高い地位にある者だと推察出来た。まだ若そうだが、自信に漲(みなぎ)った顔をしている。恐らくは皇族に連なる者か。

 もう一人はショートボブの銀髪が快活な狼犬族の若い女だ。大剣を背負った女はかなりの手練れと見受けられた。こちらは若い男の護衛か。

「お前がアイワーンの指揮官か? 僕は帝国の第五皇子エドゥアルト。作戦が思うようにいかなくて残念だったな」
「第五皇子エドゥアルト……? 到着は明日の昼ではなかったのか」

 余程の自信家なのか勇み足の馬鹿なのか、安全地帯から敵陣の只中へ堂々と姿を見せた年若い皇子に、アインベルトは訝(いぶか)しむ声をかける。

「ああ、やっぱり情報が漏れていたんだね。それ、こっちが事前に流したデマだよ。本当は今日の昼過ぎにはイクシュルへ着いていたんだ。姑息なお前らが狙うならこのタイミングだと思ったよ」
「……。謀るつもりが謀られていたということか。第四皇子は病弱なお飾りだと聞き及んでいるが、貴様がこの作戦の実質的な責任者か?」
「僕の兄をあまりなめない方がいいよ? まあそう言う僕もつい先日まで色眼鏡で見ていた口なんだけど……もしかしたら、あいつは化けるかもしれないなぁ」

 二人が会話を交わす間にもアイワーン軍の敗走は続き、弓矢は乱れ飛んでいる。剣を構えて向かってくるアイワーン兵や流れ矢はラウルが防いでいた。

「この作戦の指揮官は第四皇子フラムアークさ。覚えておいた方がいい名かもしれないよ? お前がこの場を生き抜くことが出来たらね。―――さあ、手合わせ願おうか」
「はっ、貴様如き若輩者がこの私の首を取れると? これは笑止、帝国の皇子は井の中の蛙と見える。―――我が名はアインベルト、国王バイゼン様の片腕を務める者。返り討ちにして、せめて貴様の首を手土産に持ち帰ることにしよう」
「お前がアインベルトか、名は知っているよ。はは。いいね、初めて味わう緊張感だ。ゾクゾクする」

 憤怒の形相で剣を構えるアインベルトと対峙したエドゥアルトは、自らよりひと回り体格で上回る相手を前に、これまで体験したことのない血沸き肉躍る感覚に言いようのない興奮を覚え、大きく全身を打ち震わせた。
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