病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十七歳C


 第五皇子エドゥアルトはフラムアークの兄弟達の中で一番捉えどころのない性格をしているが、剣技の腕には目を瞠るものがあり、思考は柔軟で、物事を見極める冷静さを兼ね備えている。

 油断がならない人物ではあるが、フラムアークが無能だと断じられない限り、彼はおそらく敵とはならないだろう―――それがスレンツェの見解だった。

 エドゥアルトはかねてから「皇帝の座には興味がない」と公言しており、それは宮廷中が知るところとなっている。

 幼い頃に皇帝から付けられた由緒正しい家柄の側用人を順次罷免し、現在は自分が気に入った数人の従者だけを傍に置く彼は、変わり者としても知られている。皇族の中で亜人の従者を従えているのは彼とフラムアークだけだ。

「身体能力的に人間より優れている亜人を積極的に登用しない方がどうかしていると思うよ? 父上の許可さえ下りれば僕はもっと亜人の従者を増やしたい。兄上はもっと広い視野を持ってみたら?」

 由緒正しい家柄の人間で周りを固めている皇太子に面と向かってこう言い放ち、周囲を凍りつかせたという逸話は宮廷内では有名だ。

 エドゥアルトが皇太子以上の剣の腕前であること、継承権を自ら放棄するような発言をしていることで大事には至らなかったらしいが、その彼が「自分より無能な者の下に付くつもりはない」と断じていることを皇太子は知らない。

 出来れば皇帝にはなりたくないというのが偽らざる彼の本音ではあるようなのだが、それ以上に無能な輩の下に収まるのは彼の矜持が許さない―――適任者がいなければ自らがその座に就くと暗にほのめかしているのがエドゥアルトという人物なのだ。

「そんなエドゥアルトがこういう行動に出てくるのは想像がついた。時間のなさを理由にして自らが得意とする剣での勝負を持ち掛けてくるだろうことも。だが、それがフラムアークをエドゥアルトに認めさせるとはいかないまでも、奴のフラムアークへの意識を変えさせる唯一の機会だと思った」

 フラムアークの手当てと着替えの為に戻った彼の部屋で、スレンツェは私にそう語った。

「オレはフラムアークにはエドゥアルトに勝るとも劣らない剣の素質があると思っているが、いかんせんエドゥアルトとは剣にかけてきた年季が違い過ぎる。勝つことはまず難しいだろうが、奴に可能性を感じさせることは出来るだろうと考えた。そしてそれを感じさせることが出来たなら、エドゥアルトは様子見に転じるだろう、とも―――フラムアークはそれを体現してみせた」
「危なかったけど、どうにかね。スレンツェにはエドゥアルトはオレをなめてかかってくるだろうから、ギリギリまで堪えてカウンターだけを狙えって言われてたんだ。結果的には気取られちゃって繰り出せなかったんだけどね」

 苦笑するフラムアークにスレンツェがひとつ息をついた。

「あれだけ気概が滲み出てれば気取られる。次は隠せ」
「必死だったんだよ、そんな余裕がなかった。これからそうなれるよう精進するけどさ、まあとりあえず結果オーライだよね」
「……そうだな」

 カウンターって、相手の攻撃をかわしざまに繰り出す攻撃のことよね? 起死回生の攻撃になり得るものなの? 普通の攻撃とどう違うのかしら?

 剣技を始めとする武芸全般に関して全くの素人の私にはカウンターの利点がよく分からなかったけど、スレンツェの説明を聞いて納得した。

 カウンターは相手の攻撃の力を利用する技だから、相手が大技を繰り出してくるほど返す攻撃の威力は大きくなるのだそうだ。相手には自分の技の勢いとそれに乗じたこちらからの攻撃の威力が何倍にもなって伝わり、計り知れないダメージを与えるのだという。

 確かに……止まっている馬車に走ってきた馬車がぶつかるより、走っている馬車同士がぶつかった方がその衝撃は遥かに大きいものね。その力が一方だけに伝わるのなら、確かに起死回生の一撃となる。言われてみれば、道理だわ。

 夜になって、いつものように薬湯をフラムアークの部屋へと運んだ私は、今朝お願いされていたポプリを詰め替えた香袋を彼に手渡した。

「以前と同じリラックス効果のあるものを詰め替えたんですけど、これでいいですか? もしでしたらリフレッシュ効果があるものや集中力を高める効果があるものに替えることも出来ますけど」
「いや、これでいいよ。これがいい。ありがとう」

 飾り紐の先に小さな香袋のついたそれを私から受け取り、自らの首に掛けたフラムアークはそう言って微笑んだ。

 彼が薬湯を飲み終えるのを見届けてから、私は声をかける。

「傷を診ますね。上衣を脱いで下さい」
「うん」

 夜着の上衣を脱いでベッドの端に腰掛けたフラムアークの傷をひとつひとつ確かめた私は、そのどれも化膿していないことにホッと息を漏らした。

「異常ないですね。どれも数日すれば綺麗に治るでしょう。念の為化膿止めの薬を薬湯の中に混ぜておきました。明朝も同じものをお持ちしますね。ではガーゼを替えて、新しい薬を塗布していきます」

 肩口や二の腕に走る傷に指先で軟膏を塗り込んでいくと、フラムアークの身体が小さく揺れた。

「沁みますか?」
「いや……昼間に比べればだいぶいい」
「我慢強くなられましたね。昔は沁みるのを嫌がって、傷薬を塗るのに苦労したものですけど」
「ああ……あの時ばかりはいつも優しいユーファの耳が鬼の角に見えたっけ」
「まあ。ずいぶん立派な角を持った鬼だったんですね、私」
「最後はいつも押さえ付けられるみたいにして薬を塗られたな」
「フラムアーク様、往生際が悪かったですから」

 懐かしい話題に笑みをこぼしながら、私はフラムアークの頬に走る傷にもそっと薬を塗り込んでいく。

 あの頃から比べたら、本当に大きくなった―――少年から青年へと移り変わろうとする彼の身体は程良く筋肉がついて引き締まっており、もうあの頃のように押さえ付けて薬を塗るなどという芸当は、私には出来ないだろう。

 今日のエドゥアルトとの剣戟にしてもそうだった。終始劣勢に立たされていたとはいえ、フラムアークは精神的にも追い込まれた状況下であの強烈な攻撃を全て凌ぎ切ってみせた。それだけの胆力と筋力を兼ね備えている。

 成長している―――着実に、大人への階段を上っていっている。

 明朝、フラムアークはイクシュルへ向かって出立する。皇太子からその役割を引き継ぐ為に。第五皇子エドゥアルトを麾下に、総勢三万の帝国軍を従える旗印となって。

 ―――塗り薬が沁みると言って、嫌がっていたこの子が……。

 ふと、フラムアークと目が合った。橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳―――昔から変わらない、綺麗な―――けれどあの頃とは違う輝きを宿す瞳の中に、どう表現したら良いのか分からない顔をした私が映っている。

 ダメ、心配そうな顔をしちゃ。ダメよ、不安そうな顔を見せては。第四皇子付きの宮廷薬師として、私はその精神的(メンタル)部分もサポートする責務がある。

 フラムアークが気持ち良く出立出来るように、コンディションを整えるのも私の仕事。堂々と、笑顔で送り出してあげなければ。

「―――はい、終わりましたよ。服を着て結構です」
「ユーファ」

 フラムアークがおもむろに手を伸ばし、私の頬に触れた。片手で包み込むようにして、じっと私の瞳を見つめてくる。

 ―――見透かされた?

 ドキン、と心臓が音を立てる。内心で息を飲みながらフラムアークを見つめ返すと、その目元と口元が柔らかく弧を描いた。

「うん、やっぱりユーファは可愛いな」
「……はい?」

 妙な緊張感を覚えていた私は肩透かしを食らって、間抜けな返事をしてしまった。

「しばらくまた見られなくなっちゃうから。よく目に焼きつけておこうと思って」
「ふ……大袈裟ですね。こんな顔で宜しければどうぞ」

 苦笑をこぼすと、フラムアークに眉を寄せられてしまった。

「こんな顔なんて言わないんだよ。可愛いって言ってるオレに対して失礼だからね」
「そういうものですか。それは申し訳なかったです」
「そういうものだよ。覚えてね」

 やんわり諭すようにそう言い置き、フラムアークはゆるりと私の頬を撫でて立ち上がった。上衣を身に着け、改めて私にこう告げる。

「ユーファ。オレ、頑張るから。自分に出来ることを精一杯やってくる。心配するな、という方が今は無理な話なんだろうけど―――必ずここへ……ユーファのところへスレンツェと一緒に戻ってくるから。信じて、待っていてほしい」

 ―――悟られていた。

 油断していたところへのこの返しに、私の心は大きく揺さぶられた。

 でもまだ、持ちこたえられる。表面は、崩さない。

「―――はい。ここで、待っています。どうか精一杯、貴方の力を出し切ってきて下さい」

 笑顔でそう伝えた私を、フラムアークが抱きしめた。

「ありがとう。―――好きだよ、ユーファ」
「私も貴方が好きです、フラムアーク様。ですからどうぞ、ご無事で……必ずスレンツェと共にご帰還下さい」

 私もフラムアークを抱きしめ返した。いつもより少し、強い力で。

 故郷を失くした時から、私は神というものを信じていない。けれど神を信じていない者は、こういう時、何に縋ったらいいのだろう―――? 

 虫がいいと思いながらも、神ではない漠然とした何かに、私は祈らずにはいられなかった。

 どうか―――どうかフラムアークとスレンツェを、お護り下さい。どうか―――どうか二人とも、無事で帰ってきますように。

 今確かに力強く脈を打つこの鼓動が、止まることがありませんように。この温もりが、失われることがありませんように―――。

 どうか、どうか―――……。



*



 その数時間後、フラムアークはスレンツェを伴い、エドゥアルト麾下の一万を含めた帝国軍三万の先頭に立ち、宮廷から出立した。

 私は領地視察の時とは比べ物にならない数の人馬の波を見送り、城門が閉ざされてからもしばらくの間、その場に佇んでいた。

 願わくば、戦争になりませんよう―――そして、二人ともどうか、無事で帰ってきて―――。
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