病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十七歳E


 イクシュル領を巡る国境の門の戦いは、フラムアークの作戦が功を奏し、奇襲をかけるつもりだったアイワーン側に逆に奇襲をかけることで機先を制し、アイワーン軍に国境をまたがせることなく敗走させた。帝国側の完全勝利で幕を閉じたのである。

 アイワーン軍の指揮官アインベルトは第五皇子エドゥアルトとの激しい剣戟の末、負傷したものの、味方の救援により自国領の奥へと落ち延びた。

 一方のエドゥアルトも軽いとは言えない傷を負うことになったが、従者ラウルの活躍によって事なきを得た。

 戦場における今回の殊勲は彼女である。敵陣の只中で単身主を守り通し、アインベルトを助ける為駆け付けたアイワーンの将を討ち取った。獅子奮迅の勢いで大剣を振るう彼女の姿を目にしたアイワーンの兵士達はその苛烈さに色を失くしたそうだ。

「今回のことで改めて知ったけれど、僕は剣で戦うことがスゴく好きみたいだ。単に頭がイカれているのかもしれないけど、強い相手と対峙する時は恐怖心より高揚感が勝る。全力で生きている感じがするんだ。だから、勝てなかったことがスゴく悔しいし、弱い自分に腹が立つ。アインベルト級(クラス)が世界にゴロゴロいるなら、いつかはそれを全て薙ぎ倒して、僕が頂点に立ちたい。いや、頂点に立つ。だから次は絶対に負けない」

 あちらこちらに包帯を巻かれ寝台の住人となったエドゥアルトは、天井を仰ぎそう口にした。その傍らに立ったラウルは彼の拳がきつく握り締められているのを見取り、青灰色の眼差しを和らげる。こちらは軽傷で頬や二の腕にガーゼを当てている程度である。

「ならば死ぬ気で鍛錬に励むしかないですね。傷が癒えたら付き合って差し上げますよ」
「頼む。……今回は僕の我が儘に付き合わせて悪かったな。お前が怪我をしたところを、初めて見た」

 エドゥアルトがこんなふうに素直に詫びるのは珍しい。ラウルは瞳を瞬かせた。

「こんなの怪我のうちに入りませんよ。私はアインベルトとはやり合いませんでしたからね。今回の我が儘は、貴方には必要なことだったんでしょう。確かに押されていましたし色々荒さも目立ちましたが、貴方がアインベルトに勝てなかったように、アインベルトもまた貴方を仕留めきれなかった。少なくともアインベルトは貴方を一人前の敵として認識したと思いますよ」
「はは。……だといいな」

 狭い世界を抜け出して広い世界の一端を初めて肌に感じた第五皇子は、明確な目標を見出して、これから更に飛躍していくことだろう―――窓から差し込む穏やかな日差しを感じながら、ラウルはそんなことを思った。

 多大な犠牲者を出したアイワーン側とは違い、帝国側はほとんど死傷者を出すことなくアイワーン軍を退けたが、そんな歓喜に沸くイクシュル領内で憤懣(ふんまん)やるかたなかったのは皇太子ゴットフリートと第二皇子ベネディクトである。

 特にゴットフリートはイクシュル領主ハワードへの当て付けで傀儡(かいらい)として呼び寄せたフラムアークの予想外の手腕に憤った。嫌がらせで自らの代わりを押し付けた者に自らが囮として利用され、弟達がアイワーンと戦っている最中、何も知らない兄達は全裸で妓女達と戯れていたのだ。間抜けなことこの上ない。内外に無能者として大恥を晒す屈辱的な結果となった。

「おのれフラムアーク、この私を謀(たばか)ったな!」

 妓女達と夜を謳歌した寝室の家具を破壊しながらゴットフリートは怒り狂ったが、既に起こってしまった衆人周知のこの結果は、彼の権力をもってもいかんともしがたい。

「敵を欺くにはまず味方から、と申します。作戦を成功させる為にもゴットフリート様達には全容を知らせるべきではないと、私がフラムアーク様に進言致しました。責任は全てこの私にあります」

 ハワードはそう言って皇太子達が槍玉に挙げる第四皇子をかばった。

 鳥を使った伝書と早馬を使ったやり取りでフラムアークはハワードと直接連絡を取り合い、短期間に協議を重ねて今回の作戦を決行していた。ハワードはそれを速やかに遂行する為の事前準備を皇太子達に気付かれぬよう密かに進めていたのだ。

 皇帝から受けた勅命の意図を理解せず、ハワードの諫言を取り合わず、アイワーン軍は悪戯に帝国を挑発しているだけだと軽率に断じ、己に課せられた義務を軽視した結果がこれだ。フラムアークが動かねば取り返しのつかない事態になるところだった。怒り心頭に発しながらも、それはさすがのゴットフリートにも理解出来た。故に、ゴットフリートはハワードを断罪することなど出来なかった。

 当然のことながら帝国軍内での皇太子と第二皇子の求心力は著しく低下することとなり、病弱の殻を打ち破り指揮官としての片鱗を見せた第四皇子と、大将軍と堂々と渡り合い剣豪の名乗りを上げた第五皇子に対する評価との温度差は著しかった。

 そしてここから徐々に、帝国内に吹く風向きは変わっていくのだ―――。



*



 宮廷でフラムアークとスレンツェの無事を祈る私の元へも、少し遅れてイクシュルでの一報は届いた。

 アイワーン軍の奇襲を防ぎ、国境の門をくぐらせることなく敵を完全に退けたという勝利の報せに宮廷内は沸き立ち、驚きと健闘を称える声があちらこちらで交わされた。

 帝国側にほとんど犠牲者を出すことなくフラムアーク達が勝利したと聞き、私は大きく胸を撫で下ろしながら、彼らの無事とその努力が報われたことに感謝した。

 調剤室の窓際に飾られたラリビアの鉢植えを見つめながら、遠いイクシュルの地にいる二人のことを思う。

 おめでとう―――頑張ったわね。

 後はどうか、一日も早く無事で帰ってきて。

 この鉢植えを持ち帰ってくれたあの日のように、元気な姿で調剤室のドアを開けて、私にあなた達の温かな笑顔を見せてほしい―――。
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