病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十七歳B


 イクシュルへの出立を明日に控えた朝、いつものように薬湯を持ってフラムアークの部屋を訪れた私に、彼が言った。

「ユーファ、お願いがあるんだけど。これの中身を新しいものに替えてくれないか?」

 差し出された彼の掌には、見覚えのある香袋が乗せられている。

「まあ。ずっとお持ち下さっていたんですか?」

 懐かしい。それはフラムアークが領地視察へ赴く際にお守り代わりにと、私が彼にあげた手作りのものだった。

「うん。肌身離さず身に着けていたよ。さすがに香りがしなくなっちゃったから、この機会に中身を入れ替えてもらおうと思って。今回の出征にもお守りとして持っていく」

 それを聞いて、私はじん、と胸が温かくなるのを覚えた。

「光栄です。お預かりしますね。夜の薬湯をお持ちする際にでもお渡ししますから。今回も私の代わりにお持ち下さいね」

 私は貴方達と一緒に行くことは叶わないけれど、今回も、この香袋を代わりに連れて行ってもらえる。

 私には、それがとても嬉しかった。



*



「あんたを値踏みにきたよ」

 日の位置が高くなってきた頃、穏やかでない物言いと共にフラムアークの前に姿を見せたのは、第五皇子エドゥアルトだった。

 フラムアークと同じ金髪に、黄味の強いトパーズの瞳。フラムアークをヤンチャにしたような顔立ちの一歳下の弟は、含みを持たせた表情で不敵な眼差しを兄に送っている。

 エドゥアルトは二人の腹心を伴っていて、一人は有力貴族を父に持つ男性の側用人、もう一人は狼犬族の大柄な女性の護衛だった。

 私とスレンツェを伴ったフラムアークと第五皇子達の鉢合わせに、中庭に面した回廊はざわつき、一触即発の緊張感に包まれた。

「……エドゥアルト。丁度良かった。お前のところへ行く途中だったんだ」
「へえ? それは行き違いにならなくて何より……あんたがいつまでもこっちに出向いてこないから、怖じ気づいて逃げ出したんじゃないかと、僕の方もこうして心配して出向いてきた次第さ」

 普通は兄であるフラムアークの元へ弟のエドゥアルトが挨拶に赴くのが道理だ。にもかかわらず、出立を明日に控えているというのに、いつまで経ってもエドゥアルトが出向いてこないので、フラムアークの方がわざわざこうして足を運んだというのに―――エドゥアルトの物言いは失礼極まりない。

「こうして二人で話すのは多分初めてだよな? 時間もないことだし、端的に行こう。最初に言っておくが、僕は第五皇子という微妙な立ち位置だし、皇帝という座には興味がない。父上を見ていて、大変な割には報いるものが少ない職務だと感じるし、皆が言うほど魅力的とは思えないんだ。兄上達はそろって皇帝になりたいようだが、僕は今と同じ生活レベルで、なるべく面倒くさいことに関わらず、悠々自適に暮らせればそれでいいと思っている。だが」

 皮肉気に口角を上げて、エドゥアルトはフラムアークに迫る。

「自分より無能な人間の下でその指示に従うのは、我慢がならない。それは僕のプライドが許さないんだ」

 それは―――言い換えれば兄達が自分より劣っていると断じた時点で、自分はその上に立つと、皇帝になると宣言しているも同然なのではないだろうか。

 エドゥアルトはやはり飄々としていて、油断がならない。

「あんたはどうだ、フラムアーク? 僕は虚弱を理由に両親から敬遠され、兄達に虐げられ、弟達からも見下げられていたあんたしか知らない。領地視察の折にはあんたが『目付きの悪い亡国の生き残りに殺される』に金貨十枚を賭けたよ。無事に視察を終えて帰ってくるとは正直思っていなかったから、損をした」

 辛辣なエドゥアルトの言葉を黙って聞いていたフラムアークは、ゆっくりと口を開いた。

「―――オレ自身への中傷は甘んじて受けよう。これまでのオレは確かにそうだったし、事実今はまだ何も成していない。そこはどう言われようが構わない。だが、オレの大切な人間を侮辱することは許さない」

 真っ直ぐにエドゥアルトを見据えてフラムアークは言った。

「スレンツェはオレの側用人であり、師であり、心から尊敬する兄のような存在だ。オレと同じでまだ何も成していないお前が、軽はずみに侮辱していいような人間じゃない」
「へえ? 言うねぇ……帝国の皇子たるこの僕が、亡国の虜囚を揶揄するのを許さないって? はっ……異分子同士の傷のなめ合い、気持ち悪いんだよ。軽はずみな言葉を口にしているのはどっちだ?」

 喉の奥で低く笑い、エドゥアルトは言質を取りに来た。

「今、あんたと僕は同じだと言ったな? 同列であるなら、僕とあんたは対等だ。ならば今回の出征、どちらが主となって軍を率いてもおかしくはないはずだ―――どちらが全軍を統括するにふさわしいか、決める余地が発生するよな? 僕もこれが初陣になるんでね、無様な経歴は残したくないんだ。どちらが麾下(きか)に収まるか、今この場で改めて決めようじゃないか」
「皇帝陛下にはオレが主として率いるよう勅命をいただいているが」
「皇太子(あにうえ)の子どもじみた我が儘が通ったんだ、このくらい通してもらうよ。分かりやすい結果を突き付けてね」

 言い様、エドゥアルトは腰の長剣をスラリと抜き放った。

「くだらん議論をしている時間はない。ここは分かりやすく、どちらに武があるかで決めようじゃないか」

 エドゥアルトは年若いながら皇子達の中で一番の剣の才を持っているとされており、宮廷内で高い評価を得ている。

 十三歳になってようやくスレンツェから剣を習い始めたフラムアークと幼い頃から剣術をたしなんでいるエドゥアルトとでは、結果は火を見るよりも明らかだった。

 エドゥアルトにまんまとしてやられた感が拭えない。彼はおそらく意図的にスレンツェを侮辱することで、フラムアークから自分が望むワードを引っ張り出した。

 衆人環視のこの状況では、勝負の放棄は何を言い訳にしても「逃げ」と取られる。フラムアークの求心力の低下は免れないだろう。

 元々宮廷内での評判が良くないフラムアークにとっては、致命的だ。こうなってはフラムアークはもはや引くに引けず、エドゥアルトと対峙するしかない。

 もしかしたら初めからこれを狙って、エドゥアルトはこの場所でフラムアークと鉢合わせるように仕向けてきたのではないだろうか。

 声にこそ出さなかったものの、私は心臓が引き絞られるような思いに囚われ、渦中のフラムアークを見つめた。

「心配するなよ。命まで取りはしない」

 薄く笑って、エドゥアルトは衆人に知らしめる言葉を使い、フラムアークの逃げ道を塞ぐ。

「あんたが無能でないかどうか見極めさせてもらうだけさ。大勢の命を無能な指揮官に預けるわけにはいかないからな」
「……お前はそれで納得するんだな」
「皇族としての矜持は持っている。二言はない」
「分かった」

 居合わせた者達が息を潜めて見守る中、回廊から中庭へと移動する皇子達の後を追いながら、私は傍らのスレンツェを仰ぎ見た。彼はひとつ頷いて、私に告げる。

「フラムアークが自分で決めた最初の戦いだ。黙って見届けよう」

 それに頷き返しながら、私は内心では心配で心配でたまらなかった。

 ―――こんなの、平等な勝負とは言えない。けれど、エドゥアルトが納得していないように、彼の言い分を支持する者の方が圧倒的に多いのが、今の帝国の現実だ。

 今回の任務を成功させる為には、どうあってもエドゥアルトの協力が要る。その為にはエドゥアルトを納得させて、彼の譲歩を引き出さねばならない。

「エドゥアルト様―――」
「分かっている、出征に支障を来すような馬鹿な真似はしない。ああは言ったがせいぜい大っぴらに恥をかかせる程度で済ませるさ」

 狼犬族の女性が小声でエドゥアルトと交わす会話の内容が聞こえてきて、私の不安な気持ちに拍車をかけた。

 ―――頑張って。フラムアーク、頑張って。

 心の中で両手を合わせて祈りながら、中庭へと進むフラムアークの背中を見つめる。

 フラムアークとエドゥアルトの身長はほぼ同じで、見た目は体格も互角だ。けれど、その内実はどうなのだろう。

 宮廷内で剣の名手と誉れ高いエドゥアルトは幼い頃から英才教育を受けている。鍛錬に費やした時間はフラムアークを大幅に上回るだろう。上質な衣服の下の肉体は、おそらく鋼のように鍛えられているはずだ。

 中庭で抜き身になった剣を手に向かい合う皇子達を見守る観衆は、その場に漂う張り詰めた空気に圧(お)され、次第に静まり返っていった。

「行くよ」
「ああ」

 互いに構えを取ると、エドゥアルトの表情が別人のように引き締まり、眼光が鋭さを増した。そう思った瞬間、地を蹴ったエドゥアルトは瞬時にしてフラムアークに肉薄し、強烈な斬撃を見舞ったのだ!

 ガキィンッ!

 硬質な音が響き渡り、私の心臓が跳ね上がる。フラムアークはエドゥアルトの一撃を剣で受け止め、二人の目の前でぶつかり合った刀身がぎちぎちと揺れていた。

「へえ? やるじゃん」

 口元を歪めたエドゥアルトは一度刀身を押すようにして距離を取ると、すぐさま次の攻撃を繰り出してきた。

「ギアを上げるよ? どこまで付いて来れるかな?」

 素人の私にはさっきの一撃でも充分速いように見えたけれど、言葉通りエドゥアルトの剣速は増した。見ていて怖くなるその連撃をフラムアークはどうにかさばき、受け流していく。

「はは! これは正直驚いた……ちょっと楽しくなってきたぞ」

 愉快そうに笑って、エドゥアルトは更に剣速を上げていく。

 うそ! これ以上速くなるの!?

 防戦一方を強いられるフラムアークは言葉を返す余裕もなく、繰り出される攻撃をかわすだけで手一杯だ。

「速いな。そして重い」

 戦況を見守るスレンツェのその言葉を示すように、エドゥアルトの攻撃を受け続けるフラムアークの息は上がり、目に見えて疲弊していく。肩で息をつく彼の衣服は切っ先がかすめた衝撃であちこちが裂け、その頬には赤い血が滲んでいた。

「だが、よく凌いでいる」

 その通りだ。フラムアークはよく頑張っている。

 だから私は、目を逸らしちゃいけない。どれほど怖くとも、顔を覆ってしまいたくとも、毅然とした態度でこの場に立ち、その姿を目に焼きつけなければならないのだ。

 唇をきつく結んだその時、フラムアークが一瞬の隙を突いて初めて攻撃に転じた。

「ふぅん、そこから伸びてくるのか。帝国の剣技とは違って面白いな」

 余裕綽々でそれをかわしたエドゥアルトはお返し、とばかりに初めて見せるフォームから剣を振るう。

「他国(よそ)の流儀を会得しているのは、あんたばかりじゃないんだよ」

 剣の軌道が変わる。これまでより、スピードも重さも増した斬撃だった。耳を覆いたくなるような金属音が響き、凄まじい衝撃に受け止めたフラムアークの足元が浮いて、後方へたたらを踏む。

 フラムアークッ……!

「終わりだ!」

 大きく踏み込んでとどめの一撃を見舞おうとしたエドゥアルトは、次の刹那、何故か急制動をかけると、後ろへ飛び退(すさ)った。

 ―――!? 何……!? どうしたの!?

 心臓が止まりそうな衝撃から解放されたものの、展開が掴めず混乱する私の前で、エドゥアルトは何かを考え込むような顔になった。

「……。ふーん?」

 呟いて、剣を構えたまま微動だにしないフラムアークを観察するようにジロジロと眺めやる。

「……。まあ、いっか」

 何がいいのか、見守る者達には状況が良く分からないまま、エドゥアルトはおもむろに自らの剣を鞘へと収めた。

 !? えっ……!? 何!? どういうこと!?

 私はもちろん、遠巻きに見守る観衆がざわめく中、エドゥアルトのその様子を見たフラムアークが自らも構えを解いて剣を鞘に納めた。

 そんな彼に、エドゥアルトが驚くべき言葉をかける。

「今回はあんたに任せてみるのもアリかな、“兄上”。僕はせいぜい楽をさせてもらって、お手並み拝見といこう」
「エドゥアルト。認めてくれるのか? 内容はお前が終始優勢だったが……」
「僕があんたに剣で勝るのは当たり前の話だからね。……とりあえず花を持たせてもいいかなって思っただけだよ。本当に認めるかどうかは明日からの任務次第だね。僕の経歴を汚すような真似は許さないし、無能だと判断したら即座に引きずり降ろすけど、それまでは協力するよ」

 そう告げて背を翻すエドゥアルトを二人の腹心が追った。

「宜しいのですか?」
「うん、まあとりあえずはね。出来れば楽をしたいのは本音だし」

 男性の側用人に頷くエドゥアルトへ、狼犬族の女性が潜めた声で忠告をする。

「危なかったですよ」
「ああ、油断したな。あんな牙を隠し持っているとは思わなかった」
「思わず動くところでした。あちらの側用人が圧をかけて来なければ割って入るところでしたよ」
「ふぅん……これは主従共々、考えを改めなければいけないかな」

 私の目にはエドゥアルトが終始優勢で、フラムアークは劣勢を強いられているように見えた。事実、すんでのところまではそうだったのだろう。

 けれど最後の最後、エドゥアルトに剣を収めさせる何かを、フラムアークは見せたのだ。

「フラムアーク様」

 私は彼に駆け寄り、肩で息をつく彼の傷の具合を確かめた。

「ユーファ。ボロボロになっちゃったな」

 汗にまみれ苦笑するフラムアークに私は首を振って、心からの賛辞を贈る。

「ご立派でした。剣の立ち合いを間近に見るのが初めてだったので、少し怖かったですけれど……剣の武を誇るエドゥアルト様に対して、臆することなく、立派に立ち向かわれたと思います」

 あちこちに細かい裂傷は負っているけれど、大事に至りそうな傷はひとつもない。事前に言っていた通りエドゥアルトが加減したこともあるのだろうけど、何よりもフラムアーク自身が彼の攻撃をよく防いだ。

「どうやら重要課題のひとつをクリアだ。頑張ったな」

 スレンツェにそう労(ねぎら)われたフラムアークはこの日一番の嬉しそうな顔を見せた。

「スレンツェのおかげだ。スレンツェのこれまでの教えと、あの事前対策が功を奏した。エドゥアルトは想像以上に強くて、正直何度もダメかと思ったよ。最後の一撃は本当に重くて、剣が折れたかと思った」
「最後のあれはおそらく狼犬族に伝わる剣技だ。よく凌いで、あそこからリカバーしたな」

“あの事前対策”……? 何だか、私だけ二人のやり取りについていけていないみたいなのだけれど。

「……何だか私だけが知らない二人の間でのやり取りがあったみたいですね? 後で詳しく聞かせて下さいよ?」

 頬を膨らませる私を見たフラムアークとスレンツェは、顔を見合わせて破顔した。
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