病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十五歳


 薬師たる者、日々の勉強は欠かせない。

 その日宮廷内の書庫で調べ物をしていたわたしは、目当ての書物が棚の上部に収納されているのを見て、思わず溜め息を漏らした。

 踏み台を持ってくればいい話なのだけれど、あいにくと近い場所にそれが見当たらず、その書物もまた手を伸ばせばぎりぎり届くかもしれないという微妙な位置にあって、とりあえずは試してみようという不精な心が働いた。

 目一杯爪先立ちになり精一杯腕を伸ばしてみるけれど、悲しいかな、あと少しというところで指先がかからない。

 これは大人しく、踏み台を持ってくるしかないか―――そう諦めの境地に至った時、後ろからすい、と伸ばされた腕が、事もなげに目当ての書物を取り出してみせた。

「これか?」
「フラムアーク様」

 振り仰いだそこに主の姿を見出した私は、驚きに目を丸くしながら礼を述べた。

「ありがとうございます。……どうしてこちらへ?」
「調剤室に立ち寄ったけどいなかったから、ここかなと思って。そうしたら一生懸命背伸びしている可愛い後ろ姿が見えた」

 ふはっ、と相好を崩す第四皇子からは、剣の稽古でもしてきたのだろうか、微かな汗の匂いに混じって控え目な香水の香りがした。

 いつの間にか、香水をつけるような年齢になったのね……何だか不思議……。

 不精した姿を可愛いと揶揄されたことに頬を赤らめつつ、大人びてきた彼を前に不思議な気持ちになりながら、私は自分より頭ひとつ分ほど身長の高くなったフラムアークを見上げた。今日の彼は外衣を着けない簡易な服装で、腰の剣帯に長剣を差している。

 十五歳になったフラムアークは、骨組みががっしりとしてきて筋肉もつき始め、何だか男らしくなってきた。喉仏が出て声は完全に低くなり、丸みを帯びていた頬はすっきりとシャープになって、可愛かった顔立ちは気品のある端整な面差しへと変貌を遂げた。

 現在は重く体調を崩すことはなくなり、毎日朝と晩に私が調合した薬湯を飲むだけで、ベッドの上に臥せることはほとんどない。

 幼い頃はフラムアークの部屋につきっきりで詰めるような日々が続いていたけれど、それは年を経るごとに緩やかに減っていき、最近は薬湯を持って行った時に行う朝晩の体調チェックと、彼が剣の稽古で怪我をした時にその手当てをするくらいで、私は調剤室にいることの方が多くなっていた。

 その分側用人のスレンツェの仕事が増えて大変そうなので、調剤と勉強の片手間に彼の仕事を手伝ったりもしている。

「ねえ、ユーファは花が好き?」

 唐突にフラムアークから尋ねられた私は、ひとつ瞬きをして答えた。

「好きか嫌いかで言えば好きですね」
「贈られたら、喜ぶ?」
「まあ嬉しいことは嬉しいですけど……花束にされてしまうのは花が可哀想なので、私は自然に咲いている花を見る方が好きですね」
「ユーファらしいね」
「どうしたんですか? 突然」

 小首を傾げると、フラムアークは小さく笑った。

「さっき稽古の合間にスレンツェと話していたんだ。上流階級の男達は意中の女性にこぞって花束を贈る慣習があるけれど、それを果たして全ての女性が喜ぶものなのかなって」

 なるほど。

「それを言ったら、上流階級の女性達は『男性達からどれだけ花束を贈られたか』ということをご自身のステータスとして考えられる方も多いですから、純粋にお花が好きかどうかは置いておいて、『花束を贈られる』という行為は喜ばれる方が多いんじゃないでしょうか」
「なるほど。確かにそうだな。『花が好きだから』喜ぶわけじゃなく、『花束を贈られる』ことを喜んでいる、か」
「もちろん、純粋にお花が好きで喜ばれる方もいらっしゃると思いますよ」
「はは。男としてはそういう女性に贈りたいものだな」
「どなたか、贈りたい方でもいらっしゃるんですか?」

 もしかしたらと興味津々で尋ねると、残念ながらフラムアークは首を横に振った。

「将来の参考までに聞いておこうと思っただけ。ちなみにユーファはどんな花が好きなの?」
「そうですね……ラリビアの花とか、健気で可愛い感じがして好きです」
「ラリビアの花?」
「ご存じないですよね。この辺りでは咲かない、私の故郷の方で咲いていた花なんです」
「へえ……どんなものか、見てみたいな」
「確か、画が載っている書物があったと思いますよ」

 丁度書庫にいたので、私はフラムアークをその書物の場所まで案内した。

 薬師という職業上、植物について調べることも多く、植物関係の書棚には精通している。

「ええと、あの赤い背表紙の書物です」

 またしても微妙に背の届かない位置にある書物を指差して言うと、フラムアークが口元に笑みを湛えてそれを手に取った。

「フラムアーク様、背が高くなって便利ですね」
「便利だろう? ユーファ専属の書物係になってやろうか」
「お戯れを」
「はは、さすがにそれは無理だけど、今日みたいにタイミングが合った時は頼んでくれて構わないぞ」
「ありがとうございます」

 とは言ったものの、第四皇子という身分の方においそれとそんなことを頼むわけにはいかないわよね。

「このページです」

 フラムアークにラリビアの花の画が載ったページを見せると、彼は興味深げにその書面に見入った。

 淡い紫色の花が穂状についたラリビアは、懐かしい故郷の風景の中にある、私にとっては思い出深い花だ。

 子どもの頃はラリビアの花で冠を編んだり、ブーケを作ったりして遊んだっけ……。

 かつて兎耳族が住んだ土地に今もあの花は咲き誇っているのだろうけれど、宮廷の外へ出ることが許されない私には、きっともう本物を見ることが叶わないに違いない。

 少し感傷的な気分になった私の隣で、フラムアークが言った。

「可憐な花だな……いつか、本物を見てみたい」
「……私もです」

 そう頷いた私の顔は、自然に微笑めていただろうか―――。
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