ついに、フラムアークに身長を抜かれてしまった。
彼の声が低く変わり始めた頃から、近々こういう日が訪れることになるだろうと、予想はしていたけれど。
「やった! ユーファより大きくなったぞ!」
無邪気に喜ぶ十三歳のフラムアークの傍らで、彼より頭ふたつ分ほど背の高いスレンツェがいらないことを口にする。
「安心しろ、ユーファ。身長は抜かれても年は永遠に抜かれない」
「黙りなさい」
きっ、と横目で彼をにらみつける私に、フラムアークが何気なく尋ねてきた。
「そういえばユーファの年齢ってちゃんと聞いたことないな。いくつなんだ?」
長い間一緒にいるのに、彼がそれを知らないのには理由があった。今まで年を聞かれる度に、私がのらりくらりとはぐらかしてきたからだ。
「女性に年齢を聞くものではありませんよ」
これまでのようにやんわり受け流そうとすると、フラムアークは小首を傾げて食いついてきた。
「公式の場のマナーとしてはそうだろうけど、オレ達の仲だし別に構わないだろう? それにオレは、ユーファのことを知っておきたい」
少し前から、フラムアークの一人称は「僕」ではなく「オレ」になった。皇族たるもの、「私」とすべきではないですか、と進言したところ、「公式の場ではそうするけど、普段は使いたくない」とのことで、その理由というのがどうやら皇族方が使う「私」という一人称に彼が嫌悪感を抱いているからのようなのだ。
「あいつらと同じ人種になりたくない」というフラムアークなりの反発心の表れと、身近なスレンツェが「オレ」という一人称を用いていることも影響しているようで、そんな理由から彼の一人称は「オレ」に落ち着いている。
その際、彼はきちんとこのようなフォローもしていた。
「あ、ユーファの使う『私』は別だよ。優しい響きで、オレはスゴく好き。あいつらの高圧的な『私』とは全然別物だからね!」
それはどうもありがとうございます、とその時は妙なお礼を言うことになってしまったっけ―――第四皇子に年齢を白状するよう迫られながら、私はその時の記憶に思いを馳せた。
「教えてよ、ユーファはいくつなの?」
「あの、私は兎耳族なんです。兎耳族は人間より寿命が長くて、若い時代が長いんです」
こう言えば大人は察して引いてくれるけれど、十三歳のフラムアークは引いてはくれなかった。むしろ「そうか!」と納得するように頷いて、キラキラした目で話の先を促してくる。
「言われてみれば、ユーファはオレが小さい頃からずっと見た目が変わらないもんな? スレンツェは背も伸びて、がっしりして、大人になったなぁって感じがするけれど」
「ちなみにオレは今年で二十三だからな」
「スレンツェはオレより丁度十歳上なんだね」
男達が互いの年齢を確認し合うのを見やりながら、私はこの話を終了させるべくにっこりと微笑んだ。
「なので、この中で私が一番年上です。敬って下さいね? では、そういうことで」
しかし、第四皇子は煙に巻かれてはくれなかった。
「もちろん敬うよ! それでユーファはいくつなの?」
「見た目年齢は、二十歳(ハタチ)で止まっています」
「確かに見た目はそうだね! で、実年齢は?」
年長者を敬うというのなら、そこは引いてほしいところなのだけれど。
「……。そんなに、私の年齢が気になります……?」
これ見よがしに長い溜め息を吐き出すと、薄ら寒い雰囲気を察したスレンツェがフラムアークをこう促した。
「おい、もういいだろう。そろそろ身体を動かしに行かないか」
十三歳になって、フラムアークはスレンツェから剣術を教わり始めていた。他の皇子達はもっと幼い頃から専門の剣術指南役による指導を受けていたけれど、身体の弱いフラムアークにはあてがわれておらず、見かねたスレンツェによって遅ればせながらの自主稽古が開始されていた。
私も詳しくは知らないのだけれど、スレンツェはアズール王国の王子という立場にあった当時、年端も行かぬ身でありながら、近隣諸国に知れるほどの剣の武勇を誇ったらしい。
小耳に挟んだその情報を以前何かの折に彼に尋ねた時、スレンツェはひどく嫌そうな顔をして、自嘲気味にこう言っていた。
「オレに本当に一騎当千の力があったなら、今ここでお前とこうしてはいなかったかもしれないな。……結果としてオレの国はもうないわけで、それが全てだ」
それ以上のことをその時の私はスレンツェに聞けなかったのだけれど、彼から剣術を教わるようになって、フラムアークはより生き生きとしてきたように思う。発作の回数も減って、少しずつ、でも確実に着実に丈夫になってきているのを、私もスレンツェも、そしてフラムアーク自身も感じていた。
「うん、行く行く! ユーファの年齢を聞いたら行くから、ちょっと待って!」
スレンツェにそう断りを入れるフラムアークを見て、私は彼が誤魔化しの利かない年齢になってしまったのだと悟らざるを得なかった。
ああ、もう。これは聞くまでてこでも動かないわね。
スレンツェ、覚えていなさいよ。後で雑用をたんまりと言いつけてやるんだから。
ばつが悪そうな顔になった黒目黒髪の精悍な側用人をじろりとにらみつけて、私は諦めの吐息をついた。
「フラムアーク様、お耳を」
第四皇子の耳元に唇を寄せて、出来れば伝えたくなかった自分の実年齢を伝える。兎耳族とは年齢の感覚が違う人間にこれを伝えると大仰なリアクションを返されることが多くて嫌なのだけれど、私の年齢を聞いたフラムアークは予想外の笑顔になった。
「そうか! 人間と兎耳族では、ずいぶんと感覚が違うものなんだな。教えてくれてありがとう」
意外……もっとびっくりした反応を返されるかと思ったわ。
「言いにくいことを無理に言わせてごめんね。どうしてもユーファのことを知っておきたかったんだ」
子どもの無神経ではなく、無理やり言わせている自覚はあったの? どうしてそんなに……。
戸惑う私の顔を正面から真っ直ぐに見つめて、フラムアークは言った。
「ユーファはいくつでも可愛いよ。いくつでも、年を重ねて容姿が変わっても、ずっと可愛いとオレは思う」
「……はっ?」
思わず、妙な声が出てしまった。
可愛いって言った? フラムアークが、私を?
あの小さかったフラムアークが、そんなお世辞を言うようになったなんて。
「あ……ありがとうございます? そんな気を遣うほど価値のある情報とも思いませんが」
「オレ的には価値があるし、そういう意味で気を遣ってもいないから、気にしないで」
フラムアークは朗らかに笑いながら、どこか意味ありげに私のサファイアブルーの瞳を覗き込んだ。陽に当たって煌めく金色の髪と橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が、まだあどけないながらも大人っぽくなってきた気品のある顔立ちを彩って、不思議な魅力を湛えている。
「うーん、十三歳(こども)から言われてもそんなものか。スレンツェくらいの年齢の男に同じことを言われたら、きっと反応も違うんだろうな」
「はい?」
何? いったい何の考察を始めたの、この子は??
「フラムアーク様?」
「ああ、戸惑わせちゃってごめんね。―――好きだよ、ユーファ」
フラムアーク付きとなってからこれまで、私達の間ではきっと何百何千と交わされてきた「好き」という言葉。
実の両親からの愛情を得られなかった彼が、安心を得る為に、自分の価値を確認する為に、自分の心を守る為の手段として用いてきた、お守りのような、呪文のような言葉。
けれど、その「好きだよ」という言葉には、何だかいつもと違うニュアンスが込められていたような気がして―――。
「……私も好きですよ、フラムアーク様」
いつもと同じ言葉を返すのに何故だか間が要って、妙にぎこちなくなってしまった。
「うん。じゃあ、スレンツェと身体を動かしに行ってくる」
私とは対照的にフラムアークはどこか晴れ晴れとした表情でそう言い置くと、困惑する私を残して、微妙な顔になったスレンツェと共に部屋を出て行ってしまった。
そしてこの日から、フラムアークは私に対して「可愛い」という言葉を多用するようになったのだ―――。