もったいない!
21


「陽葵(ひま)! 大変、何か小柴が喜多川に絡んでるっぽい!」
「―――えッ!?」

 放課後、掃除当番で教室の机を移動させていたあたしのところへ勢いよく飛び込んできた紬からの一報に、あたしは耳を疑った。

 小柴が、蓮人くんを!? 何で!?

「詳しい理由は分かんないけど、何か小柴達が喜多川のトコに来て、話があるって裏庭の方へ連れて行っちゃったみたい! イッちゃんがそう言ってた!」

 イッちゃんていうのは、蓮人くんと同じ掃除場所の担当になっているクラスメイトだ。

 紬が彼女から聞いた話によると、蓮人くん達の掃除場所に小柴とその友人がやってきて、あんまり良くない雰囲気で蓮人くんを連れ出していってしまったらしく、心配になったイッちゃんが近くにいた紬に報せて、それを紬があたしに報せに来てくれたという流れだった。

 ―――多分ていうか、絶対あたし絡みだよね、これ!?

 もう〜、小柴のヤツ、何であたしじゃなくて蓮人くんの方に行くの!?

 やきもきしながら紬と共に急いで裏庭に駆け付けると、どこからか聞いたことのない小柴の怒声が聞こえてきた。

「―――おい、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

 うわっ……ちょ、まさか蓮人くんに手を出したりしてないよね!?

 さすがにそこまでしないと思うけど……!

 あせりながら声のする方へと向かうと、騒ぎに気付いた他の生徒が何人か足を止めて、遠巻きに問題の方向を見つめていた。そこには三対一で向かい合う男子生徒の姿があって、その中に、頭ひとつ低い位置の小柴からにらみ上げられるようにして詰め寄られている蓮人くんの姿が見えた。

 小柴の左右にいる彼の友人達がいきり立つ小柴に「落ち着けって」と声をかけて、一線を超えないように努めている感じで、とりあえず数人がかりで蓮人くんをフルボッコにしているような状況ではないことに安堵する。

 小柴は普段のおちゃらけた感じとはまるで違う怖い顔をして、蓮人くんに迫っていた。

「お前さぁ、その気がないんなら、適当な理由付けてあいつから距離を置けばいいだろ!? 人がいいフリして、ヘラヘラ愛想笑い浮かべながら来る者拒まずの態度でいるんじゃねぇよ! その気もないのに、岩本に気ぃ持たせるような真似すんな! あいつが可哀想だろ!?」

 ―――は!?

 小柴の口から飛び出たワケの分からない台詞に、あたしは思わずフリーズする。

 え、ちょっと待って、何ソレ。

 何言っちゃってんの、小柴!?

 ―――あたしが可哀想!?

 は!? 何勝手に憐れんでくれちゃってんの!?

 意味分かんないんだけど!

「あ〜……あいつ、何をどう勘違いしちゃってんの?」

 隣で頭が痛そうに紬が呟き、その煽りを食らった当の蓮人くんは明らかに困惑した様子で、でも冷静に小柴に問い返していた。

「さっきから何度も言っているけど、小柴くんが何の話をして何に対して怒っているのか、オレにはイマイチよく分からないんだけど……」
「はぁ!? フザけんなよ! お前がその気もないのに岩本に思わせぶりな態度を取ってるって話だろうが! それに対して怒ってんだろ!?」

 ―――はあぁぁ!?

「え……? オレとしては、岩本さんにそういう態度を取った覚えは一度もないんだけど……何がどうしてそういう話になっているのか、一度落ち着いて聞かせてもらえない?」
「とぼけんなよ! お前、本当は岩本のことウザがってんだろ!? グイグイ来るあいつのことがウザくて迷惑だって、そういう困ったオーラを周りに振り撒いていんだろ!?」
「え……!?」

 目をまん丸に見開く蓮人くんと同じくらい、あたしも大きく目を見開いた。

 え―――!? 蓮人くんは絶対そんなふうに思ってないと思うけど、億が一、もしちょびっとでもそんなふうに思われていたとしたら、軽く死ねる!!

「ちょっ……待って、誤解だよ。オレは岩本さんに対してそんなふうに思ったことは、一度もない」

 蓮人くん! 好きー!!

 ハッキリと否定してくれた蓮人くんにホッとしつつ胸をときめかせるあたしの前で、小柴はそんな彼の言葉に納得せずに牙を剥いた。

「はぁ!? 周りにそれ匂わせるようなコトさんざん言っといて、いいヤツぶるのも大概にしろ!」
「!? 何の話―――? そんな覚え、全くないんだけど」

 形の良い眉をひそめ、そこで初めて不快感を露わにした蓮人くんに、小柴は顔を真っ赤にして言い募った。

「とぼけんな! じゃあ何だ、お前は岩本のことが好きなのかよ!? あ!? そうなのかよ!?」

 ―――ちょっ、何言ってんの!?

 その発言にドッ、と心臓を跳ねさせるあたしの前で、怖いくらい真剣な表情になった蓮人くんは、有無を言わせない強い口調で、小柴の言葉を退けた。

「それは、こんなところで君に対して答えることじゃない」

 その様子から、話の通じない無神経な小柴に蓮人くんが本気で怒っているのが伝わってきて、普段穏やかで物静かな彼が見せたその表情に、友人共々気圧された様子の小柴は歯噛みしながら、負け惜しみするように潰れた声を絞り出した。

「ほら、言えねぇじゃねぇか……。本気で好きじゃねぇんなら、あいつを取っていくんじゃねぇよ……」

 遠巻きに見つめる生徒達の中でタイミングを見計らっていた紬が、そこでギャラリーを脱け出して、小柴に声をかけた。

「―――いい加減にしなよ、小柴!」
「っ! 牧瀬……!」

 そこで初めて紬に気付いて苦い顔になった小柴は、彼女の後ろに続くあたしの姿を見つけると、顔面蒼白になった。

「いっ、岩本……!」

 渦中の人物であるあたしの登場に、小柴の友人二人もかなり気まずそうな面持ちになる。

「―――小柴、あんた、何やってんの……?」

 あたしにそう問われた小柴は、動揺を露わにしながら、下目がちに唇を噛んだ。

「……っ。オレは……お前の代わりに、確かめようと、そう思って」
「は?」

 何を?

「喜多川がお前のこと、本当はどう思っているのか……お前の代わりに確かめようと、そう思ったんだ」
「は? 何でそんなこと……」

 あたしは思い切り眉を寄せた。

 意味が分からない。

 何でそんなこと、こっちが頼んでもいないのに―――普通に考えたら、大迷惑でしかないって分かりそうなものなのに。

 何でそんな余計でしかないこと―――。

 言外のそんな思いが伝わったらしく、不信感いっぱいのあたしの眼差しを受けた小柴は、あせった感じで固まっていた舌を動かした。

「喜多川を名前呼びしてる、隣のクラスの背が高い女―――そいつから、喜多川は本当は岩本のこと、内心ウザがってるって話を聞いたんだ。しつこくまとわりつかれてウザいのに、グイグイくるから断り切れなくて困ってるっていうのを聞いて、何だそれ、って思って。教室ではそんな素振り微塵も見せねぇし、むしろ隣にいるのが当たり前みたいな顔して岩本と接してるのに、もし裏でそんなこと言ってんなら、それが本当なら許せねぇ、ってそう思って―――」

 それを聞いた瞬間、あたしと紬は同時に全てを察してしまった。

 ―――阿久里! あいつか!!

 対蓮人くんにおける要注意人物だとは思っていたけど、まさか、小柴にまで網を張っているとは思わなかった。

 単純な小柴はあることないこといいように吹き込まれて、あのあざとい女の思惑通り、まんまとこんなバカげた行動に出てしまったに違いない。

 えげつな……! まさか小柴を使ってくるとは……! 

「……え。それって阿久里さんのこと……? 阿久里さんが、何でそんなことを―――」

 その阿久里さんに自分が狙われていることを知らない蓮人くんだけが、ひどく驚いた様子で、釈然としない反応を見せている。

「小柴、あんた阿久里と仲良かったっけ? 何でそんな話信じちゃってんの? この空気でもう分かるでしょ? そっちの方がデタラメだよ」

 あきれ口調の紬からそう突きつけられた小柴は、左右の友人達と顔を見合わせ、きまりが悪そうに口元を歪めながら、持って行き場のない憤りを吐き出した。

「―――っだよ……だってそんなの、分かんねぇよ! 岩本も喜多川も、それまで全く接点なかったのに、ある日突然急に絡み始めたと思ったら、ソッコー噂になって、信じられねぇ勢いで親密になってっし……! あせって下手に探りを入れたらガチ切れされるし、そこからもうスルーされて取り付く島もねぇし……! でもって付き合ってるわけじゃなさそうなのに、何か岩本、喜多川のこと急に下の名前で呼び始めるし、なのに喜多川の方は岩本を苗字呼びのままでそこは変わんねぇとか、何かもう、距離感とか色々おかしいっつーか、こっちはワケ分かんねぇんだよ!」

 そこには、あたし達の事情を知らない小柴のあせりと惑いが集約されていた。

 小柴からしたらワケの分からないうちにあたしと蓮人くんの距離が一気に縮んでしまったわけで、あたしに想いを寄せてくれていた彼からすれば、それは青天の霹靂と呼べるくらい戸惑う出来事だったのかもしれない。

 今までと同じように過ごしていたはずなのに、突然あたしが蓮人くんと親しくなって、彼の隣にいるようになって、まるで自分だけが一人取り残されてしまったかのような、もしかしたらそんな感覚を小柴は味わっていたのかもしれない。

 それがあまりに突然過ぎたから一人で消化しきれなくて、事情を知らない彼は納得することも出来なくて、かといってそのまま抱え込むことも出来なくて、結果、阿久里さんなんかの言うことに耳を傾けてしまった。

 蓮人くんはそんな小柴の言うところに何か感じるものがあったのか、微かに肩を揺らしていた。

 そんな蓮人くんとあたしを赤らんだ顔で見やり、小柴は収まりきらない感情のままに言葉をぶつける。

「お前ら元々タイプ違い過ぎだし、趣味も話も合わなさそうなのに、何で一緒にいるのか謎なんだよ!」
「……見た目とかタイプとか、関係ないよ―――」

 あたしは小柴を真っ直ぐに見つめてそう言った。

 きっかけはどうあれ、何故小柴がこんな行動に出てしまったのか、その原因がどこにあるのか、それが分かったから。

 ―――あたしが、小柴にちゃんと向き合わずに放置してしまっていたから。それが今回の根本の原因だ。

 だから、ちゃんと話さなくちゃ。

 向き合って、伝えなくちゃ。

「……蓮人くんとはそれまで単純に接点がなかったから話したことがなかっただけで、別にタイプが違うからとか、そういう理由で距離を置いていたわけじゃないんだよ。ただ単純に、きっかけがなかっただけ。ひとつきっかけが出来て話してみたら、スゴく気が合って、そこから自然と仲良くなれたんだ。フィーリングっていうのかな、それが合ったんだと思う。一緒にいて自然体でいられるし、何をしてても楽しいなって、そう思えるんだ。だから一緒にいるんだよ。
でも蓮人くんとあたしは違う人間だし、何もかもが同じ基準ってわけじゃないから、そこはそれぞれ尊重し合っているっいうか―――名前呼びがまさにそれかな。あたしは仲良くなったら名前で呼びたい派だし、蓮人くんもいいよって言ってくれたからその瞬間から名前呼びにしたんだけど、蓮人くんはそういうのにちょっと抵抗があって慣れるまで時間がかかるっていうから、じゃあ蓮人くんのタイミングで、あたしの呼び方を変えてもいいなって思えた時に、そうしてもらえたらいいよって伝えてあるんだよね。そういうのは、別に無理して合わせることじゃないと思うから」

 だから小柴のことを「小柴」って呼んでいるのは、彼に対するあたしの距離感そのままなんだ。

 親しく話せるクラスメイトだけど、それ以上でも以下でもない。

 それが、小柴に対するあたしの気持ち。

 伝わるかな。分かってもらえるかな。

 別に嫌っているわけじゃない。クラスメイトとして仲良くやっていけたらいいなって、ただただそう思っているんだってこと―――。

「―――小柴さぁ、そんなに色々抱え込んでいたんなら、さっさとあたしにあの時のこと謝って、直接聞いてくれたらよかったのに。こんなことしているの、らしくないよ。小柴はさ、そうやって難しい顔して押し黙ってるんじゃなくて、能天気に明るく笑ってクラスを盛り上げてくれてるのが、らしくていいところなんだからさ」

 目元を赤らめたまま黙ってあたしを見つめている小柴に冗談めかしてそう言うと、とっさに言葉の出ない彼の代わりに、左右に立つ彼の友人達が無言でその肩や腰を叩いて、後押しをしている様子が見て取れた。

 ―――ちゃんといい友達がいるんじゃんね、小柴。

 何度か口を開きかけて、その度に声が出ないのか、口を開いたり閉じたりしていた小柴は、しばらく間を置いてから、少し震える声でこう言った。

「……。そっか……。バカだな、オレ―――我ながら痛ぇわ……。何であんな話、真に受けて―――。ごめん岩本、色々……この間のことも―――」

 最後の方は消え入るような声量であたしに謝罪を伝えた小柴は、ためらいがちに蓮人くんの方へも視線を向けると、気まずそうにすぐに視線を逸らしながら、言いにくそうに、でもキチンと頭を下げて謝罪した。

「喜多川も……悪かった……。変な言いがかり付けて、呼び出したりして……」
「うん。分かってくれたならいいよ」

 気を取り直したように蓮人くんが頷いて、ちょっと表情を和らげた小柴に、彼の友人が左右からツッコんだ。

「何だ、結局全部お前の勘違いってコトかよ」
「ダッセ。オレらまで巻き込んで何やってんだよー」

 あえての軽い口調でこれ見よがしに溜め息をついてみせる彼らに、小柴はばつが悪そうな顔でがなり立てた。

「―――悪い、オレが悪かったよ! 今度何かオゴっから!」
「じゃあオレ、特上牛丼大盛な!」
「オレはそれにトッピング付きでー」
「うぐ……まぁしょうがねぇ……」

 ちゃっかり小柴からお詫びを取り付けた彼らは、それから申し訳なさそうな視線をあたし達へ向けて謝ってくれた。

「つーわけで、何かごめんなー、喜多川、岩本。牧瀬にも迷惑かけちまったな」
「ホント、全部小柴(こいつ)のせいだから。悪かったなぁ」

 そんな彼らに、紬が苦笑混じりにこう返した。

「最初は何やってんのってあせったけど、まぁ誤解が解けて良かったわ。結果的にあんたらが小柴についててくれたおかげで、下手なことにならずに済んだし―――ま、寛大な喜多川と陽葵(ひま)に感謝しなよー」
「うーい」
「おー」

 緊張感が和らいだそんな空気の中、あたしは蓮人くんに駆け寄って声をかけた。

「ごめんね蓮人くん、何か変なことに巻き込んじゃって」
「岩本さんのせいじゃ―――……。あの、さっきの小柴くんの話、本当なのかな。阿久里さんが……」

 伏し目がちにそう言いながら、彼は言葉を濁らせた。

 阿久里さんの気持ちを知らない蓮人くんからしたら、彼女がそんな行動に出た理由が分からなくて、どうにも腑に落ちないんだろう。

 その時だった。

「! やっぱりいた!」

 辺りに視線を配っていた紬が鋭く叫んで、駆け出した。反射的に彼女が向かった先へ視線をやったあたしは、校舎の陰から立ち去ろうとしている阿久里さんらしき後ろ姿を視界に捉えて、慌ててその後を追いかけた。

 体育が得意な俊足の紬は、みるみるその人物の背中に迫っていく。追いかけた先でしっかりとその人物の腕を掴んだ彼女は、驚いて振り返った相手をこう一喝した。

「逃げんなよ!」
「―――!?」

 長い黒髪が翻(ひるがえ)り、振り返りざま紬を映し出したその双眸が、あせりと敵意に彩られる。

「―――痛っ……急に何!? 離してよ!」
「とぼけんな! 絶対近くで隠れて見てると思った!」
「は……!? 急に何なの!?」

 ―――やっぱり阿久里さん!

 追いついてその顔を確認したあたしは肩で息をつきながら、紬と対峙する彼女の前に足を進めた。

 そのあたしの後ろから蓮人くんや小柴達も駆け付けてきて、それに気付いた阿久里さんが、清楚な面差しをわずかに強張らせるのが分かった。
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